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2021年6月

2021年6月27日 (日)

永遠のことばを喜ぶ

 日本は災害大国と言われますが、その割には災害に備えていない人が多いようです。2月に行われたある調査によると、9割以上の人は災害への備えが必要だと思っていますが、65%の人はあまり備えをしていないそうです。

 備えをしない理由の第一位は、「どのくらい備えがあればいいのか分からない」で、55.5%。第二位は、「面倒で後回しにしてしまう」で、41.7%。第三位は、「何から用意すればいいのか分からない」で、40.2%とのこと。

 備えている人が用意したものの第一位は食料で、58.2%。次は飲み物で、54.0%。その他はヘルメット等の装備グッズが35.9%、マスク等の衛生グッズが34.9%、携帯ラジオ等の情報取得グッズが33.4%だそうです。懐中電灯や乾電池等を用意している人も、多いようです。

 コロナ禍で危機意識が変わった人は、55%。ある人は、「いつ何が起こるか分からないと思うようになった」と回答しています。「将来のための貯蓄が大切と再認識した」人もいます。

 首相官邸のホームページを見ると、家庭での災害対策が5つ紹介されています。

第一に、家具の置き方を工夫すること。壁に家具を固定したり、倒れても出入り口を塞がない配置にすること等です。

第二に、飲料水や非常食、生活必需品等を3日から1週間分用意すること。

第三に、非常用持ち出し袋を人数分用意すること。中には食糧の他、貴重品、救急用品、懐中電灯、携帯ラジオ等を入れるそうです。

第四に、家族同士の安否確認方法を決めておくこと。171番に電話すると、家族への伝言を録音・再生できるそうです。

第五に、避難場所や避難経路を確認しておくこと。自治体のホームページにあるハザードマップ等で確認できます。

 「これらの対策全てを十分しているか」と聞かれると、私も含め、「まだ十分でない」と答える人が多いかもしれません。

 聖書の時代にも、災害に備えた人たちがいました。ノアは洪水に備え、箱舟を造りました。天地創造の神から、災害対策を命じられたからです。もしノアが神のことばに従わなかったら、彼の家族は、他の多くの人たちと同じように死んでいたはずです。

 ヨセフはエジプトで飢饉に備え、人々に食糧を備蓄させました。神がファラオに不思議な夢を見させ、その意味をヨセフが解き明かしたからです。もしヨセフとファラオが神のことばに従わなかったら、大勢の人々が飢え死にしたはずです。

 モーセは死の災いに備え、羊の血をユダヤ人の家の入り口に塗らせました。もしモーセとユダヤ人たちが神のことばに従わなかったら、彼らの子供は命を失ったはずです。

 このように神のことばに従い、災害対策をした人たちは、そのいのちが救われました。

 イエス・キリストは、「世の終わりに備えなさい」と私たちに命じておられます。「その時は突然来る」とも言われました。

 終末には、さまざまな災いが来ると警告されています。世界中を欺くカリスマ的リーダーの出現。戦争や地震。飢饉や疫病。クリスチャンへの迫害もあります。

 その後、イエス・キリストは再び天から下り、地上の全ての悪を滅ぼされます。そして天地は一新され、永遠のことばであるキリストが、永遠の神の国を完成されます。

 私たちは通常の災害だけでなく、終末への備えが大切です。最も重要な「対策」は、永遠のことばを信じ、それに従うことです。そうする人はいのちが救われ、永遠のことばを永遠に喜ぶ特権を頂くことができるのです。

「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(ルカ21:33)

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2021年6月20日 (日)

天来の霊的権威を喜ぶ

 コロナ禍が始まって以来、感染対策について、さまざまな人が議論を戦わせて来ました。今も東京五輪の開催に関し、熱い議論が続いています。

 今月初め、政府の対策分科会会長である尾身茂さんが、注目の発言をしました。「今の状況で(五輪を)やるというのは、普通はない」と言ったのです。その後、「やるのであれば覚悟を持った感染対策が求められる」とも発言したそうです。

 これに対し、田村厚生労働大臣は、こうコメントしたそうです。「参考にさせていただくものがあれば、政府でも取り入れさせていただく。」菅首相は以前から、「安全、安心な大会を実現する」と主張しているとのこと。

 こうした発言に関し、多くの人々が意見を述べ、さながら場外大乱闘のようになっています。(開催の是非や無観客にすべきかどうか等、今も議論が続いています。)

 コロナ対策の議論には、少なくとも3種類の権威が関わって来たように見えます。

一つ目は政治的な権威。政府や自治体関係者たちの持つ権威です。彼らは法令に基づく感染対策の責任者であり、国民や住民への説明責任を負っています。

二つ目は専門的な権威。研究者や医療関係者等の専門家が持つ権威です。彼らには、科学的な知見や最前線の医療に基づく情報、そして提言が求められます。

三つ目は社会的な権威。マスコミやSNS等を通し、自らの考えを伝える人たちの権威です。彼らの役割は、政府の感染対策や専門家の情報等の適確さを評価し、解説することです。

 これら3種類の権威はたいてい主張が一致せず、議論は白熱します。新型コロナは未知のウィルスだったので、そうなるのはなおさら当然とも言えます。

 権威とは、人々を従わせる強制力や影響力のことです。政治的権威や専門的権威、社会的権威は、コロナ禍の人々に大きな影響を及ぼして来ました。これらの権威は、人から委任されたもの――つまり、人々がその正当性を認め、自発的に従おうとするものです。

 でも聖書には、さらに別の種類の権威が登場します。霊的な権威です。霊的権威は人からではなく、創造主なる神から授けられる力です。その権威を認めるかどうかは、人々の選択次第です。

 モーセは、神から霊的権威を授かりました。ユダヤ人はその権威を認め、彼に従ってエジプトを脱出しました。でもエジプト人はその権威を認めず、ファラオの軍団は海の藻屑となりました。

 預言者エリヤにも、霊的権威が授けられました。7千人のユダヤ人は、その権威を認めました。でも、それ以外の多くの人々はエリヤの権威を認めず、彼らの祖国は滅亡に向かいました。

 バプテスマのヨハネは、エリヤの霊的後継者でした。霊的権威を帯び、多くの人を悔い改めに導きました。でもユダヤ人指導者たちは彼の霊的権威を認めず、ヨハネを捕え、処刑しました。

 イエス・キリストは、ヨハネの逮捕後に働きを開始されました。メシアとしての霊的権威を帯びてです。ところがその霊的権威も、指導者たちは認めませんでした。イエス様も死刑にされましたが、その後よみがえり、天に昇られました。

 イエス・キリストは今、絶対的な権威を持って全世界を治めておられます。イエス様の霊的権威を認めない人は、残念ながら今もたくさんいます。でもその権威を認め、喜ぶ人には、新しい人生が与えられています。それは、永遠の霊的権威により、あらゆる災いや死の恐れから解放された人生なのです。

「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」(ルカ20:4)

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2021年6月13日 (日)

救世主を喜ぶ

 コロナ禍で、ハンバーガーが外食産業の「救世主」として注目されているそうです。先月末、東京・品川区にバターミルクフライドチキンの専門店がオープンしました。「Lucky Rocky Chicken」というお店で、チキンバーガーが看板メニューです。「ロイヤルホスト」や「天丼てんや」等を展開する会社が始めた新しいタイプのお店で、テイクアウトやデリバリーに力を入れているそうです。

 居酒屋チェーンの「鳥貴族」も、8月中にチキンバーガー専門店を都内に出店予定とのこと。「TORIKI BURGER」という名称で、テイクアウトやドライブスルー、デリバリーに対応するそうです。

 東京・中目黒で昨年11月に開業した、「BLUE STAR BURGER」というお店は、繁盛しているようです。焼き肉チェーンが始めた新たなお店で、冷凍していない牛肉のパティを100%使用。スマホ注文、キャッシュレス決済のテイクアウト専門店だそうです。この他、ライスバーガーのデリバリーを始めた外食店もあるようです。

 ハンバーガーが注目されるのには、いくつか理由が挙げられています。第一に、ハンバーガー注文客の6~7割がテイクアウトとのこと。妻と私も先月、車でハンバーガーを持ち帰り、外の景色を眺めながら食べました。

 第二に、業界1位のマクドナルドと2位のモスバーガーは、緊急事態の時、売上高が跳ね上がるとのこと。デリバリーの人気も高いそうです。ハンバーガー店は、ひょっとするとコロナ禍に強いビジネスなのかもしれません。

 第三に、フライドチキンの売上も伸びているため、チキンバーガーが注目されているとのこと。北海道には何年も前から、チキンバーガーを看板メニューにして成功した外食チェーンもあります。

 コロナ禍で苦境にある多くの外食店は今、「救い」を求めているようです。ハンバーガーは、そういう意味で「救世主」として期待されているのかもしれません。

 「救世主」とは、世界を苦境から救う特別な存在のことです。辞書を引くと、「イエス・キリストのこと」と先ず記されています。その他に、「不振の団体・組織などを救う働きをする人」という意味もあります。ハンバーガーを「救世主」と呼ぶのは、物を人のようにみなした言い方なのかもしれません。

