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2016年12月

2016年12月25日 (日)

栄光の御子のご降誕を喜ぶ

 ウィキペディアによると、栄光とは一般的に「人が成功・勝利などによって他人から得る好意的な評価のこと」だそうです。今年は、多くの人が勝利や成功を収め、栄光を受けました。1月には箱根駅伝で、青山学院大学が2連覇。2月は小澤征爾さんが、グラミー賞受賞。女子ジャンプでは高梨沙羅選手が、2シーズンぶりにワールドカップ総合優勝。3月は、バドミントンの全英オープンシングルスで奥村希望選手、ダブルスでタカマツペアがそれぞれ優勝。5月はオバマ大統領が、米国の現職大統領として初めて広島訪問。6月にはイチロー選手が、日米通算4257安打達成。7月には大西卓哉さんが、国際宇宙ステーションへ出発。広島の黒田選手は、日米通算200勝達成。8月はリオオリンピック、9月はパラリンピックで、多くの選手が素晴らしい活躍をしました。10月は大隅良典さんが、ノーベル賞受賞。プロ野球では日本ハムファイターズが日本一。ピコ太郎はYouTubeの週間再生ランキングで世界一。12月は羽生結弦選手が、グランプリファイナル4連覇を果たしました。昨日は、宇野昌磨選手が全日本選手権で優勝しましたね。もちろんこの他にも、さまざまな分野で大きな活躍をした人たちがいます。その人たちにとって2016年は、栄光に輝く年でした。

 栄光に輝いた人は、多くの場合、表彰されます。スポーツ選手は、メダルを授与されます。音楽の賞では、盾やトロフィーをもらいます。政治家は、勲章や称号が授けられます。ノーベル賞は、賞状とメダルと賞金だそうです。これ以外にも、マスコミの取材があります。多くの人の注目を受けます。人々の記憶に残ります。歴史に名を残します。あの人は、こんな偉大なことをしたのだと語り継がれることになります。ひょっとしたら、誰かが伝記を書いてくれるかもしれません。テレビのドキュメンタリーやドラマの主人公に選ばれるかもしれません。今年のNHK大河ドラマは、真田幸村が主人公でした。幸村は、人生最大の戦いで勝利を収められませんでした。しかし、その立派な戦いぶりは後世まで語り継がれました。最期まで忠誠を貫く生き方も、多くの人に感動を与えました。死後400年経ち、今年改めて真田幸村の栄光がたたえられました。

 イエス様は、栄光に輝いてすでに2000年近く経過しています。この2000年の間、世界中の多くの人に感動を与えて来ました。人々に影響を与え続けて来ました。数えきれない人々の人生を変えて来ました。弟子たちは激しい迫害の中、命を懸けて救い主イエスの栄光を伝え続けました。信じる人々の集まり=教会は、ローマ帝国全体にじわじわと拡がって行きました。迫害する側のローマ皇帝も、とうとうイエス・キリストを信じました。キリスト教を土台とする新しい国づくりを始めました。イエス様の誕生をみんなでお祝いしようとまで言い出しました。その後、信仰に熱心なある人々は、イエス様に近づく訓練をするため修道院を作り始めました。学校も作りました。聖書を学び、イエス様の生き方にならおうとしました。後の時代には、神の下に全ての人が平等だという考えが広まりました。奴隷解放や、女性の地位向上を目指す運動も盛んになりました。平和を築く努力も絶えず続けられて来ました。イエス様の栄光が、世界中の多くの人々の心に輝き続けて来たからです。

 イエス様の誕生を喜ぶ時、私たちはそのような世界中の多くの人たちと思いを重ねます、イエス様は、人類が進むべき道を輝かしい栄光で照らして下さいました。その栄光の中を進む人は、永遠の喜びを手にすることができるのです。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)

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2016年12月18日 (日)

世界に夜明けを告げ知らせる

 10数年前、私はある会議のため北海道から東京に出て来ました。会場は東京郊外のある教会。会議参加者は、教会近くのホテルに泊まりました。古い2階建ての建物。2階の部屋に入ると、窓の外には東京都とは思えない景色が広がっていました。一面の畑です。別の部屋には、カーテンがありませんでした。そこに入った牧師は、部屋を変えてもらいました。私はその時初めて、自分の部屋にはカーテンがあると感謝しました。翌日会議だったので、目覚ましをかけて眠りました。すると翌朝、まだ暗い時間に別の目覚ましで目が覚めました。「コケコッコー」。その瞬間、「ここはどこだ」と思いました。「どうして東京で鶏が鳴くんだ。」私は北海道生活が長かったですが、鶏の声で起きたのは、その東京の朝だけだったように思います。

 雄鶏が夜明けを告げるのは、自分たちの縄張りを示すためだそうです。ここは我々の土地だと叫んでいるのです。「新しい朝が来た。我々は、今日ここを自由に使う権利がある。平和を乱す者がいたら、断固戦う。」そう宣言しているのです。雄鶏の世界は、上下関係が厳しいとのこと。序列が上の雄鶏には、食べ物や雌鶏、ねぐら等について優先権があります。雄鶏が何羽か集まると、自分は上から何番目なのか、各自理解しているそうです。そして毎朝、順番通りに鳴く。序列が下の雄鶏は、自分の番が来るまでじっと待っている。けなげですね。そう考えると、たとえ挑戦的な鳴き声で起こされても、ちょっと優しい気持ちになれるかもしれません。

