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2020年4月

2020年4月26日 (日)

置かれた場所で実を結ぶ

 外出自粛要請で、多くの人の生活が一変しました。外に行かず、家で過ごす時間が増えているようです。3月末に「家での過ごし方」について、ある調査が行われました。東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県に住む、20~69歳の男女1,000人が対象の調査です。行動が制限されたことの第1位は旅行で、30.2%。第2位はショッピングで、29.7%。第3位は一人か少人数での外食で、27.6%。外出制限でプラスになったことの第1位は「お金を使わなくなった」で、37.4%。2位は「のんびりすることができた」34.6%。3位は「家族や同居人との時間が増えた」24.5%。一方、外出制限でマイナスになったのは、第1位「運動不足」49.8%。第2位「ストレスがたまった」46.2%。第3位「将来的な不安が生まれたか、大きくなった」29.5%です。政府の緊急事態宣言が出る前の調査なので、経済的な不安を感じる人はまだ多くなかったかもしれません。

 家でする時間が増えたのは、「テレビを見る」が圧倒的で50.2%。2位は「家の掃除や片付け」27.7%。3位は「料理を作る」27.6%。以下、「インターネット閲覧」26.2%、「寝る」26.0%と続きます。今後やってみたい家での過ごし方は、第1位が「筋トレやストレッチ」21.5%。2位は「家の掃除や片付け」18.6%。3位「読書」17.2%。以下、「勉強」14.4%、「映画を観る」13.0%です。皆さんいろいろ考えていますね。クリスチャンの場合は、「祈る」や「聖書を読む」が増えてほしいようにも思います。先週こういう話も耳にしました。「教会のおじいちゃん、おばあちゃんのパソコン力がアップしている。」インターネットでの礼拝や交わりが増えているからですね。私たちが家に閉じこもっても、神はその状況を用い、何か良いことをして下さると期待できます。

 聖書にも、閉じこもる生活をした人たちが登場します。しばらく閉じこもった結果、何か良いことが起きています。アブラハムの孫のヤコブは父の家を離れ、しばらく叔父ラバンの家に閉じこもりました。ヤコブはそこで結婚相手と出会い、男の子が12人生まれました。経済的にも祝福されました。その後、彼の家族は飢饉を避け、エジプトにしばらく閉じこもりました。70人だった家族は時が経つと、数百万人の民族になりました。モーセは人を殺し、ミディアンの荒野に閉じこもりました。そこで彼は、謙遜さと羊の群れの導き方を学びました。エジプト脱出後、ユダヤ人はシナイの荒野に閉じこもりました。40年間の訓練を終え、彼らは神に忠実に従う精鋭部隊に生まれ変わりました。ダビデやエリヤも、荒野に閉じこもりました。彼らはそこで十分に祈り、神への信頼を深めました。閉じこもる生活は快適ではなく、苦痛を伴います。でもその苦痛を経て、神が私たちに良い実を結ばせて下さるのです。

 8年前、渡辺和子さんが「置かれた場所で咲きなさい」という本を出しました。彼女は若い頃、慣れない土地で慣れない仕事を任され、自分の殻に閉じこもる経験をしました。その時、ラインホルド・ニーバーという神学者の詩に出会い、生き方が変えられたそうです。「神に植えられた場所で輝き、他の人を幸せにしなさい」という内容の詩です。花が咲けば、実を結ぶ季節が来ます。私たちは今、家に閉じこもる時間が増えています。でも家の中に置かれても、神は私たちに素晴らしい実を結ばせて下さるのです。全知全能の神に不可能はありません。

 危機的な状況に置かれても、神は私たちに良い実を結ばせて下さいます。今日はヨセフが直面した危機を通し、私たちの結ぶ実について考えてみましょう。

 第一に私たちは、誠実の実を結べます(創世記39:6)。ヨセフは兄たちに売られ、エジプトに連れて行かれました。ファラオの家臣ポティファルの家で、しもべとして働くようになりました。神は、彼の働きを祝福されました。ヨセフは何をやっても上手くこなし、主人に信頼されました。主人から、全財産の管理を任せられるまでになりました。彼は若くて優秀、しかもマッチョなイケメンでした。当然のように、誘惑の危機がヨセフに忍び寄って来ました。主人ポティファルの妻が、毎日ヨセフを誘惑したのです。夫は仕事で忙しく留守がちで、妻のことはほったらかしだったのかもしれません。毎日言い寄られるのは、大変な誘惑でした。もしヨセフがその甘いささやきに負けたら、彼はそれまで手にした物全てを失ったはずです。私たちにも誘惑の危機がやって来るかもしれません。その時、何を選択するかが、大きな違いをもたらします。

