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2017年3月

2017年3月26日 (日)

旅人の人生を満喫する

 先々週から、私たちのアイデンティティについて考えるシリーズが始まりました。前回は、神の作品がテーマでした。私たちは、神様に造られた高価な作品です。自分自身や周りの人を価値ある芸術品として大切にしなければなりません。今回のテーマは、旅人です。イエス・キリストを信じる人は、天の都を目指す旅人とされています。天の都は、私たちの永遠の住まいです。地上は一時的な滞在地であり、通過点です。私たちは今、旅先にいます。この世界には永遠に留まりません。今日は、私たちの旅について考えてみましょう。

 辞書によると、旅とは「住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること」です。旅には5つほど良いことがあります。1)日常生活から離れ、いつもと違う体験ができます。2)普段抱えているストレスから解放されます。3)普段目にしない光景や人々の生活を見て、新しい発見があります。4)いつもの生活を新しい視点から見直すことができます。5)気分を新たにして、また日常生活に戻ることができます。

 多くの人は、旅が好きなようです。「今後、生活のどのような面に力を入れたいか」というアンケート調査で、「レジャー・余暇活動」と答えた人は、ここ30年以上最も多いそうです。余暇活動のトップは、5年連続で国内観光旅行という調査結果もあります。2015年に日本国内の宿泊施設を利用した旅行者は、外国人を含め、のべ5億人以上とのこと。同じ年、海外旅行をした日本人は1,600万人以上。日本に来た外国人は、約2,000万人。国内の旅先ですることは、1位が温泉を楽しむ。2位が食を楽しむ。3位が自然の風景や花見を楽しむ。そして4位が歴史や文化的な名所を訪れる。私も先週、大阪での娘の結婚式の後、姫路や広島で世界遺産を見て来ました。桜はまだでしたが、温泉や食事を楽しんで来ました。旅を満喫できたことを感謝しています。

 「可愛い子には旅をさせろ」ということわざがあります。ある芸人が、こう言ったそうです。「ブスも旅をさせて。可愛い子限定じゃ不公平だ。」わざとボケたのでしょうが、そういう意味じゃないですね。「可愛い」というのは、見た目ではありません。親が子を愛する思いのことです。ことわざの意味は、こうです。「子供を愛し大切に思うなら、いつまでも親元に置いて甘やかさない方が良い。親元から離して苦労させ、成長する機会を与えなさい。」今は交通機関が発達し、気軽に旅行できます。ネットで何でも調べられるし、普段と違う体験を楽しむこともできます。しかし昔は、どこに行くにも自分の足で歩かなければなりませんでした。スマホもネットもありません。サバイバルゲームのようです。そういう試練を乗り越えるなら、子供はたくましく成長したのでしょう。

 神様は人類を愛し、長い旅に送り出されました。エデンから新しいエルサレムに向かう旅です。旅には試練がありました。箱舟の日々があり、放浪生活もありました。奴隷の日々があり、荒野の生活もありました。数々の戦争や捕囚の生活もありました。試練の連続でしたが、神様は可愛い子供たちの旅を助けられました。試練に打ち勝つ力を与えられました。希望と喜びで、彼らの心を満たされました。イエス・キリストを信じる人は、このツアーに参加することができます。永遠の都である天のエルサレムを目指すことができます。ツアーでは、多くの試練が待ち受けているかもしれません。しかし私たちは、どんな試練にも打ち勝つことができます。史上最強のツアーガイドであるイエス様が、導いておられるからです。ストレスからの解放もあります。新しい発見や新しい視点も与えられます。温泉や花見の時もあるかもしれません。私たちは、旅人の人生を満喫することができるのです。

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル11:13)

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2017年3月12日 (日)

神の作品を尊ぶ

 今日からシリーズで、私たちのアイデンティティについて考えます。クリスチャンとは何者なのか。日本人以外の人々なのか。どこの国の人でも、イエス・キリストを信じる人は神の国の国民です。地上の国籍はそのまま持っています。しかし同時に、永遠の神の国の国籍が授与されています。それはどういう意味を持つのか、何回かに分けて考えて行きましょう。

 今週火曜日は、ホワイトデーです。これは、日本で始まった習慣だそうです。バレンタインデーにプレゼントをもらった男性が、くれた女性にお返しをする日ですね。バレンタインデーの習慣は、海外から輸入されました。もともとは、カトリックの聖人ウァレンティヌスの殉教記念日とされています。ローマ皇帝の勅令に背き、軍の兵士の結婚式を執り行った司祭とも伝えられています。この記念日に、さまざまなプレゼントを親しい人に贈る習慣が欧米で生まれました。男性も女性も贈る側です。ところが日本では、なぜか女性だけが男性にチョコレートをあげる日になりました。よく言われるように、チョコレート屋さんの陰謀だったのかもしれません。この習慣が定着したのは、1970年代頃とか。私もその頃、初めてチョコをもらった記憶があります。

 陰謀を確かに企てたのは、チョコレート以外の商品を売るお菓子屋さんたちです。バレンタインのお返しをする日を考え出しました。日本では女性だけがプレゼントをしていたので、好都合でした。お返しをよくする日本の文化にもマッチしていました。ホワイトデーという名前については、お菓子屋さんの団体がこう説明しています。「白は純潔を表わし、ティーンのさわやかな愛にぴったりだから。」3月14日は、聖ウァレンティヌスに助けられた男女が、改めて永遠の愛を誓い合った日だとか。キャンディーやマシュマロ、クッキーなどを贈る日として定着して来ました。「3倍返し」すべきという考え方もあるようです。女性だけでなく、お菓子屋さんにとっても美味しい話ですね。

