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2018年7月

2018年7月15日 (日)

本物のキリストを信じて生きる

 先日、オウム真理教の教祖や元幹部に死刑が執行されました。地下鉄サリン事件から、23年です。ずいぶん時間が経ちました。事件当時、私は3年間の米国留学を終え、そろそろ帰国する頃でした。阪神淡路大震災の直後でもあり、日本は大変な時を迎えていると感じました。悪いニュースばかりでなく、良いニュースを伝える必要があるとも思いました。「尊師」が語る偽物の真理ではなく、聖書が語る本物の真理、イエス・キリストの福音です。

 オウム真理教は、最初はヨガ教室だったそうです。ヨガは、もともと仏教やヒンズー教等の修行方法でした。輪廻(生まれ変わりのサイクル)からの自由を目指す修行です。麻原教祖はその自由を手にし、超能力を身に付けたと主張しました。自分はヒンズー教の最高神の一人、シヴァの生まれ変わりだと言いました。その後、自分のことをキリストだとも言ったようです。自らを神格化した教祖は、さまざまな宗教をごちゃ混ぜにした教えを「真理」だと語りました。1989年には、信者が約1万人いたそうです。90年の衆議院選には、25人が立候補しました。全員落選しましたが、派手な選挙活動がテレビで放映され、宣伝になりました。教祖は盛んにテレビやラジオの番組に出演し、雑誌のインタビューを受けました。講演会を開き、出版物もたくさん発行しました。でも人目につかない場所では、邪悪な種が芽を出しつつありました。教祖に従わない信者は殺されました。批判活動をした弁護士も家族ごと殺されました。選挙で負けた後、教祖は無差別テロを計画し始めました。次々と人を殺し、ついに地下鉄サリン事件が起こりました。教祖は偽のキリストで、彼が教えた「真理」も偽物でした。教えに従った弟子たちは、多くの人のいのちを計画的に奪ったのです。

 驚くべきことにオウム真理教は、名前を変えて今も活動を続けているようです。Alephという名前です。Aleph(アレフ)とは、ヘブライ語アルファベットの最初の文字で、英語のAにあたります。「一から出直して再出発するため、この名称とした」という説明があったようです。なぜヘブライ語を選んだのかは、よく分かりません。数学でアレフ(ℵ)は、無限集合を表わす記号とのこと。数えきれないものの集まりです。ひょっとしたら、数えきれないほど多くの信者を集めたいという意味で、この名前を選んだのかもしれません。

 ヘブライ語のアレフは、数字の1も表わします。唯一の神を表わすと言われます。その文字は上のカンマのような曲線、斜めの直線、下の逆カンマのような曲線という3つの部分から成り立っています。唯一の神を表わす文字に3つの部分があるというのは、面白いですね。まるで父、子、聖霊の三位一体の神を表わしているようです。上のカンマは天の領域、下の逆カンマは地上の領域、斜めの線はその2つをつないでいるとも言われるようです。もしそうなら上のカンマは父なる神、下の逆カンマは子なる神イエス、斜め線は聖霊なる神ともイメージできますね。そう考えるとアレフの文字は、それ自体が重要な真理を表わすかのようです。「父なる神から聖霊を注がれたイエスこそが、キリストだ」という真理です。Alephの信者の人たちも、この真理を知ってほしいですね。

 本物と偽物を見分けるため、私たちには聖書が与えられています。聖書のみことばは、天国のハズキルーペのようです。このルーペをかけると、世界は変わる。本物と偽物の違いが、大きく見えちゃうんです。聖書のみことばを通し、私たちは本物のキリストと出会います。偽物でなく、本物を信じることができます。新しいいのちを受け取ります。その良いニュースを他の人に伝えることもできるのです。

「イエスはこれを聞いて驚き、振り向いて、ついて来ていた群衆に言われた。『あなたがたに言いますが、わたしはイスラエルのうちでも、これほどの信仰を見たことがありません。』」(ルカ7:9)

