神の奇跡に希望を抱く
クリスマスは、奇跡に期待が膨らむシーズンの一つです。救い主誕生の奇跡を祝う時だからです。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、その奇跡について何も知らなかったはずです。彼は広大な領土を治め、絶大な権力を手にし、神とあがめられました。でも、その偉大な皇帝の想像を遙かに超える驚くべき奇跡が、帝国の片隅で始まりつつあったのです。
それは、こんな奇跡でした。――聖霊の働きにより乙女が身ごもり、創造主なる神が被造物である人となったこと。飼葉桶に寝かされたユダヤ人大工の子が、後にローマ帝国全体を大きく変えること。アウグストゥス自身が出した勅令のため、その子はベツレヘムに誕生し、何百年も前の預言を成就したこと。その子は後にローマ軍に処刑されるのに、軍の中にも彼を「神の子」と信じる人々が現れること。ローマは多くの神々を信じる文化なのに、彼を唯一の神と信じる人が、帝国中に増え広がること。そして、ついには後のローマ皇帝も信者となり、帝国全体がそのユダヤ人だけを神とあがめるようになること――。ベツレヘムに生まれたその大工の子は、世界中に奇跡を起こす赤ん坊だったのです。
クリスマスがその子の誕生祝いとなったのも、それらの奇跡の結果でした。ローマではその昔、太陽を神々の一人として祀っていました。日本のアマテラスのようです。紀元274年には当時のローマ皇帝が、太陽の神の誕生日を12月25日に定めたそうです。その日は、太陽の神を拝む特別な日になりました。クリスチャンは偶像を拝まないので、長い間、ローマ帝国内で迫害されました。
流れが変わったのは、皇帝コンスタンティヌス1世が、奇跡的にイエス・キリストを信じてからです。彼はキリストを信じる自由を保障し、その後の皇帝たちもその信仰を受け継ぎました。すると紀元350年頃、時のローマ教皇は12月25日をキリストの公式な誕生日と定めたそうです。聖書にないキリストの誕生日をその日に決めたのは、太陽の神を拝む多くの人に伝道するためだったとも言われます。
ローマの偶像を拝む日が、キリスト誕生を祝う日に変わったのは、奇跡的な変化でした。クリスマスの季節が来るたび、私たちはローマ帝国で起きた数々の奇跡を思い起こし、神をほめたたえることができます。
天地創造の神は、奇跡を起こす神です。天地創造自体が、驚くべき奇跡です。地球環境は、奇跡的なバランスによって今も持続しています。一つ一つの命が生まれ、何十年も生きるのも奇跡的です。
人類の歴史の中にも、神は数多くの奇跡を成し遂げられました。一人の人から、あらゆる人種や民族が子孫として誕生しました。世界的な大洪水の時は、一家族だけが奇跡的に箱舟で生き延びました。エジプトで奴隷となったアブラハムの子孫は、奇跡的に解放されました。彼らは奇跡的に荒野で生き延び、奇跡的にカナンの地で新たな国を造りました。後にその国は滅び、ユダヤ人は外国に連れ去られますが、彼らは奇跡的に再び祖国の土を踏みました。そして彼らは、さらなる神の奇跡を待ち望んだのです。神の約束通りメシア=油注がれた王が現れ、彼らの国が再建される奇跡です。
ベツレヘムに生まれた赤ん坊は、その約束の王でした。多くの預言者が、その子が成し遂げる奇跡について預言していました。――その子の誕生の奇跡について。その子が全世界を治め、永遠の国の王となる奇跡について。ユダヤ人もローマ人もその他の国の人々も、その王の御前にひれ伏すようになる奇跡について。その王が弱い人、貧しい人のため、正義のさばきを下す奇跡について――。クリスマスの季節、私たちは神の御子のさまざまな奇跡を思い、新たな奇跡に希望を抱くことができるのです。
「神にとって不可能なことは何もありません。」(ルカ1:37)
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