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2019年2月

2019年2月24日 (日)

天の豊かさに満たされる

 最近は残念ながら、政府の発表する数字が信用できないようです。日本政府は、こう言っています。「日本は今、6年2ヶ月以上の長期にわたり、景気が拡大し続けている。」でも多くの人は、その実感がないと言っています。皆さんはどうですか。去年よりお金に余裕がありますか?私はそんな感じがしません。牧師という、お金儲けに縁のない働きをしているせいかもしれません(笑)。でも、社会の多くの人が経済的にどんどん豊かになっている印象を受けません。やはり、政府発表の数字が違っているのでしょうか。昔の日本は、政府が国民をだまし続けました。戦争に負けそうなのに、勝ち続けているかのように報告したのです。いわゆる「大本営発表」です。昔と同じ過ちが繰り返されないことを願っています。

 戦後、多くの人は経済的な豊かさを求め、一生懸命働きました。私の父は中学3年で終戦を迎えました。大学院を卒業し、技術者として大きな会社に就職しました。いろいろ事情があり、私が小学生の頃までは経済的に厳しかったようです。会社の仕事以外にアルバイトもしました。家計を支えるのは大変だったようです。でもその頃、日本は高度成長期で、多くの人が経済的にどんどん豊かになった時代でした。働けば働くほど、豊かになる実感があったはずです。昔はなかったテレビや冷蔵庫、洗濯機が、私の家にもありました。ステレオやテープレコーダー、電話機も家にやって来ました。父はゴルフ以外にカメラも好きで、自分の部屋で現像までしました。(私も付き合ったことがありますが、強烈な臭いでした。)私たちが住んでいた札幌市全体は、1972年のオリンピックに向け新しい建物が建ち、街並がどんどん新しくなりました。地下鉄が通りました。地下街もできました。人口も100万人を超える大都市になりました。私は子供でしたが、その頃の経済的な発展にはワクワク感があったように思います。

 今は、そのワクワク感が社会全体に感じられません。(私だけ?)長時間労働が、豊かさに直結するようには思えません。テレビや冷蔵庫、洗濯機は、何も珍しくありません。新しいビルが建っても、昔ほどの感動がありません。次から次へと出てくる新製品は、ワクワクするより目が回りそうです。(年をとったせいかな?笑)時代は大きく変わりました。もはや経済的な豊かさより、心の豊かさを求めるべきだという人がたくさんいます。経済的な豊かさにワクワクしなくなったなら、当然の成り行きです。海外旅行をした多くの人たちの「新発見」も、多少は影響があるように思えます。海外の多くの人たちは、日本人のようにあくせく働かないように見えます。ゆったりとした時間の中で暮らしています。経済的に貧しくても、結構幸せそうです。たとえ経済的に豊かでも、日本ではその豊かさを満喫できないと多くの人が感じているように思えます。

 聖書の時代には、テレビも冷蔵庫も洗濯機もありませんでした。スマホもWi-FiもSNSもありません。それでも多くの人が、幸せになる秘訣を知っていました。全知全能の神に教えていただいたのです。イエス様は、こう言われました。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。」たとえ経済的に貧しくても、幸せに生きる道があります。イエス・キリストを通し、神の国の豊かさを満喫する生き方です。天の無限の豊かさに比べれば、地上の貧富の差は人が思うほど大きくはありません。イエス様は、世界中の人を天の豊かさで満たすため、この世に来られました。イエス様を信じる人は、聖霊の満たしを受けます。天の驚くばかりの豊かさで、心が満たされます。私たちは神の愛に満たされ、周りにその愛を表すことができます。そんな人が増えたら、日本に心の豊かさが増した実感を多くの人が持つに違いありません。

「・・・そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:19)

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2019年2月17日 (日)

神の家族として成長する

 先日、妻と私は東京・府中の教会に招かれ、2人で一緒に話す機会をいただきました。夫婦関係と家庭についてというテーマです。自分の教会以外で、2人揃って話をするのは初めてでした。私たちは、結婚して31年以上になります。ここに至るまで神様は私たちを導かれ、大いに祝福して下さいました。3人の子は大人になり、それぞれ仕事を見つけました。娘たちは結婚し、初孫まで生まれました。その恵みを振り返る良い機会となったことを感謝しています。

 初めて出会った時、私たちは2人ともクリスチャンではありませんでした。私が洗礼を受けた数ヶ月後、幸いなことに妻も信仰を持ち、洗礼を受けてくれました。結婚した時は、クリスチャンホームとして聖書に基づく家庭づくりをしたいと、私たちは願いました。神のことばという揺れ動くことのない、共通の土台があれば、夫婦や家族の間にも揺るがない関係を築いていけると考えたからです。