 宣教は、鶏の鳴き声に似ています。イエス様は、人類の歴史に夜明けをもたらして下さいました。人類はエデン以来、長い夜を過ごして来ました。世界は、罪の闇に閉ざされていました。しかしイエス様は、真っ暗な世界に朝の光を照らされました。信じる人を絶望的な暗闇から救い出して下さいました。そして救った人を世界中に送り出し、新時代の夜明けを伝えておられます。どこに行っても私たちは、「ここはイエス様の土地だ」と叫びます。イエス様は全世界の王として、全てを自由に使う権利をお持ちです。神の平和を乱す敵に勝利し、最終的に全ての敵を滅ぼされます。私たちは、声高らかにそう宣言します。鶏の世界と違い、神の国に序列は関係ありません。鳴く順番は、気にしなくて大丈夫です。それぞれ遣わされた場所で、私たちは夜明けを告げ知らせるのです。

 使徒パウロが訪れたギリシヤの人々は、夜明けが来たことを知りませんでした。長い夜を過ごすうち、朝が来ると思わなくなっていました。このまま、いつまでも同じ状態だと考えていました。自分たちが闇の中にいることすら分かっていませんでした。それどころか、長い夜の歴史を誇りにしていたのです。偉大な神々。偉大な文明。偉大な哲学者たち。偉大なレガシー(遺産)。夜が明け、朝が来たことを、誰かに教えてもらう必要がありました。今の世界も同じです。多くの人々は、いまだに長い夜の中にいます。夜明けが来たことを知りません。朝の光を浴びた人は、夜明けの到来を告げ知らせる使命があります。闇の中で眠ったままの人は、永遠に滅びてしまいます。でも天の光に照らされ、夜明けを迎える人は、新たに永遠のいのちを受け取ることができるのです。

「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」(使徒17:30)

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2016年12月11日 (日)

天の励ましを分かち合う

 1週間ほど前、所沢駅で人身事故がありました。40~50代の男性だそうです。どんな理由で自殺したか分かりませんが、残念ですね。今年、最も多く報道された自殺は、高橋まつりさんの話かもしれません。昨年のクリスマスの朝、飛び降り自殺しました。24歳、東京大学文学部卒。私の後輩です。文学部の学生は、就活が楽ではありません。広告代理店トップの電通に入社したのですから、非常に優秀だったのでしょう。内定をもらった時は、本人も親もたいへん喜んだはずです。両親は離婚し、母子家庭でした。母を楽にしてあげたいと、まつりさんは思っていました。入社して数か月は、喜んで仕事をしていたようです。ところが秋頃から非常に忙しくなり、次第に心も体も疲れ果てました。睡眠を十分にとれず、毎日がつらくなりました。何のために生きるのか、分からなくなりました。将来に希望が見えなくなりました。そしてとうとう、自ら命を絶ったのです。母には、こういうメールを送ったそうです。「大好きで大切なおかあさん。さようなら。ありがとう。人生も仕事もすべてがつらいです。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだから。」

 自殺の報道は、私にとって他人事に思えません。何度もお話しましたが、私もかつて自殺を考えたからです。大学時代、何のために生きるのか、分かりませんでした。人生は楽しいというより、急な坂を登るばかりで苦しいように感じました。どうして我慢して生きなければならないのか、疑問でした。明るい未来が開けるようにも思えませんでした。ただ私は睡眠を十分とり、疲れ果ててはいませんでした。冷静に考える心の余裕がありました。このまま死んだら両親に申し訳ないと思いました。北海道から仕送りを続けてくれていたからです。いきなり死んだら、親は悲しむだろうとも思いました。でももし疲れ果てていたら、どうなっていたか分かりません。今は私も、親の立場です。まつりさんのお母様や遺族の方々の痛みや悲しみが、若い頃よりもずっと心に響くように感じます。悲しむ人々に神様の慰めが与えられるよう、お祈りしています。

 私は観ていませんが、クリスマスに自殺しようとする人の映画があるそうです。「素晴らしき哉、人生!(It's a Wonderful Life)」というタイトルで、1946年公開の白黒映画です。公開当時はヒットしませんでしたが、何度も繰り返しテレビで放映され、人気が出たそうです。クリスマス映画のランキングで去年とおととし、2年連続1位に選ばれたそうです。主人公のジョージは不幸が続き、人生に絶望します。橋の上から身を投げて死のうとします。すると、ある年老いた男性が先に川に飛び込みました。ジョージはあわてて飛び込み、必死でその人を助けます。クラレンスという名前のその人は、実は天使でした。ジョージが自殺しないように助けに来たのです。ジョージは、「自分など生まれて来なければ良かった」と考えていました。しかし天使は、ジョージがどんなに素晴らしい人生を送って来たかを思い出させてくれました。天使の励ましにより、ジョージは自殺を思いとどまったのです。

 聖書にも、「自分は生まれない方が良かった」と考えた人が記されています。ヨブです。彼は全てを失い、絶望しました。しかし神様は、その絶望からヨブを救って下さいました。彼の後半生を豊かに祝福し、励まして下さいました。

 クリスマスは、励ましの時です。イエス様は私たちに希望を与え、励ますために来て下さいました。キリストを信じる人は、ヨブと同じように絶望から救われます。天の励ましを受けることができます。励ましを受けた人は、その励ましがどこから来たのか、他の人に伝えることができます。パウロやバルナバも、多くの人を励ましました。このクリスマスの季節、ご降誕の救い主にある希望や励ましを、私たちも周りの人と分かち合って行きたいですね。

「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。『先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。』」(使徒15:36)

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