« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

2020年3月29日 (日)

神のみこころを願い求める

 「なぜ自分はこんな目に遭うのか」と思うことが、時にはあるかもしれません。今は特にそんな状況です。コロナウィルスに感染し、症状が悪化する人がいます。その人の家族がいます。経済が停滞し、大きな被害を受けている人もいます。東欧のクロアチアでは先週、悪いことが重なりました。日曜の朝6時半、大地震が発生したのです。クロアチアの首相は、国民にこう呼びかけました。「感染拡大を防ぐため、人との間に距離を保ちながら屋外に避難してください。」避難するのも大変です。日本では、東京オリンピックの延期が決まりました。代表に決まった選手たちや大会関係者、チケットを買った人たちなどは今、大混乱です。「なぜこんな目に?」と思う人も、中にはいるかもしれません。

 私たちの人生は、ある日突然、大荒れになることがあります。9年前の3月、私たちはそれを経験しました。その日は、いつもと同じように始まりました。大きな揺れを感じた瞬間、私は自宅のトイレにいました。夕方から都心部に出て、中学時代の同級生と会食の予定でした。メールが来て、予定はキャンセル。でもすでに都心部にいた友人は、帰宅難民になったようです。私たちの教会堂には、大きな被害はありませんでした。わが家では、お米やガソリンがなくなりそうでした。当時は、育ち盛りの子が2人いました。でも私が自転車で走り回った頃はもう、お米はほとんどの店にありませんでした。その頃、私は教団の代表でもあったので、そちらの対応にも迫られました。メディアは、悲惨なニュースを次々に報道していました。時間とともに死者や行方不明者の数が、どんどん増えました。「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と思う人は、たくさんいたのではないかと推察します。

 聖書にも、いきなり大きな災難に遭った人が出て来ます。先週ちょっとお話した、ヨブです。ヨブは、誠実で真っ直ぐな人でした。悪事に手を染めませんでした。7人の息子と3人の娘に恵まれ、経済的にも豊かでした。神に祝福され、平和で幸せに暮らしていました。ところがある日突然、立て続けに災いがやって来ます。財産を全て失い、子供たちは全員死亡。ヨブ自身も重い病気にかかりました。彼の妻はそれを見て、こう言いました。「神を呪って死になさい。」(私は自分の妻に「こうは言わないでくれ」とお願いしています。笑)ヨブの親しい友人が3人来ると、さらに追い討ちをかけます。お見舞いに来たのに、「災難は全てヨブの責任だ」と責め始めたのです。追いつめられたヨブは、ついにこう言いました。「私は何も悪くないのに、神がこうされた。」すると、神はヨブに答えられました。一言で言うと、こういう回答です。「おまえに何が分かる。」このことばを聞き、ヨブは悔い改めました。その後、彼の健康は回復し、財産は以前の2倍になりました。再び7人の息子と3人の美しい娘に恵まれました。神は人の思いを遙かに超える祝福で、ヨブの後半生を豊かに満たされたのです。

 イエス様は、「なぜ自分がこんな目に」と思えるような苦難を耐え忍ばれました。全ての人の罪を代わりに背負い、十字架につかれたのです。それは、天の父のみこころでした。私たちの人生には、理解できないことがたくさん起こります。でも神は、人の思いを遙かに超える計画を持ち、全てを益として下さいます。どんな時にも全知全能の神に信頼し、みこころがなるように願い求めて行きましょう。

(ここまでは通常のブログで、礼拝メッセージの導入部。以下は、メッセージの後半部分になります。)

 イエス様は、みこころを願い求める模範を私たちに示して下さいました。今日はマタイ26章を通し、神のみこころについて考えてみましょう。

 第一に、神のみこころは私たちが神を礼拝することです(12-13節)。イエス様は、エルサレムのすぐ近くのベタニアまで来ていました。マルタ、マリア、ラザロの3人兄弟が住んでいた町です。その町で、ある女性がイエス様の頭に香油を注ぎました。弟子たちが「もったいない」と思うほど、非常に高価な香油でした。なぜ女性は、そうしたのでしょう。イエス様がメシア=油注がれた王だと、おそらく信じていたからです。イエス様に油を注いだのは、イスラエルの王でも祭司でも預言者でもありません。社会的に何の影響力も持たない、名もない一人の女性です。これは、当時のユダヤ人社会でイエス様が置かれていた危険な立場を象徴する出来事でした。まさに「埋葬の準備」だったのです。イエス様はイスラエル、そして全世界の王です。同時に苦難のしもべであり、全ての人のために命を捨てに来られました。イエス様に油を注ぐことは信仰の告白、礼拝の行為であり、イエス様はこの女性がしたことを喜ばれました。私たちも今、彼女の信仰に心を合わせましょう。イエス様をメシアと信じ、このお方を心から礼拝しましょう。

