神の優しさと厳しさを知る
物語は、結婚して子供が5人いるマックが主人公です。彼は、家族で森にキャンプに出掛けます。そこで末っ子ミッシーは誘拐され、殺されます。父親のマックは、心に大きな傷を負います。神への信仰も失いかけます。しかし彼は、神との不思議な出会いを体験します。そして、心の傷が癒されます。私も以前、友人に勧められ、この本を読みました。感動的な結末でした。ただ私にも、気になる点がいくつかありました。その一つは、殺された娘の名がミッシー(Missy)だったこと。Missyは、私の妻のニックネームです(笑)。小説とはいえ、嫌な感じがしました。最も違和感があったのは、父なる神の姿です。「パパ」と呼ばれる人は、ママのようなアフリカ系の女性でした。なぜママが、「パパ」なのか。それには、理由があったのです。でもこの設定には、私以外にも違和感を持つ人が多かったようです。ちなみにイエス様は、ユダヤ系の逞しい男性として登場します。イエス様は大工だったので、イメージ通りですね。聖霊は、不思議な感じが漂うアジア系の女性です。すみれさんは、この役を演じています。
天の父なる神は、実は男でも女でもありません。神は霊であるため、性別がないのです。「父」というのは、私たち人間の理解を助けるための呼び名に過ぎません。父なる神は、父親のような厳しさも母親のような優しさも、両方持っておられます。父のような力強さで全世界を創造し、母のようないつくしみで私たち一人ひとりを包んでおられます。アブラハムの子孫を特別な子供たちとして受け入れ、親として大切に育てて来られました。時には父のように厳しく、彼らを訓練されました。あるいは母のように優しく、彼らのあらゆる必要を満たされました。彼らが神に反抗すると、父なる神は彼らに厳しく接しました。ついには国を滅ぼし、人々をその地から追い出されました。それでも神は母のように優しく、彼らに寄り添い続けました。捕囚の地でも彼らを決して見捨てず、人々が約束の地に帰る手助けをされたのです。
イエス様は、神の「霊的DNA」を持つひとり子です。パリサイ人や律法学者たちには、厳しく接しました。社会を指導する立場にいながら、人々を間違った方向に導いていたからです。弱い人や苦しんでいる人には、優しさを示されました。彼らにいつくしみの光を照らし、希望を与えるためです。イエス様は、創造主なる神がどんなお方か教えに来られました。イエス・キリストを通し、私たちは神の優しさと厳しさの両面を知ることができるのです。
「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」(ローマ11:22)
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