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2019年4月

2019年4月21日 (日)

奇跡の人生を生きる

 イースターおめでとうございます。イエス様が私たちのために十字架につき、よみがえって下さったことを感謝します。

 イエス様の生涯は、新約聖書の4つの福音書に記されています。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。それぞれに特徴があります。マタイ福音書は、ユダヤ人的な視点で書かれています。書出しは、イエス・キリストの系図です。ユダヤ人以外の人だと、読む気が失せるかもしれません。マルコ福音書は、最初に書かれた福音書だと言われています。イエス様の教えより行動の記述が中心で、簡潔にまとめられています。ルカ福音書は、ユダヤ人以外の人に向けて書かれています。伝記のような書き方で、多くの人は一番読みやすいかもしれません。ヨハネ福音書は、哲学的です。哲学的に考える人は良いですが、そうでない人にとっては難しそうです。4つの福音書にはそれぞれ特徴があり、エピソードの選び方にも違いがあります。ただ、一つ大きな共通点があります。全ての福音書が、イエス様の十字架と復活のエピソードで終わることです。福音とは、良い知らせです。十字架と復活は、ユダヤ人にもそれ以外の人にも同じく重要な、良い知らせだったのです。

 なぜでしょう?イエス様の十字架と復活により、信じる全ての人に永遠のいのちが与えられるようになったからです。人は、最初から死ぬべき存在ではありませんでした。死ぬようになったのは、人類の先祖アダムとエバが重大な罪を犯したためです。神との約束を破り、禁断の木の実を食べてしまいました。その罪の全責任を、イエス様は代わりに負って下さったのです。全人類の身代わりとなり、十字架による死刑を受けて下さいました。しかし、それで終わりではありませんでした。イエス様は、3日目に復活されたのです。その復活は「初穂」だと、聖書が語っています。イエス様だけ復活するのではないという意味です。世の終わりに、イエス・キリストを信じる人は皆よみがえり、神とともに永遠に生きることができます。これが、聖書の伝える良い知らせです。イエス様は、死に勝利されました。信じる私たちも、死に勝利するのです。もはや、死を恐れる必要はありません。

 4年半前、函館に住む義母が病気になりました。急に言葉が出なくなったのです。検査を受けると、悪性の脳腫瘍でした。しかも最も悪いタイプのガンで、手術しても腫瘍は取り除けないという診断でした。余命は1年から1年半と言われました。妻は一人っ子なので、その時から毎月の函館通いが始まりました。治療が効いたのか、発病から数ヶ月後、一時的に口がきけるようになりました。その時、妻と私は、義母にイエス・キリストの福音を伝えました。義母は以前、「信じる」と言っていたのですが、その信仰を確認したのです。入院中の義母は、家にある仏壇をどうしたら良いか気にしていました。でも、それは妻と私で何とかするから大丈夫だと伝えました。義母は安心し、その場で病床洗礼を受けました。嬉しそうな笑顔でした。妻と私も、たいへん嬉しく思いました。いつその時が来ても、永遠の神の国で再会し、いつまでも一緒にいられるようになったからです。

 それから4年経ちました。病状は少しずつ悪化し、今はほぼ寝たきりです。口をきくこともできません。1年から1年半と診断した医師は、こんなに長く生きていることに驚いていました。奇跡のようです。でもそれより遙かに大きな奇跡は、死んだ後よみがえることです。神の国で永遠に生きることです。イエス様は、この奇跡を私たちに約束されています。イエス・キリストを信じる人は、誰でも永遠のいのちの驚くべき奇跡を体験することができるのです。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。」(Iコリント15:20-21)

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2019年4月14日 (日)

奇跡の王をほめたたえる

 今日は「棕櫚(シュロ)の聖日」です。十字架につかれる5日前、イエス様が王としてエルサレムに入られた記念日です。旧約の預言者が予告した通り、イエス様はロバに乗って都に入られました。ロバは、イエス様が「平和の君」であること、全世界に神の平和をもたらしに来られたことの象徴でした。大勢の人が大歓声を上げ、イエス様をお迎えしました。ナツメヤシの枝を手に持つ人が、たくさんいました。(日本ではないので、梅や桜ではありません。)木の枝や上着を道に敷く人もいました。大きな叫び声がこだましました。「ホサナ!ホサナ!ホサナ!」「ホサナ」とは、もともとは「救って下さい」という意味です。賛美の叫びの決まり文句でした。救い主である神に対する、ユダヤ人たちの切なる叫びだったのです。

 ユダヤ人は、長い苦しみの中にいました。彼らの祖国は600年ほど前に滅び、その後、ずっと外国に占領されていました。バビロニア、ペルシア、ギリシア、そしてローマです。日本で600年前というと、室町時代です。日本が誇る世界遺産の一つ、金閣寺ができた頃。最近話題の万葉集の時代よりはずっと後ですが、戦国時代も江戸時代も渋沢栄一の時代もまだ始まらない頃。もし日本がそんな遙か昔に滅び、天皇家もどこにいるか分からなかったら、どうなっていたでしょう。今も東京に多くの日本人が住み、新天皇が即位したら大歓声で喜んだかというと、疑問に思えます。でもユダヤ人は、祖国が滅んで何百年経っても再建を信じ、待ち続けました。旧約の預言に、再建の約束があったからです。――時が来たら、神はイスラエルの国を建て直して下さる。外国の支配からユダヤ人を救う王が遣わされる。その王は、ダビデの子孫である。――それらの預言を信じる多くのユダヤ人は、イエス様こそがその王、「メシア」だと確信しました。そしてイエス様に向かい、「ダビデの子」と叫んだのです。