 古くからユダヤ人たちは、天地創造の神こそが「救世主(救い主)」であることを学んできました。神は、彼らをエジプトの奴隷生活から救われました。荒野の苦しみから救われました。あらゆる敵の攻撃から救われました。バビロニアの捕囚生活からも救われました。

 でもユダヤ人たちは、彼らを救う神をすぐに忘れ、偶像に目を向ける弱さを持っていました。刻んだ像、つまり物を「救世主」とみなし、救いを求めました。それは、大きな間違いでした。本当の救い主、「救世主」は、唯一の創造主なる神だったからです。

 創造主なる神は人となり、私たちの世界に来られました。イエス・キリストです。このお方こそが、世界を苦境から救って下さる救い主、「救世主」です。

 この世は闇に覆われ、多くの人が道に迷っています。苦しみながら、死に向かいつつあります。イエス様は、そのような苦境から私たちを解放して下さいました。このお方を信じる人は、暗闇の中に希望の光を見出すことができます。その光を反射させ、周囲を明るく照らすこともできます。

 コロナ禍でも私たちは、救いの喜びに満たされます。ハンバーガーではなくイエス様が、「救世主」として、私たちに喜びを与えて下さるからです。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)

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2021年6月 6日 (日)

子供のように神の国を喜ぶ

 「名探偵コナン」は、青山剛昌さん原作の推理漫画です。雑誌連載は1994年からで、その2年後にTVアニメが始まりました。放送開始から25年経った長寿番組です。わが家の子供たちも小さい頃、視聴していました。

 天才的な高校生探偵・工藤新一が悪の組織に薬を飲まされ、体が縮み、小学1年生の姿になるストーリーです。意識は高校生のままの彼は、江戸川コナンと名乗り、次々に難事件を解決します。元の体に戻るため、悪の組織の行方も追い続けます。

 TVアニメのオープニングでは、こんな決めゼリフがあります。

「たった一つの真実見抜く、見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン!」

このセリフを最初に聞いた頃、私は一つ気になる点がありました。コナンの頭脳は、大人なのかという点です。推理力は確かに天才的ですが、その他の意識は「大人」と言うより、ティーンエージャーのようだったからです。

 「大人」とは、何でしょうか。辞書には、例えばこう書いてあります。

「成人としての資格や能力を持ち、思慮分別があり、社会的な責任を負える人」。

 「成人としての資格」というのは、法律や慣例により、大人と見なされるという意味なのでしょう。日本の今の法律では20歳以上が成人ですが、来年春からは18歳以上になるようです。

 「成人としての能力」には、精神的・経済的に自立できる力が含まれるのかもしれません。子供は大人に依存し、自立していません。忍耐力や自己管理能力、行動や感情をコントロールする力も、小さな子にはありません。

 もちろん小さな子には、思慮分別もありません。自己中心的で、人に対する思いやりや気遣いもありません。したことの責任を自分で負うこともできません。

 子供から大人になるプロセスを通し、私たちはそうした力を少しずつ身につけます。ティーンエージャーは、見た目は大人っぽくなりますが、まだ中間地点です。ある調査によると、「大人になった」と日本人が実感する年齢は、平均すると30歳頃だそうです。

 年齢的に大人になっても、精神的に大人でない人もいます。例えば、誰かに依存している人、自己管理や行動・感情のコントロールができない人、自分のことしか考えず、他の人を思いやったり、気遣ったりできない人、あるいは自分で責任を取らない人などです。そんな人を指す、「逆コナン」という言葉もあるそうです。「見た目は大人で頭脳が子供」という意味です。精神的に子供っぽい人が増えると、人間関係は難しくなりますね。

 一方、大人になる途中で、余計なものを身につける人もいます。コンプレックスや偏見を持ち、「たった一つの真実」が見えない人がいます。先行きを思い煩い、将来に絶望する人もいます。果てしない欲望に従い、人生を台無しにする人もいます。そんな人たちは、余計なものを捨て去り、子供のような心に立ち返る必要があります。

 イエス・キリストは、子供のような心の大切さを教えられました。大人の心も、もちろん大切です。私たちは、霊的・精神的な成熟が期待されています。でも同時に、子供のような純真さに立ち返ることも求められています。神の国にふさわしくないものがあったら、それらを捨て去る必要があります。コンプレックスや偏見、不安や絶望、無益な欲望などは、聖霊の助けにより処分できます。

 イエス様は、子供のように神の国を喜ぶ人を御国に迎え入れて下さいました。神の国で私たちは、子供の心を兼ね備えた大人になれます。聖書が語る「たった一つの真実」を、私たちは自ら体験できるのです。

「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(ルカ18:17)

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