 ヨセフは、誘惑に屈しませんでした(創世記39:9)。彼は、天地創造の神を信じていました。ヤコブの子として、アブラハム、イサク、ヤコブの神への信仰を受け継いでいました。誘惑に乗り、自分の主人を裏切ることは、神への裏切りでした。ヨセフはそう信じ、誘惑をはねのけたのです。ポティファルの妻は、プライドが傷つきました。ヨセフが襲って来たと、夫に嘘をつきました。その結果ヨセフは、牢屋に入れられます。でも彼は、一切言い訳をしませんでした。ポティファルのしもべである以上に、ヨセフは神に仕える誠実なしもべだったのです。罪の誘惑に勝利し、ヨセフは誠実の実を結びました。私たちも、同じ実を結ぶことができます。信仰により誘惑の危機を突破し、誠実の立派な実を結びましょう。

 第二に私たちは、知恵の実を結べます(創世記39:20)。牢屋に入れられたヨセフは、絶望の危機に直面していました。彼は兄弟の中で一番、父に可愛がられていました。兄たちが彼にひれ伏す夢も見ました。でも兄たちはヨセフを妬み、奴隷として売り飛ばしました。ヨセフは、ポティファルにも可愛がられていました。家の管理の全てを任されました。でもポティファルの妻はヨセフを中傷し、彼は投獄されました。悪いことをしていないのに酷い扱いを受け、全てを失ったのです。もし皆さんが同じ状況に陥ったら、どうでしょう。私なら、絶望するかもしれません。何もやる気がなくなるかもしれません。でもヨセフは、絶望しませんでした。監獄でもポティファルの家と同じく、全ての管理を任されたのです。

 ヨセフが監獄に閉じ込められても、神は彼とともにおられました。そして、夢を解き明かすチャンスと知恵を与えられたのです(創世40:8)。それは、ファラオの献酌官長と料理官長が投獄された時のことでした。彼らは過ちを犯し、ヨセフと同じ監獄に入れられました。2人はそこで、不思議な夢を見ました。ヨセフは神から知恵を頂き、2人の夢をそれぞれ解き明かしました。ヨセフが言った通りのことが起きたのです。その後ヨセフは、ファラオの夢を解き明かすチャンスもゲットしました。その時も彼は、神の知恵により見事に夢を解き明かしました(創世記41:39)。神は、私たちにも知恵を授けて下さいます。神の助けにより、私たちは絶望の危機を突破し、知恵の輝かしい実を結ぶことができるのです。

 第三に私たちは、愛と自制の実を結べます(創世記42:6)。ヨセフはファラオの夢を解き明かし、エジプト全土の支配を任されました。そこにカナンから、兄たちがやって来ました。飢饉で穀物がなくなり、買いに来たのです。ヨセフはすぐに兄たちだと分かりましたが、兄たちはヨセフが分かりませんでした。彼らが自分の前でひれ伏した時、ヨセフはずっと昔に見た夢を思い出しました。彼はその時、怒りや憎しみを爆発させる危機にありました。兄たちに復讐するチャンスでした。でもヨセフは、爆発しませんでした。その代わり昔、兄たちが犯した過ちを悔い改めているのか、確かめようとしました。私たちも時には、爆発しそうな危機があるかもしれません。でも爆発すれば、全てがぶち壊しになる恐れがあります。

 ヨセフは、ぶち壊しにしませんでした(創世記45:7)。自分は神に遣わされ、今この場所に置かれていると理解していたのです。ヤコブの家族を飢饉から救うため、ヨセフはエジプトの王宮の中に置かれました。それは、「アブラハムの子孫イエス・キリストを通し、全世界の人が祝福される」という神の壮大な計画の一環でもありました。ヨセフは神を愛し、自分の家族を愛していました。そして、怒りや憎しみが爆発する危機を突破できました。私たちも聖霊の力により、感情爆発の危機を乗り越えられます。そして、愛と自制の美しい実を結ぶことができるのです。

