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2016年11月

2016年11月27日 (日)

恵みの輪を世界に広げる

 クリスマスが近づくと、至る所でクリスマスキャロルを耳にします。「キャロル」というのは、もともとフランス語かラテン語で、歌に合わせて踊るダンスの意味だとか。それが後に「踊りのための民謡」とか、「お祭りの歌」という意味になったとのこと。日本でいうと、ソーラン節とか東京音頭みたいなものでしょうか(笑)。J-POPの曲も、今はほとんど踊り付きですね。(PPAPもです!)中世のカトリック教会では、クリスマスやイースターの時にキャロルを歌うようになりました。聖職者たちがラテン語で歌ったそうです。宗教改革以降は、みんなで歌えるようにそれぞれの国の言語に歌詞が翻訳されました。新しい曲も次々に作られました。現在「キャロル」というと、ほとんどがクリスマスの歌です。イエス・キリストの誕生を歌った曲です。ただ日本では、「Amazing Grace(アメイジング・グレイス)」もキャロルと呼ばれたりします。タイトルを直訳すると「驚くばかりの恵み」ですね。キリストの誕生を歌う曲ではありませんが、クリスマスに日本各地で歌われています。教会の集まりに一度も来たことのない日本人でも、一度くらいは耳にしたことがあるからかもしれません。

 「Amazing Grace」は、よく知られているように英国国教会の牧師ジョン・ニュートンが作詞しました。ジョン牧師は若い頃、船乗りでした。奴隷船の船員となり、アフリカからカリブ海や北アメリカに奴隷を運びました。22歳の時、彼の乗った船が嵐で沈みそうになりました。真夜中に目を覚ますと、船が浸水していました。ジョンは生まれて初めて、必死に神に祈りました。すると積み荷が動いて穴がふさがり、浸水が止まったのです。これがきっかけとなり、彼は船の中で聖書を読み始め、イエス・キリストを信じました。母親の影響もあったのでしょう。母は、彼が7歳の頃に亡くなりましたが、熱心なクリスチャンで聖書を読み聞かせてくれました。その後、ジョンは奴隷船の仕事をやめ、牧師になりました。教会の友人とともに、賛美集を作りました。「Amazing Grace」は、その頃書いた詩の一つでした。ジョン牧師は、かつて奴隷貿易に携わった自分の罪深さを自覚していました。神様はそんな彼を罪の中から救い、正しい生き方を教えて下さいました。その「驚くばかりの恵み」を、彼は詩に書いたのです。その後、ジョン牧師は友人の政治家とともにイギリスの奴隷貿易廃止を実現しました。「Amazing Grace」は、奴隷制廃止前のアメリカに伝わりました。20以上の異なるメロディーで歌われ、最終的に現在の曲となったそうです。多くの奴隷たちも歌い、ゴスペルの代表曲となりました。アメリカ全土の教会で歌われ、海外にも伝えられました。神の「驚くべき恵み」を知った人々が、全世界でこの曲を歌うようになったのです。

 神様がユダヤ人を選んだのも、恵みによってでした。アブラハムが特に優れていたのではありません。彼はエジプト王を恐れ、妻を差し出すような人でした。ヤコブは嘘つきでした。モーセは人殺しでした。ギデオンは腰抜けでした。ダビデは略奪婚のため、相手の夫を殺しました。ソロモンは半端ない女好きでした。週刊文春ではなく、聖書がスクープしています。それでも神様は、ユダヤ人を見捨てませんでした。恵みによって選んだからです。

 神のみこころは、ユダヤ人を通し世界中に恵みの輪を広げることでした。イエス様は、彼らの代表としてこの世に来られました。信じる人を恵みの輪に加えるためです。どんなに罪深い人も、信仰を持ち、悔い改めるなら天の御国の輪に入れます。生まれ育ちも能力も、社会的地位も経済力も、関係ありません。ただイエス・キリストの恵みにより、永遠の祝福の輪に加えられるのです。

「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」(使徒15:11)

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2016年11月20日 (日)

苦しみをくぐり抜ける

 タイのチェンマイでは先週、「イーペン」と呼ばれるお祭りがありました。ちょうどスーパームーンの日でした。無数のランタンを空に上げるため、世界で最も美しい祭りとも言われるそうです。タイでは先月、国王が亡くなったため、今年のお祭りは規模が縮小されました。それでも世界中から4000人が集まったそうです。タイは、国民の95%が仏教徒。クリスチャンは0.8%だそうです。イーペン祭りでランタンを上げるのも、仏陀に感謝をささげる行為だとか。僧侶たちがお経を読んだ後、人々はランタンに灯をともし、空に放ちます。ランタンが見えなくなると、苦しみが取り除かれると信じられているそうです。仏陀は、正しい行いにより苦しみから解放されると教えました。ランタンによる感謝も、正しい行いの一つだと人々は信じているのかもしれません。

