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2020年7月

2020年7月26日 (日)

天来のビジョンを信じる

 日本は他国と比べ、オンライン教育が遅れているそうです。コロナの感染拡大に伴い、世界各国の学校が閉鎖されると、多くの国でオンライン教育が導入されたようです。米国では3月以降、多くの学校がオンライン授業に移行しました。必要な家庭にパソコンや通信機器を無料配布した地域もあったそうです。中国では、オンライン教育が昨年より81.9%増加し、利用者数は4億人以上、利用率は50%近いそうです。スイスでは、iPadが無料配布されて学校と同じ時間割で授業が行われ、宿題はメールで届くとのこと。メールを開きたくない子もいるかもしれませんね。シンガポールでは、20万人が自宅で授業を受け、パソコンのない子だけ学校に行くそうです。韓国でも、4月から小中高の全学校でオンライン授業が始まりました。パソコンやタブレットのない家庭は、レンタルできるそうです。でも日本では、オンライン技術がほとんど活用されないうちに通常授業が再開されました。オンライン教育は、遅れたままのようです。

 2年前、ある調査が行われました。79の国や地域に住む15歳60万人にこんな質問をしました。「1週間のうち、教室の授業でデジタル機器をどのくらい利用しますか?」国語の授業で「利用しない」と答えた人は、各国平均48.2%に対し、日本は83.0%。他の科目でも同じような結果だそうです。放課後、ほぼ毎日パソコン等を使って宿題をする人は、各国平均22%に対し、日本は3%。他国と比べると、日本では子供が自分用のスマホやパソコンを持つ割合も、圧倒的に少ないようです。何十年も前から情報化社会のビジョンが語られて来ましたが、学校教育の現場はあまり変化がなかったようです。先週から政府主催の会議で、オンライン教育に関する議論が始まりました。でも提言がまとまるのは、来年5月だそうです。教育現場では、情報化・オンライン化のビジョン実現はしばらく先になりそうです。

 ビジョンは、天地創造の神から与えられることもあります。それらのビジョンを通し、神は人々を導かれるのです。神は、アブラハムに全世界を祝福するビジョンを与えられました。彼の子孫が全ての人を祝福するとも、神は語られました。モーセには、律法に基づく国づくりのビジョンが与えられました。それは、イスラエルが祭司の王国となり、世界の中で特別な使命を果たすビジョンでもありました。ダビデには、彼の子孫が永遠の国の王になるビジョンが与えられました。その他の預言者たちにも、全世界に拡がる神の国のビジョンが与えられました。ユダヤ人がそれらのビジョンを信じなくなった時、彼らの国は滅びました。ビジョン実現への道は、途絶えたかに見えました。でも、神のビジョンにキャンセルはありません。神は、人々の想像を遙かに超える、驚くべき「プランB」を用意されていたのです。

 それは神ご自身が人となり、伝えたビジョンを全て実現するという、あり得ないプランでした。イエス・キリストはアブラハムの子孫、ダビデの子孫としてこの世に来られました。十字架の身代わりにより、全ての人を祝福されました。主イエスを信じる人は、聖霊を通し、神の愛の律法を悟ります。祭司の王国に加えられ、全世界に神の光を輝かせる特権が与えられます。私たちは、世界中に拡がる永遠の神の国のビジョンを信じ、周りの人に伝えることができます。「オンライン世界への捕囚」のような危機が来ても、「Go To 神の国キャンペーン」は決して中止されません。最初から除外対象になる人もなく、神のビジョンが実現します。私たちは、どんな時にも天来のビジョンを信じ、その実現に向けた準備ができるのです。

 今日はゼカリヤ9-10章を開き、預言者ゼカリヤを通して神から与えられたビジョンについて考えてみましょう。

 第一に神は、平和を完成するビジョンを語られました(ゼカリヤ9:9)。ゼカリヤは、紀元前6世紀頃の預言者です。ユダヤ人たちが70年の捕囚を終え、約束の地に帰って来た頃です。土地は荒れ果て、神殿は破壊されていました。彼らは預言者ハガイやゼカリヤに励まされ、神殿を再建しました。その神殿を見て喜ぶ人がいる一方、悲しんで号泣する人もいました。かつてソロモンが建設した壮大な神殿と比べると、それはあまりにみすぼらしかったからです。エルサレムの城壁は壊れたままで、常に盗賊の襲撃等にさらされていました。厳しい現実を目の前にして、失望する人もいました。そんな中で預言者たちは、将来の希望のビジョンを語りました。ゼカリヤのこの預言は、その一つです。ろばに乗る王は、平和の到来を象徴しています。この預言の数百年後、平和の君なるイエス様がろばに乗り、エルサレムに入られました。イエス様は自らの命を犠牲にし、神と人との間に平和を築かれました。この平和を信じる人は、神の助けにより、目の前の困難を乗り切ることができるのです。

