« 2018年3月 | トップページ | 2018年5月 »

2018年4月

2018年4月29日 (日)

愛をもって真実を語る

 ゴールデンウィークが始まりました。今年も、劇場版「名探偵コナン」の最新作が公開されています。昔は、家族揃って映画館に観に行きました。子供たちは毎週テレビ放送も見て、コミック版も買って読んでいました。子供同士で詳しい話が始まると、私はついて行けませんでした。でも何度も繰り返される決まり文句は、覚えることができました。その一つは、これです。「真実はいつも一つ。」主人公の江戸川コナンは小学1年生の探偵で、難事件を次々と解決します。大人の誰にも分からない真実をみごとに説き明かすのです。今年の映画では、東京サミットのため建設された施設が爆破されるそうです。その容疑者として、私立探偵・毛利小五郎が逮捕されます。コナンは隠された真実を明らかにし、毛利小五郎の無実を証明しようとします。真実を知りたい人はたくさんいるようで、公開から2週間で観客動員数247万人、興行収入32億円、映画観客動員ランキングは2週連続第1位だそうです。現実の世界にも、コナン君のような名探偵がいたら良いですね。霞ヶ関や永田町の真実を全て明らかにし、難事件を速やかに解決してほしいと思います。

 旧約聖書の預言者たちも、真実を明らかにました。多くの預言者たちは、指導者の罪を暴きました。モーセは、超大国エジプトの王・ファラオのパワハラをスクープしました。ユダヤ人奴隷を虐待し、手放そうとしなかったのです(録音はなかったと思います 笑)。モーセが神からの警告を伝えても、ファラオは無視しました。そのためエジプトの国は、数々の災害に見舞われました。預言者サムエルは、イスラエルで初めて王になったサウルの罪を暴きました。サウル王は神の命令を無視し、私腹を肥やしたのです。正しさよりも、自分とお友達の利益を優先しました。その時、預言者サムエルは、神からのメッセージを官邸の最高レベルに伝えました。「退陣の時が来た」というメッセージです。預言者ナタンは、ダビデ王の不倫殺人を明らかにしました。家臣の妻を奪い、その夫を殺したのです。ナタンは、ダビデに災いが来ると告げました。罪がどれほど厳しい結果をもたらすか、真実をナタンは語ったのです。その他にも、イスラエルには多くの預言者が現れ、神に告げられた真実を語りました。迫害を受け、死を覚悟せざるを得ない時でさえ、彼らは口を閉ざしませんでした。

 預言者たちはなぜ、そうまでして真実を語ったのでしょうか。名探偵コナンが真実を暴くのは、おそらく正義を愛するからでしょう。社会から悪を取り除くため、できる限りのことをしたいという思いが、人一倍強そうです。自分の愛する人たちが事件に巻き込まれたら、なんとか救い出したいという熱い思いも、コナンは持っています。聖霊に満たされた預言者たちも、正義を愛していました。彼らの国から不正が除かれ、神の正義が行われることを強く願いました。愛する人々が不正に巻き込まれたら、救い出したいとも願いました。預言者たちが真実を語ったのは、心から神を愛し、人を愛するがゆえだったのです。その愛がなければ、迫害を受けてまで真実を語りはしません。口を閉ざし、見て見ぬふりをするだけです。実際、聖霊に導かれない偽預言者たちは、指導者の思いを忖度するようなゴマすりの言葉ばかり語りました。

 イエス様は私たちを深く愛し、真実を伝えに来られました。そのために命を懸けられました。イエス様が伝えた真実は、これです。「どんな人も完璧ではない。知らずに罪を犯している。しかし神は私たちを愛し、その罪から離れる道を与えられた。わたしイエス・キリストが、その道である。」聖霊を通し、私たちはこの真実を知り、他の人にも愛をもって伝えることができます。見て見ぬふりをしない愛と、迫害も恐れず語る勇気を、聖霊は私たちに与えて下さいます。

「こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」(エペソ4:14-15)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月22日 (日)