 結婚前、私は問題のある家庭をいろいろ見ていました。似たような問題は、今も多くの家庭にあるようです。離婚する夫婦。浮気する夫や妻。すれ違いの家族。文句や争いの絶えない家。愛のない家庭。虐待される配偶者や子供。最近も、子供が虐待死した痛ましい事件が大きく報道されました。でも事件になるほどでなくても、問題はあちこちに見られます。せっかく結婚するなら、幸せな家庭をつくりたいと私は思いました。それには、聖書の土台が一番だと考えたのです。

 私は牧師になるつもりだったので、特に家庭づくりに気をつけた所もあります。教会のリーダー(監督や執事)になる人は、良い家庭を築かなければならないと聖書にあるからです。牧師になる前から、「家庭は小さな教会で、自分はそこの牧師だ」と考えていました。妻と2人で、「小さな羊」のお世話をしたのです。私は子供に厳しくする役、妻は優しくする役でした。いつも夫婦で話し合い、祈り、一致を保つようにしました。「子羊」のお世話はたいへんでしたが、思えば楽しい日々でした。今は親子から、人生の先輩後輩のような関係に移りつつあります。孫については、私たちは2人とも甘やかす役を希望しています。(笑)

 人が家族をつくるのは、神の計画です。(もちろん、神のみこころに従い、生涯独身を貫く人も中にはいます。)神は、アダムとエバの結婚を祝福されました。子供たちが世界中に増え広がるように計画されました。アブラハムとサラの夫婦も、神は祝福されました。彼らの子孫を空の星、海辺の砂のように増やすと、約束されました。その子孫はエジプトで数十万世帯になり、人数は数百万人に膨れ上がりました。エジプトを出た後、彼らは荒野で子供たちをしつけました。親が子に、神の教えを伝えました。子供たちは立派な大人になり、それぞれ家族ごとに約束の地を受け取りました。神はアブラハムへの約束を守り、イスラエルの家族を大いに祝福されたのです。神に選ばれた家族として、その祝福を全世界に広げるためでした。

 イエス様は、この「神の家族」を完成しに、私たちの世界に来られました。イエス・キリストを信じる人は、神の家族に加えられます。神の祝福を体験し、全世界にその恵みを伝える人になります。信じた人は、赤ん坊として神の家に誕生します。その家の子として愛され、大切に育てられます。一番上の兄であるイエス様が、どう生きるべきかを教えて下さいます。家族とされた者同士、私たちは互いに助け合いながら生きて行きます。一人ひとりに委ねられた役割を忠実に果たします。私たちは神の家の子として成長し、イエス様のような愛に満ちた大人になって行けるのです。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:19)

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2019年2月10日 (日)

祝福の神をほめたたえる

 平成の時代、カラオケで最も歌われた曲は、一青窈さんの「ハナミズキ」だそうです。2004年に発売後、多くの歌手にカバーされ、幅広い年齢層の人に親しまれた曲とのこと。私は聞いたことがありますが、歌ったことはありません。(平成になってから、カラオケも行っていません。笑)「ハナミズキ」は、9・11のテロ事件がきっかけで出来た作品だそうです。ニューヨークに住む友人に送ったメッセージが歌詞となり、それに曲をつけたとの話。歌詞は難解ですが、死に行く人が生き残る人に宛てた遺言のような内容に思えます。最後は、祈りのような言葉で歌が終わります。「果てない波がちゃんと止まりますように 君と好きな人が百年続きますように」。愛する人の平和と幸せを心から願うメッセージソングと言えます。それが、多くの人の心に響いたのかもしれません。

 メッセージソングとは、歌詞に強い主張が込められた曲のこと。誰か他の人に伝える重要なメッセージが込められてます。「ハナミズキ」の場合は、多くの人に平和の大切さを訴えています。ただ最後の「祈り」は、誰にお願いしているのか、はっきりしません。目に見えない存在へのメッセージなのかもしれません。自分の願いを言葉にして唱えることで、その実現を期待しているのかもしれません。あるいは単に、聞く人の共感を求めているのかもしれません。

 私たちも毎週、礼拝でメッセージソングを歌っています。カラオケではありません。生バンドつきです(笑)。私たちが歌う曲にも、人に伝えるメッセージがあります。♪♪「主は素晴らしい」、「イエスは十字架につき、よみがえられた」、「声を上げて喜び歌おう」♪♪――そのように歌い、周りの人の共感を求めます。人ではなく、神へのメッセージソングもあります。♪♪「あなたを愛します」、「あなたの恵みをほめたたえます」、「この国を救って下さい」♪♪――賛美を通し、そのように神に伝えます。歌詞に私たちの思いを込め、心を一つにして歌います。宗教的な儀式として歌うのではありません。ノリの良い曲を歌い、自分のテンションを上げるのでもありません。素晴らしい歌声や演奏を誰かにアピールするためでもありません。歌を通し、私たちの愛のメッセージを神に届けるのです。私たちが歌う心からのメッセージを、神は喜んで受け取って下さいます。