 イエス様の平和は今、世界中に拡がっています(ゼカリヤ9:10)。ここでエフライムとは、ソロモンの時代の後、2つに分裂したイスラエルの北の王国を意味しています。エルサレムは、南の王国の首都でした。南北の王国は、互いに敵対関係にありました。そして、どちらの国も外国に攻め込まれ、滅亡しました。でも神は、平和が両方の国に訪れ、そこから世界中に拡がるビジョンを語られたのです。「大河」とは、メソポタミア一帯を潤すユーフラテス川です。神は、その地域からアブラハムを呼び出し、さらにその後、捕囚のユダヤ人を約束の地に呼び戻されました。そしてイエス様は、平和の都エルサレムから神の平和を世界中に拡げておられます。私たちは、この平和の完成のビジョンを信じ、困難に打ち克つことができるのです。

 第二に神は、救いを実現するビジョンを語られました(ゼカリヤ9:11-12)。水のない穴に捕らわれたような人も神に救い出されると、ビジョンは語っています。アブラハムは神に生け贄をささげ、血による契約を結びました。ユダヤ人はその契約を何度も破りましたが、神はどんな時も契約に忠実でした。彼らが悔い改めるなら危機から救うという契約を、神は必ず守られたのです。契約の民には、彼らの砦である神のみもとにいつでも帰れるという望みがありました。神は、彼らが失ったものを2倍にして返すと約束されています。「祝福の倍返し」です。イエス様の救いを得た人は、血による新しい契約の中に入っています。救われる前の何十倍もの祝福を受けるビジョンを、イエス様は語られました。私たちは、この豊かな祝福のビジョンを信じることができます。

 救われた人は、王冠の宝石のように神の恵みの光を輝かせることができます(ゼカリヤ9:16)。神はかつてモーセを通し、ユダヤ人が神の宝となるビジョンを語られました。神との契約を守ることが、その条件でした。残念ながら彼らは、その条件を満たせませんでした。神との契約を破り、彼らは捕囚の地に連れて行かれました。でもそこで罪を悔い改めたユダヤ人に、神は再チャレンジのチャンスを用意されたのです。王冠の宝石になるチャンスです。イエス・キリストを信じる人には、誰でもこのチャンスが与えられています。その辺の道端に落ちていた石ころもイエス様に拾われ、磨かれ、周囲に神の光を輝かせます。私たちは、この素晴らしい救いのビジョンを信じ、周りの人に証しすることができるのです。

 第三に神は、御国を回復するビジョンを語られました(ゼカリヤ10:6)。ユダの家とはイスラエル分裂後の南王国で、ヨセフの家とは北王国のことです。神はどちらの国の人も愛し、捕らわれの地から連れ戻すビジョンを語られました。回復のビジョンです。多くのユダヤ人が、そのために祈りました。その祈りに神は答えると言われました。神は、私たちの祈りにも答えて下さいます。失われたものが回復します。壊れたものが修復されます。病んでいる人は癒されます。私たちはこの回復のビジョンを信じ、祈り続けましょう。

 神の助けを得るなら、私たちはどんな苦難も乗り越えることができます(ゼカリヤ10:11-12)。神は、ユダヤ人をエジプトの苦難から救われました。同じようにアッシリアの捕囚からもユダヤ人が救われるビジョンを、神は語られています。神から力を受ける人は、ビジョン実現の方向に進むことができます。私たちもどんな苦難にあっても、神の力により勝利が与えられます。全てが回復する神の御国に向かい、一歩一歩進むことができます。私たちは、この素晴らしい回復のビジョンを信じ、語り続けることができるのです。

 神から与えられたビジョンを信じましょう。そして、その実現の備えをして行きましょう

「その日、彼らの神、主は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。」(ゼカリヤ9:16)

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2020年7月19日 (日)

天の祝福の管となる

 日本は、世界平均の2倍の雨が降るそうです。インドから東南アジア、東アジアまでの広い地域は「モンスーン・アジア」と呼ばれ、日本はその東端にあります。モンスーン・アジアは、モンスーンと呼ばれる季節風が吹き、降水量の多い地域になっています。豊富な雨水を利用し、水田でお米が作られる風景は、この地域特有です。田んぼから得られる豊かな収穫により、多くの人々の食糧がまかなわれます。同じ場所がずっと利用できるので、食糧は安定的に供給可能です。田んぼを潤す雨水は、天から注がれる大きな祝福ですね。

 ただ今年の豪雨のように、記録的な大雨が降り続くと、大きな問題が発生します。浸水や土砂災害で家や仕事場を失う人、地域が孤立する人、さらに命を落とす人もいます。被災した方々や危険な地域のため、続けてお祈りしています。

 一方、日本には昔から水の足りない地域もありました。所沢も、その一つです。所沢は、入間川と荒川、多摩川に挟まれた武蔵野台地の北西部に位置しています。広大な武蔵野台地の中で、一段高い場所です。非常に水はけが良く、大きな川もないため、昔の人たちは深い井戸を掘りました。弘法大師・空海が旅の途中に立ち寄り、井戸掘りの場所を教えたという伝説もあります。(西所沢の西友の裏がその辺りだそうです。)うどんや団子が名物になったのも、田んぼを作れなかったからです。

 所沢に上水道が初めて整備されたのは、日中戦争が始まった1937年でした。地下水を汲み上げて、各家庭に供給しました。ところが第2次大戦後、人口が増えると、地下水の過剰採取で地盤が沈下。そこで1974年からは、別の水源から水を引きました。荒川や利根川の水を使う、埼玉の県営水道です。今は地下水1割、県の水9割だそうです。所沢に限らず、首都圏の水は、ほとんど荒川と利根川が水源だそうです。もちろん河川の水も地下水も、もともとは雨水です。天から注がれた祝福により、私たちは生かされているのです。

 天から注がれる祝福は、他にもあります。その一つは、天地創造の神のみことばです。神は、人類の代表としてアブラハムを選び、彼にこんなことばを掛けられました。「あなたとあなたの子孫により、全人類が祝福を受ける。」アブラハムとその子孫は、神のメッセージを人々に届ける祝福の管とされたのです。

 ヨセフやモーセは、エジプトの王宮に神のことばを届けました。ナオミは、モアブ人ルツに神のことばを教えました。ダビデは、ゴリヤテとペリシテの軍勢に神のメッセージを伝えました。ソロモンは、シェバの女王に神の知恵を語りました。預言者ヨナは、ニネベのアッシリア人に神の警告を伝えました。ユダヤ人の国が滅んだ後も、みことばを届ける働きは続きました。彼らは敵地バビロニアに遣わされ、その国に天の祝福を届ける管となったのです。それは、彼らが全く考えもしなかった新しい生活様式でした。

 イエス・キリストを信じる人は、天の祝福の管とされます。一人ひとりが、天の御国から地上の各地に祝福を届ける働きを委ねられます。日本に遣わされている人もいます。日本は、水に恵まれた国です。所沢のような土地でも、地下や遠くの河川から水を引くことができます。でも残念ながら、神のことばの祝福は、日本の多くの人にまだ届いていません。99%の人が、この素晴らしい天の祝福を受けずにいます。霊的な水涸れ、霊的脱水症で、多くの人が永遠に命を失っています。

 私たちは今、オンラインの世界に捕囚されたような困難な状態にあります。でもこの新しい生活様式の中、天の祝福を人々に届ける大切な役割を担っているのです。今日はエレミヤ29章を開き、私たちはどのように管の働きをするのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、神へのとりなしを通して天の祝福の管となります(エレミヤ29:4-6)。多くのユダヤ人は、彼らの国が滅ぶはずはないと考えていました。天地を造られた全地全能の神が、彼らを選ばれました。エジプトから奇跡的な方法で、彼らを脱出させて下さいました。荒野の訓練の後、約束の地を受け継がせて下さいました。ダビデ王朝を確立させ、平和と繁栄を築いて下さいました。彼らの国を通し、世界中に神の栄光が輝くはずでした。だからどんな敵が来ても祖国は敗れたり滅びたりしないと、多くのユダヤ人が信じていました。

