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2017年7月

2017年7月30日 (日)

ぶっちぎりの勝利を手にする

 おもちゃメーカーのタカラトミーは今年4月、「人生ゲーム MOVE!(ムーブ)」を発売しました。人生ゲームシリーズ60作目です。今回初めて、ルーレットに歯車(ギヤ)が追加されました。運命の歯車を回すと、思いもよらない人生が体験できるそうです。これまでの人生ゲームは、自分の力や運で未来を切り開きました。しかし今の時代、景気その他の外的要因で人生が左右されることが多くあります。未来を見通すことは難しくなっています。そこで今回のゲームでは、運命の歯車が自分だけでなく、他の人の人生も大きく変える仕組みです。何が起こるか分からない、現実に即した人生を体験できるという話です。時代を反映した出来事も起こります。例えば、こうです。「ネットアイドルになり、2万ドルもらう。格安SIMで電話代が浮き、1万2千ドルもらう。婚活サイトに登録し、2千ドル払う。私生活が週刊誌に暴露され、2千ドル払う。(文春?いや先週は新潮でした!)」タカラトミーは発売を記念し、人生の歯車が狂ったエピソードも募集中。大賞をとると、世界に1つだけのオリジナル人生ゲームがもらえます。明日7月31日が応募締切りです!(笑)

 人生ゲームは、ルーレットを回して人生のマス目を進むゲームです。マス目には、人生のさまざまな出来事が記されています。就職や結婚、出産、家の購入など・・・。最終的に目指すゴールは、億万長者! 初代のゲームは、1960年に米国で発売されました。日本での発売開始は、1968年です。英語版をそのまま翻訳したので、日本にはなさそうな、こんな出来事も含まれていました。「牧場を売って16万ドルもらう。石油が出て1万ドルもらう。羊が隣の家の蘭を食べて、1千ドル払う。」このゲームは、米国の会社が創業100周年を記念して発売しました。会社が設立された1860年は、アブラハム・リンカーンが大統領に選ばれた年。創業者のミルトン・ブラッドレーという人は、リンカーンの肖像画を印刷・販売していました。その後、「Checkered Game of Life(人生の変化に富むゲーム)」というゲームを発売し、大ヒット。南北戦争の兵士たちも暇な時間に遊べるように、ポケット版も作られたそうです。

 実は、ブラッドレーのゲームには、モデルがありました。1800年に英国で発売された「The Mansion of Happiness(幸せの大邸宅)」というゲームです。このゲームは、ジョージ・フォックスという人が考案しました。米国でも発売され、ボードゲームの先駆けと呼ばれました。ゲームには、英国のピューリタン(清教徒)的な考え方が盛り込まれていました。目指すゴールは、「幸せの大邸宅」。それは、億万長者の家ではありません。天国です。ゲームをする人は、誰が最初に天国に行けるか競走したのです! 聖書的な「徳」が記されたマスに来ると、幸せの家に近づきました。「悪徳」が書かれたマスに来ると、幸せの家から遠ざかりました。幸せになるにはどう生きるべきかを、子どもたちに教えるゲームだったのです。ブラッドレーのゲームも、善い行いと悪い行いのマスでできていました。ただゴールは天国ではなく、「happy old age(幸せな老後)」でした。善い行いを通して、アメリカンドリームを実現させるという考え方だったのです。

 イエス・キリストを信じる人は、誰でも「幸せの大邸宅」にゴールインします。信仰により、ゴールが確定します。行いではありません。逆にゴールが決まることにより、私たちの行いは変わります。「幸せの大邸宅」に住む人として、幸せな生き方を選ぶようになります。悪い行いを遠ざけ、善い行いを選びます。幸せになるのは、老後や死後までおあずけではありません。ゴールに向かう途中から、永遠の幸せを喜ぶことができます。この世の富にはるかに勝る幸せです。イエス様とともに生きるなら、このぶっちぎりの勝利を手にできるのです。

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)

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2017年7月16日 (日)

プレミアムな実を結ぶ

 先日、金沢市の卸売市場でぶどう1房が111万円で売れたそうです。石川県が開発した高級ぶどう「ルビーロマン」の初競りでした。買ったのは、極上の「おもてなし」で知られる高級旅館・加賀屋さん。今年、創業111年だそうです。総支配人の手島さんは、こう語りました。「販売開始10周年の節目に何とか購入したかったので喜んでいる。たくさんの人に食べてもらいたい。」購入後は、すぐ旅館ロビーに飾られたそうです。1房30粒ほどなので、計算すると1粒37,000円。食べられた幸運な人は、誰だったのでしょうね?

