神の愛をともに喜ぶ
私の父方の祖母は、北海道東部の旧紋別村(今の紋別市)出身でした。紋別は、オホーツク海沿岸で指折りの港町だそうです。カニ、ホタテ、カレイ、鮭等が名産品とのこと。残念ながら私は、一度も行ったことがありません。祖母は、その村の小間物屋の一人娘でした。父の話では、田舎でわがまま一杯に育ったそうです。同じ村出身でX線技師だった祖父と結婚し、樺太(サハリン)に移り住みました。当時の豊原市、今のユジノサハリンスクです。私の父が生まれた日は2月で、マイナス30度以下になったそうです。一家はその後、満州に渡り、祖父は医師の資格を得ました。そこから北京に移り、終戦後、紋別に戻りました。祖父は、僻地の診療所で働くようになりました。父は当時、旧制の中学生、今の高校生です。食糧難で、ニシンが大漁の日は学校が休みになり、みんなで漁師の手伝いに行ったそうです。十分な勉強はできなかったようですが、ある日、先生からこう言われました。「お前、北大を受けてみないか。」なんだか、私と似たような話です。父はその時、こう答えたそうです。「北大って、どこにあるんですか。」(笑)それでも何とか父は北大に合格し、紋別から札幌に出て来ました。
そこで父は、母と出会いました。大学院生の時、アルバイトに行った病院で、母は事務をしていたそうです。母は、どちらかと言うと都会のお嬢様育ちでした。母方の祖父は外務省の役人で、一家は上海でいい暮らしをしていたようです。「あの頃は良かった」と、母は私によく話していました。終戦時、札幌近郊に引き揚げて来ました。結婚後、時々、舅と姑が突然、泊りに来たそうです。母は、姑と全くそりが合いませんでした。祖父の死後、祖母は私たちの家の近くにアパートを借り、しばらく一人で住んでいました。祖父の骨は、浄土真宗のお寺の納骨堂にありました。でも、いつの頃か祖母は、創価学会に入りました。私の母とは、ますます仲が悪くなりました。間に立つ父は、いつも大変そうでした。その様子を見た私は、こう考えました。「私が結婚する相手は、母と仲良くできそうな人にしよう。」良い結婚相手が見つかったことを感謝します。(ハレルヤ!)私がクリスチャンになった後、私の両親は洗礼を受けました。その後しばらくして、祖母も洗礼を受けました。祖母は10年前に亡くなり、葬儀は私が札幌に行き、執り行いました。いつかみんな天国で再会し、過去のわだかまりから解放され、仲良く暮らすことを楽しみにしています。
ユダヤ人ナオミとモアブ人ルツは、模範的な姑と嫁でした。周りの人が感心するほど、二人は仲が良かったのです。モアブの地で、二人とも夫に先立たれました。ナオミはイスラエルに戻る決心をし、ルツには実家に帰るよう勧めました。モアブの人と再婚して、幸せになってほしいと願ったのです。でもルツは、こう答えました。「自分はもうモアブ人でなく、ユダヤ人だ。モアブの神ではなく、イスラエルの神を信じている。たとえ死んでも、私はお義母さんと離れない。」
ルツは、なぜそう思ったのでしょう。ナオミが、ルツを愛弟子として大切に育てたからです。姑ナオミは、長男の嫁ルツにユダヤ人の妻としての生き方を教えました。ユダヤ人の信じる、創造主なる神の偉大さを伝えました。そして嫁のルツは、天地創造の神を信じたのです。その教えに従って生きたいと強く願いました。ナオミは、完璧な息子にもまさるような素晴らしい弟子を育てたのです。二人は神の驚くべき愛の計らいを体験し、喜びをともにすることができました。ルツはユダヤ人と再婚し、ナオミに「孫」を産んだのです。私たちも、そんな弟子づくりをしてみたいですね。
「女たちはナオミに言った。『主がほめたたえられますように。・・・その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。』」(ルツ4:14-15)
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