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2019年9月

2019年9月29日 (日)

奇跡をともに体験する

 年齢を重ねるにつれ、誰かが亡くなった知らせを聞く回数が増えるようです。先週は、若い頃からの友人2人が相次いで他界しました。そのうちの一人は、私の高校時代の友人です。ここしばらく闘病生活だったようです。今年6月、東京の同窓会で、彼の病状がかなり進んでいると耳にしました。8月に帰省した時、久しぶりに本人と会い、話をする機会を得ました。高校の1年と3年の時、私たちは同じクラスでした。私はバレー部でしたが彼はサッカー部で、体が大きく、明るく元気なクラスの人気者でした。(受験の時は、私が休み時間に必死に勉強していると、彼はよく邪魔しに来ました。笑)大学を出て歯医者さんになり、高校時代から好きだったらしい同期のマドンナの一人と結婚。3人のお子さんに恵まれ、仕事も順調そうでした。しかし先月会った時、彼はかなり痩せ細り、車椅子の上で辛そうにしていました。言葉もあまり出て来ませんでした。私は少しだけ話をして、彼のために短く祈りました。それが、彼との最期のお別れになりました。

 この世の人生には、限りがあります。伝道者の書3章の初めに、こんなことばがあります。「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」私たちがこの世で過ごす期間は、生まれるずっと前から創造主なる神に定められています。その長さは「神のみぞ知る」で、自分では何歳までか分かりません。ある人は、たいへん長生きします。私の祖母は102歳まで生きました。人生100年時代の先取りでした。体は丈夫でしたが、晩年は認知症が進み、自分の家族も全て忘れていました。思ったより早く人生を終える人もいます。私の祖父や叔父は60代、父はちょうど70歳で亡くなりました。認知症になる間もありませんでした。私も来年還暦です。人生の第4コーナーを回りつつあるように感じます。(競馬好きなある友人は、こう言っていました。「馬は、そこからムチが入ります。」笑)

 考えてみると、この世に生まれ、生きていること自体が奇跡です。「子供ができた」と昔、妻から伝えられた時、私は実に不思議な感じがしました。最初は単細胞の受精卵が、母親のお腹の中で細胞分裂を繰り返し、少しずつ大きくなります。暫くすると心臓ができ、鼓動を始めます。目や耳や口ができます。手や足もできます。10ヶ月の準備を経て、「この世デビュー」をします。その後もどんどん大きくなり、立ち上がり、歩き始めます。そのうち言葉も話し始めます。友達と一緒に遊び、勉強し、いつしか親元からいなくなります。小さな一つの細胞が、複雑な仕組みを持つ大人の体となり、自立して生きるようになるのです。このプロセスは、驚くべき奇跡です。大切な人と出会い、さらに次の世代が生み出される奇跡も起こります。私たちは日々この奇跡を目撃し、体験しているのです。

 この奇跡は、遙か昔に神が全てを創造して以来、ずっと続いています。創造主なる神は、奇跡の神です。生命の誕生以外の奇跡を行われたとしても、何の不思議もありません。イエス・キリストは、数々の奇跡をなさいました。聖霊の力により、誕生されました。病を癒し、悪い霊の呪縛から人々を解き放ちました。5つのパンと2匹の魚で、数千人のお腹を満たしました。水の上を歩くこともありました。十字架で死んだ後、3日目によみがえられました。これらの奇跡によりイエス様は、ご自身が創造主なる神で間違いないことを示されたのです。イエス・キリストを信じる人は、神の奇跡に目が開かれます。奇跡的な癒しがあってもなくても、私たちの人生には驚くばかりの奇跡が満ちていることを知ります。私たちは、神が起こされるそれらの奇跡をともに体験することができるのです。

「舟の中にいた弟子たちは『まことに、あなたは神の子です』と言って、イエスを礼拝した。」(マタイ14:33)

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2019年9月22日 (日)

天与の幸いを証しする

 先週の礼拝には三浦綾子読書会顧問の長谷川与志充牧師が来られ、メッセージの中でご自身の証しを語って下さいました。小学生の頃いじめられ、中学生の頃どうしたら幸せになれるのか考え始めたという話でした。三浦綾子さんが書いた「塩狩峠」という本を通し、イエス・キリストと出会ったそうです。私も20代の頃、三浦綾子さんの本をよく読みました。数えてみると20冊以上も読んでいます。「塩狩峠」も、もちろん読みました。自分を犠牲にし、他の人の命を救った主人公の姿に、深く感銘を受けました。(ただ、私も主人公と同じように自分を犠牲にできるかというと、無理なように思いました。)私が三浦綾子の本を読み始めたのは、大学の頃出会ったクリスチャンの友人に勧められたからです。聖書と同時に「道ありき」という本を読むことを勧められました。それは小説ではなく、著者がなぜクリスチャンになったのかを書いた証しの本でした。

