愛を人生の目標とする
人生に目標のない人は、どのくらいいるのでしょう、2年前、日本の20~60代の男女1,357名に聞いた人がいます。人生に目標がないと答えた人は、全体の42.2%。年代別に見ると30代女性、40代男女、50代男性の半数近くが、目標がないと答えました。その年齢層は、目標を持ちにくい年代なのでしょうか。(いわゆる「中年の危機」?)
20代のある男性は、こう言ったそうです。「それなりに働いて、そこそこの給与がもらえて、休みもまあまあ取れればそれでよい。目標がなくて困ることもない。」40代の女性は、こう言いました。「今はそれなりに恵まれた環境にいて、楽しく幸せな生活をしている。その時、その時に良い選択をして結果的に幸せに生きられれば、私自身は満足だ。」このお二人は意識せずに、人生の目標となりうる重要なポイントを語っているように思います。「それなりの仕事、そこそこの給与、まあまあ取れる休み、それなりに恵まれた環境、楽しく幸せな生活」等です。そのうちどれかが欠けていたら、それを得ることや保つことが、目標の一つになるかもしれません。
目標を持つことについて、人の意見は2つに分かれるようです。人生の目標はあった方が良いという意見と、なくて良いという意見です。あった方が良いという人は、例えばこう言います。「目標を持つと、生きがいが生まれる。人生が豊かになり、色鮮やかな毎日になる。目標達成のため努力し、成長できる。死ぬ間際に良い人生だったと思える。」一方、目標はなくて良いという人は、例えばこう言っています。「多くの人は人生の目的が分からないので、目標も立てようがない。その時その時にやりたいことをやれば良い。生きている今この瞬間を楽しめば良い。」どちらの意見にしても、不幸でつまらない人生が良いという人はいないようですね。人生には幸福感、達成感、満足感等が必要だとする人が、多数派のように思えます。
聖書は、人生には目標があると語っています。神の愛という目標です。神は、限りなく大きな愛に満ちたお方です。その愛をぎゅっとまるごと詰め込んで、人が造られました。「神の愛の結晶」です。ところが人は神との関係が切れ、神の愛を忘れてしまいました。人同士の関係にもひびが入りました。争いが起こり、怒りや憎しみが生まれました。疑いや不安、恐れも生まれました。弱い人は置き去りにされ、自分の仲間さえ良ければそれで良いという傾向が強まりました。私たちは今、そんな壊れた世界に住んでいます。この世界は、神の願われる理想的な世界からかけ離れています。愛に満ちた神は、愛に欠けた人の世界を見て悲しんでおられます。全ての人が人生本来の目標を再発見してほしいと、神は願われています。神の完全な愛という大きな目標です。
イエス・キリストは、私たちが人生の目標を再発見する助けをしに来られました。私たちの心をきよめ、神の偉大な愛に気づかせて下さいます。私たちの良心を回復させ、愛を行う動機を与えて下さいます。十字架の愛を私たちに示し、信仰の道を歩ませて下さいます。キリストの愛を人生の目標にする人は、神の愛に満ち溢れた祝福を受け取れます。その人は充実感や達成感、満足感のある幸いな生き方ができるのです。
「この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。」(Ⅰテモテ1:5)
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