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2019年7月 7日 (日)

ビジョンを語る

 30年ほど前、東京の企業に勤めた頃、会社のビジョンづくりに関わりました。将来、どんな会社にしたいかというイメージを描く作業です。私は当時、アラサーの新米パパでした。トラック運転手の作業着を脱ぎ、ビジネススーツを着るようになりました。往復3時間の電車通勤で、たっぷり本が読めました。信仰書も読みました。ビジネス書も読みました。信仰と仕事がどう関わるのかと、考えていました。

 私の会社には、将来の目標がありました。何年後、売上や利益をこうしたいという数値目標です。上司や同僚は、売上や利益を上げることが仕事の目的のようでした。会社が生き残り、社員の生活が支えられるには、確かに必要でしょう。でも私はクリスチャンとして、それだけで納得がいきませんでした。聖書的な観点から、仕事の目的は何か、会社で働く理由は何なのか、納得のいく説明がほしかったのです。ビジョンづくりに積極的に関わったのも、そのためでした。

 結論から言うと、そのビジョンづくりは大失敗しました。多くの社員による提言を、会社のトップが完全にスルーしたのです。実はビジョンをまとめる途中で、社長の交代がありました。関係する役員も代わりました。新経営陣は、ビジョンづくりに関心がなかったのです。結局、私はその会社を4年で辞めました。(その後、留学して頭を冷やしました。笑)

 この経験を通し、私はいくつか教訓を学びました。その一つは、ビジョンはトップリーダーが語るべきだということです。周りの人が無理に語らせようとしてもダメです。但し、トップのビジョンも、いつも正しいとは限りません。人間だから、間違うこともあります。会社の場合は、間違えるとつぶれる恐れがあります。私が勤めた会社は、今も続いています。以前とほぼ変わらない会社の姿です。それがひょっとすると、当時の社長が心に思い描いたビジョンだったのかもしれません。以前の挑戦的な売上目標には、今も達していないようです。でも当時の経営陣が会社の安定を選択したことは、それはそれで間違っていなかったのかもしれません。

 聖書では、ビジョンは神から語られるものです。神がある人を用い、他の人々に伝えるメッセージの一種です。つまり、視覚的なイメージを通して語られる預言のことばです。日本語の聖書では、ビジョンは「幻」と訳されています。幻と言うと、すぐに消え去るような、はかないイメージがあります。でも聖書の幻、ビジョンは違います。神が語る、決して消えないメッセージなのです。神は預言者たちにビジョンを与え、イスラエルの人々にメッセージを伝えられました。預言者ナタンは、ダビデの子孫が永遠の王となるビジョンを語りました。エゼキエルは、破壊された神殿が建て直され、その下から水が流れ出すビジョンを語りました。イザヤは、全世界が新しくされるビジョンを語りました。この他にも数多くの預言者が遣わされ、神のビジョンを語りました。間違ったビジョンを語れば死刑だったので、語る人も命懸けでした。

 イエス様は、神が語ったあらゆるビジョンを実現するため、この世に来られました。イエス様が、改めて語られたビジョンもありました。例えば、全世界の行く末について。そして、私たち一人ひとりの生き方について。聖霊を通し、イエス様は今も私たちにビジョンを語られます。他の人にも伝えるべきビジョンを、私たちに教えて下さいます。世界は、どこに向かうのか。私たちは、どう生きるべきなのか。私たちが日々なすべきことは、何なのか。聖霊の助けにより、私たちは神のビジョンを受け取り、周りの人に語ることができるのです。

「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」(マタイ4:19-20)

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