 イエス様はその後、弟子たちと過越の食事をともにしました(27-28節)。最後の晩餐です。過越の祭りは、エジプトからの解放を祝うイスラエルの祭りです。今年は、あと10日ほどで始まります。モーセの時代、神はユダヤ人にこう命じられました。「家族ごとに一匹の羊を生け贄にしなさい。その血を家の門柱と鴨居に塗りなさい。その血を塗った家は、死の災いから救われる。」イエス様は、この過越の生け贄でした。イエス・キリストを信じる人は、神が新しい契約を結んで下さいます。キリストの血により、罪と死の呪いから救われる契約です。この契約を可能にするため、イエス様は自ら過越の生け贄になって下さいました。イエス様の尊い犠牲に感謝し、礼拝をささげましょう。私たちの礼拝する心を見て、イエス様は喜んで下さいます。

 第二に、神のみこころは私たちが神に祈ることです(31節)。最後の晩餐の後、イエス様は祈るため、ゲッセマネの園に向かいました。ゲッセマネは、エルサレムの東側にあるオリーブ山の麓にありました。道すがら、弟子たちはイエス様とお話しする時がありました。これから何が起きるか、イエス様は弟子たちに教えて下さいました。弟子たちは、語られたことばに応答しました。でも、素直な応答ではありませんでした。私たちは祈りの中で、似たような体験をするかもしれません。祈っている時、神が私たちに語りかけて下さるのです。聖書のみことばを通して、語りかけられることもあります。私たちは、語られたみことばに素直に応答しましょう。祈りを通して神と対話することを、神は喜んで下さいます。

 ゲッセマネでイエス様は、3度祈りの時を持たれました(39、42、44節)。3回とも、ほぼ同じ祈りでした。父のみこころを確認する祈り。そして、十字架で死ぬ覚悟を固める祈りです。私たちもさまざまな場面で導きを求め、みこころを確認する祈りをします。神を信じ、洗礼を受ける決心をする祈り。人生を左右する大きな選択肢がある時、神の導きと祝福を求める祈り。大きな困難に直面し、どうすべきか導きと助けを求める祈り。今は、まさにそういう時です。祈りを通し、私たちは神のみこころを知ります。神が導きを与えて下さいます。私たちが祈る時、神は喜んで聞いて下さるのです。

 第三に、神のみこころは私たちが神を証しすることです(57-58節)。イエス様は逮捕され、大祭司の家に連行されました。それは、イエス様が選んだ道でした。つまりイエス様は、自ら望んで大祭司の家を訪れたとも考えられます。約束を必ず守られる、神の真実を証しするためでした。ペテロもイエス様について、その家に一緒に行きました。イエス様について行くこと自体は、神のみこころだったのかもしれません。私たちも、行くべき場所に聖霊が導いて下さいます。神の真実を証しする場所です。時には、思わぬ場所に導かれるかもしれません。日々、聖霊の導きを求めつつ、行動して行きましょう。

 イエス様は、ここで重要な証言をしました(63-64節)。ご自身がメシア=油注がれた王であることを認めたのです。死を覚悟しての証言でした。残念ながらこの時、ペテロは勇気ある証言ができませんでした。自分はあの人を知らないと、3回言ったのです。それは、神を悲しませる言葉でした。皆さんなら、どうしますか。自分の力では、勇気をもって証言できないかもしれません。でも聖霊は、私たちに力を注いで下さいます。神に喜ばれる証言ができるよう、聖霊が私たちを助けて下さるのです。

 イエス様が、みこころを願い求める模範を私たちに示して下さったことを感謝しましょう。私たちは神のみこころを求め、みこころを行う生き方をして行きましょう。

「イエスは再び二度目に離れて行って、『わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように』と祈られた。」(マタイ26:42)

| | コメント (0)

2020年3月22日 (日)

天命を全うする

 現在、確認可能な長寿記録世界一は、122年と164日だそうです。ジャンヌ・カルマンというフランス人女性の記録です。彼女は1875年、エッフェル塔ができる前に生まれ、1997年に亡くなりました。家族も長生きだったようです。父は93歳、母は86歳、兄は97歳まで生きました。ジャンヌは21歳で結婚し、一人娘を出産。夫の商売は繁盛し、幸せな人生のようでした。

