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2020年5月

2020年5月31日 (日)

聖霊パワーで前に進む

 緊急事態宣言は先週、全面的に解除されました。ひとまず日本では、コロナ感染の第一波が収束した模様です。諸外国と比べれば、圧倒的に犠牲者が少ない国の一つだったことを感謝します。とはいえ、まだウィルスは存在し、効果的な治療法も確立していません。いつ第二波が来るのか、それがどの程度の大きさなのかも分かりません。私たちは引き続き、できる限りの感染防止策を心掛ける必要があります。祈りも必要です。

 最近多くの自治体では、ホームページを通し、免疫力を高める生活を人々に呼び掛けて来たようです。免疫力とは、ウィルスや細菌等を監視・撃退するため、人間の体に備わっている力です。生物の体は、実に見事な造りになっています。体内に何か異物が入るとすぐにそれを感知し、取り除こうとします。この免疫の仕組みからも、私たちは創造主なる神の偉大さを感じることができます。

 免疫力は、日々の生活習慣により上がったり下がったりするようです。免疫力低下の原因は、いくつか挙げられています。不規則な生活、偏った食事、運動不足、睡眠不足、疲れやストレス等です。確かに、どれも体に悪そうですね。免疫力を上げるには、これらと逆のことをします。第一に規則正しい生活。生活リズムが一定だと自律神経の働きが整い、免疫力が高まるそうです。第二に栄養バランスの良い食事。栄養素は、免疫物質やエネルギー等のもとになります。第三に適度な運動。体全体を動かす運動は体温を上げ、免疫力を高めるそうです。第四に十分な睡眠。人によって差がありますが、多くの人は6~8時間くらい睡眠が必要とのこと。第五に気分転換。喜び、楽しみ、愛情、感謝等のポジティブな感情は、免疫力アップにつながるそうです。

 旧約時代の人々は、免疫力について知らなかったでしょうが、ポジティブな感情を持つことはもちろんありました。アブラハムは約束の地に祭壇を築き、神に感謝しました。彼の妻サラは、イサクを産んで笑いました。ヤコブは死んだはずの息子ヨセフと再会し、心から喜びました。「もう死んでも良い」とまで言いました。エジプト軍から救われたユダヤ人は、大喜びで神を賛美しました。女性たちは、タンバリンを持って踊りました。契約の箱をエルサレムに運び入れた時、ユダヤ人たちは大歓声をあげ、角笛を吹き鳴らしました。ダビデ王は、力の限り踊りました。エルサレムの神殿が完成すると、ソロモン王は感謝して長い長い祈りをささげました。ユダヤ人たちは神の恵みを心から喜び、数え切れないほどのいけにえを献げました。ポジティブな感情を持つたび、彼らの免疫力はアップしたかもしれません。でもそれ以上に強められたのは、神を愛する力だったはずです。彼らの愛は、時間とともにさめる傾向がありました。でも神はユダヤ人を深く愛し、彼らが神を愛する力を何度も引上げて下さったのです。

 今日は、ペンテコステの日曜日です。エルサレムにいたユダヤ人たちに聖霊が注がれ、初めて教会が誕生した記念日です。聖霊なる神は、昔も今も変わらずに働かれています。世界中の人々をイエス・キリストへの愛に導かれています。神の愛が必要な場所に、誰かを遣わされています。私たちの心を喜びや感謝で満たし、神を愛する力を強めて下さいます。聖霊による霊的免疫力で、私たちは忍び寄る悪の力を感知し、撃退できます。聖霊のパワーにより私たちは危機を突破し、前に進むことができるのです。

 今日は使徒ペテロの歩みを通し、聖霊のパワーについて考えてみましょう。

 第一に聖霊は、癒しのパワーで私たちを前進させて下さいます(ヨハネ21:17)。復活のイエス様と再会した時、ペテロは罪悪感に苦しむ危機にありました。イエス様を裏切ったからです。最後の晩餐の時、ペテロは「イエス様のためなら命も捨てる」と断言しました。でもイエス様からは、こう言われました。「あなたはわたしを知らないと3回言う。」その予告通りに、ペテロは行動したのです。イエス様の復活は、ペテロも嬉しかったはずです。でも彼の心には、イエス様を裏切った悲しみと自己嫌悪が残っていたように思います。イエス様が「あなたは私を愛していますか」と3回聞かれた時、ペテロの心は痛みました。でもイエス様はこの応答を通し、ペテロを罪悪感から解放し、彼の心を癒して下さったのです。この癒しは、聖霊の力を用いて行われました。聖霊の癒しのパワーにより、ペテロは前に進めるようになったのです。

 ペテロは、コンプレックスも癒されました(ヨハネ21:21-22)。彼には、気になる存在がいました。ヨハネです。ペテロはおっちょこちょいで、何度もイエス様に叱られました。でもヨハネは失敗が少なく、イエス様に愛されているようでした。ヨハネは、十字架上のイエス様の最期もすぐそばで見届けました。イエス様から、母マリアのお世話も頼まれました。その場に行けなかったペテロとは、大違いでした。それらのことが原因で、ペテロはコンプレックスに苦しむ危機があったと考えられます。イエス様は、その危機からペテロを解放されました。主のみことばと聖霊の力により、ペテロのコンプレックスは癒されたのです。ペンテコステの日以降、ペテロはヨハネとタッグを組み、ともに働きました。聖霊は同じように、私たちも癒して下さいます。聖霊の癒しのパワーで、私たちは前に進むことができるのです。