 ダビデは、日本であまり知られていないように思います。ダビデというと、ミケランジェロのダビデ像を思い出す人が多いかもしれません。私もクリスチャンになるずっと前、学校の教科書に載っていた大理石像の写真を見ました。「なぜ裸でポーズをとっているのだろう」と思いました。ダビデがどんな人物か、何も知りませんでした。ご存知の通り、この彫刻はルネサンスの天才的芸術家ミケランジェロの代表的な作品です。今から500年ほど前に作られました。日本はその頃、戦国時代でしたが、イタリアのフィレンツェ共和国もさまざまな敵と戦っていました。ダビデ像は、フィレンツェの人々に勇気を与えるため作られたようです。ダビデがゴリヤテと戦う直前、相手を睨み付けている姿だそうです。(風呂場のポーズではありません。笑)左手に石投げ、右手に石を持っているとのこと。(タオルと石鹸ではありません。笑)裸なのはルネサンス彫刻の特徴で、古代ギリシアの彫刻を真似たためとのこと。5メートル以上あるこの作品は、フィレンツェのみならず世界中の人に感銘を与えたようで、同じサイズのレプリカがたくさん作られ、世界各地に置かれています。日本では長野県の美術館の他、東京の恵比寿駅近くのビル(道沿い)にもあるそうです。

 ダビデが一躍ヒーローになったのは、巨人ゴリヤテに勝利したからでした。それは、彼の奇跡的な人生のほんの一コマでした。神は、人の思いを遙かに超えた大きな計画を持っておられたのです。ダビデの子孫として神ご自身が生まれ、全人類の救い主となる計画です。イエス様は、その計画を実現しに来られました。エルサレムに入城し、驚くべき奇跡を成し遂げられたイエス様を今日、心からほめたたえましょう。

「群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。『ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。』」(マタイ21:9)

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2019年4月 7日 (日)

救い主の奇跡を信じる

 先週は、新元号のニュースで持ちきりでした。「令和」になりましたね。「令」とは、上の者が下の者に命令すること。もともとは神の命令を意味したようです。「和」とは平和、穏やかなことですね。つまり「令和」とは、上の者が下の者に平和を命じるという意味になります。命じるのは、誰でしょう。総理大臣ですか?天皇陛下ですか?そうではないはずです。地上の全ての人に平和を命じるのは、天の王なるイエス様です。旧約聖書・詩篇34篇14節には、こう書かれています。

 「悪を離れて 善を行い 平和を求め それを追い続けよ。」

 ダビデによる詩篇ですが、ダビデを通し、神が命じられたことばだと言えます。最も大切なのは、創造主なる神との平和です。神との平和は、平安な心をもたらします。その心に基づき、私たちは互いに平和を築くことができます。来月から、新天皇による新しい時代が始まります。戦後70年以上にわたり、日本は平和な社会を築いて来ました。「令和」の時代には、日本の多くの人が神と平和な関係を築き、心に平安を得てほしいと願っています。

 ユダヤの宗教暦では、昨日から新しい年が始まりました。(ちなみにユダヤ教では、昨日はアブラハム、イサク、ヤコブの命日とされているそうです。)来週からユダヤ人の家では、過越の祭がお祝いされます。19日夜から1週間です。過越は、何のお祝いでしょうか?ユダヤ人たちが、エジプトを脱出したお祝いですね。今から3千数百年前の話です。エジプトでユダヤ人たちは奴隷にされ、強制労働させられました。苦しみの中、彼らは神に助けを求めました。すると神は、シナイ半島で羊飼いをしていたモーセをエジプトに遣わされたのです。モーセを用い、ユダヤ人を奴隷生活から救い出されました。エジプトからの解放を記念し、その日を永遠にお祝いしなさいと、神は彼らに命じられました。新時代開始のお祝いです。伝統を重んじるユダヤ人の家では、今でも世界中で過越の祭りをお祝いしています。

 エジプト脱出直後、神はユダヤ人たちを紅海のほとりに導かれました。そこは、人類の記憶に残る歴史的大事件の舞台となりました。日本では旧約聖書の話を知らない人が多いですが、この出来事なら知っていると言う人は、結構いるのではないでしょうか。海が二つに分かれた、あの大事件です。ユダヤ人たちはそこでキャンプし、一息ついていました。すると、エジプト軍が追っかけて来ました。目の前は海。後ろは当時の世界最強レベルの軍隊。どこにも逃げ場がありません。もう終わりだと、彼らは思いました。人の常識から考えれば、助かる見込みは0%です。しかし神には、いつもサプライズがあります。信じられないような奇跡が起こり、ユダヤ人たちは絶体絶命の危機から救われました。神が彼らをわざわざ海辺に導かれたのは、この奇跡のためだったのです。

 この歴史的大事件が、神を「救い主」と呼ぶきっかけになったと思われます。その後も繰り返し、神はユダヤ人を救い続けました。異邦人の敵から救われました。病気や災害から救われました。絶滅の危機からも救われました。旧約聖書の数々のエピソードは、イスラエルの神こそが救い主であると、私たちに力強く証言しています。その救い主が人となって来られたのが、イエス様です。イエス様はユダヤ人だけでなく、全人類の救い主となって下さいました。イエス・キリストを信じる人は、絶体絶命の危機から救い出されます。神との平和が与えられ、周りの人とも平和な関係を築けます。今後も驚くべき奇跡が起こると期待し、信じることができるのです。

「モーセは民に言った。『恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。・・・』」(出エジプト14:13)

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