 でも彼女が58歳の時、34歳の娘は7歳の息子を残して病死。その後、ジャンヌの夫、兄、そして孫が次々と亡くなりました。88歳の時、彼女は身寄りがなくなったようです。111歳になると、彼女はフランス人の長生き記録を更新しました。翌年112歳になって、ギネスの世界記録を更新しました。「神様は私のことを忘れてしまったに違いない」と、彼女はよく冗談を言っていたそうです。でも、もちろん神は忘れていませんでした。ある日、ジャンヌにも最期の時が訪れたのです。

 人は何歳まで生きられるか、科学者たちの意見は分かれています。ある人たちは、1000歳まで寿命を延ばす研究をしています。聖書には確かに、900年以上生きた人たちが出て来ます。現代の研究者は、こう言うそうです。「最新のテクノロジーを駆使すれば、人間は何百年も生きる可能性がある」。別の人たちは、120歳くらいが限界だと考えます。「120歳を超えると健康状態が非常に悪くなり、生活の質を高く保てない」とのこと。ジャンヌ・カルマンさんも、晩年はほとんど目が見えず、耳も聞こえなかったそうです。

 「遺伝的に定められた寿命は55歳くらいだ」と言う学者もいます。55歳くらいから、癌で死ぬ人が急増するとの話です。「人間の本来の寿命は38歳だ」と言う人もいます。DNAを詳しく調べた結果だそうです。「医学の進歩とライフスタイル向上のおかげで、多くの人はそれより倍以上生きる」と彼らは言います。でも2,000人以上の死に立ち会ったある医師は、こう感じているそうです。「寿命は、医学の力以外に『本人の運命』が関わっているようだ。」別の医師も、こう発言しています。「寿命は医療で延ばせるものではなく、『天命』だという気がするんです。」

 「人の寿命は創造主なる神が定める」と、聖書は証言しています。人が死ぬようになったのは、私たち人間の責任です。人類の先祖が、食べてはいけない木の実を食べたからです。その後、神は人の寿命についてこう言われました。「人の齢は120年にしよう。」(創世記6:3)でもそれは一般的な話で、それより長生きの人も短命な人ももちろんいます。

 ヨブには子供が10人いましたが、彼らはある日突然、自然災害で全員死亡しました。ヨブはその時、こう言いました。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)ヨブはその後長生きし、子供が新たに10人与えられました。

 ヒゼキヤ王は病気で余命宣告を受けた時、号泣して神に祈りました。(Ⅱ列王20:3)すると神は彼を癒し、15年寿命を延ばされました。15年間に果たすべき使命も、神は彼に与えて下さったのです。

 イエス・キリストは、寿命を超えた希望を私たちに与えて下さいました。地上で暮らす日々は、いつか終わりが来ます。でも、天の御国の日々は永遠です。地上の人生がいつどんな形で終わろうと、私たちは恐れることはありません。私たちには、永遠のいのちの希望があるからです。大切なのは、その希望を抱いて地上の人生を走り抜くこと。そして、天からいただいた使命を十分に全うすることなのです。

「・・・私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。・・・」(Ⅱテモテ4:6-8)

| | コメント (0)

2020年3月15日 (日)

困難に勝利する

 イタリアでは、新型コロナウィルスの感染が急速に拡大しているとの話です。バチカンでは先週、サンピエトロ大聖堂と同広場が閉鎖されました。その2日前の日曜日、フランシスコ教皇はビデオ中継でメッセージを語り、祈りをささげました。通常は宮殿の窓から、広場に集う巡礼者たちに語るそうです。しかし先週はウィルス対策のため、インターネットでライブ配信され、広場の大型スクリーンにも映像が映し出されました。いつもは広場に何万人も集まるそうですが、先週は数百人だったとのこと。

 教皇は、中継を通して人々にこう語りました。「祈りの中で私は今、コロナウィルスの感染に苦しむ人や、お世話をする全ての人のすぐそばにいます。」「信者の方は信仰の力、希望の確信、愛の熱意をもってこの困難な時を生きるようにお奨めします。」

 カトリック教会は、2月の最終水曜日からレントと呼ばれる特別な季節に入っています。復活祭の準備期間です。イエス・キリストの受難を思い、40日間断食し、悔い改め、善い行いに励む期間。日曜日を除くため、実際には復活祭の46日前から始まります。2月末、教皇はカトリックの人々に、こう呼びかけました。「世の中は、言葉の暴力にあふれています。このレントの期間、テレビやインターネット、携帯から離れ、聖書を開きましょう。」カトリック以外の人にとっても、耳を傾けるべきメッセージかもしれません。