 ところが彼らの国はあっさり滅び、多くの人が敵地に連れ去られました。それどころか神は、エレミヤを通してさらに驚くべきメッセージを語られたのです。「神ご自身が、彼らをバビロンに引いて行かせた」というメッセージです。ユダヤ人は神との契約を破り、約束の地から追い払われました。でも送り込まれた敵地で、彼らにはやるべきことがあったのです。そこで平和な暮らしをし、生き延びること。そしてもう一つ、彼らには果たすべき重要な使命がありました。

 それは、敵国の平安を祈ることでした(エレミヤ29:7)。この「平安」と訳された言葉は、ヘブル語の「シャローム」です。全てが満ち足りて何も欠けたところがない、完全さを表す言葉です。それは、敵意や憎しみのない状態、恐れや不安のない状態、苦しみや乏しさのない状態、そして、満ち足りた喜びと平安のある状態です。

 この完全さを与えて下さるのは、もちろん天地創造の神です。バビロニアの人々が信じていた偶像の神々ではありません。ですからバビロニアの平安を祈るとは、彼らの救いを求めることでした。彼らが偶像礼拝から救われ、天地創造の神だけを信じるように求める祈りでした。ユダヤ人はこのとりなしの祈りをするため、バビロニアに遣わされたのです。私たちも今同じように、日本の平安を祈る使命が与えられています。とりなしの祈りを通し、私たちは天の祝福の管となるのです。

 第二に私たちは、神への信仰を通して天の祝福の管となります(エレミヤ29:8-9)。ユダヤ人の中には、間違った教えを説く偽預言者たちがいました。捕囚が起きる前には、バビロニアとの戦争に必ず勝利すると、偽預言者は語りました。捕囚が起きた後は、すぐ祖国に帰れると、彼らは語りました。厳しい現実を見たくない人々は、悪霊の影響を受けた占い師にも頼りました。自分たちが見た夢を語る人もいました。多くの人は厳しい現実の話ではなく、楽観的な見通しを聞きたかったのです。コロナ感染が世界中に拡がる今の状況と似ています。神は、間違った情報ではなく、正しい情報を選び取りなさいと言われています。全知全能の神を信じる人は、聖霊と聖書を通し、天の声を聞き分ける祝福を手にしています。

 バビロニアへの捕囚は、神の計画でした(エレミヤ29:10-11)。70年間の予定でした。それはユダヤ人たちが自分たちの犯した罪を自覚し、悔い改める期間でした。唯一の神への信仰を回復し、約束の地に帰る準備をする期間でした。さらにバビロニアやペルシアの人々に創造主なる神への信仰を伝え、彼らを祝福する期間でもありました。預言者ダニエルやシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように、敵国の王宮で信仰を証ししたユダヤ人もいました。天地創造の神を信じ、その信仰を伝えた人々に、神は将来と希望を用意しておられました。異邦人の平安を求めたユダヤ人に、神は平安の計画を立てておられたのです。救い主イエスを信じる人にも、神は平安の計画を用意されています。私たちはこの神への信仰を宣べ伝え、祝福の管となることができるのです。

 第三に私たちは、神との親密さを通して天の祝福の管となります(エレミヤ29:12-13)。捕囚の前、多くのユダヤ人は神との関係が切れていました。彼らは、周りの国々と同じように偶像を拝んでいました。でもユダヤ人が方向転換し、神を求めるなら、親密な関係は回復すると、神が約束して下さいました。切れていた関係が修復され、ユダヤ人たちは再び神と親しくお話できたのです。イエス・キリストを信じる人は、聖霊が心のうちに住んでおられます。私たちは聖霊を通し、いつでもどこでも神と親しくお話することができます。この素晴らしい祝福を周りの人と分かち合うこともできます。

 神は、ユダヤ人たちを元の場所に帰すと約束されました(エレミヤ29:14)。それは、彼らが先祖から受け継いだ土地でした。ヨシュアとともに先祖たちが、神への変わらぬ愛を誓った場所です。ユダヤ人たちは、その地で神への初めの愛を思い起こすことができたはずです。親密な語り合いを通し、神は私たちにも初めの愛を思い起こさせて下さいます。その愛に満たされ、私たちは天の祝福の管となることができるのです。

