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2018年3月

2018年3月25日 (日)

真心から神に近づく

 先週、妻と私は病院に入院中のある人をお見舞いしに行きました。初めての病院だったので、私は建物の中をあちこち見回しました。ふと目に着いたのは、玄関ロビーに飾ってあった雛人形です。3月ももう後半なのに、まだ飾ってあるのかと思いました。「雛祭りが終わるとすぐ片づけた方が良い」という言い伝えが、日本にはあるからです。「まだ飾ってていいのかな?ここにはもう、結婚しそうな人いないのかな?」と、妻と話をしました。(後で調べたら、3月3日の後、長い間飾る地方もあるそうです。)雛人形を見た妻は、あることに気が付きました。5段飾りの人形の並べ方が間違っていたのです。右大臣、左大臣が一番下で、その上に「仕丁(しちょう)」と呼ばれる雑用係が並べられていました。「下剋上」だったのでしょうか(笑)。

 雛人形は、中国や日本の古い信仰に由来するそうです。古代中国では、3月上旬に川の水で体をきよめ、災いを祓ったとのこと。日本では草木や紙で人の形を作り、それを撫でて自分の厄(災い)やケガレを移し、水に流しました。これが雛人形の起源とされています。今でも地方によっては、「流し雛」という習慣が残っていますね。時代とともに雛人形は、豪華になりました。そのため川に流さず、家の中に飾るだけになったようです。(その場合、厄やケガレはどうなるのでしょう? 笑)「ひとがた(人形)」を流すという信仰は、雛祭り以外にも見られます。多くの神社では年2回、大祓(おおはらえ)という行事をするようです。人々が知らずに犯した罪やケガレを祓いきよめる行事だそうです。紙を人の形に切り抜き、それに自分の罪やケガレを移して川や海に流します。そのようにして自らをきよめ、神々のみこころに近づくという信仰が、今でも神道にあるようです。

 この「ひとがた」信仰は、旧約聖書の「いけにえ」とよく似ています。人の罪は動物のいけにえに移され、その血により罪が洗い流されるのです。イスラエルの大祭司は、毎年秋に特別ないけにえをささげました。国全体の罪をきよめるため、山羊が2匹選ばれました。1匹はほふられ、その血は国立の礼拝所である幕屋や神殿に振り掛けられました。幕屋や神殿を1年間の汚れからきよめるためです。もう1匹の山羊は1年間のイスラエルの罪を背負い、荒野に追放されました。(この山羊が、いわゆるスケープゴートです。)こうして彼らの国は1年間の罪がきよめられ、人々は再び神に近づくことができました。この秋の「ひとがた」は、幕屋や神殿がなくなりささげられなくなりました。しかしユダヤ人は、今も毎年春に別のいけにえをささげます。今週金曜夜から始まる過越の祭りです。いけにえはもちろん、子羊。(私は道産子なので、ジンギスカンにしたいですね! 笑)出エジプトの時、子羊はユダヤ人の長子の身代わりになりました。羊の血を塗った家の長子は命が救われ、塗らなかった家の長子は命を落としました。いけにえの子羊は、長子の罪の身代わりをしたと言えます。イスラエルの春の「ひとがた」は、長子の罪を祓いきよめたのです。

 イエス様は、全ての人の「ひとがた」となるため、この世に来られました。私たちの罪やケガレを背負い、十字架の血で全て洗い流して下さいました。今週金曜日は、その記念日です。イエス様は新しい契約に基づく大祭司として、自分自身をいけにえにされました。全人類の罪を背負ったイエス様が死の世界に追放されることにより、私たちは神に近づけるようになったのです。イエス・キリストを信じる人は、神の祝福を受け継ぐ長子とされます。罪がきよめられ、死のさばきから救われ、神に近づく恵みを手にすることができるのです。

「また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル10:21-22)

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2018年3月18日 (日)

神の家を建て直す

 日本全国には、10万以上の神社があるそうです。コンビニの数は5万6千。教会の数はカトリック、オーソドックス(正教会)、プロテスタント合わせて9千です。教会は、コンビニの数を目指そうというビジョンがあります。1つの教会は、平均5つの教会を生み出さなければならない計算になります。その目標が達成できたら、次の目標は神社の数ですね。教会が5万以上になったら、1教会が平均1つの教会を生み出せば神社の数に達します。そうなれば日本中どこでもコンビニや神社があるように、教会もあることになります。日本の街並みは、ずいぶん変わるでしょうね。私が留学した頃、フラー神学校のチャールズ・クラフト博士はこんな提案をしていました。「日本の教会は、鳥居を建てたらどうか。」その方が、多くの日本人は来やすいのではないかという意味です。それを聞いた瞬間、私は何と答えたら良いか分からず、日本風に笑顔で返しました(笑)。「きっとアヤシイ教会に見られるだろう」とも思いました。日本の教会がみな鳥居を建てるようになったら、日本中、鳥居ばかりになるかもしれません。