 プロテスタントでも、レントの習慣を守る教会があるようです。でもこの習慣は、聖書の中には出て来ません。いつ、どのように始まったのか、はっきりしないようです。ですからこの期間、特に何もしない教会もたくさんあります。私たちの教会も何もしませんが、カルトではないのでご安心下さい。(笑)

 聖書の中で、40という数字は試練やテスト、検査の期間を象徴しています。ノアの時代には、40日間大雨が降りました。洪水の試練の始まりでした。モーセは、最初の40年はエジプトの宮殿、次の40年はミディアンの荒野で過ごしました。シナイ山で十戒を授かった時は、40日間の断食。それらは、モーセのテスト期間でした。ユダヤ人たちは40日約束の地を偵察し、検査しました。彼らの信仰がテストされる時でもありました。その後ユダヤ人は、40年間シナイの荒野をさまよいました。試練を通し、彼らの信仰がテストされたのです。

 預言者ヨナは、「40日後にニネベは滅びる」と警告しました。ニネベの人々は、40日間のテストを受けたのです。エリヤは40日間断食し、シナイ山に行きました。彼の信仰のテスト期間でした。イエス様も40日断食し、誘惑という試練に勝利されました。復活後は、40日間弟子たちとともにおられました。弟子たちが、復活の事実を検査する期間でした。同時にそれは、彼らの信仰のテスト期間でもあったのです。

 新型コロナウィルスの試練は、40日では終わらないかもしれません。でも今、私たちはテスト期間中です。イエス・キリストを信じ、困難に勝利できるかどうかのテストです。テスト中、私たちは聖書を自由に開き、みことばを検査、チェックできます。イエス様はいつも私たちとともにいて、合格点がとれるように助けて下さいます。どんな難問にも対応できる力を与えて下さいます。このテスト期間を通し、私たちはイエス様の大いなる恵みと力を体験できるのです。

「終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。」(Ⅱテモテ3:1)

| | コメント (0)

2020年3月 8日 (日)

天の恵みでパワーアップする

 人類は長い歴史を通し、目に見えない小さな敵と闘って来ました。病気を引き起こす病原体です。その闘いの中で、見えない敵の様子が見えて来ました。多くの病気は、何か悪いものが体の中に入って発症します。有毒な物質や寄生虫、細菌、ウィルス、放射線などです。このうち寄生虫や細菌、ウィルスなどが生物の体にとりついて増殖し、発症した病気が「感染症」と呼ばれます。

 感染症は、古代のメソポタミアやエジプト、中国でも報告されていたそうです。ギリシアでは紀元前5世紀にアテネで天然痘が大流行し、スパルタとの戦いに敗れました。東ローマ帝国では紀元6世紀にペストが発生し、人口の約半数が病に倒れました。14世紀に中国で大流行したペストは、中央アジア経由でヨーロッパに拡がりました。死亡者は、全世界で8500万人とのこと。ヨーロッパでは、全人口の3分の1の人が死亡したと言われます。その頃すでに、ペストの原因は微生物だと考える人がいたそうです。ただ実際にペスト菌など細菌の研究が進んだのは、500年以上後の19世紀後半から20世紀にかけてでした。(細菌の研究は、割とサイキンです。笑)

 ウィルスが初めて発見されたのも、19世紀末です。細菌よりも小さく、光学顕微鏡では見えない病原体があると分かったのです。ウィルスは、1935年になって初めて電子顕微鏡で見られるようになったそうです。研究が進むと、ウィルスの変わった特徴が明らかになりました。ウィルスは単独で増えず、他の生物に寄生して増殖します。(映画タイトルにもなった「パラサイト」です。)生物が持つ細胞を持っていません。遺伝子をタンパク質の殻がおおう超シンプルな構造。その外側に、エンベロープ(封筒)と呼ばれるラッピングがある場合もあります。インフルエンザやコロナのウィルスは、このタイプだそうです。

 エンベロープはアルコールや石鹸などで簡単に壊れ、ウィルスが傷つくことが、今は分かっています。このため、手洗いや消毒が有効とのこと。ウィルスの侵入を防いだり、免疫力を上げる努力ももちろん重要だと、現代の私たちは知っています。新型コロナウィルスは、感染しても多くの人は重症化せず、亡くなる人の割合は今のところごく僅かだということも知っています。何も知らずにバタバタ人が倒れた時代と比べれば、今はたいへん恵まれた時代だと考えられます。

