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2018年10月18日 (木)

それらで何かできるのではないか

 以下は、月刊誌「舟の右側」9月号に掲載された文章です。出版社の了解が得られたので、このブログに再掲します。冒頭に出て来るバレー部顧問の阿部浩羊先生は8月に亡くなられ、先週土曜日に札幌で元バレー部員たちによる「偲ぶ会」が開かれました。私が将来の進路に悩んだ末、「牧師になることにした」と報告に行くと、先生は「やっと落ち着いたようだな」と言って下さいました。大きな試練の直後だったので、私はその言葉に励まされた覚えがあります。神様が与えて下さった貴重な出会いを感謝します。

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 「東大を受けてみないか」。高3の春、所属するバレー部の顧問から、突然そう言われました。その先生は、担任でも進路指導担当でもありませんでした。でもなぜかその時、「自分は東大に受かるのか」と初めて考えました。チャレンジしたいと思いました。神様は、その先生の言葉を用い、「神のことば」と出会う旅に私を招いて下さったのです。

 高2の終わりまでは、漠然と医者になろうと思い、地元・北海道の大学を受けるつもりでした。東大医学部は、どう考えても無理でした。東大なら工学部、理学部系しか、受かる可能性がないと思いました。そして私は、医者の道を諦めたのです。将来、何になるかは、大学に行ってからじっくり考えることにしました。

 有難いことに翌年3月、なんとか合格できました。大学の友人に将来の夢を聞くと、たいていの人は技術者か研究者になりたいと言いました。私の祖父は医者、父は技術者でしたが、私自身は研究者を目指そうと思いました。どの分野に進むかさんざん悩んだ挙句、理系から文系に移り、言語学を専攻することにしました。言葉と文化の関わりに関心を持ったからです。

 ただその一方で、私には、成功の頂を目指す山登り競争に、ためらいもありました。先を争い、長く急な坂道をひたすら上る人生は、苦しいだけのように思えたのです。苦行の末、死んで終わりなら、そんな人生に意味があるのか、大いに疑問でした。それが人生なら、今すぐ死んで、レースを棄権しようかとも思いました。でも、息子を札幌から東京に送り出した両親を思うと、自殺はできませんでした。

 大学3年のあるクラスで、神様は一人のクリスチャンとの遭遇を用意されていました。東大女子バレー部の主将です。聖書を読み、教会に来るよう熱心に勧められましたが、私は元来へそ曲がりで強情です。仏教の本を何冊か買い込み、読み始めました。でも結局、人生の意味を教えてくれる本は、その中にありませんでした。

 4年生になった私は、卒業論文のテーマを考え始めました。研究者を目指すなら、将来の研究につながるようなテーマを選びたいと思いました。でも、いくら探しても、何が良いか分かりません。そのうち、重大なことに気が付きました。自分には、ライフワークにしたいテーマがないということです。研究者にはなれないと思いました。何を目指したら良いのか、全く先が見えなくなりました。

 池袋の薄暗いアパートで、私は絶望感を抱き、一人うずくまりました。気力を失い、もう何もできないように思いました。その時、心にこう語りかける「ことば」を感じたのです。「あなたは何もできないと思っているけれど、あなたには目があって見ることができるし、耳があって聞くことができる。手があって物をつかむことができるし、足があって歩くことができる。頭で考えることもできる。それらで何かできるのではないか」。その瞬間、不思議なことに、それは創造主なる神のことばだと直感しました。深い愛に包まれていると感じたのです。目から涙が溢れて来ました。「この神様のために生きよう」。そう思いました。

 それから長い年月が流れ、私のライフワークは、「神のことばを語ること」になりました。今なお悪戦苦闘中の研究テーマは、「聖書のことばを日本文化の中でどう伝えるか」です。その後も、何度も行き詰まりました。でもその度に、あの深い愛に満ちた神のことばを思い出しました。そのことばに、今も私は生かされています。永遠の天の都に続く、長いゆるやかな坂道を、旅の仲間とともに楽しみつつ上っているのです。

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