 危機の中に置かれても、神が私たちに良い実を結ばせて下さることを感謝しましょう。私たちはそれぞれ置かれた場所で実を結び、暗闇にイエス様の光を輝かせましょう。

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)

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2020年4月19日 (日)

天の導きに従う

 全世界は今、大きな危機に直面しています。どうしたらこの危機を突破できるかが今、問われています。危機突破について聖書からどんなことが学べるのか、何回かにわたり考えてみましょう。第1回目の今日は、「天の導き」についてです。

 先週の復活祭の前日、ある牧師がコロナウイルス感染症で天に召されました。ジェラルド・グレン牧師、66歳です。彼はその2週間以上前に体調を崩し、何度か病院に行きましたが、持病の症状だと言われました。ところが1週間以上経って新型コロナ陽性と判定され、その8日後に死亡。彼の家族は夫人と子供3人、義理の息子1人の計5人が感染しました。この悲しい時に一緒に集まれないのが、最も辛いという話でした。グレン牧師は元警察官で、25年前にバージニア州でペンテコステ系の教会を開拓。その地域の警察署で、黒人として初めてチャプレン(警察署付き牧師)になりました。牧師夫人は、亡き夫についてこう語っています。「愛と思いやりに満ちた、正しい人でした。人々をただ愛していました。主がそんな愛を与えて下さったのだと信じています。」

 グレン牧師は、礼拝の自粛はしませんでした。それが、神の導きだったかどうかは分かりません。彼は体調を崩す前、たくさん集まった人々の前でこう宣言しました。「私は刑務所か病院に入らない限り、メッセージを語り続ける。」州知事は外出自粛を要請し、参加者が10人を超える集会を控えるよう呼びかけていました。しかしグレン牧師は、最期の説教の中でこう語ったそうです。「神はこの非常に恐ろしいウイルスより大きなお方だと、私は固く信じています。」

 残念ながらグレン牧師は、地上でメッセージを語る働きを終えました。多くの人が訃報を聞き、涙しました。でもこの最悪の状況にも、良いことがいくつかありました。グレン牧師は、復活の主イエスから永遠のいのちを受け取っていたこと。時が来たら、家族や世界中のクリスチャンと再会できること。牧師の家族は、回復中であること。家族も復活の主を信じ、この困難を乗り切ろうとしていること。そして今回、グレン牧師が払った大きな犠牲により、全世界に暗黙のメッセージが発信されたこと。「今は教会も、むやみに集まる時ではない」というメッセージです。これこそ神の導きではないかと、私は感じています。同牧師の娘さんは、こう語っています。「この重大性と深刻さを人々が理解してくれるよう、ただ願っています。自分自身だけでなく、私たちの周りにいるすべての人に関わると言われているからです。」

 神は、さまざまな方法で私たちにメッセージを発信されます。自然界の奇跡的な営みを通し、創造主なる神はご自身の知恵と力を示しておられます。聖書のみことばを通し、神は全世界に対する永遠の計画を語っておられます。そしてイエス・キリストの十字架と復活を通し、神は全人類に対する深い愛と永遠のいのちの道を伝えておられます。私たちがどんな危機に直面しても、神の愛は決して変わりません。私たちが危機を突破する道を、神は備えておられます。

 信仰の父アブラハムは天の導きに従い、数々の危機を乗り越えました。私たちも同じようにして、危機を突破できるのです。今日はアブラハムの歩みを通し、私たちはどんな危機を突破できるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、変化の危機を突破できます(創世12:1)。神は、アブラハムに語りかけられました。「これまで慣れ親しんだ土地や人々、生活から離れなさい。見ず知らずの土地で新たな生活を始めなさい。」天の導きでした。それは、アブラハムの生活が大きく変わることを意味していました。彼はその時、75歳でした。今の感覚なら、たいていの人はその年齢になると、大きな変化は望まないかもしれません。年を取れば、多くの人は安定を求めます。今まで通り同じことをするなら、結果はだいたい予想がつきます。でも何かを変えると、結果の予想がつかなくなります。いきなり、危機に陥るリスクもあります。新型ウイルスの感染爆発で、多くの教会の働きがオンラインに切り替わりました。それがどんな結果になるのか、今は予想がつきません。世界中のクリスチャンは今、アブラハムのように先の見えない未来に向かっているのです。

