« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年9月

2018年9月30日 (日)

神と一緒に喜び祝う

 先週、私は末娘夫婦の結婚披露宴に出席しました。結婚式は今年2月に私たちの教会で行われましたが、披露宴会場は池袋のレストランでした。テーブル10卓に、食器や花が美しく飾り付けられていました。時間が来ると、新郎はシルバーのタキシード、新婦は純白のウェディングドレスで入場。乾杯の後、洋風のコース料理が振る舞われました。新郎新婦が参加したサックス四重奏の演奏もありました。お決まりのケーキカットや両親へのプレゼントもありました。集まったのは新郎新婦の親族、友人、職場や吹奏楽団の人たちなど、80名ほど。出席した皆さんに、二人の結婚を喜びお祝いしていただきました。お祈りいただいた方々にも感謝します。

 日本では、遠い昔から結婚披露宴が開かれていたそうです。平安の貴族の時代は、男性が女性の家に3日通うと、結婚が決まったとのこと。女性の親は、婿になる男性を親族に披露する宴会を開きました。武士の時代が始まると、逆に女性が男性の家に入るという考え方が強くなりました。結婚は、家と家との結び付きと考えられました。婿の家が両家の親族を招き、結婚披露宴を行いました。お見合いや婚約、披露宴の儀式などに、細かいルールができました。戦後は、新しくできた憲法に基づき、結婚の考え方が変わりました。結婚は家と家ではなく、個人と個人の結び付きになったのです。結婚式や披露宴の会場も、家よりホテルやウェディングチャペル、レストラン等が多くなりました。

 結婚式自体の形も変わりました。ある調査によると、1960年代の日本の結婚式は84.4%が神前式、つまり神社で行われたそうです。その頃、キリスト教式の結婚式は2.2%。ところがその後、キリスト教式が大躍進します。1970年代には6.8%。1980年代は14.5%。1990年代は38.3%。2000年代には、なんとキリスト教式が64.2%になりました。最近は減少傾向のようですが、それでもキリスト教式結婚式は55%を占めています。クリスチャンが1%以下の国で、結婚式だけはキリスト教式で喜びをお祝いする人が過半数です。ちょっと不思議な感じがしますね。

 聖書の教える結婚は、家と家の結び付きではありません。一人の男性と一人の女性が、神の前で結ぶ契約です。全てを造られた神は、私たち一人ひとりに命を与えて下さいました。私たちがこの世に誕生するずっと前から、一人ひとりを豊かに祝福する計画が立てられています。神は人に出会いを与え、結婚へと導いて下さいます。ご計画に従い、新しい命も授けて下さいます。結婚した2人が、神の教えに基づいて家庭を築いて行く時、神はその家庭を喜び、お祝いして下さいます。祝福で満たして下さいます。神の家族に属する他の人たちもその祝福を見て喜び、一緒にお祝いすることができます。

 神の国は、結婚式や結婚披露宴に例えられます。定められた時刻ぴったりに、結婚式と披露宴が始まります。地上のどんな会場よりも、はるかに美しく飾り付けられています。世界中から、数えきれないほどの人が集まっています。新郎はイエス・キリスト。新婦は教会、つまり新郎にプロポーズされ、呼び出された人たちです。新婦は、純白のウェディングドレスを着ています。新郎が十字架を背負い、命懸けで真っ白にきよめてくれたドレスです。披露宴では、この世にないような絶品料理を堪能できます。天使たちは、天上の麗しい音楽を奏でてくれます。全ての人が、キリストからプロポーズされています。神の国の結婚式と披露宴に招待されています。ただ、定められた期限内に承諾の返事をしなければ、結婚式会場に入れません。プロポーズに応じる人は誰でも、神と暮らす永遠の祝福をともに喜び、お祝いすることができます。

 イエス様は、放蕩息子の帰宅を喜び祝う父の例え話をされました。でも私たちが実際に参加する祝宴は、たった一人の家出息子の帰還祝賀会にはるかに勝る、全世界的規模の盛大なパーテイーとなるのです!

