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2019年6月23日 (日)

人生のロールモデルとなる

 先月、休暇をとり、初めて長崎を訪問しました。昨年、世界遺産に登録されたキリシタン関連遺産を見るためです。一昨年、私は初めて広島に行き、原爆ドームを見て来ました。いつか長崎にも行きたいと考えていました。今年、その機会が訪れたことを感謝します。今回の旅行で最も印象に残ったのは、殉教したキリシタンたちの熱い信仰です。激しい迫害に負けず、彼らは信仰を守り抜きました。彼らの尊い犠牲が、今の日本社会の土台の一部になったのだと改めて考えさせられました。

 最初に大きな迫害の波が来たのは、カトリックの宣教師が来日して50年ほど経った頃でした。当時の支配者・豊臣秀吉は、キリシタンが増えると、日本はスペインやポルトガルの植民地になると考えたのです。キリシタン26名が逮捕され、長崎で十字架につけられました。4千人を超える群衆の前で、リーダーのパウロ三木は十字架上からこう叫んだそうです。「人の救いのために、キリシタンの道以外に他はないと断言する。私は、国王(秀吉)とこの死刑に関わった全ての人を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼と全ての日本人がキリスト信者になることを切望する。」その後、支配者が代わっても迫害は続きました。33名のキリシタンは、雲仙地獄で拷問されました。煮えたぎる湯壺に漬けられたり、体に熱湯をかけられたり・・・。でも彼らは、死ぬまで信仰を捨てませんでした。さらに、島原の乱も起きました。3万7千人のキリシタンが、厳しい税の取り立てとキリシタン弾圧に反対して起こした反乱です。政府側の圧倒的な攻撃により、キリシタン勢は全滅しました。(彼らが立てこもった原城跡は、世界遺産になりました。)キリシタンの取り締まりは、一層厳しくなりました。それでも、キリシタン信仰は日本から無くなりませんでした。潜伏し、信仰を守る人々がいたのです。

 2つ目の大きな迫害の波は、キリシタンの禁教が解かれる直前です。島原の乱から200年以上経ち、再び外国人が日本に来始めました。カトリック教会は、長崎で処刑された26聖人を記念する教会堂を建設。世界遺産となった大浦天主堂です。正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」と言います。教会堂が完成して1ヶ月後、驚くべき出来事がありました。200年以上、代々信仰を受け継いだ潜伏キリシタン10数名が、フランス人神父に会いに来たのです。その後、再び迫害の波が押し寄せました。3千人を超えるキリシタンが拷問され、強制労働させられました。しかし今度は日本政府に対し、欧米各国から圧力がかかりました。そしてついに禁教が解かれ、キリシタン信仰が公認されたのです。今の日本には、「信教の自由」があります。私たちが当然のように思うこの権利は、実は多くの人の犠牲を通し、初めて認められたものです。(戦後、日本国憲法でも追認されました。)この権利を勝ち取った殉教者たちの姿は、私たちの偉大なロールモデルとなっているのです。

 使徒パウロも、弟子テモテのロールモデルになりました。彼はローマ帝国各地に福音を伝え、教会を開拓しました。自分に与えられた使命を全て全うしました。迫害され、殉教の時が近づいても、最期まで信仰を守り通しました。その勇敢な姿は、テモテに大きな影響を与えたはずです。聖霊の助けにより、私たちも同じような生き方ができます。新たに弟子となる人のロールモデルになれるのです。

「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」Ⅱテモテ4:7-8

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