 「ルビーロマン」は、22年前に開発が始まりました。石川県では、デラウェアなど小粒のぶどう栽培が盛んでした。ところが当時、大粒のぶどうが人気となり、小粒ぶどうは売れなくなりました。石川県のぶどう農家は、困り果てました。「赤くて大粒のぶどうがほしい」と強く願ったそうです。そこで県の農業研究センターは、黒い大粒ぶどうに赤いぶどうを掛け合わせる試みを始めました。400粒の種を蒔き、大切に育てました。その中で赤い実をつけたのは、たった4本。その4本について、実の味や色、大きさ、栽培しやすさなどを比べました。そして最終的に1本に絞りました。開発に14年かかりました。1粒の大きさは20グラム以上で、巨峰の2倍ほどになりました。酸味が少なく、甘味が非常に強い。皮はむきやすく、食べやすいそうです。名前は公募しました。「色はルビーのように輝き、大きさにロマンが感じられる。」そういう理由で、この名前になったそうです。1年目の競りでは、1房最高10万円の値がつきました。それ以降、価格は伸び続けて来たようです。育てるのが容易ではなく、農家の人たちは苦労しているようです。「言うことを聞かない憎い女のようだ」と言った人もいます。(なぜか「峰不二子」という名前が思い浮かびました 笑)労苦の末に美しいぶどうが実れば、育てた人は嬉しいでしょうね。特に優れたルビーロマンには、「プレミアム」シールが貼られるそうです。

 ぶどうは、古くから栽培されて来ました。創世記9章には、ノアがぶどう作りを始めたと記されています。大洪水の後、箱舟がとどまったアララテ山の近くだったかもしれません。今のトルコの一番東、アルメニアとイランとの国境付近です。古代エジプトにも、ぶどうがあったようです。監獄にいた献酌官長は、ぶどうの木の夢を見ました。ヨセフは、その夢の意味を解釈しました。カナンの地にも、ぶどうの木がありました。出エジプトの後、モーセは12人のスパイをその地に遣わしました。ちょうど、初ぶどうが熟する季節。彼らは、ぶどうが1房ついた枝を切り、持ち帰りました。約束の地の豊かさを示す証拠品でした。神は、ぶどうが豊かに実るカナンの地をアブラハムの子孫に与えられました。それ以来、ぶどうやぶどう畑はイスラエルの象徴となりました。神は畑を手入れし、そこに大切なぶどうを植えた農夫のようでした。甘いぶどうがなるのを楽しみにしていました。ところが、できたぶどうは甘くありませんでした。酸っぱかったのです。ユダヤ人たちは神から離れ、天の光を十分浴びませんでした。そのため、彼らの実は甘くならなかったのです。

 しかし神は、甘いぶどうを諦めませんでした。御子イエスを遣わし、ぶどう畑を作り直されました。イエス・キリストを信じる人は、たった1本に絞られたぶどうの木に接ぎ木される枝のようです。神の光を十分に受け、甘い実を結びます。その甘さや大きさは、ルビーロマンよりはるかに勝ります。言うことを聞かない憎い枝も、神が深く愛し、変えて下さいます。高価で尊い実を結ぶことができます。金曜日も目一杯働かれる神が、「プレミアム」シールを貼って下さるのです。

「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。」(ローマ7:4)

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2017年7月 9日 (日)

新たな生き方をする

 最近は、将棋ブームだそうです。天才中学生・藤井聡太君が、プロ将棋公式戦の連勝記録を塗り替えたからです。彼がプロとして初めて対戦したのは、加藤一二三さん(愛称ひふみん)でした。それまで加藤さんは、最年少の14歳7か月でプロになった記録を持っていました。「神武以来の天才」と呼ばれたそうです。しかし今回の藤井君は14歳2か月で、新記録を樹立しました。二人が対戦した時、加藤さんは76歳で年齢差は64歳6か月。これも新記録とのこと。藤井君は、21世紀生まれです。加藤さんは、19世紀生まれの棋士や20世紀生まれの棋士とも対戦したことがあり、3つの世紀に生まれた棋士と対戦した記録を持つのは、唯一、加藤さんだけだそうです。藤井君との戦いに負けた後、加藤さんは引退が決まりました。藤井君はその時、こうコメントしました。「加藤先生とはデビュー戦で対局して、多くのことを学ぶことができました…もう迫力のある対局姿が見れないかと思うと、自分としても一抹の寂しさがあります。」これに対し、加藤さんはこうコメントしました。「あの少年棋士が引退する私に対して寂しいと言ってくれた…『素晴らしい後継者を得た』と感動しました。」藤井君の連勝がストップした時、加藤さんはこうツイートし、エールを送りました。「棋士人生はまだまだこれから!…人生も、将棋も、勝負はつねに負けた地点からはじまる。」

 加藤一二三さんは30歳の時、東京・下井草のカトリック教会で洗礼を受けました。洗礼名はパウロ。「パウロ先生」とも呼ばれるそうです。加藤さんが洗礼を受ける決心をしたのは、2つ理由があったようです。1つは当時、将棋に行き詰っていたこと。連戦連敗でした。もう1つの理由は、人生も将棋と同じではないかと考えたこと。幸せになるために、「最善手」があるのではないかと考えたそうです。いろいろ探し求め、たどり着いたのがキリスト教でした。クリスチャンになったことで、彼の心は変えられました。自分ができる限りのことをしたら、後は神様にゆだねるようになりました。もしクリスチャンにならなかったら、その後の多くの戦いで負けただろうと加藤さんは言っています。心に平安があったから、チャンスをつかむことができました。対局中、相手の前で賛美歌をハミングすることや、席をはずして祈ることもありました。麹町の教会では長年、夫婦で結婚講座を担当して来たそうです。三鷹の教会では、将棋を教えて来ました。将棋の本には、キリスト教の話を書きました。56歳の時は、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から騎士団の勲章が授与されました。カトリック教会の活動に貢献した人が受ける勲章です。その時、こう挨拶したそうです。「私は棋士ですが、騎士にもなりました。ヴァチカンに事件が起きれば、白馬にまたがってはせ参じなければいけません。」

