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2019年7月

2019年7月28日 (日)

日々の実践を勧める

 所沢駅周辺は、再開発が進んでいます。32年前、私が初めて所沢に来た頃、駅舎は小さく控えめで、駅ビルもありませんでした。西口には、前の年にオープンした西武百貨店がドーンと目立っていました。東口は西武本社以外めぼしい建物がなく、空き地ばかり。駅から教会までの道沿いには、茶畑が広がっていました。高層マンションも、もちろんなし。「翔んで埼玉」を描いた漫画家の魔夜峰央さんは、その数年前に、所沢に住んでいたそうです。西武デパートも西武本社もまだない頃・・・。その頃は、東京との県境に関所があり、通行手形が必要だと感じたかもしれません(笑)。所沢は、その頃から大きく変わり、今も変化しつつあります。東口は駅ビルが整備され、今や全く別の街のようです。西口も一変し、さらに工事が進行中です。来月にはゴンチャもできるとのこと。タピオカティーの専門店だそうです。「これで、ダ埼玉から卒業だ」と喜んでいる人もいるようです(笑)。

 所沢の利点の一つは、地盤の良さだそうです。ある会社が、東京の鉄道沿線の地盤を調べました。地盤の良さ第一位にみごと輝いたのは、われらが西武池袋線!第二位は西武新宿線!所沢駅は石神井公園、ひばりヶ丘等とともにハイスコアをマークしています。地盤が良いためか、所沢市内にはタワーマンションが増えています。これまでもいくつかありましたが、今なお新たに建設中です。注目の一つは、駅前に建設中の29階建てのマンション。「億ション」が完売したと聞きました。(どんな人が買ったのかな?)この話を聞いたある雑誌記者は、こう言いました。「ダ埼玉の典型である所沢で、億ションが売れるのは驚きです。」私は首都圏暮らし20年以上で、そのうち所沢住まいが15年ですが、田舎者のせいか、未だに「ダ埼玉の典型」という感覚が良く分かりません(笑)。地震や大雨対策を考えれば、地盤の良い土地の方が間違いないはずです。地盤(と地価の安さ?)だけ考えるなら、所沢は家を建てるのに適した土地の一つと言えるようです。

 2000年前のユダヤ人は、ダ埼玉は知らないけれど、地盤の話は通じました。「家を建てるなら地盤の良い所。砂地に建てるのは愚かだ。」・・・そ~んなのジョーシキ~~♪でした。イエス様は、この常識を例えに用いられたのです。キリストの教えを実践する人は、地盤の良い地に家を建てる賢い人に例えられました。地震や嵐が来ても、地盤が良ければ家はびくともしない。そんな家は、私たちのあるべき姿を象徴しています。イエス様の弟子として生きる姿です。

 教えを聞くだけの人は、弟子とは言えません。弟子とは、師匠の教えを守り、実践する人です。イエス様は、どんな非常事態にも揺れ動かない大きな岩です。キリストの弟子として教えを守り、実践する人は、その岩にしっかりしがみついています。何が起きても揺れ動かない生き方ができます。雨にも負けず、風にも負けず、どんな試練や困難をも乗り切ることができます。

 一方、イエス様の教えを聞いても実践しない人は、大きな岩から離れた場所にいます。地盤の悪さに気づいていません。一見、良さそうな土地に見えます。他にもそこに家があるから、大丈夫だろうと思います。神の国のハザードマップも見ません。「ダ埼玉じゃないからいいや」とでも言って(笑)、そこに自分の家を建てます。でもそれは、残念な結果になります。試練が来ると、それまで築き上げたものを全て失ってしまうのです。

 イエス様はもちろん、私たちの幸いを心から願っておられます。あらゆる人がキリストの教えを日々実践し、神の国の祝福を手にしてほしいと願われています。他の人にもそんな生き方を勧めてほしいと、イエス様は願われています。そうする人は、固い地盤の上にそびえ建つ、頑丈なタワーマンションのような生き方ができるのです。

「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。」(マタイ7:24)

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2019年7月21日 (日)

生き方の基準を示す

 何かを測ったり、評価するには、基準が必要です。長さの場合、昔は人の体が基準でした。古代メソポタミアやエジプト、ギリシア、ローマ等では、肘から中指の先までが長さの単位でした。キュビト(cubit)と呼ばれます。もちろん、腕の長さは人によって異なります。国王等、その土地の有力者の体が基準になったそうです。でも、大きい人も小さい人もいました。1キュビトは多くの場合、43~53センチで、10センチの幅がありました。(中には60センチ以上のこともあり、その場合は20センチの幅でした!)