 イエス様が、私たちを天の祝福の管として下さったことを感謝しましょう。天の全ての祝福で満たされ、その祝福を周りの人に流し出して行きましょう。

「わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。」(エレミヤ29:7)

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2020年7月12日 (日)

天の国王をほめたたえる

 全世界で今、国や自治体トップのリーダーシップが問われています。迅速で的確なコロナ対策や経済対策が求められているからです。日本では、大雨による自然災害も発生しました。次々と発生する諸問題を解決し、人々の必要に十分応えることが、リーダーたちに期待されています。先週は、小池百合子さんが東京都知事に再選されました。東京は、日本の政治経済の中心地です。人口と予算規模だけでなく、今はコロナ感染も東京に一極集中しているようです。東京都知事をはじめとする全世界のリーダーが、与えられた役割を十分に果たせるようにお祈りしています。

 最近、リーダーシップが高く評価されている人もいます。デンマークの首相メッテ・フレデリクセンさんも、その一人。昨年、デンマーク史上最年少の41歳で首相に就任した、同国2人目の女性首相です。デンマークは立憲君主制ですが、国王もここ50年近く女性です。日本とは、ずいぶん様子が違いますね。政権支持率はパンデミック前40%前後でしたが、5月下旬には85%に急上昇しました。

 デンマーク政府は早い段階でロックダウンを決め、3~4ヶ月分の休業補償をしたそうです。人々の疑問や不安にも、政府は的確かつスピーディーに回答しました。首相は、子供たちのビデオによる質問に答える形の会見も放送したそうです。「外出しても良いか」という質問には、「大丈夫。でも互いに距離をとって下さい」と答えました。「友達を呼んで誕生会をしても良いか」という問いには、「誕生日おめでとう。でも延期を勧めます」と回答。若者に対しては、こんなビデオメッセージが首相から発信されました。「皆さんが自分のためでなく、人のために我慢していることを私は知っています。・・・私たちは、あなたたち若者を誇りに思っています。」こんな人がリーダーなら、確かに支持率は上がりそうですね。

 でも聖書は、人ではなく、神のリーダーシップに期待しなさいと教えています。神の国のトップは、全知全能の神だからです。神の国は立憲君主制ではなく、絶対王政です。絶対的な力を持つ神が君臨し、統治もされています。神中心の国なので、もちろん民主主義ではありません。でもそれは全ての人にとって最も幸いな国だと、聖書が語っています。

 約束の地に入ったユダヤ人は、天の国王に従う新しい生活様式が求められました。神の教えを守り、あらゆる問題解決を神にゆだねる生き方、「神の国モデル」の生活様式でした。ところが残念ながら、圧倒的多数のユダヤ人はその新しい生活様式を捨て去ってしまいました。天の国王に反逆し、神の代わりに人を国王に選びました。国のトップが悪い模範を示すと、国民もそれに倣いました。そして、彼らの国は滅びました。全世界のモデルとなるはずの生活様式を彼らが拒否したからです。

 ダビデは2代目の国王になりましたが、新しい生活様式の重要性をよく理解していました。本当の国王は天におられると、彼は自覚していたのです。そして、人々にこう証言しました。「神の国の王が私を造り、私を救い、私をイスラエル国王にして下さった。この偉大な神を、私は永遠にほめたたえる。」

 イエス・キリストは、天におられる国王です。どんな問題が起きても、私たちはイエス様のリーダーシップに期待できます。その全知全能の力により、どんな難問も解決されるからです。イエス様は私たちのあらゆる疑問に誠実に答え、励ましのメッセージを語って下さいます。天の国王は今、世界中の人々から強く支持され、賞賛されているのです。

 今日はダビデが書いたとされる詩篇145篇を通し、私たちはイエス様のどんな点をほめたたえるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、王権の威光をほめたたえます(詩篇145:1-2)。ダビデは、神の偉大さを告白しています。神は、永遠にほめたたえられるべき王です。全世界を創造され、全てを治めておられます。宇宙空間のあらゆる天体を定位置に置き、一定のルールで動かしておられます。地球上のあらゆる生き物に命を与え、全ての必要を満たしておられます。人類の代表としてアブラハムを選び、数え切れないほどの子孫を与え、約束の地に住まわせて下さいました。そして羊飼いの少年ダビデを選び、数々の戦いに勝利を得させ、イスラエルの国王にされました。ダビデの子孫から永遠の国の王が生まれるとも、神は約束して下さいました。来たるべきメシアの約束です。神の計画は、永遠の大きさを持っています。人の思いや力を遙かに超えています。だからこそ私たちは、神の王権の偉大さを永遠にほめたたえるのです。

