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2021年1月

2021年1月31日 (日)

いつもポジティブに生きる

 コロナ禍では、ポジティブな生き方が不可欠です。20数年前、米国で「ポジティブ心理学」の研究が始まったそうです。先駆者となったマーティン・セリグマン博士は、以前は悲観的な考え方の研究をしていました。方向性が大きく変わったきっかけは、ニッキーという自分の娘との会話だったそうです。

 ある日、庭で草取りをしていたセリグマン博士は、あたふたして娘を怒鳴りつけました。するとニッキーは、こう反論したのです。「私は5歳の誕生日に、もう泣き言を言わないって誓って、それから泣き言を一切言っていない。私にそれができるなら、パパもそんなに機嫌が悪いのをやめられるはずだ。」(子供の言葉は、グサッと刺さる時がありますね。)それ以降、博士は楽観主義に関心を持ち、「どうしたら人は幸せを感じるか」について研究を始めたそうです。

 「幸せな状態(well-being)」には次の5つの領域が関係していると、セリグマン博士は考えました。

第1の領域は、ポジティブな感情(positive emotions)。嬉しい、楽しい、面白い、感動した、感謝する等の気持ちです。

第2の領域は、積極的な関わり(engagement)。時間を忘れるほど何かに夢中になること。

第3の領域は、人間関係(relationships)。良い関係は、私たちの励みになります。

第4の領域は、人生の意味や意義(meaning)。自分は何のために生きるのか理解していること。

第5の領域は、達成すること(accomplishments)、達成感。何かを達成すると爽快感が得られ、自信につながります。

 この5つの領域が望ましい状態であれば、人は幸せな状態にあるとのこと。「コロナうつ」が増えている今は、特にポジティブな感情の維持に気をつけるべきかもしれません。

 使徒パウロの人生は波瀾万丈でしたが、彼はいつも「幸せな状態」にあったように思えます。牢獄に入れられても、パウロはポジティブな感情を失いませんでした。ピリピ教会の人々に感謝し、喜びに満たされていました。獄中でも祈り続け、教会宛てに手紙を書くほど、宣教の働きに夢中でした。ピリピ教会の人々と良い関係を保っていました。自分の人生は福音宣教のためにあると、パウロははっきり理解していました。そして、与えられた使命を十分に果たして来たという達成感もありました。

 迫害され、投獄されて、殉教しそうでも、パウロは「幸せな状態」だったのです。そしてピリピ教会の人々にも、同じような生き方を勧めました。どんな困難の中でもネガティブにならず、ポジティブに生きるように励ましたのです。

 イエス・キリストを信じる人は、誰でもポジティブな生き方ができます。聖霊なる神は、私たちの心をポジティブな感情で満たして下さいます。神は私たちの人生に計画を立て、それぞれが夢中になれる何かを用意しておられます。神の導きと助けにより、私たちは周りの人々と良い関係を築くことができます。それらの関係を用い、神は励ましを与えて下さいます。私たちは、人生の目的が何かも悟ります。天の光を地に照らすため、私たちは生かされているのです。神は、私たちが目的を達成するための支援もして下さいます。

 創造主なる神の計画は、私たちを不幸にすることではありません。私たちを永遠に「幸せな状態」にすることです。この素晴らしい計画を信じる人は、どんな時もポジティブに生きることができるのです。

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)

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2021年1月24日 (日)

目標に向かい前進する

 昨年はコロナの影響で、さまざまなスポーツイベントが中止になりました。そんな状況でも、多くのアスリートは活動を続けました。昨年、一番頑張った日本のアスリートは誰だったと思いますか?年末にそんなアンケート調査が実施され、783人が回答したそうです。第一位に選ばれたのは、競泳の池江璃花子さんでした。(昨日も頑張って泳いでいました。)

 選出した人たちは、次のような理由を挙げたようです。
「白血病の闘病生活を乗り越え、復帰後はインカレ出場レベルまで成績を戻してきているから。その精神力の強さに拍手を贈りたい。」「自分のありのままの姿をSNS上で公開し、苦しみや不安の中で同じような環境の人に勇気を与えようとしていたから。」「闘病を乗り越え、もう一度泳いだときは感動しました。」