 三浦綾子さんは1922年、北海道旭川市に生まれました。小学校の先生になり、第2次大戦の頃、教壇に立ちました。当時の日本政府のいわば手先となり、軍国主義教育を子供たちにガンガン叩き込みました。ところが終戦後、それが大変な間違いだったことに気づきました。強烈な自己嫌悪に陥った綾子さんは、教師を辞めました。なげやりな生活をし、肺結核にかかり、ついには寝たきりとなりました。自殺を願う彼女のもとに遣わされたのは、幼馴染みで同じ肺結核を患う前川正というクリスチャンでした。彼の励ましと導きを通し、綾子さんは生きる希望を見出します。イエス・キリストを信じ、洗礼を受けました。その2年後、前川さんは与えられた使命を全うしたかのように病死しました。三浦綾子さんはその後40年以上、さまざまな病気と闘いつつ、77年間の人生を全うしました。クリスチャン作家として数々の小説やエッセイ等を書き、人間の罪や神の恵みについて証言しました。

 「道ありき」を読んだ頃、私も人生について思い悩んでいました。幸せとは何か、よく分かりませんでした。生きる意味を見い出せず、自殺することも考えていました。前川正さんは、虚無的だった三浦綾子さんに、旧約聖書の「伝道者の書」を読むように勧めたそうです。私もクリスチャンになる前、「伝道者の書」が好きで読んでいました。はっきり覚えていませんが、ひょっとするとそれは「道ありき」の影響だったのかもしれません。もしそうなら、そこには神の不思議なご計画があったのでしょう。伝道者(ソロモン王と言われる)が証しする「神を信じる幸い」を、私も見出すことができました。前川正、三浦綾子、そして大学の友人の証しも、それぞれ神が私のために備え、用いて下さったようです。


 創造主なる神は、私たちの人生全体にご計画をお持ちです。私たちを虐待し、不幸にする計画ではありません。一人ひとりを豊かに祝福し、幸せにする計画です。神は私たちを深く愛し、幸せにしたいと強く願っておられます。人類は創造主なる神から離れ、幸せとは何かを見失っていました。自分の好きなように生きたいと願い、その結果、本当の幸せが何か分からなくなっていました。イエス・キリストは、私たちに本来計画されている真の幸せを教えに来られたのです。それは第一に、愛に満ちた神とともに生きること。第二に、神の祝福を受け取ること。第三に、その祝福を周りの人と分かち合うことです。イエス・キリストを信じる人は、誰もが天から与えられる幸いを手にすることができます。その幸いを心から喜び、証しすることもできるのです。

「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。」(マタイ13:16)


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2019年9月 8日 (日)

果てしない希望を語る

 日本では、多くの若い人が希望を失っているようです。最近のある調査によると、約4割の若者は、日本を「希望が持てない社会」と考えているとのこと。ほぼ半数の若者は、日本を「いざという時に何もしてくれない社会」だと感じ、6割近くの若者は、「正直者がバカを見る社会」だと考えているそうです。悲しい調査結果ですね。他の先進数カ国と比較した別の調査では、日本の暗さがさらに際立ちます。他の国では8~9割の若者が将来に希望を持っているのに対し、日本で希望を持つ人は全体の6割。はっきり「希望がある」と答えた人は、12.2%です。この数字も悲しいですね。

 確かに日本には、将来バラ色とは言えない厳しい現実が見えています。賃金はここ20年ほど、先進国で唯一減少。パートタイムや派遣等の仕事が増え、多くの人はいつ首を切られるか分からない。経済は停滞し、貧富の差が拡大。政府はお金持ちや大企業ばかり優遇し、貧しい人を無視しているかに見える。長生きする人が急増し(それは良いことですが)、年金は当てにならない。結婚したり、子供を産んだりする人は減っている。自然災害は頻発。大地震や津波、放射能汚染の不安もある。周辺の国々との関係も悪化。戦争を願っているかのような政治家たちもいる。どこに希望があるのか、非常に見出しにくい状況になっています。

 日本は近代化開始以来、欧米のような国づくりを進めて来ました。豊かな国、強い国になるのが目標。多くの人が希望を持ち、「坂の上の雲」を目指しました。「一歩一歩前に進めば、いつかあの雲に手が届く。」そう考えて、坂を上ったのです。第2次大戦でボロボロに負けた後も、人々は廃墟の中から立ち上がりました。新たな希望を抱きました。以前とは違う形で豊かな国、強い国になろうと、多くの人が願ったのです。その希望はいつしか実現し、日本はかなり豊かな国になりました。軍事力以外のさまざまな分野で、強い国にもなりました。でも今は、雲から離れつつあるようです。上り坂のピークを越え、坂を下っています。雲行きが怪しく、そのうち嵐が来そうです。でこぼこの山道は、どこまで下るか分かりません。下った先に何があるのかも、よく分かりません。こんな時に、将来の希望を持つことはできるのでしょうか。実はその鍵は、明るい未来を信じる信仰の有無にかかっています。

