いつもポジティブに生きる
コロナ禍では、ポジティブな生き方が不可欠です。20数年前、米国で「ポジティブ心理学」の研究が始まったそうです。先駆者となったマーティン・セリグマン博士は、以前は悲観的な考え方の研究をしていました。方向性が大きく変わったきっかけは、ニッキーという自分の娘との会話だったそうです。
ある日、庭で草取りをしていたセリグマン博士は、あたふたして娘を怒鳴りつけました。するとニッキーは、こう反論したのです。「私は5歳の誕生日に、もう泣き言を言わないって誓って、それから泣き言を一切言っていない。私にそれができるなら、パパもそんなに機嫌が悪いのをやめられるはずだ。」(子供の言葉は、グサッと刺さる時がありますね。)それ以降、博士は楽観主義に関心を持ち、「どうしたら人は幸せを感じるか」について研究を始めたそうです。
「幸せな状態(well-being)」には次の5つの領域が関係していると、セリグマン博士は考えました。
第1の領域は、ポジティブな感情(positive emotions)。嬉しい、楽しい、面白い、感動した、感謝する等の気持ちです。
第2の領域は、積極的な関わり(engagement)。時間を忘れるほど何かに夢中になること。
第3の領域は、人間関係(relationships)。良い関係は、私たちの励みになります。
第4の領域は、人生の意味や意義(meaning)。自分は何のために生きるのか理解していること。
第5の領域は、達成すること(accomplishments)、達成感。何かを達成すると爽快感が得られ、自信につながります。
この5つの領域が望ましい状態であれば、人は幸せな状態にあるとのこと。「コロナうつ」が増えている今は、特にポジティブな感情の維持に気をつけるべきかもしれません。
使徒パウロの人生は波瀾万丈でしたが、彼はいつも「幸せな状態」にあったように思えます。牢獄に入れられても、パウロはポジティブな感情を失いませんでした。ピリピ教会の人々に感謝し、喜びに満たされていました。獄中でも祈り続け、教会宛てに手紙を書くほど、宣教の働きに夢中でした。ピリピ教会の人々と良い関係を保っていました。自分の人生は福音宣教のためにあると、パウロははっきり理解していました。そして、与えられた使命を十分に果たして来たという達成感もありました。
迫害され、投獄されて、殉教しそうでも、パウロは「幸せな状態」だったのです。そしてピリピ教会の人々にも、同じような生き方を勧めました。どんな困難の中でもネガティブにならず、ポジティブに生きるように励ましたのです。
イエス・キリストを信じる人は、誰でもポジティブな生き方ができます。聖霊なる神は、私たちの心をポジティブな感情で満たして下さいます。神は私たちの人生に計画を立て、それぞれが夢中になれる何かを用意しておられます。神の導きと助けにより、私たちは周りの人々と良い関係を築くことができます。それらの関係を用い、神は励ましを与えて下さいます。私たちは、人生の目的が何かも悟ります。天の光を地に照らすため、私たちは生かされているのです。神は、私たちが目的を達成するための支援もして下さいます。
創造主なる神の計画は、私たちを不幸にすることではありません。私たちを永遠に「幸せな状態」にすることです。この素晴らしい計画を信じる人は、どんな時もポジティブに生きることができるのです。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)
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