 神は、アブラハムに約束を与えられました(創世12:2-3)。「アブラハムを祝福し、彼を通して世界中の人が祝福される」という約束です。もしこの素晴らしい約束を信じなかったら、アブラハムは生活を変えようと思わなかったかもしれません。いままでと同じで、それなりに安定した生活を続けたかもしれません。後世の人は、誰も彼の名を覚えていなかったかもしれません。でもアブラハムは、神の祝福の約束を信じました。そして未知の世界に一歩踏み出しました。祝福を全世界に届けるため、敢えて危険を冒しました。そして彼は、変化の危機を突破したのです。イエス・キリストを信じる人は、この祝福の約束を受け継いでいます。私たちは、周りの人に永遠のいのちの祝福を伝えることができます。天の導きに従い、私たちも今直面する変化の危機を突破できるのです。

 第二に私たちは、待機の危機を突破できます(創世15:3-4)。アブラハムとサラは長い間、子供ができることを待ち続けました。でも、80歳近くになっても与えられませんでした。アブラハムは、使用人に全財産を譲ろうと思っていました。でも神は、さらに待ちなさいと言われたのです。待つのは、辛いです。今は、多くの人がコロナ問題の終息を待っています。学校の再開を待っています。どこにでも自由に行き、自由に集まれる時を待っています。クリスチャンは思い切り賛美を歌い、交わりを楽しめる時を待っています。でも神は今、私たちに「待ちなさい」と言われているようです。アブラハムとサラは、待ちきれなくなりました。女奴隷ハガルにアブラハムの子を産ませました。それで問題が起きました。じっと待っていれば、もっと良いことが起きたのです。

 それは、神の偉大な奇跡でした(創世21:1-2)。年老いたサラが、アブラハムの子を産む奇跡です。そんな奇跡が起こるとは、誰も予想しませんでした。神の導きに従い、待っていれば、私たちも奇跡を体験できるかもしれません。思いも寄らない、素晴らしいことが起きるかもしれません。ただじっと待つ時は、なかなか良いことが起きるとは考えられません。外から悪いニュースばかり聞こえてきます。友人と会い、ストレス解消もできません。気分が落ち込みます。「コロナうつ」になりそうです。家族で一緒に過ごす時間が増え、イライラする人もいるようです。家庭内の虐待や「コロナ離婚」の恐れもあります。でも私たちは神の憐れみを信じ、この待ち時間の先にある神の祝福を期待することができます。天の導きに従い、待ち時間の危機を突破できるのです。

 第三に私たちは、犠牲の危機を突破できます(創世22:1-2)。神はアブラハムに、大きな犠牲を求めました。約束の子イサクを生け贄として献げなさいと言われたのです。これはアブラハムにとって、「天の導き講座」の卒業試験のようでした。彼がそれまで学んだことを十分に活かせば、合格点をとれる試験でした。世界中で今、同じような試験が行われています。天に導かれ、多くの人が犠牲を払っています。医療関係者。福祉施設や保育園で働く人。警察官や消防署員、自衛官。政府や自治体、マスコミの人。その他、やむを得ず電車通勤する人。あるいは休む人。多くのクリスチャンは、一カ所に集まることを犠牲にしています。一日中パソコンの前に座り、オンラインで祈り、他の人を励ます人もいます。多くの人が今、「天の導き講座」の試験中なのです。

 試験に合格したアブラハムには、神が2つの素晴らしいプレゼントを用意されていました(創世22:15-18)。1つは、イサクの身代わりとなる雄羊。この雄羊は、全人類の身代わりとなったイエス様の象徴でした。もう1つのプレゼントは、アブラハムの「子孫」による祝福の約束です。この子孫というのも、イエス様のことです。イエス・キリストを信じる人は、誰でもこの祝福を受けられます。私たちは今、この素晴らしい知らせを全世界に伝える使命を担っています。イエス様は私たちを愛し、大きな犠牲を払って下さいました。今度は、私たちが愛をもって犠牲を払う番です。救い主イエスを信じる人は、聖霊の助けを得て、「天の導き講座」の試験に合格できます。大きな犠牲を伴う危機も突破できるのです。