 全世界を造られた神は、世界を祝福する計画を持っておられます。日本の祝福も願われています。たとえどんなに社会が暗くても、神はそこに輝かしい希望の光を照らすことができます。神に不可能はありません。坂を下りきった谷底を、神は全く想定外の祝福で満たすことができます。下り坂を上り坂に変えるような、あっと驚く奇跡も起こすことができます。今までと全く違う形で、日本を豊かな国、強い国にすることも神には可能です。

 イエス様は、この全知全能の神との和解の道を私たちに与えて下さいました。日本の多くの人は、今なお神に心を閉ざし、神の国と戦争状態にあります。でもイエス・キリストを信じる人は、神と和解し、神の国と和平を結ぶことができます。神の平和に基づく限りない平和の国、「永遠の和の国」を築く特権を手にします。希望の光がとこしえに輝く国です。私たちは、この果てしない希望を周りの人に語ることができるのです。

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。さばきを勝利に導くまで。異邦人は彼の名に望みをかける。」(マタイ12:20-21)

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2019年9月 1日 (日)

最高の休み方をシェアする

 昨年夏、疲れについてある調査結果が発表されました。東京で働く20代から50代の人1000人が対象の調査です。疲れを感じている人は、全体の79.8%。多くの人が疲れていますね。一晩寝ても疲れがとれない人は、70%。睡眠負債がたまっている人は、65.6%。リラックスしたくてもできない人は、58.9%。44.8%の人が、疲れが原因でミスした経験があるそうです。例えば「電車で乗り過ごした。お願いされた仕事を忘れた。会議で居眠りをした」等です。上司のセリフで疲れが倍増した経験のある人は、41%。例えば、こんなセリフです。「常識でしょ。」「前にも言ったよね。」「まだ終わらないの。」逆に、言われたら疲れが半減しそうなセリフは、例えばこうです。「君がいると安心だ。いつも頼りにしてるよ。」「すごいね、よくやった。期待以上の出来だ。」「君の心配りや優しさには、いつも感謝している。」疲れた人には、優しい言葉を掛けてあげたいですね。

 疲れは、私たちの心や体が休息を求めるサインです。上手く休めると、多くの場合、疲れから回復します。逆に上手く休めないと、疲労が蓄積します。病気になったり、過労死や自殺につながることもあります。効果的に休むことは、私たちが健やかに生きるために不可欠ですね。疲労回復に最も効果がありそうなのは、十分な睡眠です。睡眠不足の人が多いので、当然ですね。適度な運動やぬるめのお風呂も良さそうです。質の良い睡眠につながりそうです。趣味を楽しむことも疲労回復に効果があるとのこと。趣味は気分転換になり、心がリフレッシュされますね。

 天地創造の神は、休みの重要性を人類に教えられました。全人類の代表であるアブラハムの子孫に、1週間に1日必ず休むことを命じられたのです。「安息日(シャバット)」です。仕事を一切せず、家族とともに祈り、食事をし、神の恵みを感謝する日。さらに神は、1年に3度、大きな祭りをするようにユダヤ人に命じられました。春は過越の祭。初夏には七週(ペンテコステ)の祭り(五旬節)。そして秋に仮庵の祭りです。祭りの度にお休みがありました。しっかり休むことは、創造主なる神の命令だったのです。それは人々が十分に休息を取り、日々の労苦に疲れ果てないため、そして彼らが神の恵みを思い起こし、感謝する心の余裕を持つためでした。ユダヤ人の模範にならい、全ての人が十分に休みをとることは、神のみこころなのです。

 イエス様は、私たちに休みを与えに来られました。弟子たちを世界中に遣わし、1週間に1日休む生活パターンを広められたのです。日本では昔、一般庶民に休みの習慣はなかったようです。盆と正月、祭りの時以外は仕事でした。八百万の神々は、人々の疲れや働き過ぎに関心がなかったのかもしれません。日曜が休みになったのは、明治の頃です。キリスト教に基づく欧米の習慣を取り入れました。天地創造の神に命じられた、1週間に1日休む生活様式です。

 でもイエス様が私たちに下さったのは、休日の習慣だけではありません。イエス・キリストを信じる人には、心に安らぎが与えられます。疲れが吹き飛ぶような、愛に満ちたみことばも与えられます。神の限りない愛に包まれ、心も体もすっかりリフレッシュされます。疲れが癒され、どんな高い壁も飛び越えられるように新たな力が注がれます。イエス様から与えられる、この最高の休み方を他の人にシェアすることもできるのです。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

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