「…子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」(ルカ15:31-32)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月23日 (日)

弟子としてキリストの栄光を伝える

 先日、「泣き虫しょったんの奇跡」という映画が公開されました。将棋棋士・瀬川晶司さんの半生を描いた映画です。瀬川さんは1970年、横浜生まれ。小学5年の時、クラスの友達と初めて将棋を指し、将棋にハマりました。中学3年になると全国大会で優勝し、プロ棋士を目指します。プロになるには、いくつか条件があります。第一に、プロ棋士の先輩に弟子入りすること。第二に、「奨励会」という養成機関の入試に合格すること。第三に、奨励会員同士の対局で勝利を重ね、26歳までに4段になること。奨励会への入会はたいへん難しく、瀬川さんの頃は合格率20%の狭き門だったそうです。入会しても実際にプロになるのは、さらにその20%です。瀬川さんは21歳で3段になりましたが、26歳までに4段まで届きませんでした。人生に絶望し、自殺も考えたそうです。でも思いとどまり、アルバイトをしつつ大学に通いました。卒業後は就職し、システムエンジニアになりました。アマチュアとして将棋を再開し、大会にも出るようになりました。すると大活躍し、プロ相手にも勝利を重ねました。そして特別に編入試験のチャンスが与えられ、とうとうプロになれたのです。35歳の時です。自殺しなくて良かったですね。

 中学生の時、瀬川さんが弟子入りした師匠は、安恵照剛さんというプロ棋士です。安恵さんは、3段に昇段してから4段になるまで8年半かかったそうです。プロになれたのは、30歳の時。当時の年齢制限は26歳ではなく、31歳でした。安恵さんも、たいへん苦労してプロになったようです。35歳のサラリーマンだった瀬川さんは、プロになる時、再び安恵さんに弟子入りしました。長い苦しみの末にプロになった師匠と弟子の組み合わせです。将棋の世界では、師匠は弟子の後見人的な役割を果たすようです。師匠の推薦により、弟子はプロ棋士の世界に仲間入りします。瀬川さんがプロになれたのは、師匠の安恵さんにとっても、たいへん喜ばしいことだったのではないかと想像します。瀬川さんの感動的な半生が映画化され、安恵さんも株が一段と上がったかもしれません。

 旧約の時代にも、師弟関係がありました。イサクにとり、父アブラハムは師匠でした。アブラハムは、神の語りかけをよく聴きました。神の導きに従う忠実さと勇気を持っていました。神の約束を信じる信仰もありました。イサクは父の生き方から学び、その教えを家族に伝えました。ヨシュアは荒野の40年間、モーセから指導者のあるべき姿を学びました。モーセは、神と親しく話をしました。神のみことばを受け取り、人々に正しく教えました。恐るべき奇跡を行い、神の偉大さを人々に伝えました。そしてモーセは決して威張らず、謙遜であり続けました。モーセの弟子として、ヨシュアも素晴らしい指導者となりました。預言者エリシャは、師匠のエリヤから預言者としての生き方を学びました。エリヤは神の導きに従い、何でもしました。朝夕に飛んでくるカラスや、自殺寸前の貧しいやもめに食べさせてもらいました。みことばを大胆に語り、国中から偽預言者を除きました。国王夫妻を敵に回し、指名手配にもなりました。弟子のエリシャは、師匠エリヤの力強い働きを引き継いだのです。

 イエス様も弟子をとり、熱心に指導されました。3年半彼らと一緒に暮らし、深い愛を表わされました。社会的な弱者に対し、特に大きな憐れみを示されました。聖霊の力により、驚くべき奇跡を行われました。迫害を恐れず、みことばを力強く語られました。そして全ての人の身代わりになり、十字架で命を捨てられました。イエス・キリストの弟子には、偉大なお手本が与えられています。聖霊の助けにより、そのお手本にならうことができます。私たちの生き方を通し、師であるキリストの栄光を全世界に伝えることができるのです。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:27)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月16日 (日)

