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2020年9月

2020年9月27日 (日)

祈りの輪を共有する

 今年、日本ではアマビエという妖怪が大ブレーク中です。江戸時代末期に、熊本の海に現れた妖怪だと言われています。当時の瓦版によると、長髪の人魚のような姿で、鳥のようなクチバシがついています。体には魚のようなウロコがあり、3本足で立っています。「病気が流行したら、自分の姿を写して人々に見せなさい」とアマビエは言い、海の中に消えたそうです。

 TVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」でも、13年前に登場したとのこと。「昔は大名やお姫様にちやほやされたのに、最近は知る人もいなくなった妖怪」というキャラクターだったそうです。

 今回のアマビエの「リバイバル」は、ツイッターが発端でした。「大蛇堂(おろちどう)」という妖怪掛軸専門店が、2月末にアマビエ紹介のツイートをしたのです。新型コロナ感染拡大にふれ、「妖怪絵描きのみなさんには、今こそアマビエの絵をあげてほしい」と訴えました。すると多くの人が感染終息を祈願し、続々とネット上にアマビエを投稿しました。イラストやグッズ、お菓子、コスプレ等さまざまです。お寺や神社でも、アマビエのお守りやお札、絵馬等の販売が開始。小中学校でもアマビエの絵が描かれ、政府もこの妖怪のイラストをホームページやアプリで使い出しました。多くの人が、この妖怪に疫病退散を期待しているようです。

 妖怪は、「人間の理解を超えた不思議な力を持つ、超自然的な存在」と言われています。八百万の神々の一種と考えられます。最新の科学にも期待しつつ、同時に「苦しい時の神頼み」をする人が、日本には多いのでしょう。

 これまで何度も語ったことと重なりますが、聖書の大きなテーマの一つは、「どの神に頼るべきなのか」です。――八百万の神々なのか、それ以外の神なのか――。古代メソポタミアにも、たくさんの神々がいました。アブラハムは、その文化の中から外に呼び出されました。あらゆる神々に勝る「いと高き神」の存在を、全世界に伝えるためでした。古代エジプトにも、たくさんの神々が祀られていました。ユダヤ人たちは、その国の外に呼び出されました。「いと高き神」は、当時の超大国エジプトの神々にはるかに勝ることをその時、自ら証明されました。

 「いと高き神」が約束した通り、ユダヤ人はカナンの地に戻りました。そしてソロモン王の時代、イスラエルは絶頂期を迎え、平和と繁栄を手にしました。エルサレムに神殿が完成すると、大勢の人が集まりました。この集まりも、ヘブル語で「カハール」です。ソロモンが神殿で祈った時、人々はその祈りに心を合わせました。ユダヤ人たちは「いと高き神」に頼り、その祈りの輪に加わったのです。

 イエス・キリストは、八百万の神々の文化から私たちを呼び出し、解放して下さいました。「いと高き神」こそが、はるかに頼りになることを教えておられます。全知全能のこの神は、あらゆる病を癒し、パンデミックを終息させる力があります。信じる人に、よみがえりのいのちを授けて下さいます。そして私たちを深く愛し、私たちの祈りをよく聴いておられます。天の王なるイエス様は、私たちのために絶えず祈っておられます。私たちは、その最強の祈りの輪を共有することができるのです。

「ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって両手を伸べ広げて、こう言った。『イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。・・・』」(Ⅰ列王8:22-23)

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2020年9月20日 (日)

歴史的勝利を共有する

 新型コロナとの「戦い」が続いています。日本では第2波がある程度落ち着いてはいるようですが、他の国々では感染が拡がっています。先週日曜日、世界保健機関(WHO)は、あまり嬉しくないニュースを発表しました。全世界の新規感染者数が、過去の最多記録を更新したそうです。1日あたり30万7,930人です。世界の死者数は、13日までで91万人以上。現在、最も感染が急増する国はインドで、先週日曜は1日9万4千人以上です。第2位は米国で、4万5千人台。第3位はブラジルで、4万3千人台。これまでの死者が最も多いのは米国で、19万4千人を超えています。欧州や豪州、韓国でも再び新規感染者が増加中です。金曜夜に新年を迎えたイスラエルでも感染が増え、2度目の全国的なロックダウンが始まりました。