 池江璃花子さんは今年、成人式でしたが、2年前の2月に白血病と診断され、10ヶ月間治療に専念しました。闘病生活は想像以上に辛く、死にたいと思った時期もあったそうです。でもその後、ポジティブな心を取り戻しました。「生きていることが奇跡」だと思ったそうです。そして、大病を患った人たちに勇気を与えたいと願うようになりました。退院の時、彼女はこう言っています。「2024年のパリ五輪出場とメダル獲得という目標で頑張っていきたいと思います。」

 昨年3月に彼女はプールに戻り、夏にはレースに参加。さらに10月、インカレ(日本学生選手権)に出場しました。次のようにも語っています。「新型コロナウイルスの影響もあり、練習が思ったようにできず、もどかしい時もありましたが、目標を失わずに頑張り続けてきました。こんな時だからこそ、目標を立てることは自分を一歩前に進ませ、大きくしてくれるものだと思います。目標に向かい前に進んでいく姿を見ていただけたらうれしいです。」

 闘病生活から復帰し、目標に向かう池江璃花子さんは、たいへん立派です。その姿に励まされ、自分も何か目標を目指したい、前に進みたいと思う人もいるかもしれません。

 ただ、多くの人は自分の目標がよく分からなかったり、思いつきで目標を決めたりする傾向があるそうです。無理な目標を掲げたり、目標に向かう思いがそれほど強くない人もいたりします。すると最初は多少やる気があっても、すぐモチベーションが下がり、挫折しがちだそうです。何度か挫折すると、初めから目標を掲げる意欲さえなくなりそうですね。

 イエス・キリストを信じる人は、新たな目標が与えられます。永遠の目的地に向かい、この世のレースを走り抜く目標です。水泳に例えるなら、「自分のコースを泳ぎ切る」とも言えます。オリンピックのように、参加者同士でタイムを競い合うレースではありません。泳ぐ人それぞれが、神に用意されたコースを定められたペースで泳ぐ長距離レースです。

 時には、想定外の出来事も起こります。思ったように泳げないこともあります。でも前に向かって泳ぎ続けさえすれば、誰もが必ずゴールできます。イエス様は私たち一人ひとりに泳ぐ力を与え、目標達成のお手伝いをして下さいます。他の人を励ますため、私たちが最後まで泳ぐ姿を用いても下さるのです。

「・・・私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」(ピリピ3:13-14)

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2021年1月17日 (日)

永遠の希望にふさわしく生きる

 パンデミックの世界では、マスクやシールド等の着用が公の場にふさわしいと考えられています。感染リスクが減るからです。でも、そうしない人も中にはいます。例えば、84歳のローマ教皇は、公の場でほとんどマスクをつけないそうです。

 バチカンのサンピエトロ大聖堂では今月6日、東方の博士来訪を記念する礼拝がありました。約100人が出席し、その多くはマスク姿でした。でもローマ教皇はマスクをしないまま、約1時間半の礼拝が行われたそうです。教皇は昨年10月、バチカンの職員らにマスク着用を義務づけました。ところが自分はマスクなしで人と握手したり、手にキスする場面が目立つそうです。

 米国のある神父は、こう批判しました。「科学に従い、自分で作った規則を守るべきだ。世界の手本となるべきなのに、ドナルド・トランプのようになりたいのか。」(この神父は、明らかにトランプ支持者ではなさそうですね。)

 教皇は若い頃、片方の肺を摘出したようですが、それがマスクをしない理由かどうかは不明です。

 マスク着用については昨年、欧米を中心に激しい議論がありました。「マスクは感染防止に役立たない」と主張する人たちがいました。「マスクは健康に良くない」と言う人もいました。「神が与えた呼吸の仕組みを奪うのか」と訴える人もいたようです。これに対し、日本では以前からマスクをする習慣があり、花粉症対策で着用する人も多いので、それほど大きな議論になりませんでした。

 日本にはさらに、「同調圧力」もあります。多数派に合わせるよう、少数派にプレッシャーがかかるのです。それは、「世間体」や「空気」という「戒律」だと言う人もいます。世間体や空気に照らし、ふさわしいと思えば、多くの人がマスクを着けます。政府の緊急事態宣言より、世間体や空気の方が、ひょっとしたら日本では強い影響力を持つのかもしれません。