 疫病は、私たちの世界が壊れていることを意味しています。アダムとエバが罪を犯して以来、人類は壊れた世界に住み続けて来ました。疫病には、創造主なる神のメッセージが込められている場合もあります。古代エジプトのファラオには、疫病を通し、「ユダヤ人を解放せよ」というメッセージが伝えられました。罪を犯したユダヤ人たちには、疫病を通し、「悔い改めなさい」というメッセージが伝えられました。あちこちで疫病が発生したら「神の国の完成が近いから祈りなさい」と、イエス様は言われました。私たちは今、周りに起きていることを見て、祈る必要があります。創造主なる神の方向を向き、天からメッセージを受け取る必要があります。いつ何が起きても大丈夫なように、できる限り準備する必要があります。

 イエス・キリストは、壊れた世界を建て直しに来られました。そのしるしとして、壊れた世界の象徴である病気を次から次へと癒されました。それは病気も死もない、永遠の神の国が完成する前触れでした。イエス・キリストを信じる人は、天の恵みにより、永遠のパワーの一部を体験できます。目に見えない敵に勝利する、パワーアップした生き方ができるのです。

「ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」(Ⅱテモテ2:1)

| | コメント (0)

2020年3月 1日 (日)

良いニュースをシェアする

 このところ、新型コロナウィルス関連のニュースが毎日続いています。ほとんどが悪いニュースですが、時には良いニュースもあります。ウィルスに感染したシンガポールのウィルソン・テオ牧師は、10日間の隔離後、退院できたそうです。「再検査で陰性になった」という報告は「素晴らしいニュース」だったと、テオ牧師は語りました。「コロナウィルス感染症の生き残り」と、医師から言われたそうです。テオ牧師は「これで家に帰り、家族をハグできる」と喜び、さらにこう付け加えました。「聖徒たちの祈りもあり、私の体はウィルスとの戦いに勝利しました。この貴重な体験を感謝します。」

 テオ牧師や他の感染者のため、教会は祈り続けたようです。携帯にたくさんメッセージが送られ、隔離病棟には他の教会からも食べ物や必需品の差し入れがあったとのこと。互いに祈り、励まし、支え合う仲間がいたことも、嬉しいニュースの一つですね。

 何かが「良いニュース」になるには、3つ条件があるようです。1つ目は、背景に何か良くない状況があること。シンガポールの教会のニュースにも、良くない状況がありました。新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るっています。重症化し、亡くなる人もいます。教会の牧師やスタッフも感染し、隔離されました。教会は2週間閉鎖されました。これは良くない状況です。そんな暗い状況だったので、ニュースの明るさが際立ちました。

 良いニュースの条件2つ目は、 何か良い変化が起きたこと。多くのクリスチャンが祈り、励まし、差し入れをしました。牧師は、意外と早く退院できました。これらは良い変化です。良いニュースの条件3つ目は、他の多くの人にも良い影響があること。イエス・キリストを信じる人は、シンガポールのニュースを通し、希望を持つことができます。たとえウィルスに感染し、隔離されても、祈り、支えてくれる仲間がいます。祈りが答えられ、早く退院できるかもしれません。クリスチャンでない人にとっては、このニュースが信仰を持つきっかけの一つになるかもしれません。

 イエス様が伝えた「良いニュース=福音」も、3つの条件を満たしていました。そのニュースには、背景に良くない状況がありました。全人類は、先祖が犯した罪の影響を引きずっていました。アダムとエバは神との約束を破り、「食べたら死ぬ」と言われた木の実を食べたのです。それ以来、人類は誰もが死ぬようになりました。ユダヤ人も神との約束を破り、全世界に神のことばを伝える特権を投げ捨ててしまいました。全てを造られた唯一の神に背を向け、偶像の神々を拝むようになったのです。その結果、国は滅び、彼らは世界中に散らされました。これが良くない状況です。

 イエス様のニュースには、良い変化もありました。神の国を建て直すため、約束の救い主が天から下られたこと。身代わりの死により、全ての人の罪が帳消しにされたこと。救い主が死から復活し、再び天に昇り、王として全世界を治めておられること。そして時が来たら、全てが完成することです。このニュースは、全世界に良い影響を及ぼしています。ニュースを信じる人は罪が赦され、死の恐れから解放され、完成した神の国で永遠に生きるからです。

 イエス・キリストを信じる人は、この良いニュースを世界中にシェアする特権が与えられています。ウィルスも病気も死も、もう恐れることはありません。永遠の神の国には、一切それらがないからです。イエス様を信じる人は、悪いニュースに満ちた、良くない世界の不安や絶望から解放されます。永遠の喜びと希望に満ちた、素晴らしい世界に向かうことができるからです。

「・・・キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。」(Ⅱテモテ1:10)

| | コメント (0)

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »