心新たに新年を迎える
年が明けると、人々は年神の来訪をお祝いします。年神は、先祖の霊と考えられています。その霊に自分たちの家が代々守られて来たことを、人々は感謝します。新しい年の平和と繁栄を願いつつ、人々は年神と一緒に食事をします。雑煮やおせち料理、鏡開きには、もともとそういう意味があったようです。特に鏡餅には、年神が宿ると考えられました。餅を食べると、年神の魂、力を得ると信じられて来たのです。
創造主なる神は、ユダヤ人たちに新年の迎え方について教えられました。そのパターンには、私たちの見習うべき点があります。第一に新年は、神への礼拝から始まります。正月は1月でなく第7の月、日本の暦の9月か10月頃です。年が明けると、鐘ではなく角笛が吹き鳴らされます。「創造主なる神を礼拝しなさい」という呼びかけです。角笛の音は、イスラエルの人々に先祖たちのエピソードを思い出させました。角笛を吹くように、神はアダムに命の息を吹き込まれました。モリヤの山にいたアブラハムには、イサクの身代わりとして角のある羊が与えられました。シナイ山では角笛の音の中、モーセに十戒が与えられました。預言者たちは、角笛が鳴るように神の警告を伝えました。世界中に散らされた民は将来、角笛とともに集められ、ともに神を礼拝するという預言もありました。角笛の音自体に、神秘的なパワーはありません。でもその音は、神が先祖たちに良くして下さったという記憶にリンクするのです。「この恵み深い神を信じ、礼拝しなさい。」角笛の音は、そう呼びかけます。私たちにも、一年を神への礼拝から始めるように呼びかけるのです。
礼拝とは、何かをささげる行為です。大掃除や正月飾りする人々は、年神に対してお金と時間、労力をささげています。神社やお寺へ初詣に行く人も、そこに祀られる神や仏等に時間と賽銭をささげます。ユダヤ人たちも、創造主なる神に時間と収穫物の一部をささげて来ました。しかし神は、こうも言われています。「最も大切なのは、形ではなく心だ。」神を愛する心です。うわべではなく、心を神はご覧になっています。ただ形だけの、人目を誤魔化すようなささげ物をしても、神は喜んで下さいません。私たちも愛のない、形だけのプレゼントをもらっても、あまり嬉しくないですね。それと同じです。聖書(ローマ人への手紙12章1節)には、自分自身を全て神にささげなさいと書かれています。私たちの心も、全てささげなさいという意味です。神を愛する心です。新たな年も祝福して下さる神に、私たちは愛する心をささげましょう。
第二に年の初めは、悔い改めの時です。悔い改めとは、心を新たにし、神の方向に向き直すことです。神の完璧さを知ると、自分がいかに完璧でないかが分かります。その視点から、過去1年間の自分の歩みを見直します。1年を通して自分のしたことが全て完璧だった人は、いるでしょうか?自分の心に一点の曇りもなかった人は、いるでしょうか?おそらく、いなかったはずです。何か足りなかったかもしれない。ほんの少しでも、悪い思いを持ったかもしれません。ひょっとしたら自分も気づかない問題があったかもしれません。それら全てについて、神に謝ります。誰か他の人に迷惑をかけたなら、その人にも謝ります。角笛が鳴った日から10日間、ユダヤ人たちは悔い改めを求められます。私たちも、新年を悔い改めとともに迎えましょう。お寺の鐘を聞いても、心の汚れはなくなりません。私たちが悔い改める時、神が私たちの汚れた心をきよめて下さるのです。
悔い改め最終日の10日目は、国を挙げて神の赦しを求める日、「宥めの日(贖いの日)」です。神殿のあった時代、イスラエルの国全体の汚れをきよめるため、大祭司が特別な生け贄をささげました。2匹の山羊です。1匹は屠られ、その死を告げるように、血が契約の箱に振りかけられました。もう1匹の山羊は、全国民の罪や汚れを背負い、荒野に追い払われました。いわゆるスケープゴートです。全ての人の罪や汚れが赦されるには、身代わりの生け贄が必要でした。イエス様は、全人類の身代わりをする山羊になって下さったのです。全ての人の罪を背負い、十字架の上で血を流されました。スケープゴートとして、死の世界に追い払われました。イエス様を自分の身代わりと認める人は、汚れた心がきよめられます。私たちの悔い改めは、イエス様の十字架を通し、神の赦しにつながっているのです。
第三に年の初めは、感謝の時です。年が明けて15日目以降は、お祝い―収穫祭です。神から与えられた収穫を喜び、7日間お祝いの食事を食べます。蜂蜜付きのリンゴを食べ、甘い、祝福に満ちた一年であってほしいと願うそうです。ザクロも食べます。種が多いので、子孫繁栄という願いが込められているそうです。私たちも新年を迎える時、周りの人と神の恵みを喜び、お祝いしましょう。お雑煮でもおせちでも、すべての食材は創造主から与えられた恵みです。
イスラエルの秋の収穫祭は、仮庵の祭りと呼ばれています。ユダヤ人たちは仮の小屋を作り、そこで時間を過ごします。エジプト脱出後、先祖たちが荒野でキャンプ生活をした時代に思いを寄せるのです。荒野の40年間、神は先祖たちを危険から守り、全ての必要を満たされました。仮庵の祭りは、その恵みを思い起こし、感謝する時です。新しい年、私たちの全ての必要も神が満たして下さいます。あらゆる危険から守って下さいます。荒野のユダヤ人を支えた神は、私たちの歩みも支えて下さいます。イエス様の別名はインマヌエルであり、「ともにおられる神」だからです。新しい年を、私たちも神に感謝して迎えましょう。
イエス様は、永遠のいのちを与えるパンとして天から下られました。日本風に、「いのちを与える餅」とも言えるかもしれません。「イエス様の餅」を食べる人は、永遠のいのちが与えられ、天から特別な力を頂くことができます。その力により、私たちは生き方が変えられます。自分の思いではなく、神のみこころを行いたいと願うようになります。新しい年、「イエス様の餅」を頂きましょう。心を新たにし、祝福に満ちた新年を迎えましょう。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(ローマ12:2)
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