 ちなみに私は、測ったら約45センチでした。キュビトとして使えそうです(笑)。古代イスラエルでも、キュビトが用いられました。やはり、45センチくらいです。ダビデ王やソロモン王も、ひょっとしたら私と同じくらいの背格好だったのでしょうか。

 多くの人が世界中を行き来し始めると、長さの単位を統一する必要が生まれました。その時、基準になったのは地球の大きさです。人体から地球ですから、規模が大きくなりました。1790年代、革命直後のフランスからチームが派遣され、地球を正確に測量しました。そして、北極から赤道までの距離の1千万分の1を1メートルと決めたのです。その後、金属製の「メートル原器」も作られました。世界中の長さの基準となる物差しです。

 でも今は、もっと正確に長さが測られています。地球の大きさではなく、光の速さが基準です。1メートルは、ある時間内に光が真空中を伝わる距離です。なんと299,792,458分の1秒間!まばたきする間もありません。この世界共通の基準を用い、現在はどこでも正確に長さを測れるとのこと。基準と比べ、どれ程大きいのか小さいのか、誰もが正しく判断することができます。

 私たちの生き方はどんな基準で測り、評価すれば良いのでしょう?どんな物差しが良いのか?クリスチャンになる前、私はこの問題を考えていました。どんな生き方が良いのか、分からなかったからです。子供の頃は、親や先生たちの教えが物差しでした。大人の言うことを聞いていれば、それで良かった。でも思春期に入ると、それまでの基準に疑問を持ち始めました。友人たちの物差しも、頼りにならない感じがしました。世間の「常識」とされる物差しも、無批判に受け入れる気にはなりませんでした。多くの人が正しいと考えても、間違っている可能性があるからです。どんどん戦争に深入りした戦前の日本が、まさにそうでした。国や時代を超え、誰もが自分の生き方を測り、点検できる正確な物差しは何か。私が最終的にこれだと思った基準は、聖書のことばでした。

 全てを造られた神は、私たちの人生に祝福の計画を持っておられます。私たちが祝福の道を歩めるように、生き方の基準が示されています。数え切れないほどの人々に、神はこれまで物差しを与えられました。アブラハムやイサク、ヤコブの家族に対して。モーセと荒野の民に対して。約束の地に入ったユダヤ人に対して。約束の地から追われたユダヤ人に対して。

 そしてイエス様は、全ての人がどう生きるべきか、その基準をさらに明確にされました。神との関係を最優先にしているか。神の愛を周りに伝え、神の国の平和を築いているか。天に満ちる神の愛を、地にも満たしているか。これが、私たちの生き方を測る物差しの一例です。私たちは自らの生き方を通し、他の人にもこの基準を示すことができるのです。

「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』」(マタイ6:9-10)

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2019年7月14日 (日)

ミッションを共有する

 23年前、映画「ミッション:インポッシブル」が公開されました。私が留学から帰国し、北海道で教会開拓を始めた頃です。私は、この映画をぜひ見たいと思いました。昔のテレビドラマ「スパイ大作戦(原題“Mission: Impossible”)」の映画化作品だと聞いたからです。「スパイ大作戦」は、私が小学生の頃、日本のテレビで放映されていました。夜9時以降の放送で、私は見せてもらえませんでした。子供は9時に寝る決まりだったのです。でも寝る用意が遅れ、毎回テーマ曲を聞きました。(今も映画で使われる、あの曲です。)オープニングで、導火線にマッチで火をつける映像も見ました。「おはようフェルプス君」と始まる録音テープのシーンも見ました。「なおこのテープは自動的に消滅する」と言って、煙が出て来ました。でも、その先は残念ながら見ることができませんでした。「早く寝なさい」と言われ、しぶしぶ子供部屋に行ったのです。当時は録画もできなかったので、全く見る機会がありませんでした。

 そのドラマの映画化ですから、私は興味津々でした。シリーズの映画6作品は、全て見ました。タイトル通り、不可能に見える任務を毎回みごとに成功させるストーリーです。CGやスタントなしで撮影する主演トム・クルーズの驚異的なアクションも、毎回話題になります。天井裏からコンピュータールームに、忍者のように入ったり・・・猛スピードのバイクで追跡したり、されたり・・・断崖絶壁や超高層ビルの壁を命綱なし(?)で登ったり・・・離陸する飛行機にしがみついたり――。トム・クルーズは、先日57歳になったそうです。(私と2歳違いです。)今後も主演を続け、2年後、3年後には7作目、8作目を公開するとのこと。トム・クルーズが自らアクションシーンを演じること自体が不可能な任務、「ミッション:インポッシブル」になっているかもしれません。

