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2020年6月

2020年6月21日 (日)

神のことばにより生きる

 今日から何回かシリーズで、「新しい生活様式」について考えてみましょう。先月初め、新型コロナ対策の専門家会議は「新しい生活様式」の提言を行いました。「新しい生活様式」とは、感染症拡大を防ぐため、今までと違う生活をすることです。すでに多くの人は、次の3つを実践しています。第一に、感染防止の基本を守ること。身体的距離の確保やマスクの着用、手洗い等です。第二に、日常生活のあり方を変えること。いわゆる「3密」――密集・密接・密閉の回避、こまめな換気、咳エチケットの徹底等です。第三に、働き方のスタイルを変えること。テレワークやローテーション勤務、時差通勤等です。業種ごとに感染防止ガイドラインの作成も求められています。多くのキリスト教会でもインターネット礼拝が導入され、集まる場合も3密を避ける工夫がなされているようです。

 環境省と厚生労働省は先月末、新しい生活様式における熱中症対策のポイントも発表しました。第一に、換気をしつつエアコンを使用すること。窓を開けると温度が上がるため、低めの温度設定が良いそうです。第二に、屋外で他の人と十分離れていれば、マスクをはずすこと。マスクを着けたままだと体温が上昇し、熱中症の危険が高まるとのこと。その他、例年と同じ対策も必要です。こまめな水分補給、日頃の健康管理や体作り等です。

 マスクをしていると肌が荒れる人、あるいはニキビや湿疹が出る人もいるそうです。マスク着脱による摩擦や温度・湿度の急激な変化が原因とのこと。対策として、肌を清潔に保つ、乳液等を塗る、時々マスクを外す等の方法が挙げられています。「新しい生活様式」では、生活の仕方がいろいろ変わりますね。

 聖書時代の人々も、別な意味で「新しい生活様式」が求められて来ました。神の国に招かれた人は、その国にふさわしい生き方をする必要があったのです。エジプトを脱出したユダヤ人たちは、偶像の神々を拝む生活様式に長年慣れ親しんでいました。しかし天地創造の神は、彼らに全く新しい生活様式を教えられました。偶像を捨て、唯一の神だけを愛する生き方です。その生活様式を身につけるため、ユダヤ人は荒野のサバイバルを40年間続けました。その厳しい訓練を通し、ユダヤ人は後世に語り継がれる重要な教訓を学びました。創造主なる神が、あらゆる必要を満たされるという教訓。そしてみことばに基づく「新しい生活様式」により、人の命は守られ、支えられるという教訓です。

 イエス・キリストは、神のことばによって生きる「新しい生活様式」を世界中に広められました。ユダヤ人だけでなく、全ての人が神の国に招かれ、新しい生活様式を選択できる時代になったのです。その生活様式により、私たちは偶像の呪縛から逃れ、自由を得ます。創造主なる神に信頼し、日々のさまざまな心配から解放されます。どんな危機が訪れても、心は平安で満たされます。イエス様が、この素晴らしい生活様式を全ての人に提供して下さったのです。

 みことばによって生きる新しい生活様式について、今日は旧約聖書・申命記4~8章を通して考えてみましょう。

 第一にみことばで生きる生活様式とは、創造主を愛する生き方です(申命記4:32)。ユダヤ人たちは、彼らの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神を知っていました。その神が全世界を創造し、全ての命を造られたことも知っていました。でも彼らが長年暮らしたエジプトでは、別の神々がたくさん祀られていたのです。それらの神々の中で一番偉いのは、太陽の神ラーだとされていました。ラーが全ての命を創造し、全世界を治めていると、エジプト人は信じていました。そしてエジプトの王ファラオはラーの子孫であり、化身だとされていたのです。日本の神道に似た信仰です。出エジプトは、エジプト人の信仰が間違っていることをはっきり示しました。全世界を治めているのはラーではなく、イスラエルの神ヤハウェだったのです。ヤハウェなる神は、ご自身だけが唯一本物の神で、他の神々は偽物だと断言されました。出エジプトと荒野を体験したユダヤ人たちは、その神のことばが真実だとはっきり理解することができました。

 神は、ユダヤ人たちに忠実さを求めました(申命記5:7、6:5)。唯一の真の神だけを愛する生き方です。他の神々に浮気するような生活様式から完全に離れることを、神は彼らに求められました。偶像を拝んでいたのは、もちろんエジプト人だけではありません。世界中の人がさまざまな神々を祀り、拝んでいました。全ての人は創造主に造られたのに、人々はその神を忘れ、何か別なものを拝んでいたのです。神はユダヤ人を通し、全世界の人々に「新しい生活様式」を示されました。唯一の創造主なる神だけを忠実に愛する生き方です。この「新しい生活様式」は、イエス様により私たちにも伝えられています。神のことばなるイエス様は、私たちに創造主だけを愛する生き方を教えて下さったのです。

 第二にみことばで生きる生活様式とは、救い主を告げ知らせる生き方です(申命記6:20-21)。ユダヤ人たちは、子供たちに神の救いを語り続けるように命じられました。出エジプトは、彼らの原点の一つでした。エジプトで彼らは奴隷となり、強制労働をさせられました。苦しみの中で彼らが神に叫ぶと、神は彼らをエジプトから救い出されました。数々の驚くべき奇跡が起きました。羊の血を塗った家の子供だけが、死なずにすみました。海が二つに分かれ、ユダヤ人は海底を歩いて渡り、エジプト軍は水の中に沈みました。そして荒野の40年間、空から食べ物が降ってきました。救い主なる神は彼らを苦しみから救い、虐殺から救い、餓死からも救われたのです。その偉大な救いのみわざを、彼らは彼らの子孫に、そして全世界に告げ知らせる使命が与えられたのです。

 神が彼らを救われたのは、彼らを愛しておられたからです(申命記7:8)。彼らが良い人たちだったからでも、優秀だったからでも、強かったからでも、あるいは何か可能性を秘めていたからでもありません。実際、ユダヤ人はこの後、数々の問題を引き起こしました。愚かな行動をとり、敵との戦いに敗れました。約束の地で、偶像を拝むことさえしました。彼らは私たちと同じように、人間的な弱さを抱える普通の人々だったのです。でも神は、彼らを深く愛されました。アブラハム、イサク、ヤコブに与えた約束を、神は忠実に守られました。そしてユダヤ人はエジプトから救われ、約束の地へ向かうことができたのです。神は同じように、全ての人を深く愛しておられます。どんな問題を抱えた人も、イエス様は救って下さいます。イエス様に救われた私たちは、この救い主の偉大さを告げ知らせる生き方ができるのです。

 第三にみことばで生きる生活様式とは、祝福の神について行く生き方です(申命記7:12-13)。神はモーセを通し、ユダヤ人に律法を与えられました。今私たちが手にしている聖書の最初の部分、創世記から申命記までです。その律法の定めを守るなら祝福すると、神は約束されました。これはユダヤ人にとって、新しい生活様式でした。出エジプトの前は、彼らに律法がありませんでした。アブラハムもイサクもヤコブもヨセフも、その都度、神に言われたことを行いました。でもシナイ山でモーセが律法を受け取った後は、律法が彼らの生活の指針になったのです。どんな生き方をしたら神に祝福されるのか、律法を見て判断できるようになりました。私たちも聖書を通し、神の祝福を受け取る生活様式を知ることができます。どんな生き方を避けるべきかも、聖書を通して知ることができます。

 律法をユダヤ人に伝えたのは、モーセです(申命記8:1)。彼は聖霊に満たされ、預言者として神のことばを人々に伝えました。イエス様も聖霊に満たされ、最大の預言者として神のことばを語られました。ペンテコステの日以降は、全ての弟子たちに聖霊が注がれています。神のことばを預けられ、人々に伝える働きが今も続けられています。聖書が完成した後は、聖書に追加することばを語る人はもういません。人々を励まし、祝福の神に近づける預言のことばが語られます。預言のことばは、私たちが神を愛し、人を愛する生き方を全うする助けとなります。祝福の神について行く新しい生活様式が私たちにも可能になるように、励ましが与えられるのです。

 イエス様が、私たちに新しい生活様式を教えて下さったことを感謝しましょう。私たちは、みことばに基づく新しい生き方を実践して行きましょう。

「・・・それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」(申命記8:3)



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2020年6月14日 (日)

危機はチャンスに変えられる

 新型コロナ感染症の特効薬として、「アビガン」という薬が候補の一つに挙がっています。タミフルに代わる新しいインフルエンザ薬として、日本で開発された薬です。強い副作用があり、コロナ感染症への効果もはっきりしないため、日本ではまだ正式に承認されていません。この薬を作っているのは、富士フイルムの子会社、富士フイルム富山化学のこと。会社名を見た時、私は意外に思いました。「なぜ富士フイルムのグループ会社で、薬を作っているのか」と思ったのです。実は富士フイルムは、大きな危機をチャンスに変え、医薬品まで手掛ける会社になったそうです。

 富士フイルムは、写真フィルムのメーカーとして1934年に設立されました。世界的なトップメーカー・米国コダック社との技術提携が拒否されたため、独自に写真フィルムを開発したそうです。1960年代には、高度経済成長でカメラとフィルムが大売れし、「お正月を写そう」というテレビCMがその頃から始まりました。1986年からは、「写ルンです」という使い捨てカメラが大ヒット。ところがデジカメの登場で、写真フィルムは売れなくなりました。コダック社はデジカメを初めて製造した先頭グループにいましたが、全社的にはデジタル化の波に乗り遅れ、2012年に倒産。一方の富士フイルムは1980年代からデジタル化の動きを予測し、3つの戦略を立てたそうです。一つ目はデジカメの開発等、デジタル分野への展開。二つ目はアナログ技術の高度化。三つ目は新規事業への進出。自分たちの技術的な強みを活かし、医療や化粧品等、新たな分野に進出しました。そして富士フイルムは、破綻の危機を乗り越えました。顧客を一斉に失う危機が、新たな顧客を創り出すチャンスに変わったのです。

 聖書にも、神がさまざまな危機をチャンスに変えられた記録をたくさん見ることができます。エジプトの牢屋に入ったヨセフは、そこで一生を終える危機にありました。でも神はその危機を、ヨセフの生涯が輝くチャンスに変えられました。エジプトの奴隷だったユダヤ人は、その地で絶滅する危機にありました。でも神はその危機を、彼らが救いを知るチャンスに変えられました。エジプトを脱出したユダヤ人は、荒野で餓死する危機にありました。でも神はその危機を、ご自身の愛と忠実さを教えるチャンスに変えられました。国が滅び、ユダヤ人が世界中に散らされた時、彼らは神を忘れる危機にありました。でも神はその危機を、またもやチャンスに変えられました。偶像の神々を信じる国々で、ユダヤ人が天地創造の唯一の神を宣べ伝えるチャンスになったのです。

 イエス様は、十字架の危機を復活のチャンスに変えられました。その後、弟子たちにも迫害の危機が訪れました。彼らは各地に散らされ、エルサレムで集まりが持てなくなりました。多くの人が一カ所に集まれない状況は、今の教会と共通しています。でも神は、その重大な危機を神の国が広がるチャンスに変えられました。弟子たちはエルサレムからユダヤ、サマリア、地の果てにまで向かい、神の国の福音を伝えたのです。弟子がいなくなる危機は、世界中で新たな弟子づくりが進むチャンスに変わりました。

 神は、どんな危機もチャンスに変えることができます。今日は初代教会の歩みを通し、危機はどんなチャンスに変わり得るのか考えてみましょう。

 第一に危機は、新たな機会を見出すチャンスに変わります(使徒8:1)。弟子たちがエルサレムを追われたのは、ステパノの殉教がきっかけでした。ステパノは食卓の奉仕をするリーダーの一人でしたが、伝道者でもありました。奇跡のみわざを行い、力強くみことばを語りました。するとある人たちが偽りの証言をし、ステパノは逮捕されたのです。裁判の場で、ステパノは雄弁に語りました。人々の罪を指摘し、天におられるイエス様が約束のメシアだと断言しました。それを聞いた人々は怒りを爆発させ、ステパノを虐殺しました。それでも彼らの怒りはおさまらず、他のクリスチャンたちに矛先が向かいました。教会を荒らし、クリスチャンを家から引きずり出し、牢屋にぶちこんだのです。使徒たち以外のクリスチャンは、ほとんどの人がエルサレムから避難しました。教会がなくなってしまう危機でした。

 しかしこの危機は、チャンスに変わりました(使徒8:4-5、26-27)。散らされた人々は行った先々で福音を宣べ伝え、新たな弟子づくりを始めたのです。エルサレム周辺のユダヤの地、その北のサマリアの地でも、弟子づくりが始まりました。ピリポも、サマリアで伝道を始めた一人です。もともと彼はステパノのように、エルサレムで食卓に奉仕するリーダーの一人でした。サマリアでは多くの人がピリポの話を聞き、奇跡を見て、イエス様を信じました。すると次にピリポは南の荒野に導かれ、エチオピア人を弟子にしました。エルサレムの危機を通し、弟子たちはユダヤ、サマリア、さらにエチオピアにまで福音を伝える機会を見出したのです。今のコロナ危機も、何か新たな機会を見出すチャンスに変わるかもしれません。オンラインの弟子づくりも、神に大きく用られることを期待しましょう。

 第二に危機は、拠点を広げるチャンスに変わります(使徒9:31)。エルサレムだけにあった教会は、危機を通して他の場所に拠点が広がりました。パウロが弟子になったのも、教会にとって大きな励ましだったはずです。パウロは、教会迫害の最前線にいました。クリスチャンを次から次へと捕まえ、牢屋に入れていました。ところがそのパウロが突然イエス様を信じ、クリスチャンになったのです。教会の人にとっても、教会に敵対する人にとっても、驚くべき出来事でした。クリスチャンたちは、神に不可能がないことを実感したはずです。こうして使徒たちのいるエルサレムの他、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの各地に教会の拠点が増え広がって行きました。私たちも今、教会堂以外の拠点が増えているようです。一カ所に集まっていた教会が、オンラインでつながった家の教会のネットワークのようになっています。

 初代教会のネットワークは、拡大を続けました(使徒11:20)。弟子たちはさらに北上し、シリアのアンティオキアまで行きました。その地でユダヤ人だけでなく異邦人に対する伝道も始まり、多くの人が弟子になりました。するとエルサレム教会からバルナバが派遣され、新たな弟子たちにみことばを教えました。パウロも、バルナバのアシスタントとして奉仕しました。アンティオキアの教会は成長し、大飢饉の時は、エルサレム教会を救援物資で支援するまでになりました。シリアにも、弟子づくりの新たな拠点ができたのです。私たちの教会も、会堂以外の場所に弟子づくりの拠点が増えているようです。これまでも、さまざまな場所で「ミニチャーチ」(小グループの集まり)が開かれて来ました。インターネット等の活用により、今の危機が拠点を広げるチャンスに変わることを期待しましょう。

 第三に危機は、人を送り出すチャンスに変わります(使徒13:2)。アンティオキアの教会は、バルナバとパウロを宣教旅行に送り出しました。迫害前のエルサレム教会は、自分たちから進んで誰かを宣教に送り出すことはしませんでした。弟子たちがエルサレムの外で宣教を始めたのは、町を追われたからです。その後、彼らはユダヤ人だけでなく、異邦人をも弟子にし始めました。それらの体験を通し、弟子たちは人を送り出す重要性を理解していたはずです。聖霊の声を聞いた時、アンティオキアの弟子たちはその導きに素直に従いました。バルナバとパウロは、聖霊がガイドを務める「地の果てツアー」に参加したのです。(ツアー名は、ちょっと怖そうかな?笑)

 さまざまな地を巡った後、パウロはとうとうローマに到着しました(使徒28:30-31)。帝国の首都、当時の世界の中心でした。パウロは、そこでも弟子づくりに励みました。ユダヤ人に拒否されると、異邦人に福音を伝えました。家を借りた時は、そこを拠点にみことばを語りました。投獄された時は、そこから手紙を書き送りました。牢獄に訪れた人をどこかの教会に遣わすこともしました。アンティオキアから送り出されたパウロは世界の中心で福音を伝え、全世界に弟子を送り出したのです。今は、私たちが送り出す番です。神は私たちの危機も、人を送り出すチャンスに変えて下さいます。新たな地で弟子づくりが始まるチャンスに変えられるのです。

 神が、私たちの危機をチャンスに変えて下さることを感謝しましょう。私たちは新たなチャンスを活かし、前に進んで行きましょう。

「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(使徒8:4)

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2020年6月 7日 (日)

フロントラインに救いをもたらす

 先日、航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が、東京都心上空を飛行しました。コロナ対策の最前線で働く医療従事者たちに、敬意と感謝を表すためとのこと。ブルーインパルスが都心上空を飛んだのは、3回目だそうです。最初は1964年の東京オリンピックの時で、2回目は旧国立競技場の解体前に開かれた記念イベントの時です。今回の飛行では、「感動した。元気をもらった」等の反応が報道されました。写真を撮影し、Facebookにアップする人たちもいました。一方、次のような批判もあったようです。「こんなことにお金をかけるな。お金を出すなら医療関係者に渡せ。誰が決めたのか。政治利用だ。危険だし、騒音がうるさい。戦争の道具で医療関係者を励ますべきでない」等々。感謝と敬意を表す飛行も、評価はかなり分かれるようですね。

 その日は、自衛隊中央病院の上空も飛んだようです。同病院はおもに自衛隊員のため、東京・世田谷区に建設されました。スタッフも全員自衛官です。ベッド数は500床ですが、緊急時には2倍の1,000床に増やせるそうです。この病院はこれまで約260人のコロナ感染患者らを受け入れ、治療しました。中国からのチャーター便の帰国者やダイヤモンド・プリンセス号の乗船者、さらに地域の患者等です。外国人感染者も多かったため、通訳ができる予備自衛官も招集しました。基本を徹底し、院内感染はゼロです。緊急事態のプロとして医療に従事し、感染の最前線で多くの命が救われました。退院した国内外の人々から、多数のお礼の手紙や感謝状が届いたそうです。他にも世界中のフロントライン=最前線で働く医療関係者が、数え切れないほどいます。医療以外の最前線もあります。福祉や行政、生活必需品の販売や配達に関わる人々等です。その人たちが、地域住民の生活を支えています。全てのフロントライン・ワーカーに敬意と感謝の心を持ち、その人々のため祈り続けましょう。

 人の命を救い、生活を守るため、神は多くの人々を最前線に遣わされて来ました。聖書には、そのような人々が次々に登場します。飢餓から人を救うため、神はヨセフをエジプトに遣わされました。飢饉が始まる何年も前で、ヨセフ自身も最初は派遣の目的を知りませんでした。モーセの命を救うため、神はエジプトの王女をナイル川に遣わされました。彼女は奴隷の赤ん坊を憐れみ、自分の息子として育てました。遊女ラハブを救うため、神はユダヤ人スパイを2人エリコに遣わされました。ラハブは後にユダヤ人と結婚し、キリストの系図の中に加えられました。ダビデの命を救うため、神はサウルの息子ヨナタンを遣わされました。ヨナタンはダビデに、王宮からすぐ逃げた方が良いと伝えました。ユダヤ人を虐殺の危機から救うため、神はエステルをペルシアの王宮に遣わされました。彼女の勇気ある「とりなし」により、メシア到来を待つユダヤ人が生き残りました。神はあらゆるフロントラインに人々を送り、多くの人の命を救われたのです。

 イエス・キリストは全人類の救いのため、ゴルゴタの丘に遣わされました。復活後、イエス様は弟子の一人ひとりを神の国の最前線に遣わされています。フロントラインにいる人々を救うためです。この働きは、不要不急ではありません。人命に関わる、極めて重要な働きです。使徒パウロもそれを良く理解し、異邦人宣教の最前線で奉仕しました。キリストの弟子となった私たちも今、日本というフロントラインに遣わされています。天におられるイエス様は、地の果ての最前線にいる人々を救いたいと強く願っておられるのです。

 イエス様は全世界に救いをもたらすため、私たちをフロントライン=最前線に遣わされています。今日は使徒パウロの歩みを通し、主の救いについて考えてみましょう。

 第一にイエス様は、私たちを暗闇から救って下さいます(使徒9:3-4)。イエス様と出会う前、パウロは闇の中を歩んでいました。彼は、自分が正しい道を歩んでいると固く信じていました。模範的なユダヤ人、パリサイ人の一人として、律法を守ることに非常に熱心でした。教会が間違った教えを広めていると考え、パウロは徹底的に教会を迫害しました。イエス様が約束のメシアだとは、全く考えていませんでした。真実が見えない暗闇の中に、彼はいたのです。ところがダマスコに向かう途上で、パウロは突然イエス様に語りかけられました。天からの光を見た直後、彼は何も見えなくなりました。それは、彼の霊的状態の現れでした。自分は見えると思っていたけれど、実はパウロには何も見えていなかったのです。彼は、天地創造の神に熱心に従っているつもりでした。でも実際は、激しく反抗していたのです。もしここで方向転換しなければ、パウロはこのまま失明する危機にありました。

 神は、その危機からパウロを救い出されました(使徒9:19-20)。ダマスコの弟子アナニアを遣わし、パウロのために祈らせました。するとパウロの目から鱗のようなものが落ち、視力が回復したのです。パウロはこの経験を通し、イエス様が約束のメシアだと確信しました。そして、すぐに自分の信仰を人々に伝え始めたのです。周りの人々は、パウロのあまりの変化にたいへん驚きました。パウロは暗闇からキリストの光の中に救い出され、その光を周囲に輝かせるようになったのです。私たちも、イエス様を信じる前は暗闇の中にいました。何が正しくて何が間違っているのか、良く分からずに生きていました。でもイエス・キリストを信じた人は、暗闇から救われています。神が光を照らして下さいます。その光を他の人のためにも輝かせることができるのです。

 第二にイエス様は、私たちを固定観念から救って下さいます(使徒15:1)。パウロは、バルナバとともにアンティオキアから宣教旅行に送り出されました。その旅行で、多くの異邦人が救われました。彼らは暗闇から外に出て、光を見出したのです。ところがユダヤ人信者の中には、異邦人の救いに疑問を持つ人たちがいました。固定観念にとらわれた人たちです。「救われるのは、あくまでユダヤ人だけだ。救われたいなら割礼を受け、ユダヤ人になるべきだ。」彼らは、そう考えました。教会全体としてこの問題をどう考えるか、エルサレムで会議が開かれました。(もちろん当時はオンラインではなく、実際に会って議論しました。)もし割礼派が議論に勝ったら、教会はユダヤ人という一つの箱に閉じ込められたはずです。あらゆる国々の箱から、人々を救い出せなくなる危機でした。

 この会議で使徒ペテロは、自分の固定観念が砕かれた経験を語り、パウロたちの考えを擁護しました(使徒15:10-11)。ペテロが語ったのは、コルネリウスの家で異邦人の救いを目撃した体験です。救いは律法によるのではなく、イエス・キリストの恵みによるのだと証言しました。この証言が議論の流れを大きく変えました。神は、割礼にこだわっていた人々の固定観念を砕いて下さったのです。私たちの周りにも、さまざまな固定観念があります。「キリスト教は外国の宗教だ。日本人はみな神道か仏教を信じるべきだ。キリスト教は先祖を大切にしない。科学の時代に信仰や宗教は必要ない」等です。クリスチャンの中にも固定観念があるかもしれません。「教会はこうあるべきだ。牧師はこうあるべきだ。礼拝はこうあるべきだ」等々。神はコロナ問題をも用い、私たちの固定観念を砕いて下さるかもしれません。イエス様の恵みにより、私たちは固定観念からも救われることを感謝します。

 第三にイエス様は、私たちを恐怖から救って下さいます(使徒18:9-10)。パウロは、至る所で危険な目に遭いました。むち打たれ、投獄されたこともありました。暴動が起き、袋だたきに遭いそうなこともありました。コリントの町でも不穏な動きがありました。でも神は、パウロに「大丈夫だ」と言われました。「わたしが、あなたとともにいるのだから。」そのみことばが、パウロを恐れから解放しました。彼はその町に1年半腰を据え、神のことばを教え続けました。

 その後もパウロは、恐れ知らずでした(Ⅱテモテ4:8)。愛弟子のテモテに2通目の手紙を書いた時、彼は殉教の危機にありました。でもパウロは、何も恐れていませんでした。最期まで自分の働きを十分に果たすことができ、イエス様は喜んで下さっていると確信していたからです。義の栄冠を彼は楽しみにしていました。イエス様は、私たちも恐れから解放して下さいます。コロナ問題の中でも、私たちは心に平安を得られます。義の栄冠を楽しみに、人生のレースを最期まで走り抜くことができるのです。

 イエス様が、フロントラインにいる私たちとともにおられることを感謝しましょう。私たちは神の国の最前線で、イエス・キリストの救いを伝えて行きましょう。

「・・・ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」(使徒13:46-47)



 

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