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2018年12月16日 (日)

曙の光に導かれる

 今週土曜日は、冬至です。わが家では毎年、冬至にかぼちゃ入りのお汁粉を食べます。日本全国の家で普通に食べるのかと思っていたら、北海道や青森など北国の習慣だそうです。私と妻は二人とも道産子なので、子どもの頃から、冬至にはかぼちゃのお汁粉だと思っていました。お汁粉でなくても、冬至にかぼちゃや小豆を食べる習慣は、全国的に見られるようです。夜が長いためか、冬至は昔、死に一番近い日と言われたようです。そのため人々は、縁起の良い食べ物であるかぼちゃや小豆を食べたとのこと。もちろん、栄養をつけて寒い冬を乗り切るという意味もあったのでしょう。冬至に、ゆず湯に入る習慣もあります。ゆずの強い香りで、身を清めるという意味だそうです。血行を促進し、風邪の予防にもなるとも言われます。北海道ではゆずが高かったので、わが家では、湯船にみかんの皮を浮かべていました。

 クリスマスを12月25日に祝うのは、冬至の祭りが起源だと言われています。イエス・キリストがいつ生まれたのか、聖書にはっきり書かれていません。多くの人は、9月か10月の仮庵の祭りの頃だと考えています。ローマ帝国にキリスト教が広まった頃、冬至の祭りを盛大にお祝いする人がたくさんいました。太陽を神と信じる人たちのお祭りでした。冬至は一年で最も昼が短く、太陽の力が最も弱まります。この日が過ぎると、再び昼が長くなります。多くの人は、太陽の神の力がよみがえると考えたそうです。人々は、喜んで太陽の復活をお祝いしました。ローマ帝国のクリスチャンたちは、この偶像のお祭りを救い主の誕生をお祝いする日に変えました。ローマの人々にとって、それは分かりやすく、受け入れやすかったかもしれません。12月25日は太陽神の復活ではなく、イエス・キリストの誕生をお祝いする日になったのです。

 太陽の力は、偉大です。寒い季節には、特にそう感じます。その偉大な力を見て、太陽を神と信じ、拝む人々が現れました。古代エジプトやメソポタミア、インドやペルシア、そしてギリシアやローマにも。日本でも太陽を神と信じ、拝む人々がいます。アマテラス信仰です。伊勢神宮を初めとする多くの神社に、アマテラスが神として祀られています。所沢の中心的な神社にも祀られ、所沢の守り神と言われるようです。しかし太陽は神ではなく、意思を持たない物質に過ぎません。創造主なる神の偉大な作品の一つです。でも作品以上に偉大なのは、製作者です。創造主なる神は、太陽や他の星を宇宙空間で光と熱を出し続けるように造られました。核融合という仕組みを使いました。地球は太陽からちょうど良い距離に置かれ、ちょうど良い角度に傾きながら回転するように造られました。太陽が光を照らす仕組みを造ったのは、創造主なる神です。本当の光は太陽でなく、創造主なる神なのです。

 イエス様は、暗闇を照らす曙の光としてこの世に来られました。人類は、本当の光が何かを見失っていました。創造主なる神ではなく、神に造られた物を神と信じ、拝んで来たのです。創造主なる神に背を向け、神が造られた平和な秩序を破壊して来ました。そして、偶像の神々や自分たちの欲望に支配され、際限のない争いを繰り返して来ました。そんな私たち、暗闇に道を見失った人類を、イエス様はあわれんで下さったのです。天から地上の世界に来られ、正しい道が見えるように光を照らして下さいました。その道は、私たちが死に勝利し、永遠のいのちに至ることのできる道です。昼の時間が短くなっても、関係ありません。私たちはイエス様の光に照らされ、導かれる幸いを手にしているのです。

「これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」(ルカ1:78-79)

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