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2016年11月 6日 (日)

天を向いて歩く

 ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」は先日、ビルボードの全米ソングチャートで77位に入りました。日本人のシングル曲がランキング入りしたのは、松田聖子以来26年ぶりだそうです。ビルボードは現在、ダウンロード販売、パッケージ販売、ストリーミング、YouTube、ラジオのオンエア数でランキングを決めるとのこと。「PPAP」は、YouTubeの音楽部門で2週連続世界一だったようです。この知らせに驚いたピコ太郎は、こうコメントしました。「余りの驚きで、水道が止まりました。」

 シングル曲で初めてビルボードにランキング入りした日本人は、坂本九さんです。1963年で「上を向いて歩こう」という曲。作詞したのは、今年7月に亡くなった永六輔さん。女優の中村メイコさんにふられた時の気持ちを歌ったと、当初語ったそうです。しかしその後、こうも言いました。「安保闘争で敗北した人たちの気持ちを歌った。」どちらが正しいのかは、今はもう分かりません。永六輔さんはレコーディングの時、坂本九さんの独特な歌い方が気に入らず、絶対ヒットしないと断言したそうです。ところがレコードは、発売と同時に爆発的にヒットしました。ヨーロッパに紹介されると、そこでも大ヒット。そしてアメリカで発売されると、ビルボードで3週連続第一位となりました。米国での売り上げは100万枚を突破し、外国人として初めてゴールドディスクを受賞しました。世界70か国で発売され、販売総数は1300万枚以上だそうです。英語の曲名は、なぜか「Sukiyaki」。日本語の分からないレコード会社社長が、適当に名づけたようです。

 坂本九さんは1985年、飛行機事故で亡くなりました。43歳でした。娘が2人いて、長女の大島花子さんは当時11歳でした。パパっ子で、突然の父の死は大変なショックだったそうです。父の歌をまったく聴けなくなりました。しかし彼女はその後、OLになり、電車の中で音楽を聴くようになりました。音楽がもたらす力を改めて感じたそうです。自分も音楽を届ける側に立ちたいという思いが強くなり、プロの歌い手を目指すようになりました。自分で作った曲とともに、父の曲も歌うようになりました。東日本大震災が起きた時、仮設住宅の集会室でコンサートをしました。涙を流して聴いてくれる人がたくさんいました。コンサートの後、ある女性が部屋を見せてくれました。狭い部屋の中に、ラジカセがぽつんと一台置かれていました。その人は津波で全てを失った後、ラジカセを買ったそうです。坂本九の「上を向いて歩こう」を毎日聞きました。周りの人からは、「ラジカセなんて贅沢だ」と言われました。でも彼女は、こう言いました。「自分には、好きな音楽を聴く時間が絶対に必要だ。」この言葉は、大島花子さんにとって大きな励ましとなりました。自分と同じように家族を失い、悲しむ人の気持ちに寄り添いたいと思いました。「上を向いて歩こう」も、悲しみを抱える人に寄り添う曲として歌うそうです。

 イエス・キリストを信じる人は、上を向いて歩くことができます。天に昇られたイエス様を見上げ、その助けに期待して生きるからです。絶望的な状況にあった使徒ペテロにも、天からの奇跡的な助けがありました。地上の歩みには、痛みや悲しみがあります。しかしイエス様は痛む人、悲しむ人に寄り添い、全ての涙を拭い取って下さいます。天の御国は、限りない喜びに満ちています。イエス様は、天の上から永遠の幸せを地に注いでおられます。天に目を上げ、その恵みを受け取る人は幸いです。

「そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。』」(使徒12:11)

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