 こういう習慣に反対して、デモする人たちもいます。「革命的非モテ同盟」の人たちです。ホワイトデーだけでなく、バレンタインデーやクリスマスも粉砕すべきだと主張しています。恋愛感情を経済活動に結びつける「恋愛資本主義」に反対とのこと。先月のバレンタインデーでは、こう主張しました。「お菓子メーカーの陰謀に踊らされるな。」「ホワイトデーの3倍返しは、利息制限法違反だ。」「カップルは自己批判せよ。」ただ、こうも言っていました。「非モテにも愛を分けろ。」私が最も共感したのは、次の言葉です。「もらったチョコの数で、人間の価値を決めるな。」これは確かにそうです。バレンタインでチョコをたくさんもらっても、重要な価値のある人間とは限りません。

 人間は、数で価値を計ろうとする傾向があります。分かりやすいからです。人と比べて自分はどの辺なのか、把握しやすいからです。例えばテストの点数。偏差値。稼いだお金。持っている財産。服やアクセサリー、お宝の値段。仲間の人数。自分を知る人の数(つまり有名かどうか)。あるいは支持率等々。しかし私たち一人ひとりの価値を決めるのは、そのような数ではありません。私たちを造られた神様が、全ての人に同じ値段を付けられました。神の御子イエス・キリストのいのちの値です。神の国の国民は、自分や周りの人々がそれほど高価なのだと知り、その価値にふさわしい生き方を心掛ける人です。悲しむ人に寄り添い、困っている人に手を差し伸べるような良い行いをする生き方です。チョコやクッキーは関係ありません。私たちはすでに、イエス様のいのちという何ものにも代えがたいプレゼントを受け取っているからです。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)

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2017年3月 5日 (日)

真の神の国を伝える

 ここしばらく、大阪のある幼稚園と新設予定の小学校について多くの報道がなされています。超国家主義的、軍国主義的な学校が安倍首相と結びついていると、海外のメディアでも紹介されていました。この幼稚園では毎朝、子供たちが教育勅語を唱えるとか。教育勅語とは、明治天皇が当時の首相と文部大臣に与えた日本人の教育に関する基本方針です。当時の国民が学ぶべき道徳について記しています。注目すべきは、最初の言葉です。「天皇の祖先が日本の国を始めた」と書かれています。天皇の祖先とは誰でしょうか。日本の神話では、太陽の女神アマテラスやその子孫の神武天皇とされています。アマテラスは、孫のニニギに日本の国を治めるように命じました。別名「瑞穂の国」です。(小学校の名前に採用されていました。)ニニギのひ孫が初代の天皇、神武天皇です。九州から東に向かい、大和地方(現在の奈良県)を拠点にして日本全土を治めたとされています。つまり教育勅語の土台は、日本の国は日本神話に書かれる通り始まったという国家神道の信仰なのです。例の幼稚園では毎朝、子供たちにこの「信仰告白」をさせているのです。

 「天皇は神々の子孫」という信仰は、日本が特別な国だという意識を生み出しました。「神国日本」「日本は神の国」という考え方です。この考え方は、他の信仰への迫害を生みました。海外侵略と外国人への抑圧にもつながりました。第2次大戦が終わり、「神国日本」という考え方は否定されました。「天皇は神々の子孫」という信仰も、公教育の場から一掃されました。しかし今なお、昔の考え方を復活させたい人たちがいます。教育勅語が大好きな人たちもいます。17年前には当時の森首相がこう発言し、たいへん問題になりました。「日本の国は、天皇を中心としている神の国である。」それは、森氏の個人的な信仰告白だったのかもしれません。しかしその発言の場は、日本を国家神道の時代に戻そうとする政治団体の30周年祝賀会でした。首相のこの不用意な発言は、多くの批判を浴びました。注目度が高かったのか、「神の国」でグーグル検索をすると、今でもこの発言がトップに登場します。正確に言うと森首相が意味したのは「神の国」ではなく、「神々の国」ですね。日本神話ではただ一人の神ではなく、数えきれないほど多い、八百万の神々を信じているからです。

 聖書の時代にも、多くの神々を信じている人々がいました。メソポタミアでは、メソポタミアの神々。エジプトでは、エジプトの神々。カナンやギリシア、ローマでも、さまざまな神々が信じられていました。世界帝国を築いた国々は、自分たちの神々が他の国の神に勝ると豪語しました。しかし、それらの強大な世界帝国も時が来ると滅亡しました。聖書全体を貫くテーマは、滅びゆく「神々の国」からの救いです。人間と人間の住む世界は、唯一の真の神が全て創造されました。しかし人々は真の神から離れ、まがい物の神々の国を作りました。それらの国は、いつか必ず滅びる定めになっています。真の神様は、決して滅びることのない真の「神の国」を造り始められました。そのために先ず、アブラハムをメソポタミアの神々の下から呼び出されました。モーセたちを、エジプトの神々の支配から解放されました。そしてイスラエルの民を、カナンの神々から何度も守られました。

 イエス様は、全世界の人をまがい物の神々の国から救うために来られました。キリストを信じる人は、誰でも真の神の国に迎え入れられます。神々の国に代々伝わる作り話から解放されます。一つの国や一つの民族に限定された神々の教えに、未来はありません。私たちの未来は、全世界に広がる真の神の国にあるのです。

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒28:30-31)

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