 神社の構造は、イスラエルの幕屋や神殿によく似ていると言われます。なぜ似ているかは、歴史のミステリーです。女優の鶴田真由さんは神社巡りするうち、日本人の祖先はユダヤ人だと思うようになったそうです。(彼女がイスラエルに行ったツアーには、安倍昭恵首相夫人も参加予定だったとのこと。首相夫人はキャンセルしたようですが、昭恵さんもいろんな所に名前が出て来ますね。)イスラエルの幕屋や神殿と異なり、神社では神道の神々、つまり偶像が祀られています。日本神話に登場する神々や実在の人物、動物、山、川、木など。人体のある部分の場合もあります。何でも神として祀られます。神々が宿る物体、いわゆる「神体」は、神社の中心である本殿に置かれます。参拝者たちは、そこに近づくためまず鳥居をくぐります。その先に手や口を水で清める場所があります。さらに奥には拝殿と本殿があります。幕屋や神殿にも、入口を入ってすぐの祭壇の先にきよめの水が置かれていました。その奥に聖所と至聖所がありました。至聖所には契約の箱が置かれ、神がそこにおられると言われました。神社とは神を祀る場所、神がおられる場所という意味です。イスラエルの幕屋や神殿も神が住まわれる場所、「神の家」と呼ばれました。

 モーセの時代に作られた幕屋は、荒野で40年間過ごした後、約束の地に入りました。そしてダビデの時代、契約の箱だけが一足先にエルサレムに運び込まれました。ソロモンの時代には、壮大な神殿が完成しました。そこは、イスラエルの礼拝の中心地になりました。ところがユダヤ人は、天地創造の神ではなく、偶像を拝むようになりました。神との契約通り、彼らの国は滅び、神殿は廃墟になりました。しかしそれは、彼らが本来の信仰を取り戻すための厳しい訓練だったのです。異国の地で偶像礼拝の罪を悔い改めた時、ユダヤ人たちは帰国することができました。全てが神の恵みであると、彼らはよく理解できるようになりました。そして礼拝の中心地として神殿を再建することが、彼らの最優先課題になったのです。この時建てられた「第2神殿」は、後にヘロデ大王により大幅に改築され、目を見張るような建物になりました。イエス様や弟子たちが訪れたのは、この第2神殿です。

 イエス様は、神の家を建て直しに来られました。それは、エルサレムにあった建物のことではありません。神が新しく造られる人ひとりひとりと、そのような人々の集まりのことです。イエス・キリストを信じる人は、聖霊が心のうちに住まわれる神殿とされます。そのような人の集まりである「教会」(原語は“エクレシア”=呼び出された人たち)も、神の家と呼ばれます。イエス様による神の家の再建は、今も継続中です。その大切な働きに、希望者は誰でも加えていただけるのです。

「そして彼らは主を賛美し、感謝しながら『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに』と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。」(エズラ3:11)

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2018年3月11日 (日)

約束の成就を祈る

 東日本大震災から7年が経ちました。熊本の地震からはもうすぐ2年です。その他にも私たちの周りには、予期せぬ困難に苦しむ人がたくさんいます。困っている人のため、祈り続けましょう。そして私たちのできる限りのお手伝いをしていきましょう。今年2月初めには、台湾で大きな地震がありました。死者17人、負傷者285人と報道がありました。俳優の阿部寛さんは地震の夜、台北にいたそうです。台湾のため、自分にできることはないかと考えました。そして2日後、台北の人々の前で、彼は1千万円の義援金を寄付すると約束したのです。先日、阿部さんは東京の台湾大使館を訪れ、約束の1千万円を手渡しました。台湾の人々からは、感謝の言葉がたくさん寄せられました。ある人は、「ありがとうローマ人」とネットに書き込んだそうです!約束を果たした阿部さんの好感度は、台湾で非常に高まったはずです。

 天地創造の神も約束を必ず守り、好感度を高めて来られました。神がどんな約束をし、どう守られたのかは、聖書に記されています。神はアダムに約束されました。「あなたは全世界に増え広がり、全ての生き物を支配する権限を手にする。」ノアには、こう約束されました。「二度と大洪水で人類が滅びることはない。」アブラハムには、こんな約束が与えられました。「あなたとあなたの子孫を通し、全人類が祝福される。」モーセに対する約束は、こうでした。「ユダヤ人は祭司の王国になる。」そして神はダビデ王に、こう約束されました。「あなたの子孫は永遠の国の王になる。」神は、これらの約束を全て果たされました。約束を必ず守るからこそ、私たちは神に絶大な信頼を置くことができます。

 ソロモン王も少なくとも最初の頃は、神が約束を果たすと信じていたはずです。神は、彼に知恵を授けると約束されました。富と誉れも与えると言われました。約束通りソロモンは、知恵に満たされました。彼の王国は、考えられないほどの平和と繁栄を手にしました。ソロモンの名声は、諸外国に知れ渡りました。彼が手に入れた莫大なお宝はどこに行ったのかと、今でも時々話題になるほどです。(映画版「名探偵コナン」に、「ソロモンの秘宝」というゲームが登場したこともあります。)彼の父ダビデに神が約束された通り、ソロモン王は壮大な神殿を完成させました。完成を祝う式典で、ソロモン王は神に祈りました。ダビデに与えられた他の約束も、全て成就するようにです。ソロモンはその時、祝福の約束が成就するように願ったはずです。しかし神の約束は、祝福だけではありませんでした。悪を行う人には、懲らしめがあるとも言われていたのです。残念ながらソロモンには、最後に懲らしめが待っていました。彼が偶像を拝んだため、ソロモンの子は王国のごく一部しか相続できないと神から宣告されたのです。神は、この時も約束を守られました。約束を破るのは常に人間の側だと、聖書ははっきり証言しています。

