不可視の神の国に生きる
しばらく前、妻の実家の屋根裏から、神道のお札を取り外しました。「棟札(むなふだ、むねふだ)」と呼ばれる、木製のお札です。建物が新築または修築される際、建物内部の高い場所に設置されるそうです。
新築の家は骨組みができると、「上棟式(棟上げ)」と呼ばれる儀式を行うことがあります。多くは神道式で行い、建物が無事完成し、その後も守られるように神々に祈るようです。棟札は、その時に取り付けられるとのこと。日付や家主、工事業者の名前の他、お札を作成した神社や祀る神々の名も記されます。どの神々を祀るかは決まっているようで、その土地の守り神、木や家屋の守り神、それに大工の守り神だそうです。
取り外した時、私は初めて棟札を目にしましたが、どの神々を祀っていたのか、それまで全く知りませんでした。その家が偶像の神々から自由にされたことを感謝します。
日本では建物を建てる際、3つの儀式を行う慣例があるそうです。地鎮祭、上棟式、そして竣工式です。
地鎮祭は工事を始める前に行うもので、その土地を守る神に土地使用の許可を求め、工事の安全を祈願します。上棟式はすでにお話した通り、工事の途中で再び行う安全祈願です。そして竣工式は工事が完成した時、神々に感謝し、末永い繁栄を祈願する儀式だそうです。完成後に神棚を置き、先祖の霊などの神々をさらに祀る家もあります。もちろん棟札は、しっかり付けられたままです。
一つ一つの家は、まるで神々を祀る社(やしろ)、神社のようです。日本の建物の大部分は、おそらくそのような「神々の家」なのでしょう。「神々の家」が建ち並ぶ「神々の国」に、日本はなっているのかもしれません。
ユダヤ人の家の門柱には、「メズーザー」と呼ばれる羊皮紙が取り付けられます。羊皮紙には旧約聖書・申命記6章と11章の抜粋が記され、その中にこんなみことばがあります。「これ(=神のことば)をあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。」(申命記6:9、11:20)
そうするのはユダヤ人が、唯一の創造主なる神の祝福を決して忘れないためでした。そして彼らが偶像の神々に浮気して、国を滅ぼさないためでもありました。ユダヤ人の一つ一つの家は、日々、唯一の神を礼拝する場所――唯一の神の「社」だったのです。イスラエルは、そんな家が国中に建ち並ぶ「神の国」のはずでした。
ユダヤ人たちは、唯一の神の素晴らしい祝福を何度も何度も体験しました。なのに彼らは、神々を祀る周りの国々に影響され、偶像を拝むようになりました。そして国が滅びました。でも神は、彼らの国の再建も約束されていました。ユダヤ人たちは、その時の到来を待ち望んだのです。
イエス・キリストは、「神の国」の再建に来た国王です。ただその王国は、1世紀のユダヤ人が想像したような、目に見える国ではありませんでした。人の視界を遙かに超えた、時間的にも空間的にも果てしのない、超巨大な国だったのです。
当時、ユダヤ人社会で影響力を持っていたパリサイ人たちも、「神の国」再建を求めていたはずです。でも国王を目の前にしても、彼らにはその国が見えませんでした。キリストが治める神の国は、それほど深い奥行きを持つ、果てしない国なのです。
神の国の領域は、今も世界中で広がり続けています。その国民一人ひとりには聖霊が宿り、唯一の神を祀る家=「社」とされています。私たちは偶像の呪いから解放され、唯一の神の目に見えない国に生きる祝福を満喫できるのです。
「パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。『神の国は、目に見える形で来るものではありません。・・・見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』」(ルカ17:20-21)
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