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2019年5月

2019年5月26日 (日)

神の愛をともに喜ぶ

 私の父方の祖母は、北海道東部の旧紋別村(今の紋別市)出身でした。紋別は、オホーツク海沿岸で指折りの港町だそうです。カニ、ホタテ、カレイ、鮭等が名産品とのこと。残念ながら私は、一度も行ったことがありません。祖母は、その村の小間物屋の一人娘でした。父の話では、田舎でわがまま一杯に育ったそうです。同じ村出身でX線技師だった祖父と結婚し、樺太(サハリン)に移り住みました。当時の豊原市、今のユジノサハリンスクです。私の父が生まれた日は2月で、マイナス30度以下になったそうです。一家はその後、満州に渡り、祖父は医師の資格を得ました。そこから北京に移り、終戦後、紋別に戻りました。祖父は、僻地の診療所で働くようになりました。父は当時、旧制の中学生、今の高校生です。食糧難で、ニシンが大漁の日は学校が休みになり、みんなで漁師の手伝いに行ったそうです。十分な勉強はできなかったようですが、ある日、先生からこう言われました。「お前、北大を受けてみないか。」なんだか、私と似たような話です。父はその時、こう答えたそうです。「北大って、どこにあるんですか。」(笑)それでも何とか父は北大に合格し、紋別から札幌に出て来ました。

 そこで父は、母と出会いました。大学院生の時、アルバイトに行った病院で、母は事務をしていたそうです。母は、どちらかと言うと都会のお嬢様育ちでした。母方の祖父は外務省の役人で、一家は上海でいい暮らしをしていたようです。「あの頃は良かった」と、母は私によく話していました。終戦時、札幌近郊に引き揚げて来ました。結婚後、時々、舅と姑が突然、泊りに来たそうです。母は、姑と全くそりが合いませんでした。祖父の死後、祖母は私たちの家の近くにアパートを借り、しばらく一人で住んでいました。祖父の骨は、浄土真宗のお寺の納骨堂にありました。でも、いつの頃か祖母は、創価学会に入りました。私の母とは、ますます仲が悪くなりました。間に立つ父は、いつも大変そうでした。その様子を見た私は、こう考えました。「私が結婚する相手は、母と仲良くできそうな人にしよう。」良い結婚相手が見つかったことを感謝します。(ハレルヤ!)私がクリスチャンになった後、私の両親は洗礼を受けました。その後しばらくして、祖母も洗礼を受けました。祖母は10年前に亡くなり、葬儀は私が札幌に行き、執り行いました。いつかみんな天国で再会し、過去のわだかまりから解放され、仲良く暮らすことを楽しみにしています。

 ユダヤ人ナオミとモアブ人ルツは、模範的な姑と嫁でした。周りの人が感心するほど、二人は仲が良かったのです。モアブの地で、二人とも夫に先立たれました。ナオミはイスラエルに戻る決心をし、ルツには実家に帰るよう勧めました。モアブの人と再婚して、幸せになってほしいと願ったのです。でもルツは、こう答えました。「自分はもうモアブ人でなく、ユダヤ人だ。モアブの神ではなく、イスラエルの神を信じている。たとえ死んでも、私はお義母さんと離れない。」

 ルツは、なぜそう思ったのでしょう。ナオミが、ルツを愛弟子として大切に育てたからです。姑ナオミは、長男の嫁ルツにユダヤ人の妻としての生き方を教えました。ユダヤ人の信じる、創造主なる神の偉大さを伝えました。そして嫁のルツは、天地創造の神を信じたのです。その教えに従って生きたいと強く願いました。ナオミは、完璧な息子にもまさるような素晴らしい弟子を育てたのです。二人は神の驚くべき愛の計らいを体験し、喜びをともにすることができました。ルツはユダヤ人と再婚し、ナオミに「孫」を産んだのです。私たちも、そんな弟子づくりをしてみたいですね。

「女たちはナオミに言った。『主がほめたたえられますように。・・・その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。』」(ルツ4:14-15)

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2019年5月19日 (日)

祝福拝受のバトンを渡す

 先週は、バトンパスで大きなミスがありました。横浜で行われた世界リレー大会の男子400m予選です。日本は、この種目で金メダルを目指していました。途中まで好調で、米国とトップ争い。ところが第3走者と第4走者との間で、トラブルが発生しました。バトンをうまく渡せず、お手玉したのです。アンカーの桐生選手は、宙に浮いたバトンをなんとかキャッチして、ゴールインしました。でもバトンは手渡しするというルールがあり、残念ながら予選失格となりました。イギリスのBBC放送はこのシーンについて、こう伝えたそうです。「日本のヨシヒデ・キリュウが驚異的な『バトンキャッチ』をやってのけた。」今回は、バトンパスの練習が不足していたようです。桐生選手は、こうコメントしました。「・・・バトンは失敗しないだろうという緩みも少しあったと思う。バトンは集中しないとミスをするとあらためて思った。」コーチは、選手たちにこう語ったそうです。「東京オリンピックの時に、・・・今回の失敗が生きる形にしよう。」