 第二に聖霊は、証しのパワーで私たちを前進させて下さいます(使徒2:32-33)。ペンテコステの日、聖霊は弟子たちに注がれました。彼らは学んだこともない外国語で、神のみわざを証言しました。その奇跡を目撃し、驚いた人々に対し、ペテロはその出来事の意味をこう説明しました。「これは、旧約の預言者ヨエルが予告した出来事です。終わりの時代が始まりました。聖書の預言通り、救い主は復活されました。イエス様は天に昇り、このように聖霊を注がれたのです。」ペテロの説明を聞いた3千人の人々は、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けました。ペテロにこのメッセージを与えたのは、聖霊です。聖霊は、私たちにも語るべきことばを与えて下さいます。聖霊の力により、私たちは証しができるのです。

 聖霊は、私たちに大胆さも与えて下さいます(使徒4:29-30)。3千人の救いの後も、聖霊は力強く働かれました。心を一つにし、仕え合う弟子たちの集まり=教会が生まれました。さまざまな奇跡があり、弟子の数は増え続けました。中でも驚くべき奇跡の一つは、ペテロとヨハネの2人を通して生まれました。彼らが神殿で出会った障がいのある男性が、奇跡的に歩けるようになったのです。この奇跡を通し、男性だけで5千人が救われました。ユダヤ人指導者たちは脅威を感じ、弟子たちに圧力をかけました。弾圧の危機でした。でも弟子たちは、この圧力に屈しませんでした。彼らは聖霊に満たされ、大胆にキリストの福音を語り続けたのです。聖霊は、私たちにも勇気や大胆さを与えて下さいます。聖霊のパワーにより、私たちはキリストの証人として前進できるのです。

 第三に聖霊は、察しのパワーで私たちを前進させて下さいます(使徒10:34-35)。ペテロは不思議な導きを通し、異邦人の家を訪問しました。聖霊が、そこに行きなさいと言われたのです。訪問したのは、カイサリアにいた百人隊長コルネリウスの家でした。そこには、コルネリウスの親族や友人も集まっていました。彼らは異邦人でしたが、イスラエルの神を信じていました。この時、ペテロは聖霊の助けにより、神のみこころを察することができました。「神はユダヤ人だけでなく、異邦人も愛している」と、聖霊がペテロに教えて下さったのです。そこでペテロは、彼らにキリストの福音を語り始めました。

 すると驚いたことに、ペンテコステの日と同じように、異邦人たちにも聖霊が注がれました(使徒11:17-18)。この後ペテロは、エルサレムの仲間から一斉に非難される危機を迎えました。でもペテロが聖霊のしるしの事実を伝えると、周りの人々も神のみこころを察しました。聖霊のしるしにより、ペテロは仲間から集中砲火を受ける危機を脱したのです。聖霊は今もさまざまなしるしを通し、私たちに神のみこころを伝えて下さいます。聖霊のパワーにより私たちはみこころを察し、前進することができるのです。

 聖霊のパワーが今、私たちにも与えられていることを感謝しましょう。私たちは聖霊の力により前進し、危機を突破して行きましょう。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

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2020年5月24日 (日)

どんな時も熱く神を愛す

 コロナウィルスの感染爆発で、夫婦関係に亀裂が生じる場合もあるようです。いわゆる「コロナ離婚」の危機です。女性向けのあるメディアは、4月の末にコロナ離婚に関する調査を行いました。10~50代の男女100人への聞き取り調査で、回答者の8割が女性でした。10%の人は、コロナ離婚を「考えるようになった」と回答。13%の人は、コロナが離婚の「後押しになりそう」だと回答。これから「考えるようになりそう」な人は、15%。これらを合わせると38%、ほぼ4割の人が、コロナ離婚の危機のようです。

 いくつか原因が挙げられています。一つは収入の減少。生活が苦しくなり、喧嘩が絶えなくなるケース。二つ目は危機意識のズレ。夫婦の一方はウィルス対策を万全にし、もう一方は全く無関心な場合。三つ目は役割分担のアンバランス。ずっと家にいるのに夫は家事や育児に全く配慮せず、妻のワンオペが続くケース。四つ目は気分転換の欠如。外出自粛でストレス発散ができず、些細なことにイライラしがちな場合です。

 コロナ離婚を避けるアイデアも、いくつか紹介されています。その一つは、良いコミュニケーション。2人で問題解決について話し合い、役割分担を見直すこと。二つ目は、共通の趣味。一緒にドラマや音楽の鑑賞、ゲーム等をして楽しむこと。三つ目は、一人になる時間を作ること。四つ目は、互いを尊重し、感謝を口にすること。私は昔、たくさんのカップルの結婚式を司式しました。式の前、新郎新婦にこう説明しました。「結婚の誓約は、神の前で結ぶ契約です。それは、いつまでも愛し続けるという契約です。」多くの夫婦が「初めの愛」に立ち返り、危機を乗り切れられるように願っています。