 この祭りは、ある映画のシーンに採り入れられました。6年前のディズニー映画、「塔の上のラプンツェル」です。原作はグリム童話で、ランタンのシーンはないようです。映画の監督が空飛ぶランタンの映像を見て感動し、3Dの映画に採り入れたとのこと。私は観たことがありませんが、見事なシーンだそうです。映画の中でランタンは、ラプンツェルの誕生日の空を飾りました。彼女は、ある国の王女として生まれました。でも赤ん坊の時、魔女にさらわれ、18年間、森の奥の塔に閉じ込められて育ちました。両親はラプンツェルの無事を祈り、彼女の誕生日に無数のランタンを上げました。ラプンツェルは森の奥で毎年ランタンを目にし、「あれは何だろう」と思っていました。自分がさらわれてきたことも、両親が誰なのかも、彼女は知りませんでした。18回目の誕生日にとうとう塔を脱出し、ランタンを間近で見るチャンスが訪れました。それは彼女が、自分が誰なのかを知り、本当の家に帰るきっかけとなりました。ラプンツェルの両親にとって、ランタンは娘がいなくなった苦しみを象徴していました。しかし、そのランタンがきっかけで娘は帰宅し、両親の苦しみは取り除かれました。国王夫妻は、おそらくタイ人でも仏教徒でもなかったでしょう。でもランタンを上げ続けることにより、彼らは苦しみから解放されたのです。

 聖書にも、苦しんだ人たちがたくさん出て来ます。アブラハムは、後継ぎが生まれないことに苦しみました。ヤコブは、最愛の子ヨセフを失ったことに苦しみました。ヨセフの苦しみは、兄弟たちに売り飛ばされ、無実の罪で投獄されたことでした。彼らの子孫は、エジプトの強制労働に苦しみました。モーセは、反抗的な人々に苦しみました。ナオミとルツは、夫を失った後の貧しい生活に苦しみました。ダビデは、サウル王のねたみに苦しみました。多くのユダヤ人は、国の滅亡に苦しみました。彼らは苦しみからの救いを求め、天にランタンを上げるように父なる神に祈りました。神様は、恵み深いお方です。彼らの祈りを聞き、苦しみをくぐり抜けさせて下さいました。

 イエス様は、天から下られた真のランタンです。私たちの苦しみに光をあて、その最大の原因を十字架で取り除いて下さいました。死の苦しみを乗り越え、信じる人を地獄の苦しみから解放して下さいました。天に昇り、今も私たちのあらゆる祈りを受け取って下さいます。私たちの心から苦しみを取り除き、平安で満たして下さいます。イエス様とともにある人は、苦しみをくぐり抜けることができるのです。

「彼らは…ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言った。」(使徒14:21-22)

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2016年11月13日 (日)

地の果てまでも救いをもたらす

 映画「君の名は。」は、現在大ヒット上映中とのことです。私は観ていませんが、冒頭はこういうセリフだそうです。「朝、目が覚めるとなぜか泣いている。」これは、15年前に大ヒットした小説の冒頭とそっくりだという話を聞きました。「世界の中心で、愛を叫ぶ」です。小説の書き出しは、こうでした。「朝、目が覚めると泣いていた。」以前、「世界の中心で…」というタイトルを聞いた時、私には疑問が湧きました。「世界の中心はどこだと言うのだろう。小説では、オーストラリアのエアーズロックだと言っているようだ。アボリジニがそう考えているらしい。でも彼らがそう信じているからと言って、そこが本当に世界の中心とは言えないはずだ。」

 日本の一般的な世界地図を見ると、日本が世界の中心であるかのようです。この地図を見て育った私は、「極東」という言葉に違和感がありました。日本は真ん中なのに、なぜ東の果てなのか。でも欧米で使われる世界地図を見ると、「極東」の意味がよく分かります。経度ゼロのイギリス・グリニッジが中心の地図です。ヨーロッパ中心です。ヨーロッパでは古くから、自分たちより東側の地域を近東と極東の2つに区分して来ました。その後、中東が加わり、3つになりました。世界地図は、もちろんこの2種類だけではありません。地球は丸いのでどこを中心にした地図も作れます。私は以前、北極中心の地図を部屋に飾っていました。南極中心の地図もあります。アメリカやオーストラリア中心のもあります。違う地図を見ると、世界が少し違って見えますね。