 一方、日本で新規感染者が最も多かった日は8月7日で、1,605人。日本の死者数累計は、1,400人台にとどまっています。人口や社会環境が違うので単純に比べられませんが、日本は比較的感染が抑えられているようにも見えます。

 この「戦い」の目標はウイルスの撲滅ではなく、共生・共存だとも言われています。ワクチンや薬ができても、新型コロナは、風邪やインフルエンザのように社会に常駐するかもしれません。長崎大学の山本太郎教授は、「被害を最小化しつつ、ウイルスと早く共生関係に入るべきだ」と語っています。ウイルスと一緒に生きるということです。「新型コロナの免疫を多くの人が持てば、似通った新たなウイルスへの防波堤になり得る。ウイルスにより強い社会になる」という話です。

 山本教授はさらに、希望を持つことが大切だとも語っています。昔、アフリカでエイズ対策をした時、なかなかうまく行かなかったそうです。戦争や暴力、飢餓があり、人々は10年後の元気な自分を想像できなかったからです。厳しい状況の中でも、何を考えるかは私たちの自由です。明るい未来を思い描くこともできます。近い将来、コロナとの「戦い」に歴史的な大勝利があることを期待しています。

 旧約の時代、ユダヤ人はさまざまな敵と戦いました。モーセたちはエジプト脱出後、荒野でアマレク人と戦いました。ヨシュアたちは約束の地に入り、カナン人たちと戦いました。ギデオンは、イスラエルを荒らしたミディアン人と戦いました。サムソンは、ユダヤ人を苦しめたペリシテ人と戦いました。このペリシテ人はたいへんな強敵で、その後、サムエル、サウル、ダビデの時代になっても戦いは続きました。

 イスラエルが経験した歴史的勝利の一つは、エラの谷の「天下分け目の戦い」だったかもしれません。ユダヤ人兵士たちは、その谷に集結しました。この「集まり」も、「カハール」というヘブル語です。この集まりで、ユダヤ人の代表戦士となったダビデは、“進撃中の巨人”ゴリヤテを倒しました。そしてイスラエルは、ペリシテ軍を追い払いました。ユダヤ人たちは、ダビデの歴史的勝利を共有したのです。

 ダビデの子孫であるイエス・キリストも、人類を代表し、「天下分け目の戦い」に臨みました。それは、永遠の昔から予定されていた人類最大の戦いでした。敵は全人類の罪と死、そして人を惑わす悪い霊たちでした。その戦いで、キリストは歴史的な勝利を収めました。あらゆる誘惑に打ち勝ち、罪を帳消しにし、死からよみがえられたのです。イエス・キリストを信じる人は、この歴史的大勝利を共有することができます。オンラインの集まりでも、私たちはこの勝利を喜び、ともにお祝いできるのです。

「ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」(Ⅰサムエル17:47)



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2020年9月13日 (日)

祝福の契約を共有する

 「The Blessing(祝福)」という新しい賛美が、このパンデミックの中で生まれ、いま世界中で歌われています。歌詞の中心は、旧約聖書・民数記6章24-26節にある、次のような祝福の祈りです。

「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」

 この曲は今年3月、米国で作られ、YouTubeにアップされました。すると瞬く間に世界中の人が視聴し、先週までに再生回数は2,800万回近くに達しています。世界の100カ所以上で、オンラインの聖歌隊がこの曲をカバーしたそうです。YouTubeには、各国語バージョンの国際色豊かな賛美映像が公開されています。日本語版には、着物や浴衣を着た人が和楽器の伴奏で歌う映像もあります。

 この賛美の「世界的大流行」を見て、曲を作った一人であるケァリー・ジョーブさんは、こう語っています。「私は、何度も泣きました。世界中のさまざまな人が、自分たちの家族や教会や国々に対し、祝福を宣言しているからです。素晴らしいのは、神が決して変わらないお方で、いつも私たちのために共にいて下さることです。だから大きな平安があります。今年のようにみんなが失望や疑い、恐れを抱いている時は特にそうです。」また彼女は、こうも言っています。「聖書を土台にしているので、この曲のメッセージは時を超えています。今のような時に私たちが握りしめるメッセージになると、神は知っておられたのです。」

 天の王なる神は、全世界を祝福したいと願っておられます。世界を創造された時、神は全てのいのちを祝福し、こう宣言されました。「生めよ。増えよ。満ちよ。」ノアの家族が箱舟から出て来た時、神は彼らを祝福し、こう言われました。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」人類の代表として選んだアブラハムに対しては、神はこう言われました。「確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。・・・あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」

 イスラエルの祭司は、「The Blessing」の歌詞にある祝福の祈りをするように神から命じられました。この祈りを通してユダヤ人は祝福され、そして彼らの子孫を通し、全世界は祝福されているのです。アブラハムの子孫イエス・キリストは、信じる人を祝福して下さいます。そしてその祝福は、周りの人にも広がって行くのです。

 世界を祝福するため呼び出されたユダヤ人たちは、荒野の訓練の後、約束の地に入りました。モーセに代わり、ヨシュアが指導者になりました。最初の2つの戦いに勝利したところで、彼らは集まりを持ちました。その「集会」も、ヘブル語で「カハール」と記されています。それは、「エクレシア=呼び出された人々」の野外集会だったのです。彼らはそこで、先祖たちが神から与えられた祝福の契約を更新しました。アブラハムが神と結んだ契約を、彼らは思い起こしました。モーセを通して与えられた契約についても、彼らは内容を再確認しました。その集会を通し、ユダヤ人たちは神と結んだ祝福の契約を共有したのです。

 クリスチャンも、イエス・キリストを通し、神と新しい契約を結んでいます。呼び出された人々の集まりを通し、私たちは祝福の契約を共有できるのです。

「その後、ヨシュアは、みおしえの書に記されているとおりに、律法のすべてのことばを、祝福ものろいも読み上げた。モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアが、イスラエルの集会全体・・・の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。」(ヨシュア8:34)

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2020年9月 6日 (日)

地上の旅路を共有する

 新型コロナの影響で、旅行する人が大幅に減ったようです。先週、政府が発表した統計によると、7月にホテル等に宿泊した日本人はのべ2,226万人で、昨年より46%減りました。5月は82%減、6月は61%減なので、マイナス幅は縮小しているようです。「Go To トラベルキャンペーン」の効果が、多少あったのかもしれません。お盆には帰省や遠出を控え、自宅近くで観光や宿泊をする人が増えたようです。いわゆる「マイクロツーリズム」ですね。郊外へのドライブや自宅の庭でのキャンプ、あるいは家の中にテントを張る人も増えたと聞きます。

 海外でも同じような傾向で、旅行に関して、3つのトレンドが注目されているそうです。第一に、人が少ない場所、または人と距離がとれる場所に行く。第二に、近場に行く。第三に、ドライブで行く。このパンデミックで、旅行の仕方も様変わりですね。

 10年から20年も前の話ですが、私が北海道・七飯町にいた頃、毎年夏の家族旅行は道内のドライブでした。最初は札幌への帰省だけでしたが、末っ子が3歳になった頃からファミリーキャンプを始めました。人があまり密集しないキャンプ場をあちこち回りました。一番遠かったのは、妻が高校時代を過ごした網走へのドライブです。七飯から片道8時間なので、近場ではありません。網走郊外の湖畔にテントを張り、そこで2泊しました。