 天地創造の神は、偉大なみわざを成し遂げて来られました(詩篇145:5-6)。神が造った作品の一つひとつは、製作者の偉大さを物語っています。宇宙全体が、神の見事な作品です。地球は、人が住むのにふさわしい場所として造られています。どんなに小さな生き物も、実に複雑な仕組みによってできています。人間の体の複雑さも、奇跡的です。神は人類の歴史にも介入され、さまざまな奇跡を行われました。100歳と90歳の老夫婦から、赤ん坊が生まれました。牢獄にいたある外国人奴隷は、その国のトップリーダーに選ばれました。数百万人の奴隷が集団脱走し、追っ手の軍隊は滅びました。その元奴隷たちは、荒野で40年生き延びました。ダビデ自身も数々の危機を乗り越え、国王に任命される奇跡を体験しました。その全てが、神の偉大なみわざでした。私たちもこのお方の偉大なみわざを知り、ほめたたえる奇跡を体験しています。

 第二に私たちは、愛の統治をほめたたえます(詩篇145:8-9)。神の国は、愛に満ちています。国王である神が、愛と憐れみに溢れたお方だからです。もし神がとてつもなく冷酷で、ただ厳しいだけだったら、どうだったでしょう。アダムとエバが罪を犯した時点で、人類は終わりでした。神は人類を滅ぼし、人類なしの世界を永遠に楽しんでおられたかもしれません。でも神は人類を愛し、憐れみ、アダムとエバにやり直しの人生を用意されました。彼らの将来に祝福の計画を立てておられました。人類の代表として選んだユダヤ人たちが何度しくじっても、神の愛と憐れみは決して消え去りませんでした。そして、ついに神ご自身が人類全体の罪を背負い、十字架の上で命を捨てて下さったのです。神の愛と憐れみは今、ゴルゴタの丘から全世界に溢れ流れているのです。

 この限りない愛を知った人は、世界中で神に感謝をささげています(詩篇145:10)。イエス・キリストを信じる人は今、神の愛の支配を知り、喜ぶことができます。アダムとエバの時代以来、この世は壊れた状態にありました。天地創造の神を忘れ、愛を知らずに生きている人が今も大勢います。多くの人間関係にひびが入っています。次から次へと起こる問題を人のせいにし、互いに批判し合っています。でも実際は、自分の心の中の大きな問題に気づいていません。神の愛を知らず、創造主に感謝もできないという問題です。イエス様は、この問題を解決しに来られました。十字架を通し、全世界に神の愛を伝えて下ったのです。イエス様を信じる私たちは、全世界に拡がる神の国が限りない愛に満ちていることを知っています。だから私たちは、神の愛の統治をほめたたえるのです。

 第三に私たちは、正義の浸透をほめたたえます(詩篇145:17-19)。神の国は、正義に満ちた国でもあります。神は常に、弱い立場の人に目を配っておられます。助けを求める心の叫びを聞いておられます。そして、あらゆる苦難から私たちを救って下さいます。コロナに感染した人も、洪水被害に遭った人も、経済的に困っている人も、神は愛しておられます。思わぬ落とし穴にはまり、抜け出せなくなった人のことも、神は憐れんでおられます。そして手を差し伸べ、救い出して下さいます。神の正義のみわざに、私たちは期待することができるのです。

 そしてもちろん、神は悪をさばいて下さいます(詩篇145:20)。神の国全体が、正義で満たされるためです。私たちは、時には待ちきれない思いを持つかもしれません。神のさばきはあるのか、それはいつなのかと、やきもきするかもしれません。でも神は、定めた時に必ず正しいさばきを下されます。私たちは、絶対的に正しい天の国王を信じ、安心して全てをゆだねることができます。神の国に正義が満ちる日を待ち望むことができます。全ての悪を取り除く神を、私たちは心からほめたたえることができるのです。

 どんな時も天の王なるイエス・キリストを見上げ、ほめたたえましょう。このお方の素晴らしさを、周りの人にも伝えて行きましょう。

「私の神 王よ 私はあなたをあがめます。あなたの御名を 世々限りなくほめたたえます。」(詩篇145:1)

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