 聖書の中で、神と人との関係は、結婚に例えられています。モーセに授けた十戒の中で、神はご自身のことを「ねたむ神」だと言われました。天地創造の神は、私たちを深く愛しておられます。燃えるような愛で妻を愛し、ひたすら妻に尽くし続ける、完璧な夫のようです。(自分はそんな夫だ、あるいは私の夫はそうだと言う人いますか?)もし妻が夫の完璧な愛を理解せず、離婚を考えたら、夫は深く傷つき、怒ります。浮気してたら、なおさらです。これが、神の「ねたみ」です。ユダヤ人たちは、神の「ねたむ愛」を体験しました。神は彼らを愛し、エジプトから解放し、約束の地に住まわせて下さいました。ところがユダヤ人は神の愛を忘れ、偶像に思いを寄せました。神はさまざまな方法で、彼らに「初めの愛」を思い出させようとされました。彼らを熱く愛し、ご自身のもとに戻るように説得し続けたのです。

 エリヤは、そのような説得を任された預言者の一人でした。彼には、何の地位もありませんでした。お金もありませんでした。力を貸してくれるお友達もいませんでした。たった一人で、彼は国王夫妻の大きな罪に立ち向かったのです。「初めの愛」を捨て偶像に浮気する罪、そして悪巧みの仲間を増やす罪です。でもエリヤは、「初めの愛」を忘れませんでした。神とよくコミュニケーションをとりました。神と一緒に楽しむ時間を作りました。一人で考える時も過ごしました。神を敬い、感謝をささげる時もあったはずです。時には、道を見失いそうな危機もありました。でもエリヤは最期まで神を愛し、熱心に神に仕えました。どんな時も神を愛し続けたその生き方を、神は喜ばれました。エリヤは預言者の殿堂入りし、数百年後、モーセとともにイエス様と特別にお話する特権も与えられました。どんな状況でも熱く神を愛する人を、神は豊かに祝福して下さるのです。

 神は、どんな時にも私たちに熱く愛されたいと願っておられます。今日はエリヤの生涯を通し、私たちが神を愛すべき理由について考えてみましょう。

 第一に神は、私たちのいのちの源です(Ⅰ列王記17:2-4)。エリヤは、餓死する危機に瀕していました。イスラエルの国には数年間、雨が降らず、作物が実らなかったからです。それは実は、ユダヤ人に対する神のメッセージでした。彼らは、国王夫妻の指導の下、偶像の神々を拝むようになっていました。バアルやアシェラ等です。それらの神々が雨を降らせ、豊かな収穫をもたらすと彼らは信じていたのです。でも創造主なる神は、エリヤを国王のもとに遣わし、こう宣言させました。「ここ数年間は、雨が降らない。」天地創造の神が全てのいのちを造り、養っていることを示す目的がありました。神はその間、不思議な方法でエリヤを養われたのです。エリヤがケリテ川のほとりに行くと、毎日朝と夕、烏が食べ物を運んで来ました。神は私たち一人ひとりにいのちを与え、そのいのちを養っておられます。どんな時も必要を満たして下さる神に、私たちは信頼できるのです。

 神はその後、エリヤをツァレファテのやもめの家で養われました(Ⅰ列王記17:8-9)。ツァレファテは、イスラエルの北にあった地中海沿岸の町で、シドンの町の支配下にありました。シドンは当時のイスラエル王妃イゼベルの故郷で、バアル礼拝の中心地でした。つまり神はエリヤを偶像礼拝の中心に遣わし、そこで彼を養われたのです。遣わされたやもめの家には食べ物がありませんでした。やもめは生活の見通しが立たず、息子と一緒に心中する寸前でした。しかし神は、不思議な方法でこの親子とエリヤを養われました。息子が病気で死んだ時も、生き返らせて下さいました。エリヤの信じる神こそが、いのちを与え、養うお方であることが、偶像礼拝の中心地でも明らかにされたのです。日本に住む私たちをも神は深く愛し、いのちを養っておられます。だからこそ神は、熱く愛するに値するお方なのです。

 第二に神は、全地の王です(Ⅰ列王記18:1)。飢饉が3年目に入ると、国王アハブと面会するように、神はエリヤに命じられました。アハブに会えば、処刑される危険がありました。王妃イゼベルは主の預言者たちを死刑にし、アハブ王はエリヤを指名手配していたのです。国王夫妻は、バアルやアシェラを拝まない人々が飢饉の原因だと考えていたのかもしれません。とんでもない間違いでした。その間違いを正すため、エリヤはアハブに一つ提案をしました。カルメル山で、バアルやアシェラの預言者たちとエリヤが対決する提案です。850人対1人の戦いです。全地を支配し、自然現象をもコントロールするのは、どちらの神なのかを示す戦いでした。

 ご存知の通り、この戦いはエリヤ側の圧倒的勝利に終わりました(Ⅰ列王記18:38-39)。850人が必死に偶像に祈り求めても、何も起きませんでした。でもエリヤがたった一人、天地創造の神に祈り求めると、天から火が降ったのです。それを見た人々は、エリヤの神こそが真の神だと叫びました。するとその後、大雨が降り始めました。人々の信仰告白に、神が応えて下さったようでした。天地創造の神は、今も全世界を治めておられます。イスラエルもシドンのあるレバノンも。欧州も米国も。中国も韓国も日本もです。自然をコントロールし、地球環境を整え、ウィルスも御手の中に治めておられます。燃えるような愛で私たちを愛し、祈りに応えて下さいます。だからこそ神は、私たちの熱い愛にふさわしいのです。