 礼拝賛美のモデルを作ったのは、イスラエルのダビデ王だと言われます。それまでの礼拝は、動物のいけにえを献げることが中心でした。ダビデ王は、音楽のいけにえを礼拝に導入したのです。あらゆる楽器を用い、神に賛美をささげ始めました。ダビデ自身が、ミュージシャンでした。彼は礼拝賛美の奉仕者を選び、訓練させました。彼らは、みな「達人」だったと記されています。旧約聖書の詩編も管楽器、弦楽器、打楽器など、あらゆる楽器を用いて神を賛美しようと呼びかけています。初代教会や中世の時代は、楽器伴奏のない賛美が中心でした。無伴奏の歌は「アカペラ」と言いますが、もともとはイタリア語で「教会風に」という意味でした。宗教改革以降、プロテスタント教会ではオルガンを弾くようになりました。今では多くの教会で、さまざまな楽器を用いた賛美がささげられています。

 全ての音は、神が創造されました。神にメッセージを伝えるのに、使えない楽器はないはずです。あらゆる楽器を通し、神の素晴らしさを賛美できます。イエス・キリストは十字架の上で死に行く時、全世界の人の平和と幸せを心から願われました。間違いを犯し、人殺しさえしてしまう人類の救いを祈られました。私たちはその驚くばかりの恵みを知り、神をほめたたえるメッセージソングを歌います。週1回だけでなく、いつでもどこでも神の祝福を感謝し、賛美できるのです。

「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(エペソ1:3)

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2019年2月 3日 (日)

天命を全うする

 旧約聖書に登場する信仰の勇者の一人、ヤコブの子ヨセフは、波瀾万丈の生涯を生きた人です。10人いた兄たちに憎まれ、奴隷として売られ、売却先のエジプトでは監獄に入れられました。ところが奇跡的な出会いを通し、ファラオの夢を解き明かすチャンスが与えられ、それがきっかけでエジプト全土の支配者にまで上り詰めます。家族をカナンから呼び寄せ、飢饉から救い、兄たちとも和解しました。それは、ヨセフの生涯のハイライトと言える感動的な名場面です。

 ところが、信仰の勇者を列挙する新約聖書・ヘブル人への手紙11章には、この感動的なシーンは出て来ません。ヨセフの話はたった一節だけ、臨終の場面です。創世記37章から50章までが、ほとんどヨセフ関連の話であるのと比べると、驚くばかりの簡潔さです。ヨセフは年老いて最期の時が近づくと、家族に将来の展望を語り、自らの埋葬場所を指定しました。「神は必ずアブラハムの子孫、ユダヤ人を約束の地に帰して下さる。だから自分の遺骸は、その地に埋葬してほしい。」彼は、そう遺言したのです。

 その遺言は、確かに守られました。数百年後、モーセに率いられたユダヤ人たちは、エジプトを脱出する際、ヨセフの遺骸も運び出しました。荒野を40年間さまよった時も、遺骸は彼らと一緒でした。約束の地を占領すると、遺骸はシェケムの地に埋葬されました。そこは、かつてヨセフが奴隷として売られる前、父に命じられて兄たちを捜しに行った土地でした。

 ユダヤ人をエジプトから約束の地に導かれたのは、もちろん創造主なる神です。その神の導きを象徴的に表したのは、荒野で彼らの先頭を進んだ契約の箱でした。神のことばを語るモーセの強力なリーダーシップも、ユダヤ人のサバイバル生活には不可欠でした。と同時にヨセフの遺骸は、彼らにとって大きな励ましとなったはずです。彼らのレジェンド、伝説の人物であるヨセフの遺骸は、荒野を行く民とともに約束の地を目指したのです。「必ずその地に帰ることができる。」ユダヤ人たちは遺骸を見るたび、ヨセフのその証言を思い起こすことができたはずです。

 ヨセフの天命は、エジプトの支配者となり、家族を救うことにとどまりませんでした。彼の伝説的な生涯とその遺言は、後世のユダヤ人を励まし、彼らが進むべき方向を指し示したのです。もちろんその姿は、私たちの信仰の模範でもあります。

 創造主なる神は、私たち一人ひとりにも果たすべき天命を用意されています。私たちの生涯と語ることばを通し、周りの人を励まし、人類に用意された約束の地を指し示す天命です。イエス・キリストを信じる人は、誰でもアブラハムの子孫に加えられ、ヨセフのように天命を全うすることができるのです。

「信仰によって、ヨセフは臨終のときに、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骸について指示を与えました。」(ヘブル11:22)

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