狭き門を通り抜ける

 先日、「舟の右側」という雑誌から原稿依頼がありました。「心の深みに届いたことば」というコーナーに掲載される文章です。何を書くべきか祈った末、大学4年の時に神に語られた経験を書くことにしました。将来に絶望していた私が、突然、神の語りかけを感じた瞬間の証しです。その時の私は、「もう何もできない」と超ネガティブになっていました。でも神は、「何かできるはずだ」と私を励まして下さったのです。(大坂なおみ選手のイケメンコーチのようです!)その内なる声は、私に大きな転機を与えてくれました。原稿を書いているうち、あることにふと気付きました。迷子のようだった私の大学生活は、その時のためだったということです。私は長い間、東大の4年間は何だったのかと考えて来ました。そこで勉強したことは、牧師の働きに直接関係なかったからです。努力とお金が無駄だったようにも思いました。でも40年近く経った今、もう一度その頃を振り返ると、新たな発見がありました。神は、私に語りかける時と場所を用意しておられたのです。神の国に至る「狭き門」は、人により見つけ方が全く違います。私の場合は、東大の「狭き門」が、神の国への入り口につながっていたようです。

 大学卒業後、私は松下政経塾に入りました。政治家や経営者を育てる研修施設です。私は、なぜか神がそこに私を導かれているように感じました。今は知りませんが、当時は倍率20倍ほどの「狭き門」でした。政経塾にいた時、私は洗礼を受け、クリスチャンになりました。牧師になる決心もしました。日本を良くするには、まことの神の国の教えが不可欠だと確信したのです。ただ政経塾の数年間は何のためだったか、私にはよく分かりませんでした。そこでの経験が、牧師の働きに役立ったように思えなかったのです。与えられた多くのものが、ほぼ無駄になったように感じました。しかし先日書いた原稿により、政経塾の年月を振り返ることもできました。神はその年月を用い、洗礼を受け、牧師になる決心へと私を導かれたのです。神の国の働きは、牧師以外にもたくさんあります。神が、一人ひとりに最もふさわしい働きを用意しておられます。私の場合は、政経塾の「狭き門」を通し、私のために用意された神の国の働きに導いていただいたようです。

 聖書の時代、町には門がありました。一つ一つの町は、独立した小さな国のようでした。全体が城壁でおおわれた砦、要塞のようでもありました。城壁は、外から来る敵を防ぎました。町の中を平和に保つためです。エルサレムの平和を守るため、ネヘミヤは壊れた城壁を急いで再建させました。人々が町に出入りするためには、門(城門)がありました。門は、敵の攻撃に耐えられるよう、頑丈に作られました。出入りする人を見張る門番も置かれました。今風に言えば、出入国の管理をする役人か警官のようです。怪しい人がいないか、しっかり見張る人たちです。先月、私は1か月で5つの空港に行きました。羽田、成田、関空、新千歳、函館です。台風や地震の前です。誰か偉い人が来たのか、成田は他の空港より、かなりたくさん警官がいるように感じました。私は人を迎えに行っただけでしたが、警官から怪しい人に見られているような気持ちになりました。空港は、「玄関口」と呼ばれる門の一つです。他の門と同じく、人の出入りをチェックする重要な役割を担っています。「狭き門」とは、厳しいチェックが行われる出入国審査ゲートのような場所だと言えます。

 イエス様は、「わたしは門です」と言われました。「だれでも、わたしを通って入るなら救われます」とも宣言されました。イエス・キリストを信じる人は、滅びゆく世界から救われます。永遠の平和の町、天のエルサレムに入れます。その町に入る唯一の門は、イエス様です。どんな知識も能力も小細工も、その「狭き門」の通過に役立ちません。出入りが許される唯一の条件は、イエスを救い主と信じる信仰なのです。