 第三に神は、永遠の立案者です(Ⅰ列王記19:7-8)。エリヤにとってカルメル山の大勝利は、全く想定外の結末を迎えました。創造主なる神の権威が証明されても、国王夫妻は何も変わらなかったのです。エリヤは大きな挫折を味わい、絶望の危機でした。その時、神は天使を遣わし、エリヤをホレブの山=シナイ山に導かれました。そこは何百年も前、神がモーセに十戒を授けた場所です。神はその山で、ユダヤ人にこう命じられました。「わたし以外に、他の神があってはならない。・・・偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。」(出エジプト記20:3-5)ユダヤ人の原点と言えるその山で、神はエリヤと差しで話す計画だったのです。

 そこで神は、エリヤに次の使命を与えられました(Ⅰ列王記19:15-16)。エリシャを弟子とし、働きを引き継ぐ使命です。神は永遠の昔から、この計画を立てておられました。国王夫妻が悔い改めないことも、神は知っておられました。エリヤが挫折を味わうことも知っておられました。その上で神は、エリヤが次にすべきことをあらかじめ用意しておられたのです。神は、私たちの人生にも永遠の計画を立てておられます。コロナ終息後どうすべきかも、神に計画があります。だから私たちは安心して、このお方について行けます。熱い思いをもって私たちは、神を愛し続けることができるのです。

 神の燃えるような愛を感謝しましょう。どんな時も私たちは、熱く神を愛して行きましょう。

「エリヤは答えた。『私は万軍の神、主に熱心に仕えました。・・・』」(Ⅰ列王記19:10)

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2020年5月17日 (日)

天の家で「ステイホーム」する

 今は、世界中で多くの人が「ステイホーム」――家にとどまる生活を続けています。通常の大災害では、多くの人が近所の避難所等に逃げ込みます。所沢市は地震、洪水、大規模火災等のため、学校のグラウンドや公園など66カ所を屋外の避難場所に指定しています。体育館等も、屋内の避難所として開放されます。しかし、ウィルスの感染爆発では、そのような避難所が利用できません。大勢の人が一カ所に集まると、かえって危険だからです。非感染者の避難先は、自分の住まいです。必要な時は多少の危険を冒し、外に出ることもあります。仕事や生活必需品の買い物、気分転換の散歩やジョギング等です。でもそれ以外は、家に閉じこもる生活になっています。家が避難所だからです。

 ステイホームで大変だという声が、あちこちから聞こえて来ます。仕事のない人は、経済的な危機です。子供が勉強せず、学力の遅れを心配する親もいます。夫がいつも一緒の生活に慣れないという、妻たちの声も耳にします。家族全員の食事を毎日3食用意するのが苦痛だ、という話も聞きます。家に子供がいるため、テレワークだと仕事がしにくいという人もいます。ストレスがたまったり、うつになる恐れも指摘されています。家族関係が微妙だったり、DV(家庭内暴力)等がある場合は、なおさら大変です。

 ところが、ステイホームが嬉しい人も中にはいるようです。内向的でインドア派の人たちです。気乗りのしない集まりに参加せず、自分だけの世界に没頭できるのが幸せとのこと。米国のある女優は、こう言っています。「私は、悪名高き引きこもりです。どこにも行きたくない時はいつも言い訳して来たけど、今はそうしなくて良い。突然私は、生まれて初めてクールな人物になったのです。」

 旧約の時代、人々はさまざまな場所に避難しました。ノアの家族は、箱舟に避難しました。アブラハムやヤコブの家族は飢饉の時、食糧備蓄のあるエジプトに避難しました。モーセたちは命を守るため、家に羊の血を塗り、ステイホームしました。ダビデは指名手配された時、洞穴を住まいにし、身の危険を避けました。(一番下に引用している詩篇27篇は、ダビデが書いたとされています。)数々の避難体験を通し、ユダヤ人たちは、最高の避難所がどこにあるかを悟りました。どんな災いも避けられるのは、天地創造の神がおられる場所です。全知全能の神には、どんな災いも退ける無敵の力があるからです。

 天の神の避難所に通じる唯一の道は、イエス・キリストです。イエス様を信じるなら、どんな人もそこに身を避けることができます。最高の避難所の情報をシェアし、他の人の避難を手伝うこともできます。天の避難所は、全世界の人が集う大きな家です。ウィルスから完全に遮断された、極めて安全なグリーンゾーンです。不安もストレスもDVも、一切ありません。天の神の家でステイホームする人は、永遠の幸せに満ちた「クールな生き方」を満喫できるのです。

 イエス様は、私たちに天の家で「ステイホーム」する恵みを与えて下さいました。今日はダビデの人生を通し、天の家の隠れ場=避難所について考えてみましょう。

 第一に天の家は、戦いの時、私たちの隠れ場になります(Ⅰサムエル17:8-9)。ユダヤ人がカナンを占領した後、何百年にもわたりイスラエルに敵対した、ペリシテ人という人々がいました。彼らは、カナンの地中海沿岸に住んでいました。士師の一人サムソンは彼らと戦い、命を落としました。預言者サムエルの時代には、契約の箱が一時ペリシテ人に奪われました。彼らはイスラエルの強敵であり、宿命のライバルでした。実は神は、ユダヤ人の霊的訓練のため、ペリシテ人を用いられたのです。戦いの中で、天の隠れ場に身を避ける訓練でした。ペリシテの最強戦士ゴリヤテが現れた時、イスラエルは彼らの奴隷になる危機に直面していました。代表戦士の一騎打ちで勝敗を決し、敗者の国が勝者の国の奴隷になるという戦いでした。ゴリヤテの強さを知るユダヤ人兵士たちは、誰も名乗り出る勇気がありませんでした。