 8月初めで夏服しか持たなかったのに、最高気温は13度くらいでした。あまりに寒くて、初日の夜は鍋料理。二日目は予定していたBBQを諦め、網走市内のお店で食事をしました。その日の夜は一晩中、雨。当時、わが家のテントは安物で、雨漏りがしました。(笑)ほぼ徹夜でテント内を拭き、朝5時頃、撤収を決定。子供たちを車に乗せ、夫婦二人でずぶ濡れになりながら車に荷物を積み込みました。両親の慌てふためく様子が面白かったようで、子供たちは笑いながら見物していました。散々なキャンプでしたが、強く印象に残る、家族で笑える思い出となりました。

 ユダヤ人が40年間キャンプしたシナイ半島は、面積が6万平方キロメートル。北海道より若干小さく、関東地方の2倍ほどの大きさです。砂漠におおわれ、乾燥して暑く、雨はほとんど降りません。20世紀後半に何カ所かビーチリゾートが開発され、美しい海でスキューバダイビングが楽しめるそうです。(今年は難しそうですが。)ユダヤ人が律法を授かったシナイ山も、世界中から旅行者が集まる観光名所です。山麓にある聖カタリナ修道院は、世界遺産に登録されています。

 でももちろん旧約の時代、エジプトを脱出したユダヤ人がキャンプした頃は、見渡す限り荒野ばかりでした。それは難民キャンプの生活のような、辛く厳しい40年でした。おそらく100万人以上の人が、荒野で死に絶えました。でもその長い旅路は、ユダヤ人だけでなく、全人類の歴史に刻まれる貴重な体験となったのです。

 ユダヤ人が間違ってその苦難に足を踏み入れた時、モーセとアロンは頭を抱えました。

「そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。」(民数記14:5)

 この聖書箇所にある「集会」は、ヘブル語の原文では「カハール(קָהָל)」です。ギリシア語の「エクレシア(ἐκκλησία=教会)」に相当する言葉です。ユダヤ人たちの冒した大きな過ちにより、集会の指導者モーセとアロンも、40年間一緒にキャンプ旅行をすることになりました。彼らは、荒野の旅路を共有したのです。

 イエス・キリストを信じる私たちも、天の故郷を目指し、地上を旅しています。教会は、この旅路を共有する人の集まりです。時には、オンラインの世界も一緒に旅行します。地上の旅路は、辛く厳しいこともあるかもしれません。でも永遠の御国に到着すれば、全ては私たちにとって愛おしい、プライスレスな思い出になるのです。

 神が私たちを呼び出し、地上の旅路を共有する仲間に加えて下さったことを感謝します。今日は民数記13-14章を通し、それはどんな旅路なのか考えてみましょう。

 第一に私たちが共有するのは、探査の旅路です。

「主はモーセに告げられた。『人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。』」(民数記13:1-2)

 ユダヤ人たちは、シナイ山の麓にほぼ1年滞在し、その後2ヶ月かけて約束の地のすぐ手前まで来ました。神は彼らに、カナンの地の偵察、探査を命じられました。イスラエルの各部族から1名ずつ、計12名の探査チームが編成されました。探査のポイントは、いくつかありました。どんな地形か。どんな人々がどのくらい住んでいるか。町には城壁があるか。土地は肥えているか。サンプルとして、果物を取ってくるようにも言われました。7月下旬で、初ぶどうのなる頃でした。探査チームはその地を40日間調べ、ぶどうとザクロとイチジクを持ち帰りました。

 永遠の天の御国に向かう私たちも、そこがどんな世界なのかを聖書の記述を通し、探査する旅路にあります。その地はどんな様子なのか。誰がそこにいるのか。城壁はあるのか。木は生え、実は実っているのか。地上の旅路の中で、私たちは天の御国の様子を探り、調べて行くのです。

「四十日の終わりに、彼らはその地の偵察から戻った。彼らは、パランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところにやって来て、二人と全会衆に報告をし、その地の果物を見せた。」(民数記13:25-26)