 神が私たちを導き、危機を突破させて下さることを感謝しましょう。私たちは天の導きに従い、今直面しているこの危機を突破していきましょう。

「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。』」(創世記12:1)

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2020年4月12日 (日)

原点に立ち返る

 今日は「イースター」、復活祭です。全世界で20億人以上いるクリスチャンが、救い主イエス・キリストの復活をお祝いする日です。ただお祝いの仕方は、これまでと全く異なる教会が多いようです。3月後半に米国で行われたある調査を見ても、教会は明らかに変化しています。82%の牧師が、教会の働きはすでに変わったと回答しました。45%の牧師が、復活祭はインターネット礼拝にすると言いました。13%の牧師は、録音メッセージを配布する予定と答えました。日本でも、首都圏の教会はオンライン中継だけの礼拝が増え、会堂を閉鎖する教会も目立っています。4月、5月に予定されていた各種イベントも中止か延期、または無観客のライブ配信です。これまでクリスチャンは、誰かに声を掛け、「ここに来て下さい」と誘うことがほとんどでした。でも今は、それが全くできない状態です。私たちは今、考え方をシフトさせるべき時なのかもしれません。

 かつて、全世界の中心はエルサレムだった時期がありました。神は、人類の代表としてアブラハムを選ばれました。神を礼拝する生き方の手本にするためです。アブラハムは、後にエルサレムとなるモリヤの山に祭壇を築き、神を礼拝しました。一匹の雄羊をイサクの身代わりの生け贄としました。モーセの時代、礼拝の中心は幕屋になりました。ポータブルの礼拝所です。幕屋はユダヤ人とともに荒野を旅し、約束の地に入りました。幕屋の一番の中心は、契約の箱でした。ダビデは、この契約の箱をエルサレムに運び入れ、そこを礼拝の中心地としました。彼は自分で賛美の歌も書き、最高レベルのワーシップチームを編成しました。ソロモンの時代には、壮大な神殿が完成しました。エルサレムは、天地創造の神を礼拝する人々が集まる、世界で最も重要な「聖地」になったのです。

 イエス・キリストは、この人の流れを反転されました。イエス様が十字架についたのは、エルサレムの町外れです。全人類の身代わりの子羊として、自ら生け贄となりました。しかしイエス様は死からよみがえり、時代の流れが変わったのです。エルサレムに人が集まるのではなく、そこから人が送り出される時代となりました。復活の主イエスを信じる人には、聖霊が注がれ、神が心のうちに住まわれます。信じる人一人ひとりが、「モバイルの聖地」とされるのです。私たちは今、世界中どこでも神を礼拝できます。何人か集まれば、私たちは互いに励まし、支え合うことができます。一人の時も、私たちはいつでもどこでも神を礼拝できます。神は私たちを深く愛し、いつでもどこでもいつまでも、ともにいて下さいます。この嬉しい知らせを今、私たちは全世界に届けているのです。

 多くのクリスチャンが、どこかで迷子になっていたかもしれません。特定の場所にできるだけ多く人を集めようと、熱中し過ぎたかもしれません。それが自分の使命だと信じ込んでいたかもしれません。でもイエス様の弟子たちは、全世界に送り出されました。エルサレムに人を集めるためでなく、信じた人をさらに別の場所に送り出すためです。復活の主を信じる信仰が、世界中に拡がりました。病と死をもたらすウィルス感染ではなく、癒しといのちをもたらすキリスト信仰の拡大です。一つの場所に集まりにくい今は、クリスチャンが原点に立ち返る良い機会です。私たちの出発点を振り返り、これからどこに向かうべきなのか、神の導きを求めましょう。

