« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月

2018年1月28日 (日)

ビジョンの成就に力を尽くす

 今年は明治維新150周年で、さまざまな記念行事が計画されているそうです。鹿児島のあるお菓子メーカーは、記念のホワイトクッキーを発売したとのこと。西郷隆盛などのキャラクターが、パッケージに印刷されています。政府は、次のような計画を発表したそうです。「明治の精神に学び、その歩みを次世代に遺す政策を実施する。」憲法改正の動きもあります。私たち国民は主権者として責任感を持ち、注意深く見張りをする必要がありますね。先日もお話しした通り、明治政府は神道を事実上の国教に定めました。日本は神道の神々が生んだ国で、天皇はその神々の子孫とされました。欧米の圧力により、信教の自由は日本でもある程度認められました。しかし明治政府は、抜け穴を作ったのです。神道は宗教ではなく、日本の伝統文化だと主張しました。学校教育の場でも天皇を神とし、子供たちに礼拝させました。天皇を中心とする国づくりを世界中に広めるという名目で、他の国を侵略しました。自由は制限され、反対者たちは弾圧されました。これが明治の精神です。この精神は、次世代に遺すべきではありません。過去の過ちを深く反省し、迷惑をかけた人々に対し心から謝罪すべきです。過去と決別した新しい精神による、新しい国づくりのビジョンが必要とされています。

 明治の初め、新しい国のビジョンを日本に伝えた一人は、福沢諭吉でした。慶応義塾の創始者で、今の1万円札の顔です。福沢諭吉は、次の有名な言葉を残しました。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり。」この言葉は、アメリカ独立宣言の言葉の紹介だと言われています。キング牧師が演説に引用した、「全ての人は平等に造られた」という言葉です。福沢はクリスチャンではなかったですが、聖書に基づく新しいビジョンを多くの日本人に伝えました。その頃、身分によって人に上下があることは日本の常識でした。江戸時代の身分制度がなくなると、天皇を頂点とする別の身分制度が始まりました。そんな時代、福沢が紹介した新しい国のビジョンに人々は衝撃を受けたのです。(著書「学問のすゝめ」は、大ベストセラーになりました。)しかし明治政府は、天皇を神とする古いビジョンに基づいて国づくりを進めました。クリスチャンたちの中には、その古いビジョンに反対し続けた人々がいました。内村鑑三は教育勅語に記された天皇の署名を拝まず、教師の仕事を失いました。第2次大戦中、神社参拝を拒否したホーリネス教会の牧師たちは、投獄されました。他にも多くの人々が大きな犠牲を払い、古いビジョンの問題点を明らかにしました。その結果、とうとう第2次大戦後の新憲法には、新しいビジョンが採り入れられました。福沢諭吉が紹介した平等という権利が尊重されるようになったのです。

 創造主なる神は、全世界に広がる国づくりにビジョンを持たれています。そのビジョンを成就するため、多くの人がそれぞれの持ち場に遣わされて来ました。アブラハムは、カナンの地に遣わされました。モーセは、エジプトに遣わされました。ダビデは、イスラエルの王宮に遣わされました。ネヘミヤは、エルサレムの城壁再建に遣わされました。エステルは、ペルシアの王宮に遣わされました。自分の持ち場に遣わされた人々は、神から与えられた務めを忠実に果たしました。神のビジョンが成就するために、彼らは力を尽くしたのです。

 イエス様は、新たな国づくりのビジョンを私たちに伝えに来られました。イエス・キリストを信じる人は、そのビジョンを知ることができます。それぞれの持ち場に遣わされ、神の偉大な国づくりに参加することができます。その国に身分の上下はありません。自由の抑圧もありません。神の限りない愛が満ち溢れる国です。使徒パウロは、その素晴らしい神の国のビジョンをローマ帝国内の多くの人に伝えました。私たちも今、そのビジョンを周りの人と分かち合うことができるのです。

「…私は天からの幻に背かず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。」(使徒26:19-20)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月21日 (日)