 探査チームは、探査の結果をユダヤ人全体に報告しました。約束の地は立派なぶどうが実る、恵み豊かな土地でした。殺風景な荒野と全く違い、水の流れる川があり、緑豊かな大地でした。それだけ良い土地なので、当然ながら、多くの異邦人が住み着いていました。彼らは良い物を食べ、背が高くて強そうでした。敵の攻撃に備え、町はみなしっかりした城壁で守られていました。探査チームは、そのように報告したのです。

 私たちも、天の御国の探査結果を周りの人に報告できます。私たちが受け継ぐ永遠の御国は、限りない恵みに満ちた地です。いのちの水の川が流れ、いのちの木が豊かに実を実らせています。永遠の都の城壁は美しい宝石で造られ、平和を乱すものは何もありません。そこにいるのは、神に呼び出された人々だけです。私たちは今、この喜ばしい探査結果を全世界に報告する旅路にあるのです。

 第二に私たちが共有するのは、理解の旅路です。

「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。『私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。』しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。『あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。』」(民数記13:30-31)

 探査結果をどう理解するかは、探査チームの中で意見が分かれました。ヨシュアとカレブは、前に進むべきだと言いました。敵がどんなに強そうでも必ず勝てると、彼らは主張しました。しかし他の10人は、あの強敵と戦えば必ず負けると言いました。彼らが見たのは、全く同じ土地でした。でも二つのグループは、得た情報をそれぞれ全く違う観点で整理し、理解したのです。

 現代の私たちの世界にも、さまざまな観点、物の見方があります。聖書に天の御国の教えがあっても、全く信じない人がいます。死んだら自動的に天国に行くと考える人もいます。良いことをすれば天国に行くと考える人もいます。でも私たちは聖書に基づき、イエス・キリストを信じる人だけが永遠の御国に入ると理解しています。地上の旅路は、私たちがみことばを理解するための学習期間なのです。

「なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」(民数記14:3)

 ユダヤ人の中には、主のみこころを理解する人としない人がいました。ヨシュアとカレブは、約束の地の獲得が主のみこころだと信じていました。どんな強敵も、主のみこころにはかなわないと信じました。ところが圧倒的多数のユダヤ人は、みこころを疑いました。神は自分たちを滅ぼそうとしていると、彼らは主張しました。「どうして神はそんなひどいことをするのか、エジプトで死んだ方がましだった」とまで言いました。彼らは、神のみこころを全く理解していなかったのです。

 イエス・キリストを信じる人は、神のみこころを理解できるようになります。神のみこころは、全ての人がイエス様を通し、天の御国を受け継ぐことです。私たちは地上の旅路を通し、この主のみこころの理解が深まるのです。

 第三に私たちが共有するのは、選択の旅路です。

「この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」(民数記14:19)

 これは、モーセの祈りです。神を疑い、怒らせたユダヤ人たちの命は、風前の灯でした。モーセ以外全員を滅ぼすと、神は言われました。その時、モーセは、彼らのためにとりなして祈ることを選択しました。それが最善の選択で、主のみこころにかなうことだと、モーセは信じたのです。

 私たちの地上の旅路にも、さまざまな選択があります。地上の旅路は、私たちが主のみこころを知り、最善の選択をするための訓練期間なのです。

「翌朝早く、彼らは山地の峰の方に上って行こうとして言った。『われわれはここにいるが、とにかく主が言われた場所へ上って行ってみよう。われわれは罪を犯してしまったのだ。』」(民数記14:40)

 神はモーセのとりなしに応じられましたが、ユダヤ人は荒野で40年の訓練を受けることになりました。でも、その神の決定に従いたくない人もいました。行けなくなった約束の地に、彼らは無理矢理行こうとしたのです。

 神のことばに従うか従わないかの選択は、私たちの手に委ねられています。従う人は、神が喜んで下さいます。従わない人は、神を悲しませます。私たちは地上の旅路を通し、神に喜んでいただく選択をするチャンスが与えられているのです。

 神が私たちを呼び出し、地上の旅路を共有する仲間に加えて下さったことを感謝しましょう。もう一度、以下の聖句を引用します。

「そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。」(民数記14:5)


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