 最も古い世界地図とされるのは、紀元前600年頃のバビロニアの地図だそうです。二重の円があり、内側の円が陸地。二つの円の間は海。一番外側は、反対側の陸地です。ただそこは、想像上の土地だったそうです。内側の陸地は、実際は世界全体ではなく、バビロニアの地図でした。バビロニアの人々にとっては、もちろん彼らの国が世界の中心でした。紀元前6世紀のギリシア人たちも、似たような地図を描きました。ただ陸地は、3つに分かれていました。ヨーロッパとアジア、リビア(アフリカ)です。ギリシアが世界の中心です。ローマ帝国の時代にはイタリア半島が中心で、インドが東の果てに描かれました。その後の地図には、中国も登場しました。欧州の地図に日本が初めて登場したのは、1459年頃だそうです。「東方見聞録」を参考にしたようです。マルコ・ポーロは、日本に来たことがありませんでした。中国の東に金がざくざく採れる島国があるという噂を聞き、それを本に記しました。地の果てにある、夢の国のようなイメージだったかもしれません。

 聖書では、世界の中心は世界を造られた神ご自身です。エルサレムはかつて、その神を礼拝する世界の中心でした。イエス様は、王としてその都に入城され、十字架につき、復活されました。都にいた弟子たちに聖霊が下り、そこは世界宣教の中心になりました。ユダヤ、サマリヤ、そして地の果てまで行き、世界の中心が誰かを彼らは宣べ伝えました。イエス様を信じるなら、地の果ての人々も夜の闇から救われます。世界の中心から永遠の光が差し込みます。その光で朝、目が覚めると、満たされた心で微笑むことができるのです。

「…見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」(使徒13:46-47)

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2016年11月 6日 (日)

天を向いて歩く

 ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」は先日、ビルボードの全米ソングチャートで77位に入りました。日本人のシングル曲がランキング入りしたのは、松田聖子以来26年ぶりだそうです。ビルボードは現在、ダウンロード販売、パッケージ販売、ストリーミング、YouTube、ラジオのオンエア数でランキングを決めるとのこと。「PPAP」は、YouTubeの音楽部門で2週連続世界一だったようです。この知らせに驚いたピコ太郎は、こうコメントしました。「余りの驚きで、水道が止まりました。」

 シングル曲で初めてビルボードにランキング入りした日本人は、坂本九さんです。1963年で「上を向いて歩こう」という曲。作詞したのは、今年7月に亡くなった永六輔さん。女優の中村メイコさんにふられた時の気持ちを歌ったと、当初語ったそうです。しかしその後、こうも言いました。「安保闘争で敗北した人たちの気持ちを歌った。」どちらが正しいのかは、今はもう分かりません。永六輔さんはレコーディングの時、坂本九さんの独特な歌い方が気に入らず、絶対ヒットしないと断言したそうです。ところがレコードは、発売と同時に爆発的にヒットしました。ヨーロッパに紹介されると、そこでも大ヒット。そしてアメリカで発売されると、ビルボードで3週連続第一位となりました。米国での売り上げは100万枚を突破し、外国人として初めてゴールドディスクを受賞しました。世界70か国で発売され、販売総数は1300万枚以上だそうです。英語の曲名は、なぜか「Sukiyaki」。日本語の分からないレコード会社社長が、適当に名づけたようです。

 坂本九さんは1985年、飛行機事故で亡くなりました。43歳でした。娘が2人いて、長女の大島花子さんは当時11歳でした。パパっ子で、突然の父の死は大変なショックだったそうです。父の歌をまったく聴けなくなりました。しかし彼女はその後、OLになり、電車の中で音楽を聴くようになりました。音楽がもたらす力を改めて感じたそうです。自分も音楽を届ける側に立ちたいという思いが強くなり、プロの歌い手を目指すようになりました。自分で作った曲とともに、父の曲も歌うようになりました。東日本大震災が起きた時、仮設住宅の集会室でコンサートをしました。涙を流して聴いてくれる人がたくさんいました。コンサートの後、ある女性が部屋を見せてくれました。狭い部屋の中に、ラジカセがぽつんと一台置かれていました。その人は津波で全てを失った後、ラジカセを買ったそうです。坂本九の「上を向いて歩こう」を毎日聞きました。周りの人からは、「ラジカセなんて贅沢だ」と言われました。でも彼女は、こう言いました。「自分には、好きな音楽を聴く時間が絶対に必要だ。」この言葉は、大島花子さんにとって大きな励ましとなりました。自分と同じように家族を失い、悲しむ人の気持ちに寄り添いたいと思いました。「上を向いて歩こう」も、悲しみを抱える人に寄り添う曲として歌うそうです。

 イエス・キリストを信じる人は、上を向いて歩くことができます。天に昇られたイエス様を見上げ、その助けに期待して生きるからです。絶望的な状況にあった使徒ペテロにも、天からの奇跡的な助けがありました。地上の歩みには、痛みや悲しみがあります。しかしイエス様は痛む人、悲しむ人に寄り添い、全ての涙を拭い取って下さいます。天の御国は、限りない喜びに満ちています。イエス様は、天の上から永遠の幸せを地に注いでおられます。天に目を上げ、その恵みを受け取る人は幸いです。

「そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。』」(使徒12:11)

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