 神の国の弟子づくりも、バトンリレーです。イエス様は、使徒たちに弟子づくりのバトンを渡しました。使徒たちは新たな弟子をつくるため、エルサレム、ユダヤ、サマリア、そして地の果てにまで遣わされました。派遣先で新たな弟子をつくり、彼らに弟子づくりのバトンを渡しました。そのバトンは、次から次へと異なる世界に住む新しい世代に手渡しされて来ました。今は、21世紀の日本に住む私たちに、バトンが渡されています。このバトンを次の世代に渡すため、私たちは、それぞれ決められたコースを走っています。バトンを宙に放り投げるのは、ルール違反です。誰にも渡さないのも、ルール違反。神の祝福を受け取るバトンを次の人に手渡す大切な使命が、私たちに与えられているのです。

 ユダヤ人をエジプトから解放したモーセも、祝福を受け取るバトンを次の人に手渡しました。弟子として育てたヨシュアにです。エジプト脱出後、ユダヤ人はすぐに約束の地を受け取れませんでした。心の準備がまだでした。カナンの地を受け取るのは無理だと、ほとんどの人が考えたのです。彼らは、海が2つに割れる驚くべき奇跡を目にしました。それでもなお、神に不可能はないと信じられなかったのです。そのためユダヤ人は、荒野40年間の特別訓練コースを走ることになりました。神が全ての必要を満たし、あらゆる戦いに勝利させて下さることを、彼らはもっと体験する必要があったのです。荒野の40年、モーセが彼らのリーダーを務めました。訓練の全コースを走り終え、約束の地に入る直前まで、モーセはユダヤ人を導きました。モーセも、約束の地に行きたかったはずです。でも、神はこう言われました。「あなたは、カナンの地に入れない。」このためモーセはヨシュアを弟子とし、祝福を受け取るバトンを彼に手渡したのです。

 モーセからヨシュアへのバトンタッチは、完璧でした。準備に40年かけたので、練習不足ではありませんでした。イエス様が弟子づくりにかけた時間のなんと10倍以上。まさに「神業」のバトンパス! ヨシュアはユダヤ人を率い、見事、神の祝福の地を受け取りました。この「神業」のバトンパスに、私たちも見習えることがたくさんあります。

「それからモーセはヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの目の前で彼に言った。『強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。』」(申命記31:7)

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2019年5月12日 (日)

まことの礼拝者を育てる

 「弟子」と訳される言葉は、原語のギリシア語では「マテーテス(mathetes)」、「学ぶ人」という意味です。この言葉に相当するヘブル語の単語は「タルミッド(talmid)」ですが、不思議なことに「タルミッド」という単語は、旧約聖書に1カ所しか出て来ません。神殿で奉仕する見習いミュージシャンのことです(Ⅰ歴代誌25:8)。一方、新約聖書には「マテーテス」は250回ほど登場します。その全てが福音書と使徒の働きです。聖書全体が「神のことば」であることを考えると、非常に偏った分布になっています。聖書で「弟子づくり」と言うと、ほとんどイエス・キリストから始まったような印象を受けるほどです。イエス様は、全く新しいことを始められたのでしょうか?旧約聖書を廃棄するためでなく、成就するために来たと、イエス様は言われました。だとしたら「弟子づくり」も、不完全な形かもしれませんが、旧約の時代に前例があった可能性があります。その方が、1世紀のユダヤ人たちにも分かりやすかったはずです。

 旧約時代、神の国の民は、ほとんどみな血のつながりがありました。アブラハムの子孫=ユダヤ人=神の国の民だったのです。彼らは、親の信仰を受け継ぎました。日本の多くの人と同じです。家の宗教が自分の宗教だったのです。先日、日本人のある女性のこんな話を聞きました。自分の家は浄土真宗だったが、嫁ぎ先の家は日蓮宗だった。自分は、親から浄土真宗の仏壇と納骨堂を受け継いだ。一家に2つの宗派はダメだと言われ、夫の了解を得て、家ごと浄土真宗に宗旨替えした。するとつい先日、嫁ぎ先の家も昔は浄土真宗だったことが分かったと言うのです。日蓮と親鸞のどちらが正しいかは、関係ない。教えの内容を比較・検討したわけではない。家の仏壇と納骨堂を相続したから、私はこれを信じる。そういう信仰です。ユダヤ人の信仰も、少しこれと似たところがあります。アブラハム以来、先祖代々受け継がれる家の宗教を彼らは信じたのです。親が子どもに家の信仰を継がせました。つまり、親が子どもを弟子として育てたのです。

