子供のように神の国を喜ぶ
「名探偵コナン」は、青山剛昌さん原作の推理漫画です。雑誌連載は1994年からで、その2年後にTVアニメが始まりました。放送開始から25年経った長寿番組です。わが家の子供たちも小さい頃、視聴していました。
天才的な高校生探偵・工藤新一が悪の組織に薬を飲まされ、体が縮み、小学1年生の姿になるストーリーです。意識は高校生のままの彼は、江戸川コナンと名乗り、次々に難事件を解決します。元の体に戻るため、悪の組織の行方も追い続けます。
TVアニメのオープニングでは、こんな決めゼリフがあります。
「たった一つの真実見抜く、見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン!」
このセリフを最初に聞いた頃、私は一つ気になる点がありました。コナンの頭脳は、大人なのかという点です。推理力は確かに天才的ですが、その他の意識は「大人」と言うより、ティーンエージャーのようだったからです。
「大人」とは、何でしょうか。辞書には、例えばこう書いてあります。
「成人としての資格や能力を持ち、思慮分別があり、社会的な責任を負える人」。
「成人としての資格」というのは、法律や慣例により、大人と見なされるという意味なのでしょう。日本の今の法律では20歳以上が成人ですが、来年春からは18歳以上になるようです。
「成人としての能力」には、精神的・経済的に自立できる力が含まれるのかもしれません。子供は大人に依存し、自立していません。忍耐力や自己管理能力、行動や感情をコントロールする力も、小さな子にはありません。
もちろん小さな子には、思慮分別もありません。自己中心的で、人に対する思いやりや気遣いもありません。したことの責任を自分で負うこともできません。
子供から大人になるプロセスを通し、私たちはそうした力を少しずつ身につけます。ティーンエージャーは、見た目は大人っぽくなりますが、まだ中間地点です。ある調査によると、「大人になった」と日本人が実感する年齢は、平均すると30歳頃だそうです。
年齢的に大人になっても、精神的に大人でない人もいます。例えば、誰かに依存している人、自己管理や行動・感情のコントロールができない人、自分のことしか考えず、他の人を思いやったり、気遣ったりできない人、あるいは自分で責任を取らない人などです。そんな人を指す、「逆コナン」という言葉もあるそうです。「見た目は大人で頭脳が子供」という意味です。精神的に子供っぽい人が増えると、人間関係は難しくなりますね。
一方、大人になる途中で、余計なものを身につける人もいます。コンプレックスや偏見を持ち、「たった一つの真実」が見えない人がいます。先行きを思い煩い、将来に絶望する人もいます。果てしない欲望に従い、人生を台無しにする人もいます。そんな人たちは、余計なものを捨て去り、子供のような心に立ち返る必要があります。
イエス・キリストは、子供のような心の大切さを教えられました。大人の心も、もちろん大切です。私たちは、霊的・精神的な成熟が期待されています。でも同時に、子供のような純真さに立ち返ることも求められています。神の国にふさわしくないものがあったら、それらを捨て去る必要があります。コンプレックスや偏見、不安や絶望、無益な欲望などは、聖霊の助けにより処分できます。
イエス様は、子供のように神の国を喜ぶ人を御国に迎え入れて下さいました。神の国で私たちは、子供の心を兼ね備えた大人になれます。聖書が語る「たった一つの真実」を、私たちは自ら体験できるのです。
「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(ルカ18:17)
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