 たった一人その勇気があったのは、羊飼いの少年ダビデです(Ⅰサムエル17:45-47)。彼は、兵士ではありませんでした。父のおつかいで、戦場にいた兄たちに差し入れを持って来たのです。戦争は初めてでしたが、彼は熊やライオン等の猛獣と戦ったことがありました。それらの戦いを通し、ダビデは天の隠れ場に身を避けるコツを学んだのです。どんな危機が迫っても、彼は神を見上げることができました。神が必ず救って下さると、彼は信じていました。その信仰により、ダビデは国運をかけた戦いに勇気を持って臨み、みごと勝利を収めました。勝利の秘訣は、天の家の隠れ場を知っていたことです。私たちにも、さまざまな戦いがあります。目の前の危機から逃げたいと思う人もいるかもしれません。でも私たちは、ダビデのように天の家の隠れ場を見上げることができます。私たちを救う神を信じ、戦いに勝利できるのです。

 第二に天の家は、忍耐の時、私たちの隠れ場になります(Ⅰサムエル18:8-9)。ダビデが華々しく活躍し出すと、妬む人がいました。時の国王サウルです。サウルは権力を私物化し、ダビデを抹殺しようとしました。究極のパワハラの危機です。ダビデは指名手配され、追われる身になりました。彼が一時避難した場所は、アドラムの洞穴でした。そこはダビデの故郷ベツレヘムから西に20キロ、ゴリヤテに勝利したエラの谷から南に3キロの地点でした。洞穴に身を潜めていると、隠れ場を求める人たちが続々と集まって来ました。なんと、400人の大集団になりました。ダビデ一人の静かな隠れ家生活は、賑やかな共同避難生活に変わったのです。彼らは、サウル王のパワハラをダビデとともに忍耐してくれる仲間になりました。

 この逃亡生活で、ダビデはサウルを暗殺するチャンスが2回ありました(Ⅰサムエル24:6)。でもダビデは、2回とも手を下しませんでした。こう考えたからです。「たとえどんなに極悪の指導者でも、サウルを国王に選んだのは神だ。だから自分は、その神の決定にあくまでも従う。いつか神は、サウルを王座から取り除かれる。それは神ご自身がなさることであり、自分がすることではない。」ダビデは、その時を待ち続けました。忍耐が強いられる中、神を見上げ、天の家の隠れ場で自制心を養いました。私たちも今、忍耐の中にあります。ウィルスの強力な感染力により、洞穴に身を潜めるような生活になっています。ウィルスがなぜそんな力を持ったのかは、分かりません。でも神は、いつかその感染力から私たちを解放して下さいます。私たちは、天の家の隠れ場で自制心が養われ、この忍耐生活を克服できるのです。

 第三に天の家は、悔い改めの時、私たちの隠れ場になります(Ⅱサムエル12:10)。ダビデはその後、イスラエルの王になり、絶頂期を迎えました。彼の子孫が永遠の国の王になるという素晴らしい約束も、神から頂きました。(イエス・キリストのことです!)ところが彼は、そこで大きな罪を犯します。家来の妻を奪い、その夫を殺させたのです。ダビデは絶大な権力を手にし、地上の立派な王宮に住むようになり、天の家の麗しさを見失っていました。神は王宮に預言者ナタンを遣わし、ダビデの家に災いが来ると告げられました。ダビデは自ら蒔いた種により、自分の命を失い、家庭も崩壊する危機を迎えていたのです。

 その時ダビデは、すぐに罪を告白し、心から悔い改めました(Ⅱサムエル12:13)。彼は、天の家の隠れ場を思い出したのです。それが、サウルとの大きな違いでした。神はダビデの罪を赦し、彼に再出発のチャンスを与えられました。彼の家に災いは来ましたが、ダビデ自身は国王として生涯を全うできました。彼の心が天の家の隠れ場に戻り、神との関係が回復したからです。人間誰しも失敗します。時には、罪を犯すこともあるかもしれません。でもそんな時は、天の家の隠れ場を思い出して下さい。天を見上げ、心から悔い改めるなら、神は赦して下さいます。その時神は、天の家を再び私たちの隠れ場にして下さるのです。

 イエス様が下さった、天の家で「ステイホーム」する恵みを感謝しましょう。

「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。・・・それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。」(詩篇27:4-5)

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2020年5月10日 (日)

神のサプライズを期待する

 コロナ問題の影響により、世界各地でストレスや精神的な病に悩む人が増えているようです。米国では、医師や救急隊員等が相次いで自殺するニュースが報じられました。その一人は、49歳の医師ローナ・ブリーン さん。ER(緊急治療室)で多くのコロナ患者を治療後、自分もコロナに感染。完治後に職場復帰すると、うつ状態になり、自ら命を絶ちました。23歳の救急隊員ジョン・モンデロさんは、2月に職場に配属されたばかりで、1ヵ月後に感染爆発が起こりました。3月下旬から4月下旬には、救急車のサイレンが一日中鳴り続けたそうです。モンデロさんは、元警察官だった父の銃を持ち出し、自殺しました。24歳の救急隊員アレクサンダー・ラソさんは、薬物の過剰摂取で命を落としました。彼も、去年9月に入隊したばかりの新人でした。医師や救急隊員たちは、肉体的・精神的にギリギリの状態で働かざるを得ない状況です。ニューヨーク州のクオモ知事も精神疾患の増加を心配し、電話相談の利用を呼びかけたそうです。

