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2021年3月

2021年3月28日 (日)

罪からの解放を感謝する

 昨夜から、イスラエル三大祭りの一つ、「過越の祭り(ペサハ)」が始まりました。来週日曜夕方までの8日間、世界中のユダヤ人たちがこの祭りをお祝いします。今回は、コロナ禍で2回目の過越となります。

 イスラエルでは昨年1月から、厳しいコロナ対策が始まりました。ところがユダヤ教超正統派の人たちは、いつも通りの生活を続けたそうです。そして昨年3月、彼らの中でクラスター発生が確認されました。警察と軍隊が彼らの居住地区を封鎖し、あらゆる集会が禁止されました。ユダヤ教の指導者は、人々にこう呼び掛けたそうです。「過越は同居家族だけでお祝いし、同居していない親族とはリモートでつながるように。」

 過越の祭りが始まると、大勢の警官が人々を監視しました。するとたくさんの人が自宅の前やマンションのベランダに食卓を出し、近所の人と一緒に歌ったそうです。ある女性警官はその様子を見て、パトカーのマイクを手にし、こう叫びました。「イスラエルの民よ、私はあなたたちを愛している。あなたたちの安全を守っている。ペサハおめでとう!」住民たちからは、歓声が上がったそうです。

 今年はイスラエルでワクチン接種が迅速に進み、人々の生活は徐々に平常に戻りつつあるようです。ワクチン接種の証明書が発行され、市場やショッピングモールは買い物客であふれているとのこと。スイミングスクールやスポーツジムにも人が戻って来たと聞きます。過越の祭りの期間も、昨年のような移動や外出の厳しい制限はなさそうです。今年は例年通り、親族が集まり、お祝いの食事をともにする楽しいひとときを過ごしているのかもしれません。

 過越の祭りは、ユダヤ人たちがエジプトからの解放を感謝する時です。彼らの先祖ヤコブの家族は、大飢饉の時、カナンからエジプトに移住しました。当初70人だった家族は、400年後には数百万人になりました。ファラオ(エジプト王)は、彼らの存在に脅威を感じ始めました。そこでユダヤ人を奴隷化し、こき使うようになったのです。ユダヤ人たちはその苦しみの中、天地創造の神に救いを求めました。すると神は数々の奇跡の末、彼らをエジプトから解放して下さいました。

 その時、象徴的な役割を果たしたのが、生け贄の子羊でした。神は、ユダヤ人たちにこう命じられました。「家族ごとに、一歳の羊を一匹用意すること。その羊の血を、家の門柱と鴨居に塗ること。その肉を家族で食べること。」神のことばに聞き従い、生け贄をささげたユダヤ人の家は死の災いから救われました。一方、聞き従わなかったエジプト人たちはその罪が問われ、災いが訪れました。生け贄の子羊が、救いの象徴となったのです。

 イエス・キリストが十字架につかれたのは、この過越の祭りの時です。イエス様は、全人類を死の災いから救い出す、生け贄の子羊になって下さいました。この十字架の真実を信じ、受け入れる人は、罪が赦されます。

 罪とは、天地創造の神に背を向ける態度や生き方のこと。アダムとエバ以来、全ての人は罪に支配されて来ました。イエス様は人類を罪から解放するため、十字架につかれたのです。つまりイエス様を十字架につけたのは全ての人であり、その中に私たちも含まれていると言えます。イエス様は、そんな私たちの罪の赦しを求め、祈られました。イエス様の十字架により、私たちが罪の支配から解放されたことを感謝しましょう。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』・・・」(ルカ23:34)

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2021年3月21日 (日)

献身的な家族となる

 先週は韓国の音楽グループ「BTS」が、グラミー賞の受賞を逃したと報道されました。BTSは、2013年にデビューした男性7人のヒップホップグループです。強烈なダンスパフォーマンスに定評があり、ネットを活用して人気を得て来たそうです。

 今回グラミー賞にノミネートされた「Dynamite」という曲は昨年8月に発表され、米国ビルボードのシングルチャートで1位に輝きました。韓国人アーティストとしては初めての快挙。アジア人としては、1963年に坂本九の「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」が1位を獲得して以来だそうです。

 「Dynamite」は、新型コロナによる無気力感や虚脱感を突き破る「ヒーリングソング」とのこと。世界中の多くの人が、この曲に励まされたのかもしれません。

 彼らの人気を支えるのは、「ARMY」と呼ばれる熱烈なファンたちのようです。公式YouTubeチャンネルの登録は、5千万人を超えています。オンラインライブでメンバーの食事の様子が流れ始めると、すぐに数百万人が視聴するそうです。

