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2019年6月

2019年6月30日 (日)

正しいことを実現する

 いよいよ選挙です。今回は参院選だけになりましたね。参議院議員は現在242名。今回は、半数の121名プラス定数増の3名、合計124名の選挙です。今週木曜に公示とのこと。また賑やかなキャンペーンが始まりそうです。

 日本には、「選挙の洗礼」という言葉があります。辞書には、こう書かれてます。「選挙の洗礼」=「政治家が選挙を通じて経験する、有権者による厳しい審査を意味する」。つまり「洗礼」は、厳しい審査、テストという考え方です。入学試験や入社試験のようですね。テストに合格すれば、議員バッジをつけて国会議事堂に入ることができる。国からお金をもらい、長く勤めればたくさん年金ももらえる。(2000万円貯金がなくても大丈夫かな?)

 この特権を手にできるかどうか、審査するのは有権者、つまり選挙権のある国民です。最近は残念ながら、有権者の半数近くが審査する権利を放棄しています。投票に行きません。例えばある候補者が50数%の有権者に審査され、その半数の票を得て当選したとします。その候補者を支持した人は、有権者全体の3割未満です。7割の人は、はっきり支持はしていません。この人は、厳しい審査に合格したと言えるのでしょうか?当選結果こそが「民意(国民の意思)」だという主張には、無理があるように思えます。有権者は棄権せず、ぜひ審査の権利を活かしてほしいですね。「選挙の洗礼」を受け、当選した議員の先生方は、「国民に仕えるしもべ」としてふさわしい働きをされるようにお祈りしています。

 「洗礼」は、「バプテスマ(βάπτισμα)」というギリシア語の日本語訳です。「沈めること、浸すこと」という意味の言葉です。「洗礼」という日本語は、文字通り読めば「洗う」ですから、「沈める、浸す」という意味になりません。そのため、この単語を使わない教会もあります。新改訳2017も「洗礼」ではなく、「バプテスマ」と訳しています。「選挙の洗礼」などとは違うので区別したいという、翻訳者の意図もあったのかもしれません。

 紀元30年頃、多くのユダヤ人がヨルダン川に集まり、バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けました。バプテスマのヨハネは、人々に尊敬される預言者でした。彼は、こう預言しました。「もうすぐ約束の救い主が来られる。救い主を迎える準備をしなさい。悔い改めて、心の向きを神の方向に変えなさい。」バプテスマ(洗礼)は、悔い改めの宣言でした。「自分は神から離れていました。でも、これからは神の方向に向き直します。」神と人の前で、そう宣言することです。ですからバプテスマ(洗礼)自体は、テストとは違います。心の内側の変化を、外に表現することです。神は、私たちの心を見ておられます。形だけ水につかっても、神に喜ばれません。私たちの心が神の方向に向くことこそが、「神意(神のご意思、みこころ)」なのです。

 バプテスマ(洗礼)を受けるのは「正しいこと」だと、イエス様は言われました。「正しいこと」とは、何でしょう。それは、「神意(神のご意思、みこころ)」にかなうことです。天地創造の神だけが、唯一正しいお方です。人は皆、その正しさから離れ、間違ったことをしてしまいます。イエス様は、全ての人を正しい道に連れ戻すため、私たちの世界に来て下さいました。人として正しく生きる模範を自ら示して下さいました。バプテスマ(洗礼)も、その一つです。イエス様の弟子になる人は、聖霊の助けにより、正しい生き方ができます。正しいことは何かを理解し、それを実現できます。周りの人にも、正しい生き方の模範を示すことができるのです。

「しかし、イエスは答えられた。『今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。』」(マタイ3:15)

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2019年6月23日 (日)

人生のロールモデルとなる

 先月、休暇をとり、初めて長崎を訪問しました。昨年、世界遺産に登録されたキリシタン関連遺産を見るためです。一昨年、私は初めて広島に行き、原爆ドームを見て来ました。いつか長崎にも行きたいと考えていました。今年、その機会が訪れたことを感謝します。今回の旅行で最も印象に残ったのは、殉教したキリシタンたちの熱い信仰です。激しい迫害に負けず、彼らは信仰を守り抜きました。彼らの尊い犠牲が、今の日本社会の土台の一部になったのだと改めて考えさせられました。

 最初に大きな迫害の波が来たのは、カトリックの宣教師が来日して50年ほど経った頃でした。当時の支配者・豊臣秀吉は、キリシタンが増えると、日本はスペインやポルトガルの植民地になると考えたのです。キリシタン26名が逮捕され、長崎で十字架につけられました。4千人を超える群衆の前で、リーダーのパウロ三木は十字架上からこう叫んだそうです。「人の救いのために、キリシタンの道以外に他はないと断言する。私は、国王(秀吉)とこの死刑に関わった全ての人を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼と全ての日本人がキリスト信者になることを切望する。」その後、支配者が代わっても迫害は続きました。33名のキリシタンは、雲仙地獄で拷問されました。煮えたぎる湯壺に漬けられたり、体に熱湯をかけられたり・・・。でも彼らは、死ぬまで信仰を捨てませんでした。さらに、島原の乱も起きました。3万7千人のキリシタンが、厳しい税の取り立てとキリシタン弾圧に反対して起こした反乱です。政府側の圧倒的な攻撃により、キリシタン勢は全滅しました。(彼らが立てこもった原城跡は、世界遺産になりました。)キリシタンの取り締まりは、一層厳しくなりました。それでも、キリシタン信仰は日本から無くなりませんでした。潜伏し、信仰を守る人々がいたのです。