 復活のイエス様は、私たちの生き方の原点を示して下さいました。今日はマタイ28章を通し、私たちの原点についていくつか考えてみましょう。

 第一に私たちには、出会いという原点があります(1-2節)。日曜日の朝早く、2人の女性がイエス様のお墓を見に行くと、天使と出会いました。天使は、天からの重要なメッセージを伝えに来たのです。「イエス様はよみがえられた。弟子たちは、ガリラヤに行けばイエス様に会える」という内容のメッセージです。女性たちは、この重要なメッセージを弟子たちに伝えに行きました。神は、私たち一人ひとりに大切な出会いを用意しておられます。天からのメッセージを受け取るための出会いです。私は遠い昔、幼稚園の先生からメッセージを受け取りました。同じ学校で学んだ友人たちからもメッセージを受け取りました。訪れた教会の人たちからもメッセージを受け取りました。皆さんのところにも、神は誰かを遣わされたはずです。自分の家族かもしれません。友人かもしれません。中には、天使と出会った人もいるかもしれません。神は、重要なメッセージを伝えるため、私たちにさまざまな出会いを用意されるのです。

 弟子たちのもとに向かった2人の女性は、途中でイエス様と出会いました(9節)。イエス様は彼女らの目の前に現れ、復活した姿を見せて下さいました。天使のことばに間違いがないことを自ら示されたのです。イエス様は、私たちにもさまざまな形でご自身の姿を現して下さいます。イエス様の夢や幻を見る人もいます。声を聞く人もいます。誰かの行為を通し、イエス様の愛を感じる人もいます。聖書のことばを通し、イエス様の姿をイメージする人もいます。もちろん伝道メッセージを通し、イエス様と出会う人もいます。創造主がなさることは、実にクリエイティブです。さまざまな方法を用い、イエス様は私たちと出会って下さいます。その出会いが、私たちの生き方の原点となっているのです。

 第二に私たちには、選択という原点があります(12-13節)。墓を見張っていた番兵たちは、何が起きたかをユダヤ人指導者たちに報告しました。天使が来た時の恐ろしい状況も、全て報告したはずです。でも指導者たちは、彼らの言うことを信じませんでした。報告を信じないという選択をしたのです。それだけではありません。番兵たちを買収し、嘘を言い広めなさいと命じました。嘘を拡散する選択です。何を信じ、何を信じないかを、私たちは自ら選ぶことができます。何を人に伝えるかの選択も、私たちの手の中にあります。もし嘘を信じるなら、嘘で塗り固められた世界に生きることになります。嘘を言い広める協力もします。天地創造の神はいないと信じる人がいます。そう言い広める人もいます。イエス・キリストは神でないと信じ、そう人に伝える人もいます。何を選択するかで、私たちの生き方が変わるのです。

 番兵たちは、嘘を言い広める選択をしました(15節)。残念ながら多くのユダヤ人もまた、その話を信じる選択をしました。でもこの後、ペンテコステの日以来、イエス・キリストを信じるユダヤ人はどんどん増えて行きました。彼らは嘘ではなく、真実を信じる選択をしたのです。イエス・キリストが、墓の中からよみがえられたという真実です。クリスチャンは誰でも、ある日どこかでこの選択をしています。それが、その人の生き方の原点となっているはずです。私も24歳の時、イエス・キリストを信じる選択をしました。それが、私の原点となりました。真実を選ぶ選択をし、それが今も私の生き方の原点であることを感謝しています。

 第三に私たちには、使命という原点があります(18-19節)。イエス様はガリラヤで弟子たちと会い、彼らの使命は何かを語られました。あらゆる国の人々を弟子とすることです。弟子とは、イエス様を師と仰ぎ、イエス様から学ぶ人のことです。バプテスマ=洗礼とは、弟子入りの宣言です。洗礼を受ける人は、イエス・キリストの弟子になることを神と人の前で宣言します。洗礼を授ける人は、その人が弟子の仲間入りしたことを公に宣言するのです。クリスチャンにとって、洗礼も原点の一つです。イエス様に学ぶ生き方が、そこから正式に始まるからです。

 イエス様の弟子として、私たちはその教えを学びます(20節)。教え通りに生きようと力を尽くします。弟子の使命は新たな弟子をつくることだと、イエス様は教えられました。弟子たちはその使命を担い、世界中に送り出されて来ました。私たちも今、同じ使命が与えられています。それぞれが遣わされた場で、弟子づくりをする使命です。この使命も、私たちの原点の一つです。今は、人と接することが難しい状況です。でも今、私たちは電話やメールやSNS等を通し、人とつながることができます。ビデオ通話やインターネット礼拝も可能です。弟子づくりの使命という原点に立ち返り、新たな方法にチャレンジして行きましょう。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・』」(マタイ28:18-19)

