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2018年10月14日 (日)

自らの生き方をチェックする

 昨日、札幌で開かれたある集まりに出席して来ました。私の出身高校で、長年バレーボール部を指導した顧問の先生を偲ぶ会です。その先生は、今年8月に亡くなりました。私は夏休みに帰省した時、友人と2人でご自宅を訪ね、奥様としばらくお話して来ました。その時、「舟の右側」という雑誌に最近掲載された、私の文章(証)もお渡ししました。その冒頭は、亡くなった先生の言葉から始まるのです。「東大を受けてみないか」という言葉です。それを書いた時、先生の最期が迫っていることを私は全く知りませんでした。40年前を振り返り、先生の言葉でいかに自分の進路が大きく変わったかと考えました。その言葉がなければ、私は医者を目指し、牧師にならなかったかもしれません。今の妻と出会わず、3人の子供や孫もこの世にいなかったかもしれません。先生の言葉は、私の人生に大きな影響をもたらしたのです。

 影響を受けたのは、私だけではありませんでした。昨日の「偲ぶ会」には、40代から60代の元バレー部員が50人近く集まりました。献花をし、奥様やその他の何人かが挨拶をしました。各年代の代表が、短く思い出を語るコーナーもありました。私も一言お話させていただきました。ビデオレターが上映され、お別れのメッセージをまとめた文集が奥様に手渡されました。私は、先生から学んだ3つの教訓について書きました。1つは、常にチャレンジャーであること。全く勝てない相手でも、全力を尽くしてチャレンジすれば、何か得るものがあります。2つ目は、チームプレイヤーであること。個人ではなくチームで力を合わせて、初めて敵に勝利することができます。3つ目は、互いにコーチであること。仲間同士で励まし、学び、教え合うことにより、互いに向上することができます。「偲ぶ会」では、他の人たちも先生から学んだことを語っていました。学んだ教訓は、それぞれがその後の人生を生きるための指針になったようです。その指針に照らし、自らの生き方をチェックすることができたのです。

 聖書のことばは、ある高校でバレーをした一部の人だけでなく、全ての人に与えられた人生の指針です。神が昔、誰かに語られたことばが、他の人の指針にもなっています。神はアダムに、こう命じられました。「地上で増え広がり、全ての生き物を管理しなさい。神の教えに従いなさい。そうでないと、あなたは死んでしまう。」アブラハムには、こう命じられました。「故郷を出て、わたしの示す地へ行きなさい。あなたを通して世界中の人々が祝福される。」モーセには、こう命じられました。「人々に、わたしの教えを伝えなさい。わたしを愛し、教えを守る人は祝福される。」罪を犯した人には、神はこう命じられました。「悔い改めなさい。わたしの方を向くなら、あなたの罪は赦される。あなたは、本来の姿に回復する。」これらのことばは、聖書時代の人だけでなく、今の私たちにとっても重要な人生の指針です。

 イエス様は、正しい生き方を見失った私たちに、人生の指針を与えに来られました。イエス・キリストを信じる人は、創造主なる神の教えに導かれ、生きることができます。心に聖霊が住まわれ、聖書にある神の教えを思い起こせます。神の教えは、全ての経験や教訓の土台になります。その基準に基づき、自分が学んだことが間違っていないか判断できます。人によって違う考え方に振り回されることもありません。例えばチャレンジャー、チームプレイヤー、互いのコーチという考え方も、神の教えに即していると判断できます。世界共通の基準を用い、私たちは自らの生き方をチェックできるのです。

「あなたがたは、自分自身に気をつけなさい。…」(ルカ17:3)

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