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2019年8月 4日 (日)

奇跡をともに待望する

 「宗教改革は、聖書を読む運動だ」と、ある神学者が言っています。聖書を先ず一人で読む。次にみんなで一緒に読む。そして読んだことを互いに分かち合う――そういう運動です。マルティン・ルターがその運動を始め、彼の大学の学生に広まり、さらに一般の人にも広がって行きました。聖書も大学の講義も、当時は全てラテン語でした。でもドイツでラテン語の読み書きができた人は、10人に1人。一般民衆だと20~30人に1人だったそうです。一般人は、聖書が読めなかった。そこでルターは聖書をドイツ語に翻訳し、誰でも読めるようにしました。説教もドイツ語で語り、聖書のことばを説き明かしました。ルターの運動は、またたく間に世界中に広がりました。今では、部分訳を含めると3千以上の言語に聖書が翻訳されているそうです。500年以上経った今も、「聖書を読む運動」は全世界で続いています。日本でも多くのクリスチャンが今、この運動の参加者となっています。


 聖書は一人だけで読むと、分からないことがあります。勘違いもあるかもしれません。メッセージ(説教)の準備をする時、私は先ず一人で注意深く聖書を読みます。書かれた内容を正確に把握しようとします。いつ、どこで、誰が、何をどのようにしたのか。それは、なぜか。書かれた当時の状況を考えます。今の私たちにとって、どんな意味があるのかも考えます。何度読んでも、どうしてもよく分からないこともあります。聖書が書かれた時代や文化が、私たちのそれと大きく異なるからです。そうした違いを越え、聖書を理解するには、他の人の助けが必要です。私は注解書をいくつか読み、学者の先生たちによく助けを求めます。身近な人に意見を聞く場合もあります。皆さんも是非、自分で聖書を読んで下さい。読んで学んだことをみんなで分かち合いましょう。そのようにして私たちは、みんなで一緒に聖書を味わうことができるのです。

 日本の多くの人に理解されにくいエピソードの一つは、イエス・キリストの奇跡です。福音書を読むと、次から次へと奇跡が出て来ます。多くの人はこれを読むと、でたらめな作り話と思うかもしれません。でも書いた人たちにとっては、でたらめでも作り話でもなかったのです。旧約聖書の延長線上にある超マジな話です。1世紀のユダヤ人にとって、旧約時代の奇跡は常識でした。――神のことばにより、世界が造られた。モーセは、紅海を2つに分けた。エリヤやエリシャが祈ると、死んだ人がよみがえった。ダニエルの友人たちは、燃えさかる火の中でも焼け死なかった。――ユダヤ人たちは、神の奇跡を信じていたのです。「いつかメシアが来て、イスラエルを諸外国の支配から奇跡的に解放する。」彼らは、その日を待望していました。イエス様の奇跡は、そんな彼らの期待にまさに応えるものだったのです。

 聖書を読む私たちは、彼らの期待感を追体験することができます。旧約時代の神の奇跡。新約時代のイエス様の奇跡。それらの目撃証言が、聖書に記されています。その証言を読み、神の奇跡を私たちも信じることができます。イエス様は、昔も今も将来も驚くべき奇跡を行われると期待することができます。聖書を一緒に読む仲間とともに、奇跡を待望することができるのです。

「イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。『まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。』」(マタイ8:10、新改訳2017

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