天の助けを受ける

 昨年秋、私の良く知っていたある人が自殺しました。60代の男性です。最初に知らせを受けた時、私は「まさか」と思いました。自殺することなど、全く予期していなかったからです。その夏、私は本人に会いました。少し元気がなさそうでしたが、そこまで思い詰めているとは思いませんでした。何年か前、本人から悩みの相談を受けたこともあります。アドバイスもしました。しかし亡くなる直前は、残念ながら何の連絡もありませんでした。その人がどんなに深く悩んでいたのか、知ることができませんでした。葬儀の後しばらくして、奥様や他の知り合いの人々に話を伺いました。最期の2週間で、状態が急変したそうです。自殺をほのめかす発言もあったようです。ただ事態があまりにも急に進んだため、病院で診断を受ける間もなかったそうです。私が訪問した時、奥様は思ったより元気そうに見えました。ただ突然ご主人を亡くした現実を、まだ受け入れられない様子でした。ご遺族や近しかった人たちの傷ついた心を神様が癒して下さるよう、お祈りしています。

 自殺を防ぐには、どうしたら良いのでしょう。1つの方法は、自殺防止の相談窓口に電話することです。ネット上に、うつ病を患うある人の体験談が載っていました。勇気をもって電話すると、優しそうな女性が悩みを聞いてくれました。問題の解決には至りませんでした。でも、聞いてもらうだけで否定的な思いから解放され、心が少し軽くなったそうです。自殺を考える人は、視野が狭くなっている傾向があると聞きます。孤独や絶望を感じ、生きる意味がないと思うようです。心の中に激しい恨みや怒りを抱える人も多いそうです。例えば、こんな思いです。「なぜ自分がこんな目に遭うのか。」「なぜ自分は上手くやれないのか。」そんな思いを誰かに言うことができれば、危機を乗り越えられるそうです。最近は電話だけでなく、インターネットによる相談もあります。自殺を思いとどまった人が、「死なないで良かった」と後で思うケースも多いとのこと。日本で「いのちの電話」を始めた斎藤友紀雄牧師は、こう言っています。「自殺には、これをやればOKという決め手がない。医者は地道に治療し、宗教家は訪れた人と対話し、支えるしかない。社会全体で日常的に地道にやって、住みよい地域を作って行くしかない。」

 旧約の預言者エリヤも、人生の半ばで死を願いました。彼には、大きな挫折感がありました。自分が精一杯行った働きは大成功したのに、彼が期待したような変化は何も起きませんでした。イスラエルの国は、依然として偶像礼拝を推進する王と王妃が治めていました。うつ状態に陥ったエリヤの視野は、非常に狭くなっていました。孤独や絶望を感じ、生きる意味がないと考えました。「なぜ自分はこんな目に遭うのか。」「なぜ自分は上手くやれないのか。」そう思いました。荒野の木陰で休んだ時、彼の手にはガラケーもスマホもありませんでした。電話もネット相談もできません。そこで彼は、いつでもどこでも24時間対応する、天の相談窓口に連絡しました。エリヤは神に悩みを聞いてもらい、完璧なアドバイスをもらいました。そして彼は、人生後半の新たなミッションに向かうことができたのです。

 イエス様は父なる神を通し、私たちに聖霊を遣わされました。イエス・キリストを信じる人は、預言者エリヤと同じように、神の霊による助けが受けられます。天の相談窓口は、どんなトラブルでも24時間対応です。聖霊は私たちの悩みを聞き、的確なアドバイスを下さいます。緊急駆け付けサービスもあります。悩んでいる人のところに聖霊が誰かを遣わし、助けて下さるのです。疲れ果て、自分で相談できなくなった人を日常的に地道に支える仲間も、聖霊が与えて下さいます。聖霊は、私たちにとって最高の助け主であり、慰め主です。私たちは、「天の助けがあるよ」と、いつでも互いに励まし合うことができるのです。

「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(ヨハネ14:16)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月15日 (日)