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2018年7月 8日 (日)

天国のヒーローづくりに参加する

 サッカーワールドカップは、ベスト4が出そろいました。日本はベスト16でしたが、その戦いぶりは多くの人の心に残りました。「真のサムライの戦いを見せてくれた」というコメントもありました。サポーターが観客席をきれいに掃除して帰る姿も話題になりました。ベルギー戦に負けた後の日本代表の礼儀正しさも、多くの人に感銘を与えました。彼らはサポーターに感謝し、メディアの取材を受け、ベンチや控室をきれいに片づけて帰りました。ロッカールームには、ロシア語で「スパスィーバ(ありがとう)」と書いたメッセージを残しました。青い折り鶴も3羽置いて行きました。FIFAのスタッフの人は、こう言ったそうです。「彼らは全てのチームのお手本だ。日本代表を迎えられて光栄だった。」

 東京大学とベネッセは3年前、子供が将来なりたい職業についてアンケート調査を行いました。小学校4年から6年の男の子が将来なりたい職業の第1位は、サッカー選手です。2位は野球選手。女子は少し現実的で1位はケーキ屋・パティシエ、2位は保育士・幼稚園の先生。中学生になると男子も少し現実に近づくようで、1位は学校の先生。でも2位はサッカー選手です。野球選手も7位に入っています。中学生女子は1位が保育士・幼稚園の先生、2位が看護師。多くの男の子にとって、サッカーや野球等のスポーツ選手はヒーローのようですね。いつか自分もそのようになりたいと憧れる存在なのでしょう。子供たちにとっても、お手本と言えます。

 ヒーロー(ヒロイン)とは、何か偉大なことをして人々に尊敬される人のことです。聖書の中には、たくさんのヒーローやヒロインが出て来ます。アブラハムは創造主なる神の約束を信じ、ヒーローになりました。神の導きに従って自分の故郷を去り、約束の地に向かいました。年をとっても、子供が与えられると信じ続けました。たった一人の子が死にそうでも、子孫が星の数のようになることを信じ続けました。その信仰は、全ての人のお手本になりました。神はアブラハムへの約束を守り、彼を信仰のヒーローにして下さいました。

 アブラハムのひ孫のヨセフも、ヒーローになりました。彼は、数々の試練の壁を跳び越えました。兄たちに裏切られ、ヨセフはエジプトで奴隷になりました。住んでいた家の奥さんに裏切られ、彼は牢に入れられました。囚人仲間にも裏切られ、2年間、監獄から出られませんでした。でも神は、奇跡的な方法でヨセフを監獄から解放されました。囚人だったのに突然、エジプトの指導者になりました。自然災害に苦しむ多くの人に彼は食料を配給しました。兄たちと和解し、食料のあるエジプトに家族を呼び寄せました。神の奇跡により、ヨセフはいくつもの壁を跳び越え、不屈のヒーローになったのです。

 神は、この他にも数多くのヒーローやヒロインをつくって来られました。聖書には、そのような人々の生き様が記されています。私たちのお手本です。彼らは神とともに生き、偉大な人生を歩みました。でも神は、ごく一部の人をヒーロー・ヒロインにしたいのではありません。全ての人を神の国のヒーロー・ヒロインにしたいと願われています。イエス・キリストを信じる人は、神とともに生きることができます。神に導かれる偉大な人生を歩むことができるのです。

 全てを捨ててついて来た弟子たちに、イエス様はこう言われました。「たとえ貧しくても、君たちは祝福されている。君たちは神の国のヒーローだ。」同じことばは今、イエス様を信じる全ての人に与えられています。私たちは天国のワールドカップに出場しています。ヒーローづくりの大会です。誰かにアシストされ、私たちはヒーローになります。同時に私たちは誰かをアシストし、ヒーローをつくるお手伝いをします。試合後、私たちは皆、天の大観衆の前に呼ばれます。私たち一人ひとりにイエス様が、ヒーローインタビューをして下さるのです。

「イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。『貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。』」(ルカ6:20)

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2018年7月 1日 (日)

常識の壁を跳び越える

 先日は大阪で地震がありましたが、2年前は熊本で大きな地震がありました。私は、熊本市内に友人がいます。地震の後、私はボランティアを兼ね、彼に会って来ました。友人は一時、家族とともに避難所生活をしました。でも私が訪ねた頃は、もう自宅に戻っていました。お見舞いに行ったのですが、逆にたくさんご馳走してもらいました。繁華街にある老舗レストランにも行きました。美味しい料理を堪能した後、シェフがご挨拶に来られました。友人は、私を牧師だと紹介しました。するとシェフは不思議そうな顔をして、こう言ったのです。「日本人なのに?」その質問は、あまりに意外でした。とっさに何と答えたら良いか、分かりませんでした。そこで私は、いつもの日本人的な応答をしました。何も言わず、笑顔でうなずいたのです。

 シェフの質問は、私の心に残りました。ホテルに帰った後、何と答えるべきだったか考えました。例えば、こうです。「少ないけど、日本人のクリスチャンもいるんですよ。もちろん、牧師も神父もいます。信教の自由が憲法で保障されています。自由のない時代にも、天草にキリシタンがいたじゃないですか。(世界遺産にもなりました!)プロテスタントにも、明治の初めに熊本バンドと呼ばれる人たちがいました。日本で最も早く信者になったグループの一つです。聖書の神様は、世界の一部の人の神ではありません。全てを造られた神ですから、あらゆる国の人の神様です。日本人にもそれを知ってほしいと、神様は願われているんですよ。」もしシェフに再会する機会があったら、そう伝えたいと思います。

 99%の人がクリスチャンでなかったら、クリスチャンでないことがその国の「常識」になります。常識とは、その国や社会で人々が共有する知識です。たいていは暮らしに役立ちます。でも下手をすると、常識が私たちの考え方を縛るかもしれません。常識の壁の中だけで暮らし、外の世界を考えなくなる恐れもあります。それはあたかも、高い塀に囲まれた刑務所で一生過ごす人生のようです。シャバがどんな世界なのか、よく分かりません。関心すらなくなります。塀の中が人生の全てになるからです。そこでは毎日、規則正しい生活をします。1日3度、食事ができます。栄養バランスが良く、健康を保てます。仕事もあります。家具や食器などを丹精込めて作り、お客さんに喜んでもらえます。勉強して資格を取ることもできます。運動会やスポーツ大会もあります。牧師やお坊さんの話も聞けます。(私も以前、函館の刑務所に話しに行っていました。)何よりも、安心して寝る場所があります。シャバよりも刑務所の方が良いと思う人たちも、実際にいます。でも、刑務所に決してないものが一つあります。自由です。好きな時に食べたい物を食べる自由、行きたい所に行く自由、話したい人と話す自由がありません。自由は、シャバにいる私たちの特権なのです。

 イエス様は、私たちを常識の牢獄から解放して下さいました。天のシャバに私たちを連れ出して下さいました。天のシャバには自由があります。いつでもどこでも、好きな時に王であるイエス様とお話できます。どんな小さなことでも、王様に相談できます。私たちは、伝統や文化の牢獄から解放されています。国籍や性別、年齢の牢獄から解放されています。財産や地位の牢獄からも解放されています。常識の刑務所を後にし、天のシャバで自由に生きることができます。イエス様が、私たちの身元引受人です。出所した私たちには、お祝いの新しいぶどう酒が溢れるほどに注がれています。聖霊のぶどう酒です。イエス・キリストを信じる人は、新しいぶどう酒を入れる新しい皮袋のようです。古い皮袋は皮が伸びきって、塀の外の世界をもう想像できなくなっています。でも新しい皮袋には、まだ伸びしろがあります。聖霊の力により、どんな常識の壁をも跳び越えることができるのです。

「まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければなりません。」(ルカ5:37-38)

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