 イエス様は、約束を破った人、懲らしめの中にいる人を救いに来られました。アダムは神との約束を破り、人生の苦しみを味わうようになりました。私たちはみな、同じ懲らしめの中にいます。人類の代表として選ばれたユダヤ人は、神との約束を破り、偶像の神々を拝むようになりました。その結果、彼らの国は分裂し、後に滅亡しました。イエス様は、この「祭司の王国」を再建しに来られました。永遠の王イエス・キリストを信じる人は、人生の苦しみから解放されます。永遠の王国に加えられます。神の約束が全て成就し、イエス様の好感度がさらに高まるよう祈ることもできるのです。

「今、イスラエルの神よ。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたおことばが堅く立てられますように。」(Ⅰ列王記8:26)

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2018年3月 4日 (日)

神を中心とする

 今日は礼拝シリーズの3回目です。第1回は礼拝の心、第2回は私たちが礼拝する救い主について学びました。今週は、神を中心とする生き方について考えましょう。

 日本政府は、来春の天皇退位と新天皇の即位に向け、準備を進めています。先日、国として正式に行う儀式の概要が固まりました。退位する天皇は、天皇として最後のメッセージを国民に語ります。その後、新たに即位する天皇が新天皇として最初のメッセージを語ります。秋には、パレードやパーティーも予定されているようです。儀式の中で新天皇は、三種の神器のうち2つを継承するようです。剣と勾玉(まがたま)です。勾玉は璽(じ)とも呼ばれるため、2つ合わせて剣璽というそうです。剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)または草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれます。日本神話で、スサノオがヤマタノオロチを退治した時、大蛇の体内に発見した剣と信じられています。この剣はアマテラスに贈られ、勾玉とともに、アマテラスの子孫である天皇家に受け継がれたと言われます。もう1つの神器は鏡です。鏡は、アマテラスの神体として皇居に祀られているそうです。継承の儀式を行わなくても、そこに住む人が自動的に受け継ぐのでしょう。勾玉は実物だそうですが、剣と鏡は複製とのこと。本物の剣は熱田神社、鏡は伊勢神宮にそれぞれアマテラスの神体として祀られているそうです。天皇は、憲法に「日本国の象徴」と記されています。国全体の象徴が皇位継承の儀式でアマテラス信仰を国内外に宣べ伝えるのは、クリスチャンとしてはたいへん残念です。

 明治の初め、国の指導者たちは神道に基づく、天皇を中心とした国づくりを目指しました。首都になった東京に天皇が移る時、御簾に覆われた輿に天皇が乗り、人々がそれを担ぎました。20日間500キロの輿の旅です。担いだ人も担がれた天皇も、疲れたでしょうね。東京入りした天皇は、アマテラスの子孫である現人神(あらひとがみ)として、人々に拝まれるようになりました。しかし、この神道に基づく国づくりは、無数の命を犠牲にした末、破たんしました。第2次大戦後、アマテラス信仰とは決別した、新たな国づくりが始まりました。昭和天皇も、自分は現人神ではなく人間だと宣言しました。ところが今、再び神道の影響力を取り戻そうとする動きが強まりつつあります。皇位継承の方法についても、政治的に強い働きかけがあるようです。過去の過ちを繰り返すのは、過ちを過ちと認めていないからです。私たちは、アマテラス信仰とは別の世界観に基づく国づくりを目指さなければなりません。

 ダビデ王は過去と決別し、天地創造の神を中心とした新たな国づくりを目指しました。前王サウルの時代は、天地創造の神が中心ではなく、人々が偶像の神々を拝みかねない状況でした。神に従わないサウルは、破滅的な結末を迎えました。ダビデは、過去の過ちを教訓としました。エルサレムを首都とし、創造主なる神を礼拝する中心地にしようと考えました。御輿のような形の「契約の箱」を、人々は担いで都に運び入れました。ダビデが目指した新たな国づくりは、神の大きな祝福を受けました。ダビデ王は、イスラエルが平和と繁栄の祝福を受けるため、しっかりとした土台を築いたのです。

 イエス様は、ダビデの子孫としてこの世に来られました。天地創造の神が人となった真の現人神です。イエス・キリストを信じる人は、創造主なる神を中心として生きることができます。神の箱を担いだ人たちのように、天のエルサレムを目指すことができます。イエス様が始められた新たな御国づくりは、この世の終わりに全て完成します。その時、私たちは永遠の平和と繁栄の恵みを、心から喜ぶことができるのです。

「『私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。』すると全会衆は、そうしようと言った。このことが、すべての民の目には良いことに思えたからである。」(Ⅰ歴代誌13:3-4)

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