創造主の霊をほめたたえる

 先月、英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が亡くなりました。76歳でした。相対性理論と量子力学を組み合わせた宇宙物理学の先駆者だそうです。宇宙はビッグバンで始まり、ブラックホールで終わると考えました。一般向けに書かれた本は、世界中でベストセラーになりました。テレビ番組にも本人がよく登場したそうです。21歳で神経系の病気になり、車椅子の生活を続けました。会話には、音声合成装置が必要だったそうです。博士は無神論者として有名で、生前こう言っていました。「宇宙の始まりを説明するのに神は必要ない。科学の法則で十分だ。自分が神という言葉を用いるなら、それは人格を持たない自然法則のことだ。」博士は、「天国もない」と明言したそうです。でも博士が亡くなると、彼の子供たちは大学の教会で葬儀を行いました。理由はこうです。「信仰を持つ人にも持たない人にも、私たちの父の生涯と研究は多くの意味があった。そのため参列者を制限せず、伝統に従った。」博士の遺灰はウェストミンスター寺院にある、ニュートンやダーウィンの墓のそばに埋葬されるそうです。同寺院では、今年中に博士を追悼する礼拝を行うとのこと。悲しみに暮れるご遺族やその他多くの人々が、神様の慰めを得られるようにお祈りします。

 ビッグバンとは、大きな爆発のことです。宇宙の始まりを説明する一つの仮説です。1920年代に、ジョルジュ・ルメートルというベルギーの科学者が発表したそうです。彼は、カトリックの神父でした。多くの科学者は当時、宇宙には始まりがないと考えていました。遠い昔から宇宙は変わっていないという考え方です。そのため大勢の人が、ルメートル博士の仮説を激しく批判しました。神父が言い始めたため、「科学に宗教を持ち込むべきでない」と主張する人々もいました。アインシュタインも、最初はそう考えたようです。しかしその後、アインシュタインは考えを変え、ルメートルの仮説を支持しました。他の科学者たちも同調しました。今は多くの人が、大爆発から宇宙が始まったと考えています。宗教的な理由でなく、科学的な理由からです。ホーキング博士のような無神論者も、おそらく多いのでしょう。「宇宙は神と関係なく、自然法則だけで始まった」と考える人々です。ただ、科学には限界があります。自然法則の背後に創造主なる神がいなかったと、科学的に断言できません。どんなに天才的な物理学者でも、目の届かない世界があります。科学の手が及ばない世界です。その世界について何か断言するなら、それは科学ではなく信仰の宣言になります。

 信仰の書である聖書は、こう語っています。「目に見える世界は、目に見えない神が造られた。」神は霊です。つまり私たちの世界は、目に見えない霊によって造られたのです。(もちろんこれは科学ではなく、信仰の宣言です。)創造主の霊ははっきりとした意思と計画を持って、全宇宙を造られました。巨大な宇宙全体を造り、ほんの小さな花粉やウィルスも造られました。(私たちの理解をはるかに越えています。)全てに詳細な設計図が用意されました。自然界に働くあらゆる力についても、創造主の霊は全て法則を定められました。大爆発によりこの精密機械のような宇宙が出来たとしたら、それは信じられないような奇跡です。私たちは毎日毎日、創造主の霊の奇跡を目の当たりにしているのです。

 イエス様は、創造主の霊の真実を人類に伝えに来られました。世界中の人が、その奇跡的な真実を見失っていました。創造主なる神を忘れ、宇宙の始まりを解説するありとあらゆるフェイクニュースを信じるようになりました。自然法則を神とする人も出て来ました。しかしイエス様は、目に見える世界を動かす目に見えない霊の力を示されたのです。イエス・キリストを信じる人は、創造主の霊の奇跡に気づくことができます。神の霊の偉大さに驚き、ほめたたえることができるのです。

「あなたが御霊を送られると彼らは創造されます。あなたは地の面を新しくされます。主の栄光がとこしえにありますように。主がご自分のみわざを喜ばれますように。」(詩篇104:30-31)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 8日 (日)