 イエス様は、「不可能な任務(ミッションインポッシブル)」を果たすため、この世に来られました。神と人との関係を回復し、全人類を天の御国に連れ戻すミッションです。時間と空間を超越した神が人間になること自体、あり得ないことです。さらにイエス様は、旧約聖書に記されるあらゆる預言をことごとく成就されました。罪を犯さず、死ぬこともない神なのに、全ての人の罪を背負い、十字架の上で死なれました。そして復活の奇跡を起こされました。一握りの一般人を用い、世界中に天の御国のネットワークをつくられました。厳しい迫害のある地域でも、今なお弟子の数が増え続けています。人類は、エデンの園を失いました。でも神は、イエス・キリストを信じる人を新たな永遠の楽園に招き入れて下さったのです。人が自分の力で楽園に戻ることは、不可能でした。でもイエス様はみごとそのミッションを完了し、不可能を可能にされたのです。

 イエス様は、この「不可能な任務」を弟子たちと共有されました。任務の内容を彼らに伝え、働きの場へ送り出されました。今は私たちが、「ミッションインポッシブル」のために送り出されています。人を天の御国に連れ戻す「不可能な任務」です。驚異的なアクションシーンは、おそらくないでしょう。それでも私たちの力だけでは、任務を完了できません。聖霊の力により、私たちはこの不可能なミッションを成し遂げることができます。新たに力を受ける人々とミッションを共有することもできるのです。

「あなたがたは世の光です。・・・あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」(マタイ5:14、16、新改訳2017

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2019年7月 7日 (日)

ビジョンを語る

 30年ほど前、東京の企業に勤めた頃、会社のビジョンづくりに関わりました。将来、どんな会社にしたいかというイメージを描く作業です。私は当時、アラサーの新米パパでした。トラック運転手の作業着を脱ぎ、ビジネススーツを着るようになりました。往復3時間の電車通勤で、たっぷり本が読めました。信仰書も読みました。ビジネス書も読みました。信仰と仕事がどう関わるのかと、考えていました。

 私の会社には、将来の目標がありました。何年後、売上や利益をこうしたいという数値目標です。上司や同僚は、売上や利益を上げることが仕事の目的のようでした。会社が生き残り、社員の生活が支えられるには、確かに必要でしょう。でも私はクリスチャンとして、それだけで納得がいきませんでした。聖書的な観点から、仕事の目的は何か、会社で働く理由は何なのか、納得のいく説明がほしかったのです。ビジョンづくりに積極的に関わったのも、そのためでした。

 結論から言うと、そのビジョンづくりは大失敗しました。多くの社員による提言を、会社のトップが完全にスルーしたのです。実はビジョンをまとめる途中で、社長の交代がありました。関係する役員も代わりました。新経営陣は、ビジョンづくりに関心がなかったのです。結局、私はその会社を4年で辞めました。(その後、留学して頭を冷やしました。笑)

 この経験を通し、私はいくつか教訓を学びました。その一つは、ビジョンはトップリーダーが語るべきだということです。周りの人が無理に語らせようとしてもダメです。但し、トップのビジョンも、いつも正しいとは限りません。人間だから、間違うこともあります。会社の場合は、間違えるとつぶれる恐れがあります。私が勤めた会社は、今も続いています。以前とほぼ変わらない会社の姿です。それがひょっとすると、当時の社長が心に思い描いたビジョンだったのかもしれません。以前の挑戦的な売上目標には、今も達していないようです。でも当時の経営陣が会社の安定を選択したことは、それはそれで間違っていなかったのかもしれません。

 聖書では、ビジョンは神から語られるものです。神がある人を用い、他の人々に伝えるメッセージの一種です。つまり、視覚的なイメージを通して語られる預言のことばです。日本語の聖書では、ビジョンは「幻」と訳されています。幻と言うと、すぐに消え去るような、はかないイメージがあります。でも聖書の幻、ビジョンは違います。神が語る、決して消えないメッセージなのです。神は預言者たちにビジョンを与え、イスラエルの人々にメッセージを伝えられました。預言者ナタンは、ダビデの子孫が永遠の王となるビジョンを語りました。エゼキエルは、破壊された神殿が建て直され、その下から水が流れ出すビジョンを語りました。イザヤは、全世界が新しくされるビジョンを語りました。この他にも数多くの預言者が遣わされ、神のビジョンを語りました。間違ったビジョンを語れば死刑だったので、語る人も命懸けでした。

 イエス様は、神が語ったあらゆるビジョンを実現するため、この世に来られました。イエス様が、改めて語られたビジョンもありました。例えば、全世界の行く末について。そして、私たち一人ひとりの生き方について。聖霊を通し、イエス様は今も私たちにビジョンを語られます。他の人にも伝えるべきビジョンを、私たちに教えて下さいます。世界は、どこに向かうのか。私たちは、どう生きるべきなのか。私たちが日々なすべきことは、何なのか。聖霊の助けにより、私たちは神のビジョンを受け取り、周りの人に語ることができるのです。

「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」(マタイ4:19-20)

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