 イエス・キリストを信じる人には、世間体や空気を超えた行動基準が与えられます。聖書が教える行動基準です。もちろんマスクを着用すべきかどうかは、聖書に書かれていません。聖書が教える行動基準で、最も基本的なものは2つあります。第一に、救い主イエスを信じ、唯一の主なる神として愛すること。第二に、キリストが愛されたように、私たちも互いに愛し合うことです。

 全能の神の守りを信じるから、自分はマスクをしないという人も中にはいます。でも逆に万全の感染対策をして、自分以外の人を大切にしようと心掛ける人も大勢います。聖書の行動基準に照らし、私たちはそれぞれ自分の生き方をチェックできるのです。(必ずしも全員が同じ結論には至りませんが・・・。)

 被造物を研究して得られる科学的知識も、創造主なる神の知恵の一部です。そうした知恵も、私たちは愛ある生き方のために用いることができます。何より大切な行動原則は、聖書の教えに従い、神と人とを愛する生き方をすることだと言えます。

 世間体や空気については、聖書はどちらかと言うと否定的です。世間体や空気はサタンや悪霊の影響を受け、神のみこころに反する場合が多いからです。日本には、八百万の神々に人を向かわせる同調圧力があります。イエス様は、そのような同調圧力から私たちを解放しに来られました。イエス・キリストを信じる人は、世間体や空気の縛りから自由にされます。聖書の行動基準に照らし、自らの行動を律することができます。

 パンデミックは、いつか終わります。でもイエス様が完成する神の国は、永遠に続きます。パンデミックにふさわしく生きるのは、ほんの一瞬に過ぎません。それ以上に大切なのは、永遠の希望にふさわしく生きることなのです。

「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1:27)

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2021年1月10日 (日)

完成の希望に満ち溢れる

 今年のお正月は、株式会社そごう・西武の広告がネット上で話題になったようです。元旦の朝日新聞等で公開された広告です。1枚のレシートがあり、下の部分に大きくこう書かれています。

「百貨店が売っていたのは、希望でした。」

 領収欄には、昨年の6~11月にそごうや西武で販売された5つの商品がリストアップされ、こう説明が続きます。

「新型コロナウイルスで行動が制限された2020年。 それでも、自由に旅行できる日のために662人のお客さまが、スーツケースを購入された。 マスクの下でもメイクを楽しみたい76,175人のお客さまが、口紅を購入された。夏祭りは中止だったけれど、浴衣は475着。颯爽と街を歩く日を待ちながら、 お求めになったハイヒールは1,001足。生まれてくる命を、566セットのベビーギフトが全力で祝福した。足踏みばかりの日々であっても、 一人ひとりの『私』は、今日を楽しむ工夫を続けた。」

 そして広告の左上部には、こんな添え書きがあります。

「レシートは、希望のリストになった。」

 この広告は、ツイッター等で拡散されました。一般の人のつぶやきが2万4千のリツイート、13万6千のいいねを記録。こんな反響もありました。「泣けてきた。」「今年最初に優しい気持ちと希望が持てました。」「去年西武で娘の浴衣買いました……。お祭りなくても喜ぶ顔が見たくて。」「私もマスクで見えないのわかってて口紅買いました。」「未来の希望を知らず知らずに買っていたんだなー。」

 そごう・西武の広告担当者は、次のように語っています。「コロナウイルス感染拡大防止によるさまざまな制約の下で、・・・思うようにいかないことばかりの1年でした。」「お客さまは、日々の生活を少しでも明るく楽しいものにするために、ご自分らしくさまざまな工夫をされ、・・・百貨店でお買い物をされていました。」「2021年は・・・自分たちの仕事を通じて、お客さまの希望のリストを叶えるお手伝いをしていきたい。」

 強いインパクトのある、見事な広告ですね。私も所沢駅前の西武で、何か買おうかという思いになります(笑)。でも希望を手に入れるには、実はもっと良いところがあります。デパートではなく、イエス・キリストの御許(みもと)です。