天来の力を待ち望む

 先週からお役所や多くの企業で、新年度が始まりました。新しい職場に配属された新人たちは、抱負を語ったようです。最近注目の財務省では、入省者の代表がこう宣誓したそうです。「私は国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し…(中略)…公正に職務の遂行にあたることを固く誓います。」国家公務員は一部の人ではなく、国民全体に仕える姿勢が大切ですね。公文書改ざんについては、「二度と起こさないように頑張りたい」と言う人もいました。新しい力に期待したいと思います。一方、昨年夏に大雨で被害を受けた福岡県朝倉市では、新入職員の一人がこう言ったそうです。「微力ながら復興の力になりたいし、力になれることは何でもやりたい。」困難に見舞われた人々のため、力を十分に発揮してほしいですね。

 力は、何かの状態を変える働きをします。力自体は、目に見えません。力こぶを見せたとしても、目に見えるのは筋肉の状態の変化です。逞しい腕で重い荷物を運んでも、目に見えるのは力自体ではなく、人と荷物の移動です。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、そこに働く力を考えたと言われます。(実際は、本当の話かどうか分からないそうですが・・・)木から落ちる時、リンゴは木の枝にある状態から地面の上の状態へと変化します。その変化を見ると、リンゴを引っ張る目に見えない力があるはずだと考えられますね。同じように、もし財務省で前代未聞の大きな変化が起きたら、何か特別な力が働いたはずだと考えることができます。元の状態に戻すには、そのように願う人々が力を合わせなければなりません。大雨には破壊的な力があります。でも、もし破壊された地域が驚異的な速さで復興したら、そこに特別な力が働いたと分かります。多くの人々が注いだ力を感じ取ることができるはずです。

 イエス様が捕えられた後、弟子たちは身を隠しました。彼らは、絶望していました。イエス様こそが長い間待ち望んだイスラエルの王だと、彼らは信じていました。エルサレムの人々はほんの数日前、イエス様を王のように迎え入れました。ところが同じ人々が、手のひらを返したような態度をとりました。イエス様はあっけなく逮捕され、即座に有罪判決が下り、即日死刑が執行されました。弟子たちは、新しい王の側近を夢見ていました。ところが一晩で、彼らは反社会勢力の一味になったのです。親ガメがコケて、みなコケそうになりました。弟子たちは刑事訴追を恐れ、エルサレム市内に潜伏しました。お先真っ暗な状態でした。ところがその50日後、弟子たちの状態は大きく変化します。彼らは何も恐れずに、公衆の面前で自分たちの見聞きしたことを証言したのです。この変化には、2つの大きな力が働いていました。1つは、イエス・キリストをよみがえらせた力――新たないのちを授ける神の力です。その力は、弟子たちの絶望を希望に変えました。もう1つの力は、天から注がれた聖霊です。聖霊の力は、弟子たちの生き方を大きく変えました。死を恐れることなく、キリスト復活の真実を世界中に発信するようになったのです。

 復活後の40日間、イエス様は弟子たちとともに過ごされました。そして天に昇られる前、弟子たちに対し、首都エルサレムにしばらく留まるよう命じられました。弟子たちの多くは、地方出身者でした。彼らにとって大都市エルサレムは、イエス様を十字架につけた「呪いの地」でした。嫌なことを忘れるため、早くそこを立ち去りたい人もいたかもしれません。しかし神の計画は、その呪いの地を祝福の泉に変えることでした。弟子たちに恵みの水を飲ませ、その素晴らしい体験を世界中に伝えさせる計画だったのです。イエス・キリストを信じる人は、彼らと同じ体験が期待できます。呪いを祝福に変える天来の力を待ち望み、神の奇跡の証人となれるのです。

「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 1日 (日)