 聖書の中にも、多くの戦いが記録されています。アブラハムは、おいのロトを拉致した人々と戦いました。モーセたちは、荒野でアマレク人と戦いました。ヨシュアたちは約束の地に入り、カナンの人々と戦いました。ギデオンはミデヤン人と、サムソンやダビデはペリシテ人と戦いました。神を信じる時、彼らの心には平安がありました。そして彼らはチャンスをつかみ、勝利を得ることができたのです。

 イエス・キリストを信じる人は、心の平安が得られます。行き詰まりを乗り越え、チャンスをつかめます。ピンチが来たら祈り、賛美歌をハミングもできます!最高の幸せを手にするため、新たな生き方をすることができるのです。

「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4)

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2017年7月 2日 (日)

神の平和の使者となる

 先月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎えました。第2次大戦末期の沖縄戦で、組織的な戦闘が終わった日です。毎年この日には、戦没者追悼式が糸満市の平和祈念公園で開催されるそうです。式典の日ではありませんが、私も何回かその公園に行ったことがあります。公園内には大きな黒い石の板が、数えきれないほど並んでいます。その石の板に、沖縄戦で亡くなった24万人余りの人の名前が刻まれています。日本人も米国人も、その他の国の人たちも、分け隔てなく記されています。軍人、民間人の区別もありません。その石の数を見ると、3か月ほどの戦闘でどれほど多くの命が失われたのか、実感することができます。沖縄戦は、日米の戦いで最も激しい地上戦でした。日本軍は戦力が足りなかったため、沖縄の住民を戦争に駆り出しました。中には、10代前半の子供も含まれていました。米軍に捕まりそうになり、集団自決した人もたくさんいました。スパイ容疑で日本軍に殺された沖縄の住民も多かったそうです。県民の4人に1人が亡くなったと聞きます。

 今年の追悼式では、高校3年生の上原愛音(ねね)さんが、自ら作った平和の詩を朗読しました。彼女は、親族に沖縄戦の経験者はいないそうです。しかし、幼いころから平和について学んで来ました。おじいやおばあたちが、教室で昔の話をしてくれました。爆音の中、裸足で砂利道を走った話。仲間の叫び声が聞こえた話。昨日まで温かかった手が、冷たくなっていた話。そのような話を聞き、彼女は二度と戦争をしてはならないと強く思いました。「昔の人たちの痛みを忘れてはならない。平和のために働きたい。」そう願いました。彼女は将来、看護師になりたいそうです。「国境なき医師団」に加わり、心身が傷ついた人の手当てをしたいとのこと。「私達は、…きっと愛しい人を守り抜くことができる。この地から私達は、平和の使者になることができる。」それが、上原愛音さんが私たちに投げかけた平和のメッセ―ジです。

 慰霊の日の翌日から、日本全国で「ハクソー・リッジ」という映画が公開されています。沖縄戦の実話に基づいた映画です。主人公のモデルは、デズモンド・ドスという米衛生兵。彼はクリスチャンで、武器を持たずに沖縄戦に参加しました。人を殺すのではなく、助けるために戦場に行ったのです。崖を登って頂上に立った時、仲間のために祈ったそうです。「彼らが無事に帰れるように」と。日本軍の攻撃は、非常に激しいものでした。彼の部隊は、撤退を決めました。ところが負傷した兵の中には、動けない人たちがいました。するとドスさんは、敵の猛攻撃の中、一人ひとりを助け出したのです。負傷者を崖の下におろす作業を4時間近く続けました。そして、75人を救出しました。その中には、2人の日本兵もいたそうです。ドスさん自身も足を負傷し、左腕に銃弾を浴びました。彼は、グアムの病院に移されました。入院中、自分や身近な人が死ぬ悪夢に悩まされたそうです。後に彼は、良心的兵役拒否者として、初めて名誉勲章を授けられました。銃弾が飛び交う戦場で、ドスさんはあえて戦わない選択をしました。神の平和の使者として、大切な人々の命を守り抜いたのです。

 イエス様は、戦いに明け暮れる私たちに平和を告げに来られました。争いの種は、私たち一人ひとりの心の中にあります。人の力では、その種をどうにもできません。私たちはその種にあやつられ、戦い続けます。いつか傷つき、戦場で動けなくなります。そのまま死を待つだけになります。イエス様は、そんな私たちをこの世の戦場から救いに来られました。心にある争いの種を取り除きに来られました。イエス・キリストを信じる人は、平和の使者になることができます。神が与えられた平和を、世界中に告げ知らせることができるのです。

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

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