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2019年10月13日 (日)

自分の十字架を負う

 今年の夏、74年ぶりに里帰りした十字架があります。長崎の浦上天主堂で被爆した十字架です。原爆が落ちた時、教会堂は爆心地から500メートル以内にあり、原形をとどめないほど破壊されました。瓦礫に埋もれた十字架を発見したのは、進駐軍の米海兵隊員ウォルター・フックさん。彼はカトリックで、原爆投下に疑問を抱いていたようです。戦地から帰国した当時の長崎司教・山口愛次郎さんと親しくなり、彼はこの十字架を譲り受けました。米国に持ち帰り、戦友たちの写真とともに、十字架をリビングルームに飾ったそうです。その後、米オハイオ州に平和資料センターができると、十字架はそこに寄贈され、展示されました。

 その平和資料センターを設立したのは、バーバラ・レイノルズさんという女性です。彼女は、平和主義者として知られるクエーカーの一人でした。(以前5千円札の顔だった新渡戸稲造と同じ信仰です。)彼女は終戦後に広島を訪れ、原爆の被害を調査しました。あまりの悲惨さに衝撃を受け、反核平和運動を始めたそうです。平和資料センターには、ヒロシマとナガサキに関する世界有数の資料が集まりました。浦上の十字架が展示されると、長崎からはるばる見に来る人たちもいました。

 数年前、ターニャ・マウスさんが同センター所長になりました。彼女は、日本から来る訪問客の様子が気になり、あの十字架はやはり長崎に戻すべきだと考えました。こうしてとうとう今年8月、返還の時が来たのです。ターニャ・マウスさんは、こう語りました。「この十字架は戦争の残忍さを示し、核兵器使用の中止を呼びかけています。」十字架を受け取った現在の長崎大司教・高見三明さんは、こう言ったそうです。「(この十字架は)戦争の悲惨さだけでなく、罪悪を克服して生きる勇気と希望を与えてくれる。」

 十字架は、もともと死刑執行の道具でした。マケドニアのアレクサンダー大王は、ペルシャ人を通して十字架刑を知ったそうです。ローマに十字架刑が伝わったのは、宿命のライバルだった北アフリカの都市カルタゴからとのこと。十字架による死刑執行は屈辱的で、見せしめの意味がありました。ローマ市民権を持つ人が十字架刑になることは、まずなかったようです。使徒パウロは十字架ではなく、首をはねられたと伝えられています。十字架で処刑されたのは、おもに市民権のない人。奴隷や強盗、暗殺者、地方の反逆者たち等です。

 イエス様はユダヤ人の王、つまりローマへの反逆者として、強盗と一緒に十字架につけられました。弟子のペテロやアンデレも十字架につけられました。(日本では、長崎で殉教した多くのキリシタンが十字架刑でした。)彼らは時の権力者に反逆者とみなされ、人々の前で見せしめにされたのです。十字架刑は、聖書の中で別な意味もありました。木につるされた人は、神に呪われているという意味です。これだけマイナスイメージのある十字架が勇気と希望のシンボルになったのは、キリストによる奇跡の一つと言うことができます。

 イエス・キリストは、全人類を代表して十字架を負うため、この世に来られました。十字架を負うことは、イエス様が果たすべき大切な使命でした。私たち一人ひとりも、それぞれ十字架を負うために生まれています。この世で果たすべき大切な使命が与えられているのです。例えば、悲しむ人や苦しむ人のため祈り、互いに励ます使命。無益な戦いをやめ、平和な関係を築く使命。イエス様から頂いた新しいいのちの希望を、勇気をもって語る使命です。迫害や屈辱にもくじけずに自分の十字架を負う人を、神は喜んで下さいます。

「それからイエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。』」(マタイ16:24)

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