復活の主イエスを礼拝する

 NHKの朝ドラ「わろてんか」は、昨日が最終回でした。先週火曜日の放送では、気になるセリフがありました。農家のお年寄りを演じる西川きよしさんが、こう言ったのです。「笑いの神様に拝んでみようかな。」戦争に行った孫が元気に帰って来るよう、「笑いの神」にお願いするというのです。それは感動的なシーンとして描かれていました。孫が心配で笑わなくなったお祖父ちゃんが、笑いを取り戻す話です。でも私はひねくれているので、こう思いました。「どうして、笑いの神にそんな力があると信じるのか?」私は、拝むのが専門です。誰に何をお願いするのか、いつも気をつけています。国の土地を買いたい人は、先ず役所にお願いに行きます。上手くいかなかったら、政治家や総理夫人に力添えをお願いする人もいるようです。その方面に力があると信じているからです。牧師のところには、まず来ません。お祈りをお願いしに来る人だけです。(笑)

 日本では、神々を拝む伝統的な行事があります。お正月は、初詣です。関東の人気スポットは明治神宮、浅草寺、川崎大師などです。明治神宮は、明治天皇ご夫妻を神々として祀っています。神道で天皇は神々の子孫なので、拝む人もいます。浅草の浅草寺は、観音菩薩を祀っています。英語では「Goddess of Mercy(慈悲の女神)」と言うそうです。仏教で観音菩薩は阿弥陀仏の助手とされ、人々を救う働きをすると信じられています。川崎大師では弘法大師・空海を祀っています。(現在、映画公開中ですね。)空海はたいへん尊敬されたお坊さんで、日本各地で奇跡を行った伝説があるそうです。所沢にも空海が開いた井戸の話があります。そうした伝説に基づき、空海を神のように拝む人がいたのでしょう。大阪に行くと、笑いの神を祀った神社もあるそうです。神社やお寺で拝まれる霊的な存在は、さまざまです。「どの神や仏にもそれなりに力があり、誰にお願いしても同じだ」と思う人は、おそらく多いのでしょう。初詣以外でも、多くの人は何かを拝んでいます。春、夏、秋にはお墓参りがあります。毎日毎日、仏壇や神棚に手を合わせる人もいます。先祖の霊や神々を拝めば、何かの助けがあると信じる人も多そうです。

 聖書は、こう教えています。「全てにおいて一番力のある神だけをひたすら拝みなさい。目移りしてはならない。」全てに一番力のある神は、全知全能の創造主なる神です。その真実を私たちに伝えるため、神はアブラハムとその子孫を選ばれました。ユダヤ人です。エジプトで奴隷となった彼らを、神は奇跡的に解放されました。当時の超大国エジプトの人々はさまざまな神々を拝み、その力を信じていました。エジプト王=ファラオも、人々は神として拝みました。しかし創造主なる神は、ファラオの意思に反することを行われました。全く無力だったユダヤ人の奴隷たちが、絶大な権力を誇るファラオの支配から解放されたのです。それは、創造主なる神がエジプトの神々にはるかに勝ることを象徴する出来事でした。ちょうど今、世界中のユダヤ人の家で、その記念行事が行われています。年に一度の「過越の祭り」です。それは、創造主なる神だけを拝む大切さを思い起こす時なのです。

 イエス様はこの祭りの時期に十字架につき、復活されました。ユダヤ人だけでなく、全ての人が創造主なる神だけを拝むようになるためです。世界中には、さまざまな神々を拝む人がいます。その人は、知らず知らずに自分が拝む神々に支配されています。神々の奴隷となる過ちを犯しています。創造主なる神は人となり、奴隷だった私たちを救いに来られました。イエス様です。十字架は、全ての過ちからの救いを象徴しています。復活は、過ちの結末である死からの救いを象徴します。今日は、イエス様の復活の記念日です。復活のイエス様と会った弟子たちは、創造主なる神を礼拝しました。私たちもこの日、創造主だけを拝む決意を新たにしましょう。

「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。そしてイエスに会って礼拝した。…」(マタイ28:16-17)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年3月 | トップページ | 2018年5月 »