 2つ目の大きな迫害の波は、キリシタンの禁教が解かれる直前です。島原の乱から200年以上経ち、再び外国人が日本に来始めました。カトリック教会は、長崎で処刑された26聖人を記念する教会堂を建設。世界遺産となった大浦天主堂です。正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」と言います。教会堂が完成して1ヶ月後、驚くべき出来事がありました。200年以上、代々信仰を受け継いだ潜伏キリシタン10数名が、フランス人神父に会いに来たのです。その後、再び迫害の波が押し寄せました。3千人を超えるキリシタンが拷問され、強制労働させられました。しかし今度は日本政府に対し、欧米各国から圧力がかかりました。そしてついに禁教が解かれ、キリシタン信仰が公認されたのです。今の日本には、「信教の自由」があります。私たちが当然のように思うこの権利は、実は多くの人の犠牲を通し、初めて認められたものです。(戦後、日本国憲法でも追認されました。)この権利を勝ち取った殉教者たちの姿は、私たちの偉大なロールモデルとなっているのです。

 使徒パウロも、弟子テモテのロールモデルになりました。彼はローマ帝国各地に福音を伝え、教会を開拓しました。自分に与えられた使命を全て全うしました。迫害され、殉教の時が近づいても、最期まで信仰を守り通しました。その勇敢な姿は、テモテに大きな影響を与えたはずです。聖霊の助けにより、私たちも同じような生き方ができます。新たに弟子となる人のロールモデルになれるのです。

「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」Ⅱテモテ4:7-8

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2019年6月 9日 (日)

新たなヒーローの油注ぎを祈る

 旧約の時代、ヒーローはごく一握りの人たちでした。神に特別に選ばれ、用いられた人々です。預言者エリヤも、その一人。エリヤの時代、イスラエルの国は2つに分裂していました。北のイスラエル王国と南のユダ王国です。エリヤは北王国にいました。そこでは、国を挙げて偶像の神々を拝んでいました。(残念ながら、日本と似ていますね。)国王夫妻が率先し、偶像礼拝を広めていたのです。王の名はアハブ、王妃はイゼベル。旧約時代を代表する、悪名高き国王夫妻です。エリヤは、たった一人で国の指導者たちと対決しました。カルメル山で、驚くべき奇跡を行いました。エリヤを遣わした神が本物で、偶像の神々は偽物だと証明したのです。エリヤは、歴史に残る偉大なヒーローの一人となりました。ところが国王夫妻は、自分たちの誤りを認めませんでした。偶像礼拝をやめるどころか、預言者エリヤを悪者にし、抹殺しようとしたのです。

 神はその時、エリヤに新たなミッションを与えられました。彼の働きを引き継ぐ、新たなヒーローをつくることです。「エリシャに油を注ぎ、あなたに代わる預言者としなさい」と、神は言われました。「油注ぎ」には、特別な意味がありました。神から重要な働きが委ねられたという意味です。当時はイスラエルの王や祭司、預言者等、一部のリーダーだけが油注ぎを受けました。エリシャの場合は、預言者エリヤの働きを引き継ぐための油注ぎでした。その後、エリシャはエリヤの弟子として数々の奇跡を行いました。神のことばを大胆に語りました。歴史的なヒーローが、新たなヒーローを生み出したのです。

 油注ぎの油は、聖霊を象徴しています。油自体に、魔法のような不思議な力があったのではありません。油注がれた人には、聖霊が注がれたのです。全能の神の霊的な力により、旧約時代のヒーローたちは偉大な働きを成し遂げました。モーセは海を2つに分け、ユダヤ人をエジプトから解放しました。ヨシュアは、約束の地を勝ち取りました。ダビデは、イスラエルの王国の基礎を築きました。エリヤは、偽預言者との戦いに圧勝しました。そしてエリシャも、預言者として大活躍しました。アハブ王家に代わる新たな国王にも、エリシャの命令で油が注がれました。神はヒーローたちに次々と聖霊の油を注ぎ、大きく用いて下さったのです。

 イエス様の到来とともに旧約時代は終わり、新約の時代が始まりました。一部の人でなく、全ての人がヒーローになる新しい時代です。イエス・キリストを信じるなら、誰にでも聖霊が注がれます。神の国の偉大な働きが委ねられます。ごく一部の偉い人だけに油が注がれる古き時代は、過ぎ去りました。どんな人も油注ぎを受け、神の国のヒーローになれる時代が来たのです。

 今日は、ペンテコステです。イエス様を信じるあらゆる人に、初めて聖霊が注がれた記念日です。聖霊の恵みを感謝しましょう。そして祈りましょう。聖霊の油が、新たにヒーローとなる人々にも溢れるばかりに注がれるように・・・。

「これは、預言者ヨエルによって語られたことです。『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。』」(使徒2:16-18)

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