 日本でも今、内科だけでなく精神科の受診が増えているとのこと。ある病院では3月下旬、精神科外来の調査をしました。1日に68人が受診し、そのうち58人がコロナに対して強い不安を感じていました。患者の8割以上が同じ不安を口にすることは、初めてでした。いわゆる「コロナうつ」です。「コロナうつ」は、通常の「気分の落ち込み」以外に、「不安と焦り」という特徴があるそうです。それが、息苦しさや不眠の症状につながります。今はコロナ関連で、悪いニュースばかり流れています。生活不安やDV(家庭内暴力)等の問題もあります。多くの人が不安や焦りを感じるのは、当然のように思えます。ある医師は「コロナうつ」予防のため、次の5つの方法を提案しています。第一に、不安や焦りを感じたら、コロナが原因だと自覚する。第二に、意識的にポジティブな情報にふれる。第三に、規則正しく生活し、体を動かす。第四に、明るい未来を思い浮かべる。第五に、感謝の心を持つ。「ありがとう」と言うことは、心の余裕につながるようです。

 天地創造の神に近づく人は、ポジティブな情報をゲットし、明るい未来を思い浮かべられます。感謝の心も与えられます。ノアは箱舟の中で神に近づき、明るい未来の始まりを知りました。彼は神に感謝し、ささげ物をしました。アブラハムは全世界を祝福する旅に出掛け、神に近づきました。カナンの地に着くと、感謝して神を礼拝しました。モーセが率いたユダヤ人は、出エジプトを通し、神に近づきました。彼らは、神の奇跡的な救いを感謝しました。神が輝かしい未来を用意されていることも、彼らは知りました。ダビデは数々の戦いを通し、神に近づきました。契約の箱をエルサレムに運び、神に感謝しました。自分の子孫が永遠の王国を確立することも、ダビデは知りました。創造主なる神に近づく人は、神の永遠の愛と祝福の計画を知ります。その時、私たちの心は感謝で満たされるのです。

 イエス・キリストは、天地創造の神に近づく唯一の細い道です。この道だけが、私たちを造り主のみもとに導いてくれます。神の永遠の計画を知り、私たちの心は感謝で満たされます。今のような厳しい状況の中でも、明るい未来を信じることができます。神のサプライズに期待し、感謝の心を持って危機を突破できるのです。

 神様はサプライズを通し、私たちに喜びを与えて下さいます。今日はルツ記に登場するナオミの人生を通し、私たちが期待できるサプライズについて考えてみましょう。

 第一に私たちは、安堵のサプライズを期待できます(ルツ1:1-2)。ナオミは、「さばきつかさ(士師)」の時代に生きた人です。この時代は、ユダヤ人が約束の地を占領してから国王を選ぶまでの大混乱の時期でした。カナンの地の占領は、モーセの後継者ヨシュアの指導により、実現しました。その後は、国全体を指導するリーダーが立てられませんでした。各部族の長老たちが、人々を指導しました。ただ、その体制はなかなかうまく行きませんでした。ユダヤ人たちは神の教えに逆らい、何度もトラブルを起こしたのです。神は、その度に「士師」と呼ばれるヒーローを遣わし、人々をトラブルから救い出されました。ナオミが経験した食糧不足の危機の時も、士師が活躍したようです。ただナオミの家族は、トラブル解決まで待てませんでした。食べ物がなくなり、隣の国に緊急避難をしたのです。私たちはとりあえず大丈夫ですが、もし食べ物がなくなったら、今以上に緊急事態ですね。食糧をなんとか確保しようと、あちこち駆け回るはずです。

 避難先のモアブの国で、ナオミの夫は亡くなりました(ルツ1:3-4)。でも、良いことも起きました。神は、ナオミの2人の息子に結婚相手を与えられたのです。サプライズでした。ナオミの想像を遙かに超えた出来事だったかもしれません。モアブ人の嫁たちは、2人とも性格が良さそうでした。ユダヤ人と同じ信仰に入り、アブラハム以来の伝統を受け継いでくれそうでした。ナオミはおそらく、ホッとしたはずです。神が彼女に安堵の心、ホッとするサプライズを与えて下さったのです。神は私たちにも、同じようなサプライズを与えて下さいます。非常事態の中、心は緊張しているかもしれません。さまざまな心配で、心が押しつぶされそうな人もいるかもしれません。でも神は、私たちに安堵の心を与えて下さいます。そのサプライズを、私たちは期待できるのです。

 第二に私たちは、励ましのサプライズを期待できます(ルツ1:8)。ナオミたちは、モアブの国で10年ほど過ごしました。ナオミに孫は生まれませんでしたが、食べ物に事欠くことはなかったようです。ナオミは嫁たちと良い関係を築き、ユダヤ人の信仰と習慣をきちんと伝えたはずです。ところがナオミには、再び不幸が訪れました。2人の息子が、相次いで亡くなったのです。モアブに来た時4人だった家族は、ナオミ1人だけになりました。その頃イスラエルから、飢饉の緊急事態が終わったというニュースが伝わりました。ナオミは、故郷に帰ろうと思いました。2人の嫁については実家に帰し、再婚の幸せをつかんでほしいと願いました。年老いたナオミは何の生活の当てもなく、一人で暮らすつもりだったのです。社会保障のない時代、ナオミは経済的な危機にも直面していました。

