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2021年1月17日 (日)

永遠の希望にふさわしく生きる

 パンデミックの世界では、マスクやシールド等の着用が公の場にふさわしいと考えられています。感染リスクが減るからです。でも、そうしない人も中にはいます。例えば、84歳のローマ教皇は、公の場でほとんどマスクをつけないそうです。

 バチカンのサンピエトロ大聖堂では今月6日、東方の博士来訪を記念する礼拝がありました。約100人が出席し、その多くはマスク姿でした。でもローマ教皇はマスクをしないまま、約1時間半の礼拝が行われたそうです。教皇は昨年10月、バチカンの職員らにマスク着用を義務づけました。ところが自分はマスクなしで人と握手したり、手にキスする場面が目立つそうです。

 米国のある神父は、こう批判しました。「科学に従い、自分で作った規則を守るべきだ。世界の手本となるべきなのに、ドナルド・トランプのようになりたいのか。」(この神父は、明らかにトランプ支持者ではなさそうですね。)

 教皇は若い頃、片方の肺を摘出したようですが、それがマスクをしない理由かどうかは不明です。

 マスク着用については昨年、欧米を中心に激しい議論がありました。「マスクは感染防止に役立たない」と主張する人たちがいました。「マスクは健康に良くない」と言う人もいました。「神が与えた呼吸の仕組みを奪うのか」と訴える人もいたようです。これに対し、日本では以前からマスクをする習慣があり、花粉症対策で着用する人も多いので、それほど大きな議論になりませんでした。

 日本にはさらに、「同調圧力」もあります。多数派に合わせるよう、少数派にプレッシャーがかかるのです。それは、「世間体」や「空気」という「戒律」だと言う人もいます。世間体や空気に照らし、ふさわしいと思えば、多くの人がマスクを着けます。政府の緊急事態宣言より、世間体や空気の方が、ひょっとしたら日本では強い影響力を持つのかもしれません。

 イエス・キリストを信じる人には、世間体や空気を超えた行動基準が与えられます。聖書が教える行動基準です。もちろんマスクを着用すべきかどうかは、聖書に書かれていません。聖書が教える行動基準で、最も基本的なものは2つあります。第一に、救い主イエスを信じ、唯一の主なる神として愛すること。第二に、キリストが愛されたように、私たちも互いに愛し合うことです。

 全能の神の守りを信じるから、自分はマスクをしないという人も中にはいます。でも逆に万全の感染対策をして、自分以外の人を大切にしようと心掛ける人も大勢います。聖書の行動基準に照らし、私たちはそれぞれ自分の生き方をチェックできるのです。(必ずしも全員が同じ結論には至りませんが・・・。)

 被造物を研究して得られる科学的知識も、創造主なる神の知恵の一部です。そうした知恵も、私たちは愛ある生き方のために用いることができます。何より大切な行動原則は、聖書の教えに従い、神と人とを愛する生き方をすることだと言えます。

 世間体や空気については、聖書はどちらかと言うと否定的です。世間体や空気はサタンや悪霊の影響を受け、神のみこころに反する場合が多いからです。日本には、八百万の神々に人を向かわせる同調圧力があります。イエス様は、そのような同調圧力から私たちを解放しに来られました。イエス・キリストを信じる人は、世間体や空気の縛りから自由にされます。聖書の行動基準に照らし、自らの行動を律することができます。

 パンデミックは、いつか終わります。でもイエス様が完成する神の国は、永遠に続きます。パンデミックにふさわしく生きるのは、ほんの一瞬に過ぎません。それ以上に大切なのは、永遠の希望にふさわしく生きることなのです。

「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1:27)

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