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2018年3月 4日 (日)

神を中心とする

 今日は礼拝シリーズの3回目です。第1回は礼拝の心、第2回は私たちが礼拝する救い主について学びました。今週は、神を中心とする生き方について考えましょう。

 日本政府は、来春の天皇退位と新天皇の即位に向け、準備を進めています。先日、国として正式に行う儀式の概要が固まりました。退位する天皇は、天皇として最後のメッセージを国民に語ります。その後、新たに即位する天皇が新天皇として最初のメッセージを語ります。秋には、パレードやパーティーも予定されているようです。儀式の中で新天皇は、三種の神器のうち2つを継承するようです。剣と勾玉(まがたま)です。勾玉は璽(じ)とも呼ばれるため、2つ合わせて剣璽というそうです。剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)または草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれます。日本神話で、スサノオがヤマタノオロチを退治した時、大蛇の体内に発見した剣と信じられています。この剣はアマテラスに贈られ、勾玉とともに、アマテラスの子孫である天皇家に受け継がれたと言われます。もう1つの神器は鏡です。鏡は、アマテラスの神体として皇居に祀られているそうです。継承の儀式を行わなくても、そこに住む人が自動的に受け継ぐのでしょう。勾玉は実物だそうですが、剣と鏡は複製とのこと。本物の剣は熱田神社、鏡は伊勢神宮にそれぞれアマテラスの神体として祀られているそうです。天皇は、憲法に「日本国の象徴」と記されています。国全体の象徴が皇位継承の儀式でアマテラス信仰を国内外に宣べ伝えるのは、クリスチャンとしてはたいへん残念です。

 明治の初め、国の指導者たちは神道に基づく、天皇を中心とした国づくりを目指しました。首都になった東京に天皇が移る時、御簾に覆われた輿に天皇が乗り、人々がそれを担ぎました。20日間500キロの輿の旅です。担いだ人も担がれた天皇も、疲れたでしょうね。東京入りした天皇は、アマテラスの子孫である現人神(あらひとがみ)として、人々に拝まれるようになりました。しかし、この神道に基づく国づくりは、無数の命を犠牲にした末、破たんしました。第2次大戦後、アマテラス信仰とは決別した、新たな国づくりが始まりました。昭和天皇も、自分は現人神ではなく人間だと宣言しました。ところが今、再び神道の影響力を取り戻そうとする動きが強まりつつあります。皇位継承の方法についても、政治的に強い働きかけがあるようです。過去の過ちを繰り返すのは、過ちを過ちと認めていないからです。私たちは、アマテラス信仰とは別の世界観に基づく国づくりを目指さなければなりません。

 ダビデ王は過去と決別し、天地創造の神を中心とした新たな国づくりを目指しました。前王サウルの時代は、天地創造の神が中心ではなく、人々が偶像の神々を拝みかねない状況でした。神に従わないサウルは、破滅的な結末を迎えました。ダビデは、過去の過ちを教訓としました。エルサレムを首都とし、創造主なる神を礼拝する中心地にしようと考えました。御輿のような形の「契約の箱」を、人々は担いで都に運び入れました。ダビデが目指した新たな国づくりは、神の大きな祝福を受けました。ダビデ王は、イスラエルが平和と繁栄の祝福を受けるため、しっかりとした土台を築いたのです。

 イエス様は、ダビデの子孫としてこの世に来られました。天地創造の神が人となった真の現人神です。イエス・キリストを信じる人は、創造主なる神を中心として生きることができます。神の箱を担いだ人たちのように、天のエルサレムを目指すことができます。イエス様が始められた新たな御国づくりは、この世の終わりに全て完成します。その時、私たちは永遠の平和と繁栄の恵みを、心から喜ぶことができるのです。

「『私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。』すると全会衆は、そうしようと言った。このことが、すべての民の目には良いことに思えたからである。」(Ⅰ歴代誌13:3-4)

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