 ところが長男の嫁ルツは、ナオミと一緒にベツレヘムに行き、同居すると言い出しました(ルツ1:16-17)。これはナオミには、サプライズだったはずです。ルツは、ナオミの忠実な弟子でした。イスラエルの神がどんなお方か、ナオミから教えられていました。神はアブラハムの子孫を通し、全世界を祝福すると約束されました。モーセを通し、エジプトの奴隷生活からユダヤ人を解放されました。荒野で40年訓練を受けた後、約束の地を占領させて下さいました。その神の選びの民から離れたくないと、ルツは強く願ったのです。神はルツの心を導かれ、ナオミに大きな励ましを与えられました。神は、私たちにも励ましのサプライズを与えられます。私たちが危機にある時、神は誰かを遣わして下さいます。逆に私たちが遣され、他の誰かの励ましに用いられることもあるのです。

 第三に私たちは、回復のサプライズを期待できます(ルツ1:20-21)。ルツが一緒でも、ナオミの心は落ち込んでいました。ベツレヘムに帰ってすぐは、ポジティブな情報がなく、明るい未来は思い描けませんでした。神が苦しみを与えたと思うと、神に感謝する心も持てませんでした。ナオミは、うつ状態の危機でした。私たちも、気をつけないとうつ状態に陥るかもしれません。神を見上げ、神の愛を思い起こすことが大切です。神は、試練を耐え抜く力を私たちに与えて下さいます。私たちが試練から脱出する道も、神は備えておられるのです。

 ナオミを苦しみから救うため、神が用いたのはルツでした(ルツ4:14)。不思議な出会いを通し、ルツはボアズと再婚しました。そして、ナオミの孫となる男の子を産みました。その子を通し、ナオミは夫や息子たちの遺産を取り戻したのです。またもや神のサプライズでした。ナオミは人々からポジティブな言葉を掛けられ、明るい未来を思い描けました。喜びと感謝の心を回復できたはずです。神は、私たちにも回復のサプライズを用意されています。神の奇跡を信じましょう。神に不可能はありません。たとえ世界が闇に閉ざされても、神はサプライズを起こし、光輝く世界を回復されるのです。

 神が、私たちにサプライズを用意されていることを感謝しましょう。私たちはどんな時も、神のサプライズを期待して歩んでいきましょう。

「その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。」(ルツ4:15、新改訳2017

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2020年5月 3日 (日)

神の救いを体験する

 今年は、4年に1度のオリンピックが1年延期と決定されました。ドイツでは、10年に1度のイベントが2年延期されたそうです。オーバーアマガウ村で行われるキリスト受難劇です。オーバーアマガウはドイツ南部、オーストリア国境近くの小さな村で、人口5,000人余り。アルプスの山々に囲まれた、静かで美しい村とのこと。でもこの小さな村には、10年ごとに50~75万人もの人が世界中から押し寄せて来ました。村人の約半数が出演し、キリストの苦難、十字架、復活を演じる野外劇を見るためです。公演期間は、5月から9月か10月まで。上演時間は、前後半合わせて5時間。間に3時間の夕食休憩が入るそうです。世界中から来る人のため、ホテルやショップ、レストラン等ももちろんあります。この受難劇は、村が10年がかりで準備する一大イベントなのです。

 受難劇の始まりは、約400年前に欧州で起きたペストの感染爆発がきっかけでした。4人に1人が亡くなったようです。オーバーアマガウ村にも、80人の死者が出ました。危機感をもった村人たちは神に救いを求め、こう祈りました。「もしこれ以上死者が出なければ、私たちは10年ごとにキリスト受難劇を上演します。」それは1633年のことで、欧州は30年続いた大戦争の最中でもありました。神は、村人の祈りに応えられました。彼らが祈った後、死者は出なかったそうです。受難劇は翌年から始まり、これまでずっと続いて来ました。中止や延期は、戦争等があった3回のみ。村人たちは400年間、忠実に誓いを守って来たのです。主催者は、こう言っています。「村人たちは、この誓いを果たし続けます。」ペストから神に救われた経験を、彼らはいつまでも忘れないようです。

 旧約の時代、神がもたらした最大の救いは、出エジプトでした。エジプトの奴隷生活から、ユダヤ人たちが奇跡的に解放されたのです。その特別な体験は、今も多くのユダヤ人が毎年3回はお祝いしています。いわゆる3大祭りの時です。「過越の祭り」では、家族で一緒に子羊の肉を食べ、子羊の血による救いを記念し、感謝します。「ペンテコステの祭り(七週の祭り・五旬節)」では、徹夜で律法を学ぶそうです。エジプトを出た後、シナイ山で授けられた律法を感謝する時です。「仮庵の祭り」では、仮小屋の中で時間を過ごします。荒野のキャンプ生活を思い、神の守りと祝福を感謝するのです。ユダヤ人は、全人類の代表として神に選ばれました。出エジプトの歴史とその記念行事は、全世界の人に重要な真理を伝えています。「神は危機から人を救う」という真理です。

 イエス・キリストは、全ての人を救うために来られました。アダムとエバ以来、全人類は罪の奴隷になりました。その呪いから私たちを解放するため、イエス様は過越の子羊になり、十字架で血を流して下さいました。全ての律法と預言を成就し、神に従う新たな道を示して下さいました。荒野を突っ切るように地上の働きを完了し、今は天で私たちの永遠の住まいを用意しておられます。イエス・キリストを信じる人は、誰でも罪や死の呪いから救われ、神の永遠の家に住む特権が与えられます。地上では、さまざまな苦難があります。でも私たちの心は、神の平安で満たされます。聖霊の助けにより、私たちは神の救いを体験できるからです。

