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2019年10月 6日 (日)

天の真理に目が開かれる

 全盲なのに、年に何十回も美術館通いをする人がいるそうです。白鳥建二さんという50歳の男性です。生まれつき弱視で、10歳の頃、完全に視力を失いました。絵本や漫画を見た記憶はなく、色も概念的に理解するだけだそうです。その彼が、なぜ美術館通いを始めたのか。きっかけは、大学の頃好きだった女性の言葉でした。(好きな人の影響は大きいですね。)「美術館に行きたい」と、その人が言ったのです。それを聞いた瞬間、白鳥さんはひらめきました――“一緒に行けば、デートできる!”「じゃあ俺も行く」と、彼は言いました。生まれて初めての美術館です。その時鑑賞したのは、レオナルド・ダ・ビンチの解剖図展。連れの彼女が、一つ一つの作品の前で解説してくれました。「こんなものが見えて、面白いよ。」デートの楽しさと美術館の楽しさで、白鳥さんは「なにもかもにワクワク」しました。「盲人っぽくないことをするのは面白い」と感じたそうです。それが、彼の人生の大きな転機になったのです。

 「せっかくトライするなら、自分一人でやろう」と、白鳥さんは一念発起しました。美術館に電話を掛けまくり、こう言いました。「自分は全盲だけど展覧会を鑑賞したい。誰かにアテンドしてもらい、作品の印象などを言葉で教えてほしい。」こうして美術館巡りが始まると、確かにそれまで経験しなかった面白いことが起こりました。最初に訪れた美術館では、ゴッホ展を3時間鑑賞しました。アテンドしてくれた人は、最後に白鳥さんに対してお礼を言ったそうです。「今まで、こんなにじっくり作品を見る機会はなかったから、とても楽しかったです。ありがとうございました。」別の美術館で印象派の作品を鑑賞した時は、アテンドした人が驚くべき事実を発見しました。絵の説明を始めた時、それまで湖だと思っていたものが、実は原っぱだと気づいたのです。“目が見える人も、実はよく見えていなかった!”ーー白鳥さんはこの事実を知った後、いろいろなことが気楽になったそうです。

 社会で指導的な立場にある人は、多くの場合、自分には物事がよく見えていると考えます。よく見えると思う人が、よく見えなさそうな人を教え導こうとするのです。(誰もが気をつけないといけませんね。)イエス様と対立したパリサイ人や律法学者たちが、まさにそんな人々でした。彼らは1世紀ユダヤ人社会のオピニオンリーダーでした。パリサイ人は律法の教えと先祖の言い伝えを固く信じ、こう主張しました。「それらを守らなかったからイスラエルの国は滅び、外国に支配されている。だからユダヤ人はみな、律法と言い伝えの両方を忠実に守るべきだ。」律法学者は、彼らの中心にいた律法の専門家でした。律法の教えを学び、解釈し、細かいルールを定めました。ユダヤ人の歩むべき道がよく見えると、パリサイ人や律法学者は自負していました。だから彼らは、イエス様がその道を歩まないと、寄ってたかってバッシングしたのです。

 パリサイ人や律法学者には見えないことがあると、イエス様は言われました。神に本当に喜ばれることは何か、彼らは見えていなかったのです。人は見た目で判断します。でも神は心を見られます。人が決めたルールを完璧に守ったら、人は褒めてくれるかもしれません。立派な人だと高く評価されるかもしれません。でも心が神から離れているなら、神はそれを見て悲しまれます。天の御国では、残念な評価になります。イエス様は、この天の真理を私たちに教えられました。イエス・キリストを信じる人は、聖霊なる神の導きにより、天の真理に開眼することができます。イエス様は、この特権を私たちに与えに来られたのです。

「彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を案内する盲人です。もし盲人が盲人を案内すれば、二人とも穴に落ちます。』」(マタイ15:14)

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