 モーセの律法にも、子どもに神のことばを教えるのは親の責任だと書いてあります。妻と私は、子どもたちが小さいうちから、この責任をできるだけ果たそうとしました。北海道で開拓した教会に、教会学校はありませんでした。小学校1年生の長女を相手に、妻は一対一で教会学校を始めました。2歳の息子は、部屋の中を走り回っていました。0歳の次女は、兄を全く気にせず寝ていました。家でも毎週、聖餐式をしました。聖書のみことばを読み、一緒に祈りました。子どもが外に出掛ける時は、いつも祈りました。寝る前にも祈りました。何か問題があれば、聖書にどう書いているか考え、話し合いました。学習発表会で、長女が「かさこ地蔵」の劇に出演させられた時は、小学校にクレームをつけました(幸いなことに?、娘は地蔵役ではありませんでしたが・・・苦笑)。アンケートが配られたので、こう書きました。「特定の信仰に基づく劇への出演を生徒に強制しないでほしい。」その後、わが家の子どもたちが小学生のうちは、「かさこ地蔵」は上演されませんでした。ハレルヤ!

 アブラハムは、息子イサクを弟子として育てました。イサクは、息子ヤコブを弟子にしました。ヤコブは、12人の息子たちを弟子にしました。何世代にもわたり、天地創造の神を礼拝する弟子たちが育てられて行ったのです。今日は、母の日です。母親は父親とともに、子どもたちに大きな影響を与えます。もちろん子どものいない人も、アブラハムの弟子づくりから学べることがあります。私たちもアブラハムのように、弟子づくりをする弟子をつくって行きましょう。

「・・・イサクは尋ねた。『火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。』アブラハムは答えた。『わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。』こうして二人は一緒に進んで行った。」(創世記22:7-8)

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2019年5月 5日 (日)

神の国の象徴にならう

 先週、新天皇が即位し、「令和」の時代が始まりました。日本全国で、たいへんな盛り上がりでしたね。いくつか興味深い(そして残念な)ニュースもありました。一つは、前天皇皇后両陛下が最後の地方訪問で伊勢神宮を参拝したことです。天皇家の祖先とされる女神アマテラスに、退位の報告をするためです。神道で、アマテラスは日本国民全体の神とも信じられているようです。一方、日本国憲法で天皇は、「日本国の象徴」と定められています。その天皇が退位の報告に伊勢神宮を参拝することは、日本にとって深い意味を持ちます。「日本国の象徴がアマテラスを拝むのだから、日本人はみなその信仰にならい、この女神を拝むべきだ。」そういう暗黙のメッセージが伝わって来ます。実際、GW中に伊勢神宮を参拝する人は、昨年より大幅に増える見込みだそうです。

 新天皇即位の儀式も、神道の信仰に基づいています。新天皇は、前天皇から三種の神器を引き継ぎました。それは日本の国を治めるため、アマテラスが孫のニニギに授けたものだと言われています。つまり、天皇として即位するには、女神アマテラスから授かった物を受け継がなければならないのです。日本国の象徴たる天皇は、アマテラスに任命されるという意味になります。平成の時代、ある総理大臣はこういう発言をしました。「日本の国は、天皇を中心としている神の国だ。」その発言は当時、かなり批判されました。しかしその後、平成が終わりに近づくにつれ、日本の伝統的信仰に舞い戻る人が増えたように感じます。神道に基づく皇位継承の儀式を国の公式行事として行っても、残念に思う人は多くなかったかもしれません。日本国の象徴たる天皇は、「(八百万の)神々の国」の信仰にならう「弟子」を増やしているようにも見えます。

 イエス様は、天地創造の父なる神から、全世界の王に任命されました。唯一、創造主なる神だけを礼拝し、その神に従う生き方の模範を示されました。創造主なる神は、地域限定の神ではありません。日本だけで信じられ、日本国の象徴だけに権威を与える神々とは違います。全世界を造り、あらゆる権威の上に立つ権威を持つお方です。その全能の力が及ぶ範囲全てが、まことの神の国です。イエス様は神の国の王であり、象徴です。世界中のどんな人でも、イエス様の教えから学び、その生き方にならうことができるのです。

 イエス様は、その教えを守り、生き方にならう弟子をつくられました。弟子たちを世界中に遣わし、彼らを用いて新たな弟子づくりを進めて来られました。12人の弟子は増え広がり、今や全世界に20億人のクリスチャンがいます。私たちは今、この日本に遣わされています。偶像の神々でなく、天地創造の神だけを拝む人を募り、人々をまことの神の国に招き入れるためです。イエス様は、弟子たちに「平安があるように」と言われました。それはおそらく、ヘブル語の「シャローム」という挨拶で、「平和があるように」とも訳されます。平和の命令、「令和」です。新しい令和の時代、イエス様の弟子をつくり、この日本に神の国の平和を築いて行きましょう。それこそが、神の国の象徴であるイエス様にならう生き方なのです。

 「イエスは再び彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。』」(ヨハネ20:21)

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