 今日はモーセが生きた時代を振り返り、神の救いについて考えてみましょう。

 第一に私たちは、束縛からの救いを体験できます(出エジプト2:23)。ユダヤ人たちは、エジプトで奴隷の身分に落とされました。強制的に重労働をさせられ、自由はありませんでした。彼らは、疲れ果てていました。どこにも逃げ場がありませんでした。頑張って働けば、いつか生活が良くなるとも思えませんでした。どん底の中でできたのは、ただ上を見上げることでした。彼らの先祖アブラハム、イサク、ヤコブが信じた神を見上げ、こう叫んだのです。「神様、どうか助けて下さい。」その叫びは、神に届きました。私たちも今、大きな束縛の中に置かれています。自由な生活ができません。前より忙しくなり、疲れている人がいるかもしれません。心が折れそうな人もいるかもしれません。この非常事態がいつどのように終わるのか、誰にも分かりません。私たちが今できるのは、上を見上げ、神の助けを求めることです。神は、私たちの祈りを必ず聞いておられます。

 神は、ユダヤ人たちの必死の祈りに応えられました(出エジプト15:2)。数々の奇跡を起こし、彼らをエジプトから脱出させて下さいました。彼らを追って来た軍勢は紅海の水に沈み、全滅しました。神は、ユダヤ人をエジプトの脅威から完全に解放して下さったのです。ユダヤ人たちは神の救いを喜び、賛美の歌を歌いました。私たちも、コロナウィルスの束縛から神が救って下さいます。神は、今でも奇跡を行われます。私たちに迫り来るウィルスを撃退して下さいます。ウィルスへの恐れから、私たちを完全に解放して下さいます。ユダヤ人たちと同じように私たちは救いを体験し、心から神を賛美するようになるのです。

 第二に私たちは、混迷からの救いを体験できます(出エジプト32:4)。エジプトを脱出したユダヤ人は、烏合の衆でした。モーセがいないと、何をし出すか分かりませんでした。彼らは、モーセの兄アロンに偶像を造ってくれと頼んだのです。アロンは人々から金のアクセサリーを集め、それで子牛の像を造りました。ユダヤ人は完成した像を見て、こう言いました。「これが、私たちをエジプトから救った神々だ。」彼らは、混迷の中にいたのです。創造主なる神の教えがないと、人々は道を見失います。何でもいいから神にして拝みます。太陽や月、山や海、大木や動物等、何でもです。鰯の頭を拝む人もいるかもしれません。全てを造られた神を見失うと、人々は混迷を深めるのです。

 神はモーセに、みことばを授けられました(出エジプト34:1)。十戒の石版を神から頂くのは、これが2回目でした。シナイ山の頂でモーセが最初の石版を受け取った時、麓にいた人々は金の子牛を造っていました。「偶像を造ってはならない」という十戒の教えに、完全に反したことをしていたのです。金の子牛を見たモーセは持っていた石版を投げ捨て、粉々にしました。それは、神との契約が破られたことを象徴していました。でも憐れみ深い神は、2度目のチャンスを下さったのです。ユダヤ人たちは、もう一度神と契約を結び直すことができました。神のことばに導かれ、混迷から救われるチャンスを得たのです。私たちも、愚かな生き方をして来たかもしれません。でも神のことばであるイエス様は、どんな人をも混迷から救って下さいます。この救いの体験を、私たちは周りの人にも証言できるのです。

 第三に私たちは、破綻からの救いを体験できます(民数記14:3)。ユダヤ人たちは、約束の地の一歩手前まで来ました。そこで神は、彼らに偵察隊を送れと命じられました。各部族のリーダー12名です。カナンの地は、荒野と全く違いました。水が流れ、緑に溢れ、作物が豊かに実る土地でした。でもそこには、怖そうな人々が住んでいました。12人のうち10人は、あそこに行くのは無理だと主張しました。それを聞いたユダヤ人たちはカナン行きを中止し、エジプトに戻ろうと言い出したのです。彼らは神のさばきに遭い、疫病で全滅しそうな危機に陥りました。神の救いの計画は、破綻しそうだったのです。神の約束を信じなければ、神からの祝福は受け取れません。神の救いの計画を体験できないのです。

 信じなかった人々は、約束の地に入れませんでした(民数記14:33)。その代わり神は、約束を信じる新たな世代を40年かけて育てると言われました。荒野は、彼らの訓練センターになったのです。私たちも今、荒野の生活のような困難を強いられているかもしれません。でも神はこの機会を用い、私たちを訓練して下さいます。人はパンだけで生きるのではなく、神のことばにより生きることを知る訓練です(申命記8:3)。私たちの訓練は、ひょっとしたらもっと短く済むかもしれません。訓練の末には、神が永遠の約束の地を私たちにも用意されています。信じる人には、神の救いの計画が実現します。私たちは、破綻から救われる経験ができるのです。

イエス様は、私たちに神の救いのチャンスを与えて下さいました。イエス・キリストを信じる人は、聖霊の助けを受け、あらゆる危機から救われる体験ができるのです。ハレルヤ!

「わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、・・・彼らを導き上るためである。」(出エジプト3:8)

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