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2020年4月12日 (日)

原点に立ち返る

 今日は「イースター」、復活祭です。全世界で20億人以上いるクリスチャンが、救い主イエス・キリストの復活をお祝いする日です。ただお祝いの仕方は、これまでと全く異なる教会が多いようです。3月後半に米国で行われたある調査を見ても、教会は明らかに変化しています。82%の牧師が、教会の働きはすでに変わったと回答しました。45%の牧師が、復活祭はインターネット礼拝にすると言いました。13%の牧師は、録音メッセージを配布する予定と答えました。日本でも、首都圏の教会はオンライン中継だけの礼拝が増え、会堂を閉鎖する教会も目立っています。4月、5月に予定されていた各種イベントも中止か延期、または無観客のライブ配信です。これまでクリスチャンは、誰かに声を掛け、「ここに来て下さい」と誘うことがほとんどでした。でも今は、それが全くできない状態です。私たちは今、考え方をシフトさせるべき時なのかもしれません。

 かつて、全世界の中心はエルサレムだった時期がありました。神は、人類の代表としてアブラハムを選ばれました。神を礼拝する生き方の手本にするためです。アブラハムは、後にエルサレムとなるモリヤの山に祭壇を築き、神を礼拝しました。一匹の雄羊をイサクの身代わりの生け贄としました。モーセの時代、礼拝の中心は幕屋になりました。ポータブルの礼拝所です。幕屋はユダヤ人とともに荒野を旅し、約束の地に入りました。幕屋の一番の中心は、契約の箱でした。ダビデは、この契約の箱をエルサレムに運び入れ、そこを礼拝の中心地としました。彼は自分で賛美の歌も書き、最高レベルのワーシップチームを編成しました。ソロモンの時代には、壮大な神殿が完成しました。エルサレムは、天地創造の神を礼拝する人々が集まる、世界で最も重要な「聖地」になったのです。

 イエス・キリストは、この人の流れを反転されました。イエス様が十字架についたのは、エルサレムの町外れです。全人類の身代わりの子羊として、自ら生け贄となりました。しかしイエス様は死からよみがえり、時代の流れが変わったのです。エルサレムに人が集まるのではなく、そこから人が送り出される時代となりました。復活の主イエスを信じる人には、聖霊が注がれ、神が心のうちに住まわれます。信じる人一人ひとりが、「モバイルの聖地」とされるのです。私たちは今、世界中どこでも神を礼拝できます。何人か集まれば、私たちは互いに励まし、支え合うことができます。一人の時も、私たちはいつでもどこでも神を礼拝できます。神は私たちを深く愛し、いつでもどこでもいつまでも、ともにいて下さいます。この嬉しい知らせを今、私たちは全世界に届けているのです。

 多くのクリスチャンが、どこかで迷子になっていたかもしれません。特定の場所にできるだけ多く人を集めようと、熱中し過ぎたかもしれません。それが自分の使命だと信じ込んでいたかもしれません。でもイエス様の弟子たちは、全世界に送り出されました。エルサレムに人を集めるためでなく、信じた人をさらに別の場所に送り出すためです。復活の主を信じる信仰が、世界中に拡がりました。病と死をもたらすウィルス感染ではなく、癒しといのちをもたらすキリスト信仰の拡大です。一つの場所に集まりにくい今は、クリスチャンが原点に立ち返る良い機会です。私たちの出発点を振り返り、これからどこに向かうべきなのか、神の導きを求めましょう。

 復活のイエス様は、私たちの生き方の原点を示して下さいました。今日はマタイ28章を通し、私たちの原点についていくつか考えてみましょう。

 第一に私たちには、出会いという原点があります(1-2節)。日曜日の朝早く、2人の女性がイエス様のお墓を見に行くと、天使と出会いました。天使は、天からの重要なメッセージを伝えに来たのです。「イエス様はよみがえられた。弟子たちは、ガリラヤに行けばイエス様に会える」という内容のメッセージです。女性たちは、この重要なメッセージを弟子たちに伝えに行きました。神は、私たち一人ひとりに大切な出会いを用意しておられます。天からのメッセージを受け取るための出会いです。私は遠い昔、幼稚園の先生からメッセージを受け取りました。同じ学校で学んだ友人たちからもメッセージを受け取りました。訪れた教会の人たちからもメッセージを受け取りました。皆さんのところにも、神は誰かを遣わされたはずです。自分の家族かもしれません。友人かもしれません。中には、天使と出会った人もいるかもしれません。神は、重要なメッセージを伝えるため、私たちにさまざまな出会いを用意されるのです。

 弟子たちのもとに向かった2人の女性は、途中でイエス様と出会いました(9節)。イエス様は彼女らの目の前に現れ、復活した姿を見せて下さいました。天使のことばに間違いがないことを自ら示されたのです。イエス様は、私たちにもさまざまな形でご自身の姿を現して下さいます。イエス様の夢や幻を見る人もいます。声を聞く人もいます。誰かの行為を通し、イエス様の愛を感じる人もいます。聖書のことばを通し、イエス様の姿をイメージする人もいます。もちろん伝道メッセージを通し、イエス様と出会う人もいます。創造主がなさることは、実にクリエイティブです。さまざまな方法を用い、イエス様は私たちと出会って下さいます。その出会いが、私たちの生き方の原点となっているのです。

 第二に私たちには、選択という原点があります(12-13節)。墓を見張っていた番兵たちは、何が起きたかをユダヤ人指導者たちに報告しました。天使が来た時の恐ろしい状況も、全て報告したはずです。でも指導者たちは、彼らの言うことを信じませんでした。報告を信じないという選択をしたのです。それだけではありません。番兵たちを買収し、嘘を言い広めなさいと命じました。嘘を拡散する選択です。何を信じ、何を信じないかを、私たちは自ら選ぶことができます。何を人に伝えるかの選択も、私たちの手の中にあります。もし嘘を信じるなら、嘘で塗り固められた世界に生きることになります。嘘を言い広める協力もします。天地創造の神はいないと信じる人がいます。そう言い広める人もいます。イエス・キリストは神でないと信じ、そう人に伝える人もいます。何を選択するかで、私たちの生き方が変わるのです。

 番兵たちは、嘘を言い広める選択をしました(15節)。残念ながら多くのユダヤ人もまた、その話を信じる選択をしました。でもこの後、ペンテコステの日以来、イエス・キリストを信じるユダヤ人はどんどん増えて行きました。彼らは嘘ではなく、真実を信じる選択をしたのです。イエス・キリストが、墓の中からよみがえられたという真実です。クリスチャンは誰でも、ある日どこかでこの選択をしています。それが、その人の生き方の原点となっているはずです。私も24歳の時、イエス・キリストを信じる選択をしました。それが、私の原点となりました。真実を選ぶ選択をし、それが今も私の生き方の原点であることを感謝しています。

 第三に私たちには、使命という原点があります(18-19節)。イエス様はガリラヤで弟子たちと会い、彼らの使命は何かを語られました。あらゆる国の人々を弟子とすることです。弟子とは、イエス様を師と仰ぎ、イエス様から学ぶ人のことです。バプテスマ=洗礼とは、弟子入りの宣言です。洗礼を受ける人は、イエス・キリストの弟子になることを神と人の前で宣言します。洗礼を授ける人は、その人が弟子の仲間入りしたことを公に宣言するのです。クリスチャンにとって、洗礼も原点の一つです。イエス様に学ぶ生き方が、そこから正式に始まるからです。

 イエス様の弟子として、私たちはその教えを学びます(20節)。教え通りに生きようと力を尽くします。弟子の使命は新たな弟子をつくることだと、イエス様は教えられました。弟子たちはその使命を担い、世界中に送り出されて来ました。私たちも今、同じ使命が与えられています。それぞれが遣わされた場で、弟子づくりをする使命です。この使命も、私たちの原点の一つです。今は、人と接することが難しい状況です。でも今、私たちは電話やメールやSNS等を通し、人とつながることができます。ビデオ通話やインターネット礼拝も可能です。弟子づくりの使命という原点に立ち返り、新たな方法にチャレンジして行きましょう。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・』」(マタイ28:18-19)

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