ビジョンに望みを抱く

 先週はマルティン・ルターのお話をしましたが、今週はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの話から始めたいと思います。先週月曜日は、米国ではキング牧師記念日(Martin Luther King Jr. Day)という祝日でした。公民権運動を指導したキング牧師の誕生を祝う日です。トランプ大統領はこの日、次のようなコメントを発表しました。「キング博士の夢は私たちの夢だ。それはアメリカンドリームだ。その約束は私たちの国の布地に織り込まれ、私たち国民の心に刻み込まれ、人類の精神に書き込まれている。それは、人々が外見や出身地ではなく、人間性によって判断される世界の夢だ。」しかし、残念ながら多くの人は、トランプ大統領のこの言葉を好意的に受け取らなかったようです。その数日前の会議で、大統領が人種差別的な発言をしたと報道されたからです。キング牧師記念日には、大統領を批判する声が相次ぎました。キング牧師の長男であるマーティン・ルーサー・キング3世は、こう発言したそうです。「大統領の心を変えなければならない。」

 キング牧師は1929年、ジョージア州アトランタに生まれました。今も生きていたら89歳ですね。父親はマイケル・キングという名で、バプテスト教会の牧師でした。彼は30代の頃、ドイツに旅行しました。マルティン・ルターの偉大な働きを知り、たいへん感銘を受けました。そこで彼は、自分の名をマーティン・ルーサー・キングに変えたのです。5歳の長男も同じ名前に変えました。同じ名前のシニアとジュニアが同時に誕生しました。当時、米国には依然として根強い人種差別がありました。リンカーン大統領は、1860年代に奴隷解放を宣言しました。でも第2次大戦が終わっても、まだ至る所に差別が残っていました。父と同じくバプテスト教会の牧師になったキング牧師は、人種差別と闘う運動を始めました。彼の運動はガンディーの影響を受け、暴力を使わない方針を貫きました。奴隷解放宣言100周年の1963年には、首都ワシントンで20万人を超えるデモが行われました。その時、大群衆の前でキング牧師が演説しました。「私には夢がある(I have a dream)」という有名な演説です。彼は、こう言いました。「奴隷解放宣言は、何百万人もの黒人奴隷に大きな希望の光を照らした。…私には夢がある。それはいつの日かこの国が立ち上がり、『全ての人は平等に造られた』という国の理念を実現させる夢だ。…これが私たちの希望だ。…この信仰があれば、私たちは絶望の山から希望の石を切り出すことができる。」キング牧師は、希望に満ちたビジョンを語りました。それを聞いた多くの人は、そのビジョンに望みを抱いたのです。

 創造主なる神は、全ての人を平等に造られました。米国の独立宣言に記されるこの視点は、聖書の教えに基づいています。私たち一人ひとりは神の作品として大切に造られ、愛されている尊い存在です。その真実を全世界に伝えるため、神はユダヤ人の奴隷をエジプトから解放しました。ユダヤ人たちには、こう命じられました。「あなたたちの国ではみなしご、やもめ、在留外国人など、弱い立場の人に配慮しなさい。」ユダヤ人たちが言うことを聞かなくなると、神は彼らを再び弱い立場に置かれました。彼らは捕虜としてバビロニアに送られ、またもや差別の苦しみを味わったのです。しかしそれは、一時的な苦しみでした。神は彼らを解放し、平等な社会を築くビジョンを彼らに告げられたのです。預言者エレミヤが語った通り、彼らの将来には望みがありました。

 イエス様は、私たちをあらゆる差別から解放しに来られました。どんな人にも等しく注がれる神の愛を、私たちに伝えに来られました。人を差別する罪は、イエス様の十字架によって葬り去られました。イエス・キリストを信じる人は、あらゆる差別から自由にされます。全ての人が平等な神の国のビジョンを受け取ることができます。そのビジョンに、私たちは永遠の望みを抱くことができるのです。