 この人気に注目する学者たちは、昨年1月にイギリスで「BTS学会」を開きました。世界20数カ国から140人以上が参加。参加者の一人だった、ある牧師はこう言っています。「500万人の人がオンラインライブを見て、同時に『愛』を共有している。」「倫理や価値への集団的合意。(アーミーの)献身的な行為。・・・別次元へとつながるような体験……。『宗教』としての機能のほとんどをBTSは満たしている。」

 他の人たちも、こう付け加えます。「ファンの多くは、自分の生まれ育った国より、アーミーというアイデンティティーへの帰属意識がある。」「BTSは、世界中の人々が悩みや思いを共有するための媒体のような役割を果たしている。ファンの草の根の行動は今、社会を変える力を生んでいる。」アーミーは、献身的な愛で結ばれた「BTSの家族」のようですね。

 天地創造の神は、献身的な愛を共有する「神の家族」をつくっておられます。人類の長い歴史を通し、神はこの「家族づくり」を着実に進めて来られました。アダムとエバが裏切っても、神はこのプロジェクトを中止されませんでした。互いの愛が冷え切っても、神は人類を見捨てられませんでした。

 神の家族をつくるため、神はノアやアブラハムを選ばれました。エジプトの奴隷生活からユダヤ人を解放し、献身的な愛の契約を彼らと結ばれました。その後ユダヤ人たちは、何度もその契約に違反しました。でも神は決して裏切らず、忠実に彼らを愛し続けられました。その歴史を通し、神はご自身の献身的な愛を全世界の人々に示されたのです。

 そして時が満ち、イエス・キリストが私たちの世界に来られました。献身的な愛で結ばれた「神の家族」をつくるため、天地創造の神は人となられたのです。イエス・キリストは私たちのために十字架を背負い、神の献身的な愛を示して下さいました。

 このお方を信じる人は、その偉大な愛を共有することができます。国境を超えた「神の家族」に帰属することができます。永遠の世界という別次元につながり、コロナ禍にも打ち克つ奇跡的な力が注がれます。私たちには、献身的な家族となる新しい人生が与えられているのです。

「イエスは皆に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。』」(ルカ9:23)

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2021年3月14日 (日)

聞き方に注意する

 「傾聴ボランティア」の活動に取り組んで来た人たちがいます。10年前の東日本大震災の時、その重要性が認められ、多くのボランティアが被災地の声を聴きに行きました。私も岩手県に行き、被災者の方々にお話を伺いました。牧師はさまざまな人のお話を聴く機会がありますが、ただ聴くだけで感謝してくれる人はそう多くありません。傾聴ボランティアの体験は、その数少ないケースの一つでした。

 牧師として話を聴く時は、相手の了解を得た上で、たいてい最後にお祈りします。(クリスチャンの多くは、同じようにすると思います。)自分たちの手で解決できない問題を神にゆだね、心に平安を頂くためです。それとは違い、傾聴ボランティアはただ聴くだけでした。それでも、自分の体験を聴いてほしいと願う被災者の方には多少なりとも喜んで頂けたようで、良かったです。

 傾聴ボランティアの活動は、20年以上前から日本にあったそうです。鈴木絹英さんという女性が、1999年に傾聴ボランティアの養成を始めました。きっかけは、年老いた自分の母との会話だったそうです。お母さんがよくする昔話を、絹英さんはじっくりと聴けませんでした。するとお母さんは、悲しそうにこうつぶやきました。「あなたも私くらいの歳になったら、年寄りの気持ちがわかるわよ。」その時、絹英さんは気づいたそうです。「高齢者たちは、自分が頑張って生きて来たことを認めてほしいのではないか。その話を聴くことは、心の介護になるのではないか。」

 その後、彼女はカウンセリングを学び、高齢者施設で実践を重ね、傾聴ボランティアを育て始めました。傾聴で何より大切なのは、「相手の人格や存在を否定せず、心を傾けて聴くこと」だそうです。今はボランティアだけでなく、仕事でそのスキルを活用する人や、家庭で配偶者や子供の話を傾聴する人もいるとのこと。よく聴く人は、良い人間関係を築けそうですね。

 傾聴の大切さは、天地創造の神と私たちとの関係にも当てはまります。神と人との関係がこじれたのは、人類の祖先アダムとエバが、神のことばをよく聴かなかったからとも言えます。彼らは語られたことばを正確に思い出せず、神に逆らうことをしました。神の愛を否定する中傷のことばにも、彼らは耳を貸しました。その結果、人類の多くは創造主なる神のことばを聴かず、神の人格や存在を無視するようになりました。人々は偶像の神々を拝み、互いに争い、殺し合ったのです。

