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2017年11月

2017年11月26日 (日)

神のメッセージを分かち合う

 今年は宗教改革500周年に合わせ、多くの本が出版されました。私も9月の大会メッセージの準備のため、何冊か本を買って読みました。するとある本に、このような内容の言葉がありました。「宗教改革の柱の一つは、『聖書のみ』という原則だった。それは、『聖書以外から神のことばを聴かない』という決断だと言える。聖書に記される神のことばは、説教を通してのみ人々に伝えられる。それ以外に『天の声』が聞こえることはない。」この考えは、私たちの教会の信仰と明らかに異なります。私たちペンテコステの教会は、昨日も今日もいつまでも変わらない神を信じています。神は昔と同じように、説教以外の様々な方法でも今なお私たちに語りかけて下さいます。夢や幻を通して。天使を通して。内なる声を通して。あるいは実際に耳に聞こえる声を通して・・・。説教者以外の思いがけない人を通し、預言的なことばを受け取ることもあります。そのような不思議なメッセージを私自身、何度も受け取って来ました。その全てが偽物だったとは、私は思いません。過去100年余り、世界中の多くのクリスチャンが同じような体験をしたと証言しているからです。 (そして聖書の基準に照らしても、そんな不思議なメッセージはないとする主張には、説得力がありません。)

 ジャック・ディアという牧師は、ある時、神の預言者と会う機会がありました。彼は当時、預言者はもういないと信じていました。自分は決して騙されないと固く決心して、その日を迎えました。出会った男性は身長180センチほどで、アスリートのような体格でした。エディー・バウアーのカタログから、そのまま出て来たような服装だったそうです。会った瞬間、その預言者はジャック牧師が毎朝、何を祈っているか言い当てました。神がその願いをかなえて下さる、とも言いました。次にその預言者は、ジャック牧師の父の話をしました。ジャックが12歳の時、自殺した父です。母は当時34歳。長男ジャックの下にさらに3人子供がいました。ジャックは長い間、その辛い記憶を心の奥深くに封じ込めていました。心の傷は癒されず、そこから苦々しさや怒りが生まれました。全てに疑い深くなっていました。その彼に、預言者は神のメッセージを伝えました。それは、父を失った傷が癒され、新たな父たちが与えられるという約束でした。その他のことについても、預言者は正確にジャック牧師を取り巻く状況を言い当てました。そして、それに関する神のことばを伝えました。この出会いによりジャック牧師は、預言者が今も存在することを確信しました。預言を通し、神は彼といつもともにおられ、彼を深く愛しておられることがよく分かったそうです。

 旧約聖書には、たくさんの預言者が登場します。アブラハムは75歳の頃、神のことばを語り始めました。彼と彼の子孫は神に祝福され、その祝福が全世界に及ぶと、アブラハムは語りました。モーセは80歳になってから、神のことばを語り始めました。イスラエルは神に選ばれ、全世界の祭司になると、彼は伝えました。祭司の国として守るべき律法も、モーセは人々に語りました。サムエルは、少年時代から神のことばを語り始めました。預言者としてその生涯を全うし、サウルやダビデをイスラエルの王に任命しました。エリヤは、偶像を拝むイスラエルの王に神のことばを伝えました。カルメル山で偽預言者たちと対決し、偶像の神々にはるかに勝る創造主の力を示しました。その他にも多くの預言者が現れ、聖書を通し、今なお私たちに神のことばを伝えています。

 イエス様は、旧約の数々の預言を成就しに来られました。聖霊とともに働かれ、史上最大の預言者として使命を全うされました。イエス様の働きは今、世界中の弟子たちが引き継いでいます。イエス・キリストを信じる人には、聖霊の助けが与えられます。神のメッセージを受け取り、周りの人に伝えることができます。聖霊なる神は、さまざまな方法で私たちに神のことばを伝えて下さいます。聖書や礼拝説教も、もちろん用いられます。しかし神は、私たちが思いもよらない意外な方法を用い、私たちに語られることもあるのです。