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2020年4月 5日 (日)

暗闇に一筋の光を見る

 世界は今、非常事態です。辞書によると、非常事態とは「突然起こった、いつもと異なる状況」のこと。コロナウィルスの感染爆発で、全世界はこれまでと全く違う状況になっています。ウィルスの感染者や死者が日々増え続けています。英国の首相も感染しました。志村けんさんは亡くなりました。感染者が入った病室や火葬場に、家族や親族は一切行けないそうです。医療スタッフの感染も増加しています。病院でもマスクや防護服、消毒用アルコールが不足しています。ベッドや人工呼吸器も足りなくなりそうです。スーパーやコンビニでは、トイレットペーパーが売り切れたりします。銀座や渋谷から人波が消え、上野公園の花見客はいなくなりました。多くの人が、経済的な危機にあります。精神的な疲れがたまり、「コロナうつ」になる人も増えそうな状況です。

 こんな時は、天を見上げることが大切です。全てを造られた神を見上げることです。聖書の中には、天を見上げ、非常事態を乗り切った人がたくさん登場します。ヤコブはある時、非常事態に直面しました(創世記27:41-28:22)。兄を怒らせ、殺されそうになったのです。たった一人で家を出た時、彼は不安で一杯だったはずです。そんなある夜、ヤコブは夢を見ました。神が夢の中で、ヤコブにこう語られました。「私はあなたとともにいる。あなたがどこに行ってもあなたを守り、あなたをこの地に帰らせる。わたしは、必ずこの約束を果たす。」ヤコブは、非常事態に天を見上げることができました。そして彼は、さまざまな困難を乗り切ったのです。

 モーセは、紅海のほとりで非常事態に陥りました(出エジプト14章)。ユダヤ人を引き連れ、やっとエジプトを脱出した直後です。ファラオとその軍勢が追っかけて来ました。「皆殺しにされる」と、ユダヤ人たちは恐れました。彼らは、モーセにこう文句を言いました。「ここでわれわれを殺すために、エジプトから連れ出したのか。」目の前は海。背後にはエジプト軍。逃げ場は、どこにもありません。でもモーセは、天を見上げることができました。神が救って下さると、モーセは信じていたからです。その信仰通り、神はユダヤ人に勝利を与えて下さいました。海が二つに分かれ、逃げ道が与えられました。水が元に戻ると、敵は全滅しました。モーセも天を見上げ、非常事態を乗り切ったのです。

 ダビデは、何度も非常事態に遭遇しました。その一つは、疫病でした(Ⅱサムエル24章)。国のトップが罪を犯した結果、イスラエルに疫病の感染爆発が起きたのです。死者は7万人でした。この時、ダビデ王は天を見上げました。悔い改め、神の赦しを求めました。神を礼拝し、必死に祈りました。すると神は彼の祈りを聞き、疫病は終息しました。ダビデも天を見上げ、非常事態を乗り切ったのです。

 キリストの十字架は、全世界の非常事態でした。人々に裏切られ、全世界の王が処刑されたのです。天から地に下った救い主が殺害されました。人類の希望の光が、消えたようでした。でもその闇の中、一筋のかすかな光を見た人もいました。こう信じた人です。「どんな非常事態でも、その全てをコントロールできる神がおられる。イエス様は、確かにその神の子だ。」

 私たちも、この非常事態の中で天を見上げましょう。天から地の闇を照らす、一筋の光を見出しましょう。キリストの光に力を得、非常事態を乗り越えて行きましょう。

 イエス様は私たちの罪を背負い、暗闇の世界に一筋の光を輝かせて下さいました。今日はマタイ27章を通し、どうしたらその光が見えるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、聖書のみことばを通して光を見ることができます(1-2節)。ユダヤ人の指導者たちは、イエス様を死刑にしようとしていました。彼らにとり、イエス様は邪魔者だったのです。自分たちの立場を脅かされたくないと思っていました。ただ死刑にするには、ローマ総督ピラトの承諾が必要でした。彼らの国は当時、ローマ帝国に占領されていたためです。彼らはよく分かっていませんでしたが、イエス様の死刑は旧約の時代から預言されていました。イエス様は、モーセが教えた「過越のいけにえ」でした。イザヤの預言通り、人々の罪を背負い、自分の命をささげられました。ダビデが歌ったように、死の直前に人々のために祈りました。旧約の預言を通し、私たちはイエス様が約束の救い主だと信じることができます。

