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2019年7月21日 (日)

生き方の基準を示す

 何かを測ったり、評価するには、基準が必要です。長さの場合、昔は人の体が基準でした。古代メソポタミアやエジプト、ギリシア、ローマ等では、肘から中指の先までが長さの単位でした。キュビト(cubit)と呼ばれます。もちろん、腕の長さは人によって異なります。国王等、その土地の有力者の体が基準になったそうです。でも、大きい人も小さい人もいました。1キュビトは多くの場合、43~53センチで、10センチの幅がありました。(中には60センチ以上のこともあり、その場合は20センチの幅でした!)

 ちなみに私は、測ったら約45センチでした。キュビトとして使えそうです(笑)。古代イスラエルでも、キュビトが用いられました。やはり、45センチくらいです。ダビデ王やソロモン王も、ひょっとしたら私と同じくらいの背格好だったのでしょうか。

 多くの人が世界中を行き来し始めると、長さの単位を統一する必要が生まれました。その時、基準になったのは地球の大きさです。人体から地球ですから、規模が大きくなりました。1790年代、革命直後のフランスからチームが派遣され、地球を正確に測量しました。そして、北極から赤道までの距離の1千万分の1を1メートルと決めたのです。その後、金属製の「メートル原器」も作られました。世界中の長さの基準となる物差しです。

 でも今は、もっと正確に長さが測られています。地球の大きさではなく、光の速さが基準です。1メートルは、ある時間内に光が真空中を伝わる距離です。なんと299,792,458分の1秒間!まばたきする間もありません。この世界共通の基準を用い、現在はどこでも正確に長さを測れるとのこと。基準と比べ、どれ程大きいのか小さいのか、誰もが正しく判断することができます。

 私たちの生き方はどんな基準で測り、評価すれば良いのでしょう?どんな物差しが良いのか?クリスチャンになる前、私はこの問題を考えていました。どんな生き方が良いのか、分からなかったからです。子供の頃は、親や先生たちの教えが物差しでした。大人の言うことを聞いていれば、それで良かった。でも思春期に入ると、それまでの基準に疑問を持ち始めました。友人たちの物差しも、頼りにならない感じがしました。世間の「常識」とされる物差しも、無批判に受け入れる気にはなりませんでした。多くの人が正しいと考えても、間違っている可能性があるからです。どんどん戦争に深入りした戦前の日本が、まさにそうでした。国や時代を超え、誰もが自分の生き方を測り、点検できる正確な物差しは何か。私が最終的にこれだと思った基準は、聖書のことばでした。

 全てを造られた神は、私たちの人生に祝福の計画を持っておられます。私たちが祝福の道を歩めるように、生き方の基準が示されています。数え切れないほどの人々に、神はこれまで物差しを与えられました。アブラハムやイサク、ヤコブの家族に対して。モーセと荒野の民に対して。約束の地に入ったユダヤ人に対して。約束の地から追われたユダヤ人に対して。

 そしてイエス様は、全ての人がどう生きるべきか、その基準をさらに明確にされました。神との関係を最優先にしているか。神の愛を周りに伝え、神の国の平和を築いているか。天に満ちる神の愛を、地にも満たしているか。これが、私たちの生き方を測る物差しの一例です。私たちは自らの生き方を通し、他の人にもこの基準を示すことができるのです。

「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』」(マタイ6:9-10)

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