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2017年5月

2017年5月28日 (日)

福音を信じる

 今年は、宗教改革500周年です。それが始まったのは、カトリックの中心都市ローマや神聖ローマ帝国の本拠地ウィーンではありません。人口数千人(当時)の小さな町、ドイツ・ヴィッテンベルク。そこにできたばかりの大学で、若い修道士が神学を教えていました。マルティン・ルターです。彼は親の期待を背負い、法律家になるはずでした。ところがある日、激しい雷雨が彼の人生を変えました。学校に向かう途中、雷が落ちて死ぬかもしれないと彼は恐れを感じました。その時、思わずこう叫びました。「助けて下さい、聖アンナ。私は修道士になります。」このアンナは、聖書に登場しません。イエスの母方の祖母(マリヤの母)と人々に伝えられ、敬われていたようです。ルターが聖人に祈り求めたのは、カトリック的ですね。彼はこの誓いを守り、エリートコースを捨て修道士になりました。

 修道士ルターには、大きな悩みがありました。罪の意識で苦しみ続けたのです。最後の審判で、無罪になる確信がありませんでした。ある時は6時間ぶっ続けに罪を告白し、数分後、さらに告白すべき別の罪を思い出したそうです。どれだけ良いことをし、祈っても、心の平安がありませんでした。弱く小さな自分が聖く偉大な神の御前に立つことに、恐れがありました。しかしとうとう、大きな転機が訪れました。彼が教えていた聖書のみことばに、希望を見出したのです。神の前で人が無罪とされるのは、良い行いによってではない。イエス・キリストを信じる信仰によるのだと、聖書にはっきり書かれていました。これこそ、彼が求めていた福音=良い知らせでした。この福音により、ルターの心は深い絶望から解放されました。信仰により無罪となる確信を初めて持つことができました。彼は、ようやく心の平安を手にしたのです。

 そんなルターが、贖宥状(免罪符)の販売に疑問を感じたのは当然です。これを買えば天国に行けると、大々的に宣伝されていたからです。当時、聖書が読める人はほとんどいなかったようです。聖書はラテン語訳のみで、限られた人しか読めませんでした。聖職者ですら、聖書の教えを知らない人が多かったとのこと。圧倒的多数は、上から正しいと言われたことを信じるだけでした。(危険な社会ですね!)贖宥状を売る側は、この状況をうまく利用しました。聖書と異なる教えを語り、天国に行きたい人々からお金を巻き上げたのです。「天国詐欺」ですね。ルターは、この問題に関する公開討論を呼びかけました。カトリック教会を刷新すべきだと考えました。福音の発見が、ルターを改革運動へと導いたのです。

 贖宥状販売は間違っているという話は、ヨーロッパの多くの人々にとって良い知らせでした。ルターの主張は、あっという間に何か国語にも翻訳されました。大量に印刷され、ヨーロッパ中に届けられました。ルターは、反対派から命を狙われました。(中傷もありました!)しかし彼は、福音の真実を手放しませんでした。ルターに賛同する人々は、次第に増えて行きました。こうしてさまざまなプロテスタント教会が世界中に広がって行きました。私たちの教会も、その中の一つです。ルターが命を懸けて伝えたからこそ、いま私たちは福音を手にしています。彼の勇気ある行動と、それを大きく用いて下さった神様に感謝します。

 イエス様も、福音を伝えるため命を懸けて下さいました。私たち全ての罪を引き受け、十字架によりつぐなって下さいました。イエス・キリストを信じる人は、キリストに免じて、天の最高裁判所で無罪が確定しています。これが、聖書の伝える福音=良い知らせです。これを信じる人は、神様からいただいた永遠の祝福の「お福分け」ができるのです。

「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1:16-17)

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2017年5月14日 (日)

勝利者の人生を全うする

 今日は、神の民のアイデンティティ・シリーズ最終回です。これまでのテーマは神の作品、旅人、祭司、王族、証人、弟子でした。今回のテーマは勝利者です。イエス・キリストを信じる人は、人生の勝利者とされています。

 東京のあるお寺では毎月、死を体験するワークショップを開催しているそうです。2時間で3,000円。30人くらいの人がお坊さんの話を聞き、死を前にした時の自分を想像するそうです。もともとは米国のホスピスで始まった、スタッフ教育のプログラムだったとのこと。参加者はまず、自分にとって大切なものを紙に20個書き出し、机に並べます。お坊さんの話が進むにつれ、その中の一枚、あるいは何枚かを選びます。選んだ紙をまるめ、床に捨てます。最後に残る紙は何か確かめ、それが自分の人生にどんな意味を持つか考えます。多くの人は、「家族」と書いた紙が最後に残るそうです。「iPhone」や「歌を歌う」と書いた紙を残す人もいるようです。このワークショップは人気が高く、チケットは完売になるとか。参加者は、次のようなコメントを残しています。「最後に残したものは、自分でも想像しないものでした。」「こんなにも多くの好きな物事に囲まれていたのかと、幸せな気持ちになりました。」「自分の中でさまざまな感情が揺れ動いた時間でした。また参加してみたいです。」このお寺以外でも、死を体験するイベントが開かれています。棺おけの中で、お経や弔辞を聞く体験もあるそうです。

