子どものように身を低くする
私はコーヒー党ですが、抹茶も好きです。時々、抹茶が飲みたくなり、お店で注文します。一緒に出てくる美味しいお菓子も楽しみです。妻も時々、家で抹茶をたててくれます。新年に家族が集まった時や、海外から特別なお客様が来た時などです。(わが家も赤坂御所のようです!笑)妻は高校や大学の頃、茶道部で、先輩やお茶の先生から手ほどきを受けたそうです。(ガールズトークも楽しかったとのこと。)でも私は、大学を終えるまで茶道と縁がありませんでした。大学卒業後のある時、幸運なことに裏千家の先生からお話を伺う機会がありました。クリスチャンになる少し前です。初めて聞く話ばかりで、たいへん興味深く伺いました。
深く印象に残った話の一つは、お茶室の「にじり口」です。にじり口とは、お茶室の狭い入り口のこと。縦横とも60数センチで、余計な物を身につけたまま入ることができません。昔、武士たちは、刀を外に置いて中に入ったそうです。入り口で手をつき、膝をつき、そのままの姿勢で少しずつ中に進みます。この奇妙な入り口を茶室に取り入れたのは、千利休だそうです。利休は、キリシタンの教えの影響を受けたとも言われます。にじり口は「狭い門から入りなさい」という聖書の教えに由来する、と考える人もいます。いらない物を捨て、頭をたれて狭い門から入ると、そこに日常生活と異なる空間があります。普段偉い人もそうでない人も、にじり口を通ればみな平等。先日即位した天皇も、晩餐会に出た来賓も、テレビで見るだけの一般庶民も、茶室に入ると同じ立場です。お茶とお菓子とお話を一緒に楽しむことができるのです。
千利休のアイデアを面白がったのは、織田信長だそうです。お茶席では平等という話を聞いた信長は、「なかなか考えたな」と上機嫌になったとのこと。信長は利休にこう言いました。「茶の湯は面白い。俺も習おう。お前が師匠になれ。」これに対し豊臣秀吉は、天下をとる前と後で態度を一変させたそうです。信長の家来だった時は、主君と同じく、にじり口から茶室に入りました。しかし信長の死後、自分が天下人になると、こう言ったそうです。「今後、自分はにじり口から入らない。」お茶席でも、秀吉は自分の立場を変えたくなかったのでしょう。「狭い門から入りなさい」という教えも嫌だったようで、秀吉はキリシタンの迫害を始めました。
イエス・キリストは、天のお茶室のにじり口です。この入り口でへりくだり、手をつき、膝をつく人は、お茶室の中に入れてもらえます。中に入ると、全ての人が平等です。偉い先生も「名も無い信徒」も関係ありません。社会的な立場やお金の有る無しも関係ありません。天のお茶席に集う人は、「ワンチーム」! にじり口で手をつき、膝をついて入室を許された仲間同士です。そこに入った人は、人に威張り散らせません。自分の凄さの自慢話もできません。お茶室に入るため、みな身を低くしているからです。子どものように身を低くすれば、どんな人でも天のお茶室に入って平等になれる――これは大きな恵みです。私たちを茶会に招いた神は、低姿勢の人をほめて下さいます。天のお茶室で私たちは、最高のお茶とお菓子とお話をいつまでも楽しむことができるのです。
「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。」(マタイ18:3-4)
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