「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)

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2017年11月12日 (日)

夢や幻を読み解く

 「イスラム国」は、ついにシリアとイラクで支配していた主要都市の全てを失ったそうです。世界各地で、今なおテロは続いています。しかし、中東での彼らの影響力はますます小さくなりつつあります。「イスラム国」は、3年前に「国家」樹立を宣言。全てのムスリムの国として、イスラム法を厳格に守る国づくりを唱えました。中央アジアから中東、北アフリカ、ヨーロッパの一部に及ぶ広大な地域を自分たちの領土だと主張しました。ところが彼らの行いは、余りにも残忍でした。多くのクリスチャンが虐待され、殺害されました。日本人も殺されました。ムスリムの住民たちも暴力で抑えつけられました。その結果、多くの人の心は彼らの「国」から離れました。イスラムの教えから離れる人も、急激に増えていると聞きます。「イスラム国」から逃れた多くの人が、イエス・キリストを信じているそうです。彼らは恐怖が支配する「イスラム国」から脱出し、愛と平安に満ちたキリストの御国に難民として受け入れられたのです。

 多くのムスリムは、夢や幻を見てイエス様を信じるそうです。夢は寝ている時、幻は起きている時に見るビジュアルなイメージです。オープン・ドアーズという宣教団体は、ある夫婦の証しをネットで伝えています。彼らはシリアでテント暮らしをしていましたが、レバノンに逃げて来ました。妻の母は3年前、外の空気を吸おうとテントから出ると、遠くから射殺されました。妻の兄弟も帰宅途中に殺害されました。彼ら夫婦は、辛い日々を送りました。しかしつい最近、暗やみに光が差し込みました。妻が、イエス様の夢を見たのです。白い衣を着たイエス様は、夢の中でこう言いました。「わたしはキリストだ。あなたには美しい娘が与えられる。」妊娠9か月だった彼女には翌月、美しい女の子が生まれました。同じ頃、夫もイエス様の夢を見ました。やはり白い衣で現れ、こう言いました。「私はあなたの救い主だ。私に従いなさい。」彼らは、イエス様に従う決心をしました。キリストにちなみ、娘の名はクリスティーナ(Christina)にしました。イスラムの信仰を捨てたため、殺される恐れがありました。そこで彼らはムスリム居住区を離れ、あちこちに住まいを移すようになりました。今後、どうなるか分かりません。でも夫は、こう言います。「最も大切なのは、イエス様を救い主と知ることです。イエス様は助けて下さいます。私たちとともにおられ、守って下さいます。神が、私たちの困難を解決して下さるのです。」

 旧約の時代にも、多くの人が夢を見ました。ベテルで野宿したヤコブも、その一人です。彼は不安でした。兄に殺されそうになり、家を出て遠い国に行く途中でした。その彼に対し、神は夢の中でこう約束されました。「どこへ行っても守られ、必ずこの地に帰ることができる。」夢を通し、彼は神の平安を受け取りました。ヨセフは、自分の将来を夢で見ました。人が見た夢の意味も解き明かしました。エジプト王にも夢のメッセージを伝えました。それがきっかけで、ヨセフがかつて見た夢は実現しました。ソロモン王は、夢の中で何がほしいか神に聞かれました。彼が知恵を求めると、神は喜ばれました。知恵はもちろん、富や名声も与えると神は約束して下さいました。預言者ダニエルは、バビロニア王が見た夢を言い当て、その意味を伝えました。その結果、彼はユダヤ人の国を滅ぼした王に神のメッセージを伝えました。その他の預言者たちもさまざまな幻を見て、人々にメッセージを伝えて来ました。

 キリストによる新しい契約の時代、現代の私たちにも夢や幻が与えられます。もちろん全ての夢や幻が、創造主のメッセージとは言えません。それがどこから来たのか、意味のある内容なのか、聖書と矛盾がないか、よく吟味する必要があります。大切なのは、神の創造性に心を開くことです。神が語る方法を選ばれます。私たちが考えもしない方法かもしれません。どんな方法で語られても神のメッセージを読み解き、適切に応答したいですね。創造主からメッセージが届いたら、「既読スルー」してはダメです。