「主はこう言われる。『あなたの泣く声、あなたの目の涙を止めよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。──主のことば──彼らは敵の地から帰って来る。あなたの将来には望みがある。…」(エレミヤ31:16-17)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月14日 (日)

ビジョンに心が燃やされる

 去年は宗教改革500周年を祝い、世界各地で記念行事が開催されました。ドイツで作られたマルティン・ルターの可愛らしい人形も、100万個以上売れたそうです。ルター自身は、自分の人形がそんなに売れるなど全く想像しなかったでしょうね。500年前に世界の片隅で起きた小さな出来事は、今なお世界中の人々に大きな影響を及ぼしているのです。

 ルターは、新しい時代のビジョンに心が燃やされていました。一人ひとりが聖書を手にし、神のみことばを信じて生きるビジョンです。そのビジョンにより、カトリック教会が絶大な影響力を持つ中世は終わり、近代が始まりました。国家はローマ教皇の権威から独立し、各地で新たな国づくりが始まりました。その働きを担ったのはドイツではルーテル教会、オランダでは改革派教会、イギリスでは英国国教会やピューリタンの人々です。でもその頃来日した西洋人は、主にカトリックの人々でした。カトリックの宣教師たちは宗教改革に対抗し、日本で信者を増やしました。ところが江戸時代になると仏教が日本の国教とされ、キリシタンは迫害されました。それから200年以上経ち、日本にも近代の波が押し寄せてきました。(「西郷どん」の時代です。)明治の時代、近代日本の指導者たちは、神道を事実上の国教に定めました。クリスチャンの迫害は続きました。そのニュースを聞いた欧米諸国は、日本政府に迫害の中止を強く求めました。その結果、ようやく日本で信教の自由が認められたのです。カトリック教会もプロテスタント教会も、自由に聖書を教えられる時代になりました。ルターが改革を始めてから、350年以上後の話です。第二次大戦後の新憲法では、さらに大きな自由が認められました。今の日本では、自由に聖書を読むことができます。イエス・キリストを信じ、救いの恵みを受けることができます。500年前、ルターが心を燃やした新時代のビジョンは、今も多くの人を祝福しているのです。

 神は、人類に新しい時代のビジョンを与えて来られました。アダムとエバには、楽園からの旅立ちが告げられました。ノアには、洪水からの再出発が告げられました。アブラハムには、世界を祝福する旅の始まりが告げられました。数百年後、アブラハムの子孫は星の数ほどに増え広がり、約束の地に戻って来ました。彼らは天地創造の神の指導により、新たな国づくりを始めようとしていました。新時代のリーダーに選ばれたのは、ヨシュアです。彼はヨセフの子孫で、エジプトに生まれました。先祖ヨセフの素晴らしい活躍を聞かされて育ったはずです。40代半ばの頃、ヨシュアは他のユダヤ人とともにエジプトを脱出しました。それから40年間、彼らは荒野で訓練を受けました。ヨシュアはモーセの助手になり、偉大なリーダーの働きをその目に焼き付けました。敵との戦いにも遣わされ、祈りによる勝利を体験しました。約束の地のビジョンを信じ、神に従うことの大切さも学びました。そしてヨシュアが80歳を過ぎた頃、神は新たなビジョンを語られました。イスラエルの民が、約束の地を手にするその時が来たのです。そのビジョンに、ヨシュアの心は燃やされたに違いありません。何歳になっても、心を熱くするのに遅くはありません。(私たちは、いつでも希望があります。笑)

 イエス様も、全世界に新時代のビジョンを伝えに来られました。イエスという名は、ヘブル語ではヨシュアになります。「主は救い」という意味です。モーセの後継者ヨシュアは、イスラエルの民を荒野の苦しみから救い出しました。そして、彼らを約束の地に導き入れました。それはイエス様の働きの象徴でした。イエス様は、人生の荒野にいる全ての人をその苦しみから救い出されます。そして、天の御国という約束の地に導き入いて下さいます。3000年以上前、ヨシュアは神からビジョンを受け取りました。2000年前には、イエス様がビジョンを語られました。それらのビジョンは、今なお世界中の人の心を熱く燃えたたせます。全ての人の人生に祝福をもたらす大きな影響力を、今なお持ち続けているのです。

「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。」(ヨシュア1:6)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

天与のビジョンに導かれる

 新年を迎えると、多くの人は一年で成し遂げたいことを考えます。皆さんは、今年一年の抱負を何か考えたでしょうか。ネット上のあるサイトでは、新年の抱負のアイデアを100個も挙げていました。その中からいくつか選べば、新年の抱負を簡単にまとめられるはずです(笑)。例えば、こんなことが書かれていました。1)物を減らす(いわゆる「断捨離」)。2)読書や勉強をする。3)運動する。4)詩や小説を書く。5)絵を描く。6)旅行に行く。7)早寝早起きをする。8)健康な食生活をする。9)新しい人間関係をつくる。10)文句を減らし、感謝を増やす。「信仰を深める」という項目もありました。100個も項目があったら、その中のどれかは今の自分に当てはまりそうです。でもあまり選択肢が多すぎて、選ぶのが難しいかもしれません。

 そのリストの中に、「自己中心性を減らし、他の人の話をもっと聞く」という項目がありました。私たちは、一人で生きているのではありません。無人島でなければ、私たちの周りにたいてい誰か他の人がいます。聖書では、「隣人(となりびと)」という言葉が使われます。隣人のため、自分に何ができるか考えるのは大切です。強盗に襲われて倒れている人を見たら、何をすべきか分かりやすいですね。普通は「大丈夫ですか」と、先ず声を掛けます。傷があれば、手当てしなければなりません。親切な人は怪我した人を病院に連れて行き、費用も払ってあげるかもしれません。「良きサマリア人」のような人です。でも倒れていない人にはどんな必要があるのか、ちょっと見ただけでは分かりません。深い傷のある場所が心の奥底なら、外からは見えません。どう手当てしたら良いか、見当もつきません。でもそんな隣人のために、何かできることが見つかる場合もあります。そのためには先ず、周りの人に関心を持ち、隣人の心の声に耳を傾ける必要があります。

 同時に、神に聞くことも大切です。神は、計画的に私たちの周りに隣人を置かれるからです。神が出会いを用意されています。私たちの隣人に、ご自身の愛を表わしたいと願われているのです。私たちが今年、隣人に何をすべきかについても、神に最善の計画があります。隣人のための2018年プランAです。それがどんな内容で自分は何をすべきかを知るには、プランを立てた神に聞くのが第一です。自分のしたいことを好きなようにしたら、プランAは大失敗に終わるかもしれません。神はもちろん、プランBもプランCも用意されています。でもプランAが失敗したら、神は残念に思われるはずです。

 そう考えると、新年の抱負全体についても先ず神に聞くべきですね。「私の決意はこうだから、あとは神様よろしく」ではありません。「イエス様、今年あなたは何を計画されているのですか?私がすべきことは何ですか?」全知全能の神の前に静まり、そう聞くことが大切です。まだしてなければ、ぜひそうしてみて下さい。「イエス様、教えて下さい」と祈って下さい。心に浮かぶ聖書のことばや印象を書き留めて下さい。間違いがないか、もう一度イエス様に聞いて下さい。そのようにまとめたリストを、今年一年の抱負にするのです。みこころを第一に求め、行う人を神は喜んで下さいます。祝福で満たして下さいます。プランAを実現して下さいます。「神の友」と呼ばれたアブラハムは、天から与えられたビジョンに従いました。プランAが実現し、アブラハムとその隣人たち、さらには全世界が祝福されました。イエス・キリストを信じ、アブラハムの子孫とされた人は、それと同じ生き方をすることができます。天与のビジョンに導かれ、最高の一年を過ごすことができるのです。

「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。」(ヘブル11:8)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »