天来のビジョンを信じる
日本は他国と比べ、オンライン教育が遅れているそうです。コロナの感染拡大に伴い、世界各国の学校が閉鎖されると、多くの国でオンライン教育が導入されたようです。米国では3月以降、多くの学校がオンライン授業に移行しました。必要な家庭にパソコンや通信機器を無料配布した地域もあったそうです。中国では、オンライン教育が昨年より81.9%増加し、利用者数は4億人以上、利用率は50%近いそうです。スイスでは、iPadが無料配布されて学校と同じ時間割で授業が行われ、宿題はメールで届くとのこと。メールを開きたくない子もいるかもしれませんね。シンガポールでは、20万人が自宅で授業を受け、パソコンのない子だけ学校に行くそうです。韓国でも、4月から小中高の全学校でオンライン授業が始まりました。パソコンやタブレットのない家庭は、レンタルできるそうです。でも日本では、オンライン技術がほとんど活用されないうちに通常授業が再開されました。オンライン教育は、遅れたままのようです。
2年前、ある調査が行われました。79の国や地域に住む15歳60万人にこんな質問をしました。「1週間のうち、教室の授業でデジタル機器をどのくらい利用しますか?」国語の授業で「利用しない」と答えた人は、各国平均48.2%に対し、日本は83.0%。他の科目でも同じような結果だそうです。放課後、ほぼ毎日パソコン等を使って宿題をする人は、各国平均22%に対し、日本は3%。他国と比べると、日本では子供が自分用のスマホやパソコンを持つ割合も、圧倒的に少ないようです。何十年も前から情報化社会のビジョンが語られて来ましたが、学校教育の現場はあまり変化がなかったようです。先週から政府主催の会議で、オンライン教育に関する議論が始まりました。でも提言がまとまるのは、来年5月だそうです。教育現場では、情報化・オンライン化のビジョン実現はしばらく先になりそうです。
ビジョンは、天地創造の神から与えられることもあります。それらのビジョンを通し、神は人々を導かれるのです。神は、アブラハムに全世界を祝福するビジョンを与えられました。彼の子孫が全ての人を祝福するとも、神は語られました。モーセには、律法に基づく国づくりのビジョンが与えられました。それは、イスラエルが祭司の王国となり、世界の中で特別な使命を果たすビジョンでもありました。ダビデには、彼の子孫が永遠の国の王になるビジョンが与えられました。その他の預言者たちにも、全世界に拡がる神の国のビジョンが与えられました。ユダヤ人がそれらのビジョンを信じなくなった時、彼らの国は滅びました。ビジョン実現への道は、途絶えたかに見えました。でも、神のビジョンにキャンセルはありません。神は、人々の想像を遙かに超える、驚くべき「プランB」を用意されていたのです。
それは神ご自身が人となり、伝えたビジョンを全て実現するという、あり得ないプランでした。イエス・キリストはアブラハムの子孫、ダビデの子孫としてこの世に来られました。十字架の身代わりにより、全ての人を祝福されました。主イエスを信じる人は、聖霊を通し、神の愛の律法を悟ります。祭司の王国に加えられ、全世界に神の光を輝かせる特権が与えられます。私たちは、世界中に拡がる永遠の神の国のビジョンを信じ、周りの人に伝えることができます。「オンライン世界への捕囚」のような危機が来ても、「Go To 神の国キャンペーン」は決して中止されません。最初から除外対象になる人もなく、神のビジョンが実現します。私たちは、どんな時にも天来のビジョンを信じ、その実現に向けた準備ができるのです。
今日はゼカリヤ9-10章を開き、預言者ゼカリヤを通して神から与えられたビジョンについて考えてみましょう。
第一に神は、平和を完成するビジョンを語られました(ゼカリヤ9:9)。ゼカリヤは、紀元前6世紀頃の預言者です。ユダヤ人たちが70年の捕囚を終え、約束の地に帰って来た頃です。土地は荒れ果て、神殿は破壊されていました。彼らは預言者ハガイやゼカリヤに励まされ、神殿を再建しました。その神殿を見て喜ぶ人がいる一方、悲しんで号泣する人もいました。かつてソロモンが建設した壮大な神殿と比べると、それはあまりにみすぼらしかったからです。エルサレムの城壁は壊れたままで、常に盗賊の襲撃等にさらされていました。厳しい現実を目の前にして、失望する人もいました。そんな中で預言者たちは、将来の希望のビジョンを語りました。ゼカリヤのこの預言は、その一つです。ろばに乗る王は、平和の到来を象徴しています。この預言の数百年後、平和の君なるイエス様がろばに乗り、エルサレムに入られました。イエス様は自らの命を犠牲にし、神と人との間に平和を築かれました。この平和を信じる人は、神の助けにより、目の前の困難を乗り切ることができるのです。
イエス様の平和は今、世界中に拡がっています(ゼカリヤ9:10)。ここでエフライムとは、ソロモンの時代の後、2つに分裂したイスラエルの北の王国を意味しています。エルサレムは、南の王国の首都でした。南北の王国は、互いに敵対関係にありました。そして、どちらの国も外国に攻め込まれ、滅亡しました。でも神は、平和が両方の国に訪れ、そこから世界中に拡がるビジョンを語られたのです。「大河」とは、メソポタミア一帯を潤すユーフラテス川です。神は、その地域からアブラハムを呼び出し、さらにその後、捕囚のユダヤ人を約束の地に呼び戻されました。そしてイエス様は、平和の都エルサレムから神の平和を世界中に拡げておられます。私たちは、この平和の完成のビジョンを信じ、困難に打ち克つことができるのです。
第二に神は、救いを実現するビジョンを語られました(ゼカリヤ9:11-12)。水のない穴に捕らわれたような人も神に救い出されると、ビジョンは語っています。アブラハムは神に生け贄をささげ、血による契約を結びました。ユダヤ人はその契約を何度も破りましたが、神はどんな時も契約に忠実でした。彼らが悔い改めるなら危機から救うという契約を、神は必ず守られたのです。契約の民には、彼らの砦である神のみもとにいつでも帰れるという望みがありました。神は、彼らが失ったものを2倍にして返すと約束されています。「祝福の倍返し」です。イエス様の救いを得た人は、血による新しい契約の中に入っています。救われる前の何十倍もの祝福を受けるビジョンを、イエス様は語られました。私たちは、この豊かな祝福のビジョンを信じることができます。
救われた人は、王冠の宝石のように神の恵みの光を輝かせることができます(ゼカリヤ9:16)。神はかつてモーセを通し、ユダヤ人が神の宝となるビジョンを語られました。神との契約を守ることが、その条件でした。残念ながら彼らは、その条件を満たせませんでした。神との契約を破り、彼らは捕囚の地に連れて行かれました。でもそこで罪を悔い改めたユダヤ人に、神は再チャレンジのチャンスを用意されたのです。王冠の宝石になるチャンスです。イエス・キリストを信じる人には、誰でもこのチャンスが与えられています。その辺の道端に落ちていた石ころもイエス様に拾われ、磨かれ、周囲に神の光を輝かせます。私たちは、この素晴らしい救いのビジョンを信じ、周りの人に証しすることができるのです。
第三に神は、御国を回復するビジョンを語られました(ゼカリヤ10:6)。ユダの家とはイスラエル分裂後の南王国で、ヨセフの家とは北王国のことです。神はどちらの国の人も愛し、捕らわれの地から連れ戻すビジョンを語られました。回復のビジョンです。多くのユダヤ人が、そのために祈りました。その祈りに神は答えると言われました。神は、私たちの祈りにも答えて下さいます。失われたものが回復します。壊れたものが修復されます。病んでいる人は癒されます。私たちはこの回復のビジョンを信じ、祈り続けましょう。
神の助けを得るなら、私たちはどんな苦難も乗り越えることができます(ゼカリヤ10:11-12)。神は、ユダヤ人をエジプトの苦難から救われました。同じようにアッシリアの捕囚からもユダヤ人が救われるビジョンを、神は語られています。神から力を受ける人は、ビジョン実現の方向に進むことができます。私たちもどんな苦難にあっても、神の力により勝利が与えられます。全てが回復する神の御国に向かい、一歩一歩進むことができます。私たちは、この素晴らしい回復のビジョンを信じ、語り続けることができるのです。
神から与えられたビジョンを信じましょう。そして、その実現の備えをして行きましょう
「その日、彼らの神、主は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。」(ゼカリヤ9:16)
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