「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。」(ルカ13:24)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月 9日 (日)

天国人として人生をやり直す

 NHKの朝ドラ「半分、青い。」は、終了まで3週間になりました。視聴率が高いようです。ヒロインの楡野鈴愛は1971年、岐阜県生まれという設定。18歳の女優・永野芽郁さんが、みごとに演じています。鈴愛の人生は、困難の連続です。「…小学生の頃、病気で左耳が聴こえなくなる。漫画家を目指し上京するが、途中で挫折。好きだった幼馴染みの男性も、別な人と結婚。鈴愛は100円ショップで出会った人と結婚し、子供もできるが、いきなり離婚される。地元に帰ってお店を始めるが、別な人にお店を譲らなければならなくなる。再び上京し、会社勤めを始めるが、会社は倒産。自分でビジネスを始めるが、なかなか上手くいかない。…」そんなに困難続きだと、心が滅入ってしまいそうです。でも鈴愛は、へこたれません。何度も人生をリセットし、やり直そうとします。そのバイタリティー溢れる姿を見ると、私も励まされる思いがします。

 脚本は、岐阜県出身の北川悦吏子さん。子どもの頃から腎臓が悪く、16歳の時、子供は産めないと医師から宣告されたそうです。ところが結婚後に妊娠し、女の子を出産。すると今度は、大腸の病に倒れました。10万人に1人の難病。10年以上闘病生活をし、大腸を全て取り除く手術をしました。ところがその後、突然、左耳が聴こえなくなりました。「どうして私ばかりこんな目にあうんだろう」と思ったそうです。その時、北川さんは、以前に自分が書いたセリフを思い出しました。「オレンジデイズ」という、テレビドラマのセリフです。耳が聴こえないヒロインが、自分の境遇を嘆き、「どうして私ばっかり…」と言います。それを聞いたボーイフレンドは、こう言いました。「一生、そうやって、なんで私ばっかりって言いながら生きていくのかい?」北川悦吏子さんは、そのセリフを思い出して励まされたそうです。数々の困難を乗り越え、北川さんは脚本を書き続けています。困難に負けず、人生をリセットする朝ドラのヒロインには、北川さん自身の姿が映し出されているのかもしれません。

 人生をリセットし、やり直す人は、聖書に何人も出て来ます。ベツレヘムに住むナオミという女性も、その一人でした。彼女は、夫と息子2人の4人で幸せに暮らしていました。ある時ひどい飢饉が起き、イスラエルの国に食料がなくなりました。ナオミたちは、生活に困りました。隣のモアブという国には食料があると聞き、引っ越して人生をやり直そうとしました。でもモアブには、別の試練が待ち構えていました。ナオミの夫エリメレクが、亡くなったのです。息子たちもモアブの女性と結婚後、相次いで亡くなりました。ナオミは、「どうして私ばっかり…」と思ったかもしれません。彼女は一人でベツレヘムに帰り、人生をやり直そうとします。嫁の一人・ルツは、一緒について来てくれました。やもめ2人の極貧生活の始まりです。ナオミは、やり直しの人生に希望を失いそうでした。でも神は、ルツに再婚相手を用意し、ナオミは孫を抱く幸せを手にしました。オベデという名の男の子です。オベデは後に、ダビデの祖父になります。神は、やり直す人を憐れまれるお方です。人生をやり直したナオミを、イスラエル国王の「ひいひいおばあちゃん」にして下さったのです。

 イエス様は、オベデやダビデの子孫としてこの世に来られました。やり直しの人生を祝福するためです。イエス・キリストを信じる人は、誰でも、いつでもやり直すことができます。それまでの人生をリセットし、「天国人」として新しい人生を歩むことができます。朝ドラのヒロインのように、他の人を励ますようにもなれるのです。

「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ12:31-32)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月 2日 (日)