 最近は、「終活」という日本語をよく目にするようになりました。この言葉は、2009年に週刊朝日が造った造語だそうです。最初は、葬儀やお墓の準備を意味しました。しかし今は、もっと広い意味で使われます。「人生のエンディングを考え、自分を見つめ直すことにより、今をより良く、自分らしく生きる。」そのような意味です。60歳以上を対象にしたある調査では、終活をすでにしている人は8.9%。近いうちに始めようと思う人は8.5%。時期が来たら行いたい人は56.2%。合わせて74%の人が、終活に関心を持っています。別の調査では、終活として具体的に何をするか聞きました。第1位は、物の整理・片づけ。第2位は、保険等のお金の準備。第3位は、今の人生を楽しむことです。やり残したことをしたい人も多いようです。圧倒的に多いのが旅行で世界一周、海外旅行、夫婦で旅行など。私も先週、夫婦で函館に行って来ました。終活の一環と言えますね(笑)。

 終活でほとんど語られないのは、死後の行き先です。あまり考えたくない人が多いのかもしれません。あるいは、自分の「信仰」を脅かされたくないのかもしれません。ある人たちは、死後の世界はないと信じています。死んだら全て無になるという考えです。別の人たちは、違う世界に生まれ変わると信じています。遺族がお経を唱えたら、より良い世界に行けると教えられています。さらに他の人たちは、死んだら自動的に天国だと信じています。みんな天国なら、そこに行くため必要なことは何もありません。これらの「信仰」は、どれかが正しいと言えるのでしょうか。もし死後の行き先を間違ったら、せっかくの終活も残念な結果に終わってしまいます。

 創造主の約束を記す聖書は、死後の行き先について明確に証言しています。イエス・キリストを信じる人は、永遠の天の御国にゴールインできます。輝かしいゴールを楽しみに、今を存分に生きることができます。イエス様とともに生きることこそが、最高の終活です。栄光に輝く勝利者として、私たちは、昨日も今日もいつまでも生きることができるのです。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(Ⅰテモテ4:7-8)

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2017年5月 7日 (日)

弟子として成長する

 今日は、神の民のアイデンティティ・シリーズ第6回です。これまでのテーマは神の作品、旅人、祭司、王族、証人でした。今回のテーマは弟子です。イエス・キリストを信じる人は、キリストの弟子と呼ばれます。

 毎週木曜日に、プレバトというバラエティー番組が放映されています。「プレッシャーバトル」を略して、「プレバト」と言うようです。人気芸能人は本当に才能があるのか、全ての人の前でテストする番組です。テスト科目は俳句、生け花、水彩画など。彼らの作品を専門家が見て、3段階で評価します。才能アリか、凡人か、才能ナシかです。プレッシャーがかかりますね。何度も才能アリと評価されると、特待生に昇格します。さらに良い成績を続けると、名人になります。名人の上の師範になると、専門家と同じ立場で解説できるそうです。特に注目されているのは、俳句コーナーです。夏井いつきという先生が、出演者の俳句を評価します。この先生の解説と添削は、実に見事です。上手な人はほめ、下手な人は相手が誰であろうとはっきり「ダメ」と言います。ところがダメな作品も、先生が赤を入れ添削すると、美しい俳句に生まれ変わります。その痛快さと絶妙さがウケて、番組は何年も続き、高い視聴率を維持しているようです。

 夏井いつきさんは、1957年愛媛県生まれ。京都の大学卒業後、愛媛に戻り、中学校の国語教師になりました。ある日、雑誌に掲載された黒田杏子さんの俳句を見て、衝撃を受けたそうです。その瞬間、「私はこの人の弟子になる」と決めました。それから真剣に俳句を作り始め、雑誌にも投稿しました。投稿した俳句が入選すると、選者の黒田杏子さんから直筆の葉書が届きました。本当にうれしくて、弟子入りできたような気持ちになったそうです。その後、師匠と直接会う機会も得ました。そんな時は、耳にした師匠の言葉を自分なりに解釈し、自らの栄養として来たそうです。夏井さんは黒田さんに指導され、弟子として成長できました。偉大な師匠を持てた自分は、「果報者」だと言っています。そして今は、果報者のネットワークを広げています。俳句に興味を持つ人を増やすため、日本各地で俳句教室を開催して来ました。テレビやラジオを通し、弟子となる人を増やしています。夏井さんに添削され、怒られたい人が増えているそうです。

 旧約聖書には、弟子という言葉はほとんど出て来ません。弟子づくりは、基本的に家庭中心だったためかもしれません。アブラハムはイサクに信仰を伝え、イサクはヤコブに伝えました。ヤコブの信仰は、イスラエルの12部族に受け継がれました。モーセは、人々にこう命じました。「神のことばをあなたの子供たちによく教え込みなさい。」子供は親の弟子として成長し、受け継いだ教えを自分の子供たちに伝えました。時には、親子以外の師弟関係も生まれました。モーセは、ヨシュアを弟子として育てました。40年の訓練を経て、ヨシュアはイスラエルの偉大な指導者に成長しました。預言者エリヤは、エリシャを弟子として育てました。師匠から多くを吸収したエリシャは、立派な預言者として活躍しました。

 イエス様は、血縁関係によらない弟子づくりを積極的に始められました。神の選びの民を新たに造るように、12人の弟子を育成しました。彼らは、イエス様と3年半行動を共にしました。師匠の姿を間近で見ました。いつどんなことばを語り、どんな行動をとったのか、しっかり心に刻み込みました。神の国について、多くの教えを賜りました。イエス様の指導により、弟子たちは成長しました。ペンテコステの日以降、彼らは優れた指導者として、新たな弟子たちを育てるようになりました。イエス・キリストを信じる人は、彼らと同じようにイエス様の弟子として成長することができます。時には、ダメ出しされるかもしれません。(でも、「才能ナシ」とは言われないはずです!)聖霊を通して神の御子イエスの指導を受けられる人は、この上ない果報者です。

「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

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