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒2:17)

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2017年11月 5日 (日)

絶望の彼方に希望を見出す

 先日の総選挙では、「希望」が失速しました。9月25日の記者会見で小池百合子氏は、新たに立ち上げた政党についてこう語りました。「今の日本に足りないものは希望。だから、『希望の党』という名前にしました。」党のホームページには、こう書かれています。「昨日より今日のほうが、いい。今日より明日のほうが、きっといい。そう信じられる社会。それが希望ある社会です。…ここは、日本の政治をリセットしましょう。…今こそ、日本を前進させる大きなチャンスです。」希望ある社会を目指す志は、良かったのかもしれません。しかしさまざまな理由から、希望の党に対する支持は広がりませんでした。多くの人は、希望の党に希望を見出せなかったのです。

 今回の小池氏の発言は、17年前に出版されたある小説が土台ではないかと推測されています。村上龍さんが書いた「希望の国のエクソダス」という小説です。小説の中で主人公・ポンちゃんは、こう発言しています。「この国には何でもある。ただ、『希望』だけがない。」彼の考えが、日本の中学生たちに広く支持されるというストーリーです。80万人の中学生が学校から脱出し、独立国を造ります。場所はカタルーニャではなく、北海道です。この話のポイントは、2つあります。一つは、中学生という若い世代が日本に絶望し、行動を起こすこと。政治家による上からの運動ではありません。選挙権もないティーンエイジャーによる下からの、草の根の運動でした。もう一つのポイントは、彼らは日本を変えるのではなく、脱出したこと。日本のリセットではなく、新たな国の建設です。様々なしがらみから解き放たれるには、その方が手っ取り早いかもしれません。小説の中では多くの中学生が、ポンちゃんの主張に希望を見出しました。

 「エクソダス」とは、英語で「出エジプト」のこと。今から3千数百年前、モーセに率いられたユダヤ人がエジプトを脱出した歴史的な出来事です。当時、ユダヤ人は奴隷にされていました。エジプトで彼らの人口は、70人から数百万人に膨れ上がりました。エジプト王は、反乱が起きたら大変だと考えました。そこで彼らを奴隷に落とし、強制労働をさせたのです。ユダヤ人の男の子が生まれたら一人残らず殺すようにとも、エジプト王は命じました。繁栄を誇る超大国エジプトには、何でもあったかもしれません。ただ奴隷のユダヤ人には、希望がなかった。絶望的な状況でした。その彼らに神はモーセを遣わし、希望のメッセージを伝えられたのです。自分たちの力では何も変えられない奴隷たちに、神は憐れみを持たれました。彼らの苦しみの叫びを聞き、心を痛められました。そこで、彼らを絶望の地から解放されたのです。草の根のユダヤ人たちを、約束の地での「希望の国」づくりへ旅立たせました。モーセが伝えた神のメッセージは、彼らの心に響きました。ユダヤ人たちは、希望を見出すことができたのです。

 イエス様は、預言者モーセのように希望のメッセージを伝えられました。ユダヤ人だけでなく、全世界の人々に対してです。世界は、終わりが近づいています。どんなに平和で豊かな国も、未来は絶望的です。終わりが来たら、全てが滅びるからです。日本をリセットしても北海道に移住しても、人類滅亡の流れは止められません。イエス様は、滅びに向かう私たちを助けに来られました。イエス・キリストを信じる人は、絶望の国から脱出できます。神の希望の国に迎えられます。その素晴らしい希望を周りの人に伝えることができます。どんなに深い絶望を背負う人も、イエス様は救って下さいます。この希望は、失速することがありません。永遠の愛に満ちた神は、救いを求める人を決して排除されないからです。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」(詩篇121:1-2)

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