 イエス様が成就した預言は、他にもたくさんありました(9-10節)。ユダはイエス様を裏切った時、指導者たちから銀貨30枚をもらいました。それは、奴隷の値段でした。イエス様が捕まった後、ユダは自分のしたことを後悔しました。まさか死刑になるとは、思ってなかったのかもしれません。自分の罪の重さに耐えきれず、ユダは自殺しました。その時、彼は銀貨を投げ捨てましたが、それは陶器師の畑を買う代金になりました。この銀貨30枚と陶器師の畑についても、旧約の預言者たちが預言していたのです。イエス様は、そんな細かい預言も全て成就されました。ご自身が約束の救い主であると、自ら証明されたのです。私たちは聖書を詳しく調べ、イエス様の真実を確かめることができます。そのようにして、暗闇の中に一筋の光を見ることができるのです。

 第二に私たちは、人々の証言を通して光を見ることができます(19節)。イエス様が捕えられた夜、ローマ総督ピラトの妻は嫌な夢を見ました。無実のユダヤ人が死刑になり、その結果、自分が苦しむ夢です。自分の夫が間違った判決を下す夢だったのかもしれません。彼女は、裁判中の夫に伝言を届けました。「その無実の人を有罪にしないで」というお願いです。ピラトの法廷には、誰もイエス様の味方がいませんでした。被告側の弁護人も証人もいませんでした。イエス様が有罪だと訴える人しかいなかったのです。イエス様自身も、一切自己弁護をしませんでした。その中でたった一人、無罪を主張したのは、ピラトの妻です。彼女が、創造主なる神を信じていたかどうかは分かりません。でも彼女の夢は、おそらく神が見せて下さったのでしょう。私たちは彼女の証言を通し、暗い法廷に一筋の光が差した光景を思い描くことができます。

 総督ピラトは結局、自分では判決を下しませんでした(24-25節)。ユダヤ人たちがすることに許可を与えただけです。ピラトも、イエス様の無実を証言したのと同じ状況でした。ローマ帝国の法廷は、イエス様が無罪なのに死刑になったと認めたのです。罪を犯したのは、ユダヤ人指導者や群衆たちでした。罪のない人に罪をかぶせ、殺害したのです。イエス様は罪がなかったのに、人々の罪のゆえに死なれました。自分の命を奪う人々のためにも、その罪が赦されるように祈りました。私たちは、イエス様の無罪を証言する言葉を通し、神の愛を思うことができます。闇におおわれた地に差し込む、一筋の愛の光を見ることができるのです。

 第三に私たちは、自らの体験を通して光を見ることができます(45、51節)。イエス様が死なれる時、不思議なことがいくつも起きました。辺り一帯が突然暗くなりました。日食だったかもしれません。岩に亀裂が入るほどの大きな地震もありました。エルサレムの神殿では、仕切りの幕が真っ二つに裂けました。それらの出来事はみな、救い主の死を告げ知らせていました。一つの時代が終わったという知らせでもありました。私たちは天変地異を通し、何かを感じることがあります。異常気象や地震、津波がきっかけで、天を見上げる人もいます。暗闇を経験し、光を求めるようになるのです。

 その他にも、いろいろ変わったことが起きました(52-54節)。百人隊長たちはその様子を見て、イエス様が確かに神の子だと思ったようです。私たちの周りにも、いろいろ変わったことが起きます。今まで見たことも聞いたこともない病気が、あっという間に世界中に拡がることもあります。この感染爆発により、一つの時代が終わったのかもしれません。私たちは今、目に見えない新たな敵と戦う新たな時代を体験しています。世界中に、闇が広がりつつあるようです。でもその中で、私たちは天を見上げることができます。天から差し込む一筋の光を見て、その圧倒的な力により、この戦いを勝ち抜くことができるのです。

 イエス様が、暗闇の世界に一筋の光を照らされたことを感謝しましょう。私たちは、どんな時にも主の光を見て進んで行きましょう。

「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。『この方は本当に神の子であった。』」(マタイ27:54)

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