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2019年8月18日 (日)

ハブられた人とつながる

 「ハブられる」とは若者言葉で、仲間はずれにされるという意味だそうです。「省かれる」や「村八分にされる」などの言葉が語源とのこと。自分が仲間はずれにされたり、逆に他の誰かを仲間はずれにしたりという経験が全くない人は、少ないかもしれません。3年前、ある研究所がいじめの調査結果を発表しました。日本の小学4年生から中学3年生を対象にした調査です。その6年間、いじめの典型である「仲間はずれ」「無視」「陰口」があったかどうか聞きました。被害経験のない子は9.6%。一方、加害経験のない子も9.6%。90%の子供が、一度はいじめの被害にあったか、または加害者側になったということです。子供の世界だけではありません。「ハブる」「ハブられる」という行為は、高校や大学、職場やママ友の世界にもあるようです。数ヶ月前、村八分が原因で裁判になったとの報道もありました。

 小学生の頃、私のクラスに皆から嫌われている女の子がいました。その子は、不潔だと思われていました。アレルギーだったのか、いつも鼻をかんでいた。それだけなら問題なかったのですが、鼻をかんだ紙をゴミ箱ではなく、なぜかいつも机の物入れに入れたのです。その中は鼻紙で一杯でした。それが一番の理由で、誰もがその子と距離を置いていました。彼女と親しい友達はいなかった――。ハブられていたのです。ところがある日、皆に嫌われているその子に、あえて近づいた女の子がいました。小柄な彼女は、特に目立つ子ではありませんでした。クラスの人気者だったり、成績が良かったり、リーダーシップのあるような子でもなかった。でも彼女は、皆から嫌われている子を気づかい、自ら進んでその子の友達になったのです。私は、たいへん感銘を受けました。自分には、そんな勇気ある、優しい行動ができるだろうかと考えさせられました。

 どんな社会にも、嫌われ、ハブられる人がいます。1世紀のユダヤ人社会にも、そんな人たちがいました。汚らわしい病気にかかり、隔離された人。悪霊につかれ、人迷惑な行動をとる人。さまざまな罪を犯し、軽蔑されている人。ユダヤ人に敵対していたサマリア人やローマ軍兵士。ローマの片棒を担ぎ、税金集めで私腹を肥やす人。彼らは多くのユダヤ人から忌み嫌われ、ハブられるような人たちでした。でもイエス様は、彼らを除け者にはしませんでした。彼らに近づき、限りなく愛し、生きるべき道を示されたのです。ハブられていた多くの人の生き方は、イエス様により一変しました。病や悪霊から解放されました。罪深い生き方から離れ、人に信頼される生き方をするようになりました。ハブられていた人たちが、自ら新たなつながりをつくれるようになったのです。

 イエス・キリストを信じる人は、ハブったりハブられたりするような、空しい人間関係から解放されます。イエス様により、あらゆる関係が新しくされるからです。全ての人を造られた神は、どんな人をも限りなく愛しておられます。私たちをハブることは、決してなさいません。私たちは、この限りなく深い神の愛を知り、周りの人と新しい関係を築くことができます。ハブられている人とも、つながれます。どんな人をも、神の変わらない愛の中に招くことができるのです。

「・・・医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マタイ9:12-13)

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