 そんな状況を打開するため、神は新たなプロジェクトを始められました。人類の代表としてユダヤ人を選び、彼らにこう語られたのです。「聞け(聴け)、イスラエルよ。」神と人との関係回復を目指す「傾聴プロジェクト」が、こうして神の御手により進められました。

 この傾聴プロジェクトは、途中で数々のトラブルが発生しました。脱落する人が相次ぎ、プロジェクトは空中分解しそうでした。でも神のことばであるイエス・キリストにより、この傾聴プロジェクトは新たな展開を迎えました。イエス様のことばを傾聴する人は誰でも、天地創造の神との関係を回復できるようになったのです。永遠の祝福を頂けるのです。聴く耳を持たない人は、残念ながら祝福を手にできません。私たちは、聞き方によく注意する必要があります。

「ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」(ルカ8:18)

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2021年3月 7日 (日)

つまずきを回避する

 クリスチャンは日本ではマイノリティーですが、全世界では信者数最大の勢力です。ウィキペディアによると、昨年の世界人口約78億人のうち、クリスチャンは23億8千万人で、全体の31.1%。次に多いのはムスリムで19億1千万人、24.9%。3番目はいわゆる無宗教、信仰のない人で11億9千万人、15.6%。4番目がヒンズー教徒で11億6千万人、15.2%。5番目が仏教徒で5億1千万人、6.6%です。

 八百万の神々を信じる人が1億人いたとしても、全世界ではせいぜい1%弱。でもクリスチャンとムスリムを合わせると、唯一の神を信じる人は世界全体の過半数、56.0%になります。多くの神々を拝む日本の「空気」は、全世界の傾向とは異なるようです。

 日本で多くの人がクリスチャンにならない理由は、少なくとも4つは考えられます。第一に、日本国内では圧倒的多数の人がクリスチャンでないこと。空気に敏感な多くの人々は、多数派に合わせる傾向があります。(でも何らかの「ブーム」が発生すると空気が変わり、雪崩現象が起きる可能性もあります。)

第二に、日本の伝統文化を守るべきと考える人が多いこと。神道や仏教に比べると、キリスト教には日本の伝統とは相異なる、中東や欧米等の異文化の香りがかなり漂っています。自分の家の伝統的な信仰を捨てたくないと考える人もいます。(ただ逆に、それらから解放されたいと思う人たちも増えています。)

第三に、クリスチャンや教会が犯した数々の過ちを批判する人も多いこと。中世以降の権力争いや宗教戦争、魔女狩りや科学者の迫害、キリスト教国による植民地化、教会内のパワハラやセクハラ等のスキャンダル・・・。クリスチャンも完璧ではないので、残念ながら時には過ちを犯します。(一方、愛に満ち、立派な生き方をしたクリスチャンたちも大勢います。)

第四に、聖書は科学的でないと考える人も多いこと。聖書に記される奇跡的な出来事は、科学的に証明できません。神の存在も天地創造も永遠の世界も、科学を超越した話です。科学的裏付けのない教えなど無意味だ、自由に生きたいという人もいます。(もちろん、科学を超越した話に惹かれる人もたくさんいます。)

 聖書の時代にも、天地創造の唯一の神につまずいた人たちはたくさんいました。ノアの時代には、圧倒的多数の人々が創造主なる神に従わず、滅びました。モーセの時代には、ファラオがエジプト伝統の信仰を守り、唯一の神のメッセージを受け取りませんでした。

 ユダヤ人が約束の地に入った後、妥協的な生き方をすると、周りの国の人々はそれにつまずいたはずです。ユダヤ人は唯一の神を信じる模範を示すべきだったのに、逆に周りの国々の空気に流され、偶像の神々を拝むようになりました。残念ながらイスラエルの人々は、不正やスキャンダル等の過ちも犯しました。

 古代ギリシアやローマ帝国の時代には、自分たちこそが真理に通じていると自負する人々もいました。彼らは自分たちの思想を強く主張し、違う考えを激しく攻撃しました。人間的な知識がつまずきとなり、神のことばを素直に受け取る謙遜さを失っていたのです。

 イエス・キリストは、聖書の中で「つまずきの石」と呼ばれています。天地創造の神の計画は人の考えの遙か上にあり、多くの人にとって理解不可能だからです。全てを造られた唯一の神は人となり、数々の奇跡を成し遂げられました。今は世界の王として全てを治め、時が来たら永遠の御国を完成して下さいます。この永遠の王につまずかない人は、幸いです。このお方を信じる人は、永遠に祝福されるからです。

 かつて世界のマイノリティーだったクリスチャンが今、最大勢力となっているのは、まさに神の奇跡です。あらゆるつまずきを回避し、永遠に祝福される人が、日本でも今後増えて行くように切に願い、お祈りしています。

「・・・目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(ルカ7:22-23)

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