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2020年9月 6日 (日)

地上の旅路を共有する

 新型コロナの影響で、旅行する人が大幅に減ったようです。先週、政府が発表した統計によると、7月にホテル等に宿泊した日本人はのべ2,226万人で、昨年より46%減りました。5月は82%減、6月は61%減なので、マイナス幅は縮小しているようです。「Go To トラベルキャンペーン」の効果が、多少あったのかもしれません。お盆には帰省や遠出を控え、自宅近くで観光や宿泊をする人が増えたようです。いわゆる「マイクロツーリズム」ですね。郊外へのドライブや自宅の庭でのキャンプ、あるいは家の中にテントを張る人も増えたと聞きます。

 海外でも同じような傾向で、旅行に関して、3つのトレンドが注目されているそうです。第一に、人が少ない場所、または人と距離がとれる場所に行く。第二に、近場に行く。第三に、ドライブで行く。このパンデミックで、旅行の仕方も様変わりですね。

 10年から20年も前の話ですが、私が北海道・七飯町にいた頃、毎年夏の家族旅行は道内のドライブでした。最初は札幌への帰省だけでしたが、末っ子が3歳になった頃からファミリーキャンプを始めました。人があまり密集しないキャンプ場をあちこち回りました。一番遠かったのは、妻が高校時代を過ごした網走へのドライブです。七飯から片道8時間なので、近場ではありません。網走郊外の湖畔にテントを張り、そこで2泊しました。

 8月初めで夏服しか持たなかったのに、最高気温は13度くらいでした。あまりに寒くて、初日の夜は鍋料理。二日目は予定していたBBQを諦め、網走市内のお店で食事をしました。その日の夜は一晩中、雨。当時、わが家のテントは安物で、雨漏りがしました。(笑)ほぼ徹夜でテント内を拭き、朝5時頃、撤収を決定。子供たちを車に乗せ、夫婦二人でずぶ濡れになりながら車に荷物を積み込みました。両親の慌てふためく様子が面白かったようで、子供たちは笑いながら見物していました。散々なキャンプでしたが、強く印象に残る、家族で笑える思い出となりました。

 ユダヤ人が40年間キャンプしたシナイ半島は、面積が6万平方キロメートル。北海道より若干小さく、関東地方の2倍ほどの大きさです。砂漠におおわれ、乾燥して暑く、雨はほとんど降りません。20世紀後半に何カ所かビーチリゾートが開発され、美しい海でスキューバダイビングが楽しめるそうです。(今年は難しそうですが。)ユダヤ人が律法を授かったシナイ山も、世界中から旅行者が集まる観光名所です。山麓にある聖カタリナ修道院は、世界遺産に登録されています。

 でももちろん旧約の時代、エジプトを脱出したユダヤ人がキャンプした頃は、見渡す限り荒野ばかりでした。それは難民キャンプの生活のような、辛く厳しい40年でした。おそらく100万人以上の人が、荒野で死に絶えました。でもその長い旅路は、ユダヤ人だけでなく、全人類の歴史に刻まれる貴重な体験となったのです。

 ユダヤ人が間違ってその苦難に足を踏み入れた時、モーセとアロンは頭を抱えました。

「そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。」(民数記14:5)

 この聖書箇所にある「集会」は、ヘブル語の原文では「カハール(קָהָל)」です。ギリシア語の「エクレシア(ἐκκλησία=教会)」に相当する言葉です。ユダヤ人たちの冒した大きな過ちにより、集会の指導者モーセとアロンも、40年間一緒にキャンプ旅行をすることになりました。彼らは、荒野の旅路を共有したのです。

 イエス・キリストを信じる私たちも、天の故郷を目指し、地上を旅しています。教会は、この旅路を共有する人の集まりです。時には、オンラインの世界も一緒に旅行します。地上の旅路は、辛く厳しいこともあるかもしれません。でも永遠の御国に到着すれば、全ては私たちにとって愛おしい、プライスレスな思い出になるのです。

 神が私たちを呼び出し、地上の旅路を共有する仲間に加えて下さったことを感謝します。今日は民数記13-14章を通し、それはどんな旅路なのか考えてみましょう。

 第一に私たちが共有するのは、探査の旅路です。

「主はモーセに告げられた。『人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。』」(民数記13:1-2)

 ユダヤ人たちは、シナイ山の麓にほぼ1年滞在し、その後2ヶ月かけて約束の地のすぐ手前まで来ました。神は彼らに、カナンの地の偵察、探査を命じられました。イスラエルの各部族から1名ずつ、計12名の探査チームが編成されました。探査のポイントは、いくつかありました。どんな地形か。どんな人々がどのくらい住んでいるか。町には城壁があるか。土地は肥えているか。サンプルとして、果物を取ってくるようにも言われました。7月下旬で、初ぶどうのなる頃でした。探査チームはその地を40日間調べ、ぶどうとザクロとイチジクを持ち帰りました。

 永遠の天の御国に向かう私たちも、そこがどんな世界なのかを聖書の記述を通し、探査する旅路にあります。その地はどんな様子なのか。誰がそこにいるのか。城壁はあるのか。木は生え、実は実っているのか。地上の旅路の中で、私たちは天の御国の様子を探り、調べて行くのです。

「四十日の終わりに、彼らはその地の偵察から戻った。彼らは、パランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところにやって来て、二人と全会衆に報告をし、その地の果物を見せた。」(民数記13:25-26)

 探査チームは、探査の結果をユダヤ人全体に報告しました。約束の地は立派なぶどうが実る、恵み豊かな土地でした。殺風景な荒野と全く違い、水の流れる川があり、緑豊かな大地でした。それだけ良い土地なので、当然ながら、多くの異邦人が住み着いていました。彼らは良い物を食べ、背が高くて強そうでした。敵の攻撃に備え、町はみなしっかりした城壁で守られていました。探査チームは、そのように報告したのです。

 私たちも、天の御国の探査結果を周りの人に報告できます。私たちが受け継ぐ永遠の御国は、限りない恵みに満ちた地です。いのちの水の川が流れ、いのちの木が豊かに実を実らせています。永遠の都の城壁は美しい宝石で造られ、平和を乱すものは何もありません。そこにいるのは、神に呼び出された人々だけです。私たちは今、この喜ばしい探査結果を全世界に報告する旅路にあるのです。

 第二に私たちが共有するのは、理解の旅路です。

「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。『私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。』しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。『あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。』」(民数記13:30-31)

 探査結果をどう理解するかは、探査チームの中で意見が分かれました。ヨシュアとカレブは、前に進むべきだと言いました。敵がどんなに強そうでも必ず勝てると、彼らは主張しました。しかし他の10人は、あの強敵と戦えば必ず負けると言いました。彼らが見たのは、全く同じ土地でした。でも二つのグループは、得た情報をそれぞれ全く違う観点で整理し、理解したのです。

 現代の私たちの世界にも、さまざまな観点、物の見方があります。聖書に天の御国の教えがあっても、全く信じない人がいます。死んだら自動的に天国に行くと考える人もいます。良いことをすれば天国に行くと考える人もいます。でも私たちは聖書に基づき、イエス・キリストを信じる人だけが永遠の御国に入ると理解しています。地上の旅路は、私たちがみことばを理解するための学習期間なのです。

「なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」(民数記14:3)

 ユダヤ人の中には、主のみこころを理解する人としない人がいました。ヨシュアとカレブは、約束の地の獲得が主のみこころだと信じていました。どんな強敵も、主のみこころにはかなわないと信じました。ところが圧倒的多数のユダヤ人は、みこころを疑いました。神は自分たちを滅ぼそうとしていると、彼らは主張しました。「どうして神はそんなひどいことをするのか、エジプトで死んだ方がましだった」とまで言いました。彼らは、神のみこころを全く理解していなかったのです。

 イエス・キリストを信じる人は、神のみこころを理解できるようになります。神のみこころは、全ての人がイエス様を通し、天の御国を受け継ぐことです。私たちは地上の旅路を通し、この主のみこころの理解が深まるのです。

 第三に私たちが共有するのは、選択の旅路です。

「この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」(民数記14:19)

 これは、モーセの祈りです。神を疑い、怒らせたユダヤ人たちの命は、風前の灯でした。モーセ以外全員を滅ぼすと、神は言われました。その時、モーセは、彼らのためにとりなして祈ることを選択しました。それが最善の選択で、主のみこころにかなうことだと、モーセは信じたのです。

 私たちの地上の旅路にも、さまざまな選択があります。地上の旅路は、私たちが主のみこころを知り、最善の選択をするための訓練期間なのです。

「翌朝早く、彼らは山地の峰の方に上って行こうとして言った。『われわれはここにいるが、とにかく主が言われた場所へ上って行ってみよう。われわれは罪を犯してしまったのだ。』」(民数記14:40)

 神はモーセのとりなしに応じられましたが、ユダヤ人は荒野で40年の訓練を受けることになりました。でも、その神の決定に従いたくない人もいました。行けなくなった約束の地に、彼らは無理矢理行こうとしたのです。

 神のことばに従うか従わないかの選択は、私たちの手に委ねられています。従う人は、神が喜んで下さいます。従わない人は、神を悲しませます。私たちは地上の旅路を通し、神に喜んでいただく選択をするチャンスが与えられているのです。

 神が私たちを呼び出し、地上の旅路を共有する仲間に加えて下さったことを感謝しましょう。もう一度、以下の聖句を引用します。

「そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。」(民数記14:5)


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