神の国のオーラを放つ

 縄文時代がブームだそうです。上野の国立博物館の「縄文」展には、多くの人が訪れたようです。7月初めから開催され、今日が最終日でした。縄文とは、今から1万3千年前頃から1万年も続いた長い時代の呼び名です。その時代、人々は竪穴式住居に住み、狩猟採集を中心とした生活をしました。縄目の文様がついた土器がその頃作られたので、縄文時代と呼ばれます。日本の小学校で習いますね。「縄文にハマる人々」というドキュメンタリー映画も、7月から公開されています。なぜ縄文にハマるのでしょう? 現代社会が失った神秘的な何かを、人々は求めているのかもしれません。土偶が好きな人もいて、女性は「土偶女子」と呼ばれます。土偶とは、土の人形です。何のために作られたのか、はっきり分かりません。神の像として拝んだのか、お守りだったのか、あるいは子供のおもちゃだったのか・・・。さまざまな説があるようです。ある土偶女子は、上野に来た土偶を見て、こう言いました。「オーラがすごかったー!」土偶にもオーラがあるのでしょうか?

 「オーラ」とは、ギリシア語やラテン語でそよ風を意味するそうです。ギリシア神話では、女神の一人の名前です。この言葉に、スピリチュアルな意味を持たせる人たちもいます。何かから出ている霊的エネルギーというような意味です。ただ普通、日本語で「オーラがある」と言うと、そこまで深い意味はなさそうです。「人目を引く存在感や独特の雰囲気を持っている」という意味です。たいていは、人間のことです。(欅坂46も最近、「ハッピーオーラ」という新曲を出したとか・・・。)土偶の場合は、それを見た人が存在感や独特の雰囲気を感じたという意味なのでしょう。オーラのある人には、次のような特徴があると言う人たちもいます。「顔に艶があり、自信を持っている。明るく、感情表現が豊か。ゆっくり、はっきり、大きな声で話す。一生懸命で集中力がある。威張らず、他人への配慮がある。ユーモアのセンスがある。」(・・・本当かな? 笑)逆に次のような場合は、オーラがなくなると言う人もいます。「自慢話をする。悪口、愚痴、不満を語る。過去にこだわる。マイナス思考を持つ。知ったかぶりをする。」こうしたことはオーラと関係なく、私たちも避けたいですね。

 旧約の時代、オーラ、存在感のある人が何人も登場しました。モーセはシナイ山に登り、神と一対一で話をしました。神の教え、十戒を受け取るためです。山の上で40日間、モーセは栄光に輝く神とともにいました。十戒の石板を手に山を下りた時、彼の顔は神の光で輝いていました。他の人たちが、近づくのを怖がるほどでした。40年後、ヨシュアはイスラエルの民を率い、ヨルダン川を渡りました。モーセの時は紅海の水が2つに分かれましたが、ヨシュアの時はヨルダン川の水が分かれました。人々は、モーセと同じようにヨシュアにもオーラがあると感じたようです。ダビデは、30歳でイスラエルの王になりました。少年時代、彼はペリシテの巨人ゴリヤテに勝利しました。その後の戦いも、常に勝ち続けました。サウル王に命を狙われても、最後まで生き延びました。イスラエルの人々は、王にふさわしいオーラをダビデに感じたようです。サウル王とその子たちの死後、人々はダビデのところに来て、王になって下さいとお願いしたのです。

 イエス様は、暗闇の支配する世界に光を輝かせに来られました。神の国の光り輝くオーラを放ちに来られたのです。イエス・キリストを信じる人は、イエス様と同じオーラを放つことができます。聖霊のそよ風により、私たちは光り輝く姿に変えられて行きます。神の国のオーラを放ち、私たちを取り巻く暗闇に神秘の光を照らすためです。土偶に負けてはいられません(笑)。

「ですから、自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、明かりがその輝きであなたを照らすときのように、全身が光に満ちたものとなります。」(ルカ11:35-36)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »