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2020年4月 5日 (日)

暗闇に一筋の光を見る

 世界は今、非常事態です。辞書によると、非常事態とは「突然起こった、いつもと異なる状況」のこと。コロナウィルスの感染爆発で、全世界はこれまでと全く違う状況になっています。ウィルスの感染者や死者が日々増え続けています。英国の首相も感染しました。志村けんさんは亡くなりました。感染者が入った病室や火葬場に、家族や親族は一切行けないそうです。医療スタッフの感染も増加しています。病院でもマスクや防護服、消毒用アルコールが不足しています。ベッドや人工呼吸器も足りなくなりそうです。スーパーやコンビニでは、トイレットペーパーが売り切れたりします。銀座や渋谷から人波が消え、上野公園の花見客はいなくなりました。多くの人が、経済的な危機にあります。精神的な疲れがたまり、「コロナうつ」になる人も増えそうな状況です。

 こんな時は、天を見上げることが大切です。全てを造られた神を見上げることです。聖書の中には、天を見上げ、非常事態を乗り切った人がたくさん登場します。ヤコブはある時、非常事態に直面しました(創世記27:41-28:22)。兄を怒らせ、殺されそうになったのです。たった一人で家を出た時、彼は不安で一杯だったはずです。そんなある夜、ヤコブは夢を見ました。神が夢の中で、ヤコブにこう語られました。「私はあなたとともにいる。あなたがどこに行ってもあなたを守り、あなたをこの地に帰らせる。わたしは、必ずこの約束を果たす。」ヤコブは、非常事態に天を見上げることができました。そして彼は、さまざまな困難を乗り切ったのです。

 モーセは、紅海のほとりで非常事態に陥りました(出エジプト14章)。ユダヤ人を引き連れ、やっとエジプトを脱出した直後です。ファラオとその軍勢が追っかけて来ました。「皆殺しにされる」と、ユダヤ人たちは恐れました。彼らは、モーセにこう文句を言いました。「ここでわれわれを殺すために、エジプトから連れ出したのか。」目の前は海。背後にはエジプト軍。逃げ場は、どこにもありません。でもモーセは、天を見上げることができました。神が救って下さると、モーセは信じていたからです。その信仰通り、神はユダヤ人に勝利を与えて下さいました。海が二つに分かれ、逃げ道が与えられました。水が元に戻ると、敵は全滅しました。モーセも天を見上げ、非常事態を乗り切ったのです。

 ダビデは、何度も非常事態に遭遇しました。その一つは、疫病でした(Ⅱサムエル24章)。国のトップが罪を犯した結果、イスラエルに疫病の感染爆発が起きたのです。死者は7万人でした。この時、ダビデ王は天を見上げました。悔い改め、神の赦しを求めました。神を礼拝し、必死に祈りました。すると神は彼の祈りを聞き、疫病は終息しました。ダビデも天を見上げ、非常事態を乗り切ったのです。

 キリストの十字架は、全世界の非常事態でした。人々に裏切られ、全世界の王が処刑されたのです。天から地に下った救い主が殺害されました。人類の希望の光が、消えたようでした。でもその闇の中、一筋のかすかな光を見た人もいました。こう信じた人です。「どんな非常事態でも、その全てをコントロールできる神がおられる。イエス様は、確かにその神の子だ。」

 私たちも、この非常事態の中で天を見上げましょう。天から地の闇を照らす、一筋の光を見出しましょう。キリストの光に力を得、非常事態を乗り越えて行きましょう。

 イエス様は私たちの罪を背負い、暗闇の世界に一筋の光を輝かせて下さいました。今日はマタイ27章を通し、どうしたらその光が見えるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、聖書のみことばを通して光を見ることができます(1-2節)。ユダヤ人の指導者たちは、イエス様を死刑にしようとしていました。彼らにとり、イエス様は邪魔者だったのです。自分たちの立場を脅かされたくないと思っていました。ただ死刑にするには、ローマ総督ピラトの承諾が必要でした。彼らの国は当時、ローマ帝国に占領されていたためです。彼らはよく分かっていませんでしたが、イエス様の死刑は旧約の時代から預言されていました。イエス様は、モーセが教えた「過越のいけにえ」でした。イザヤの預言通り、人々の罪を背負い、自分の命をささげられました。ダビデが歌ったように、死の直前に人々のために祈りました。旧約の預言を通し、私たちはイエス様が約束の救い主だと信じることができます。

 イエス様が成就した預言は、他にもたくさんありました(9-10節)。ユダはイエス様を裏切った時、指導者たちから銀貨30枚をもらいました。それは、奴隷の値段でした。イエス様が捕まった後、ユダは自分のしたことを後悔しました。まさか死刑になるとは、思ってなかったのかもしれません。自分の罪の重さに耐えきれず、ユダは自殺しました。その時、彼は銀貨を投げ捨てましたが、それは陶器師の畑を買う代金になりました。この銀貨30枚と陶器師の畑についても、旧約の預言者たちが預言していたのです。イエス様は、そんな細かい預言も全て成就されました。ご自身が約束の救い主であると、自ら証明されたのです。私たちは聖書を詳しく調べ、イエス様の真実を確かめることができます。そのようにして、暗闇の中に一筋の光を見ることができるのです。

 第二に私たちは、人々の証言を通して光を見ることができます(19節)。イエス様が捕えられた夜、ローマ総督ピラトの妻は嫌な夢を見ました。無実のユダヤ人が死刑になり、その結果、自分が苦しむ夢です。自分の夫が間違った判決を下す夢だったのかもしれません。彼女は、裁判中の夫に伝言を届けました。「その無実の人を有罪にしないで」というお願いです。ピラトの法廷には、誰もイエス様の味方がいませんでした。被告側の弁護人も証人もいませんでした。イエス様が有罪だと訴える人しかいなかったのです。イエス様自身も、一切自己弁護をしませんでした。その中でたった一人、無罪を主張したのは、ピラトの妻です。彼女が、創造主なる神を信じていたかどうかは分かりません。でも彼女の夢は、おそらく神が見せて下さったのでしょう。私たちは彼女の証言を通し、暗い法廷に一筋の光が差した光景を思い描くことができます。

 総督ピラトは結局、自分では判決を下しませんでした(24-25節)。ユダヤ人たちがすることに許可を与えただけです。ピラトも、イエス様の無実を証言したのと同じ状況でした。ローマ帝国の法廷は、イエス様が無罪なのに死刑になったと認めたのです。罪を犯したのは、ユダヤ人指導者や群衆たちでした。罪のない人に罪をかぶせ、殺害したのです。イエス様は罪がなかったのに、人々の罪のゆえに死なれました。自分の命を奪う人々のためにも、その罪が赦されるように祈りました。私たちは、イエス様の無罪を証言する言葉を通し、神の愛を思うことができます。闇におおわれた地に差し込む、一筋の愛の光を見ることができるのです。

 第三に私たちは、自らの体験を通して光を見ることができます(45、51節)。イエス様が死なれる時、不思議なことがいくつも起きました。辺り一帯が突然暗くなりました。日食だったかもしれません。岩に亀裂が入るほどの大きな地震もありました。エルサレムの神殿では、仕切りの幕が真っ二つに裂けました。それらの出来事はみな、救い主の死を告げ知らせていました。一つの時代が終わったという知らせでもありました。私たちは天変地異を通し、何かを感じることがあります。異常気象や地震、津波がきっかけで、天を見上げる人もいます。暗闇を経験し、光を求めるようになるのです。

 その他にも、いろいろ変わったことが起きました(52-54節)。百人隊長たちはその様子を見て、イエス様が確かに神の子だと思ったようです。私たちの周りにも、いろいろ変わったことが起きます。今まで見たことも聞いたこともない病気が、あっという間に世界中に拡がることもあります。この感染爆発により、一つの時代が終わったのかもしれません。私たちは今、目に見えない新たな敵と戦う新たな時代を体験しています。世界中に、闇が広がりつつあるようです。でもその中で、私たちは天を見上げることができます。天から差し込む一筋の光を見て、その圧倒的な力により、この戦いを勝ち抜くことができるのです。

 イエス様が、暗闇の世界に一筋の光を照らされたことを感謝しましょう。私たちは、どんな時にも主の光を見て進んで行きましょう。

「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。『この方は本当に神の子であった。』」(マタイ27:54)

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