 イエス様は、捕われ人を解放されます。コロナの制約からも、私たちを自由にして下さいます。私たちの心を希望で満たして下さいます。コロナ対策以外にも、私たちの人生には多くの制約や制限があります。でもイエス様は、あらゆる束縛から私たちを解放して下さいます。そして最終的に何の束縛も苦しみもない、永遠の神の国を完成されるのです。神の国の広告には、例えば、こう書かれています。

「キリストが下さったのは、永遠の希望でした。」

「十字架は、希望のシンボルになった。」

 使徒パウロは、キリストから希望を受け取り、人生が一変した一人です。彼はこの希望の広報担当に加わり、希望拡散のミッションに人生を献げました。逮捕され、投獄されても、彼の確信は揺るぎませんでした。牢獄の中でも、神の国完成の希望に満ちていたのです。イエス・キリストを信じる人は、同じ希望を手にします。先が全く見えない時も、心はいつも神の国完成の希望に満ち溢れているのです。

「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」(ピリピ1:6)

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2021年1月 3日 (日)

いと高き神を信頼する

 2021年が始まりました。昨年はコロナ禍の一年でしたが、今年はこのパンデミックの早期収束を願い、さらなる祈りが求められています。苦境に立つ人々のためにも、とりなしの祈りが必要です。私たち自身も、主とともに強く雄々しく前進するため、祈ることが不可欠です。世界的な大混乱の中、各国が抱えるさまざまな問題も浮き彫りになっています。日本にも痛みや苦しみ、不安、失望を抱える人がたくさんいます。でもどんなに混乱した、暗い世の中になっても、私たちは天地創造の神を信じ、祈ることができます。

 日本では、年の初めに多くの人が初詣に行き、祈ります。今年は「密」を避け、「年末詣」にした人たちもいたようです。コロナ禍の収束を祈った人も、多くいたでしょう。神社やお寺に行く人は、そこに祀られた神々や仏に祈ります。自分自身や他の人のため、超自然的な力を持つ存在に助けを求めるのです。

 その祈りの場には、少なくとも3種類の存在が関わっています。祈る自分、自分以外の人々、そして神々や仏などの超自然的存在です。神々や仏には、祈りに答える力=御利益が期待されています。神社やお寺は、彼らの神々や仏にどんな御利益があるかをPRしています。「年末詣でも問題ない」というPRもありました。参拝者はそうした言葉を信じ、祈りをささげます。その神々や仏にそんな力が本当にあるのか、なぜあるのか等、表立って議論する人はあまりいないようです。そんなことを口に出すのは、日本的な美徳に反すると考えられているのかもしれません。

 そんな日本的な美徳を、聖書は本当の美徳とは見なしていません。八百万の神々や数々の仏への信仰に聖書は意義を唱え、はっきりこう記しています。「天地創造の神だけが、唯一のまことの神だ。このお方以外の神々や仏は、全て偽物だ。唯一のまことの神は、全ての上に君臨する『いとたかき神』だ。このお方は全知全能で、祈りに答える絶対的な力を持っておられる。」

 天地創造のいと高き神は人となり、全世界に救いの光を輝かせて下さいました。そのお方、イエス・キリストは、どんな暗闇をも明るく照らす「世の光」です。このお方を信頼する人は、どんな苦境からも救い出され、最終的に勝利を得ることができます。

 旧約聖書にある詩篇91篇は、昨年、Facebook等で何度も引用されました。疫病からの救いを宣言することばに、多くの人が励まされたようです。この詩篇にも3種類の存在が登場し、互いに関わり合っています。祈る自分、自分以外の人、そして祈りを聞く神です。祈る人は、神に語りかけます。同時にその人は、周りの人にも伝えるべきことばがあります。そして神は、そのことばを補足し、人々への約束を語って下さいます。

 詩篇91篇を通し、私たちは、いと高き方への信頼を新たにすることができます。新しい年も私たちは、いと高き神を信頼し、祈り続けることができるのです。

「いと高き方の隠れ場に住む者
その人は 全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。
『私の避け所 私の砦
私が信頼する私の神』と。」
(詩篇91:1-2)

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