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2017年6月18日 (日)

正しく生きる

 文部科学省のホームページには、学校における道徳教育について次のような説明があります。「児童生徒が,…善悪の判断などの…道徳性を身に付けることは,とても重要です。」この考え方に基づき、3年前から「私たちの道徳」という教材が小中学校で配布されているようです。この教材は学校だけでなく、家庭や地域での活用も期待されているとのこと。ホームページに掲載されているので、小学校1、2年生向けの「私たちの道徳」を見てみました。良いことがいろいろ書いてあります。例えば、こういう教えです。「自分でやらなければならないことを、しっかりとやろう。」「良いと思ったことは、どんなに小さなことでも進んでやろう。」してはならないことについても、書いてあります。「嘘をついてはいけません。」「悪口を言ってはいけません。」自分の生活を思い起こし、ちゃんとできたか書き込むページもあります。子供たちはこうした道徳性を身に付け、将来、立派な大人になってほしいですね。中には政治家や官僚など、国を指導する立場につく子もいるはずです。

 道徳性とは、何が正しいかを判断し、正しく生きようとする心のこと。白と黒の違いを見分け、正しい方を選ぶ心です。この心を養うことは、16世紀にドイツで始まった宗教改革のテーマでもありました。当時、人々は上から正しいと言われたことにただ従っていました。カトリック教会のトップ(「最高レベル」)であるローマ教皇が、白か黒かを決めました。一般の人々には、白黒を判断する基準がなかったのです。彼らは、ラテン語の聖書を読めませんでした。教皇や教会の教えが聖書と一致しているかどうか、分かりませんでした。しかし修道士ルターは、聖書を自由に読むことができました。ローマ教皇や教会の教えが、聖書から大きくずれていると感じ、こう主張しました。「指導者たちも間違える可能性がある。だから、聖書を正しさの基準にすべきだ。」そして一般の人々も聖書を読み、独自に判断できるように、聖書をドイツ語に翻訳しました。それは、飛ぶように売れたそうです。人々は聖書に基づき、白か黒か判断できるようになりました。誰もが道徳性を身に付け、正しく生きられる条件が整ったのです。

 ただ、正しさの基準を知ったからといって、その通り生きられるとは限りません。人は間違いを犯しやすいことを、聖書は証言しています。エデンの園でアダムとエバは、神との約束を破りました。食べてはいけない木の実をとって食べました。自分の間違いを人のせいにもしました。人類共通の祖先は、道徳性に問題があったのです。シナイ山でユダヤ人たちは、モーセの律法を授けられました。律法は、道徳性の完璧な基準でした。ところがユダヤ人たちは、しばらくすると律法を無視して生きるようになりました。律法のない異邦人と変わらなくなりました。国の指導者たちは白を黒、黒を白と言いくるめるようになりました。そして、国は滅びました。人々は、諸外国に散らされました。自分たちがどこで間違ったのかを反省する時が与えられたのです。

 イエス様は、誰もが正しく生きられるよう、助けに来られました。私たちはアダムやエバと同じく、道徳性に問題を抱えています。ユダヤ人たちのように、間違いを犯すかもしれません。そんな私たちに、イエス様は新しい生き方を示されました。正しく生きるため、天の助けを求める生き方です。イエス・キリストを信じる人は、天の完璧な正しさが心に刻まれ、生き方が変えられます。自分の力によらず、学校教育によらず、天地創造の神により、私たちの道徳性は磨かれるのです。

「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」(ローマ3:21-22)

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